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試練(4)

目を覚ましてすぐ、ロシュは自らの胸に触れた。

「やっぱりだ」

先ほどまでの光景と自分の行動の結果を確かめ、ひとりで呟く。

義兄の放ったナイフも、それで貫かれた胸の傷も、自ら流した血でさえも、跡形もなく消え失せている。


やはり自分は義兄から何も期待されていなかった。

何も求められていなかった。

諦められてしまっていた。

同じく幻影から解放されたはずのエーミールも、気分がいつもより少し良くなっている程度だろう。


「それで良いのです、義兄さん。あなたには、ぼくにかまっている時間なんかないんですからね」

ひとり苦笑して、再び足を進める。

震える身体は蝸牛よりも遅く動いた。


義兄は彼の判断に従おうとしたに過ぎない。

失敗するとわかっている投資先に金を突っ込む投資家がどこにいる?


実施さんが頼んでくれなければ、農業学校の学費など諸々の経費も惜しんで、()()()()()として屋敷に置き、どこにも行かせることなく済ませようとしただろう。

世間に顔向けできる程度には飯を食わせ、がくや娯楽を与えてなお、不詳の弟を決して世間にさらさずに済ませる。

ヘルベルト義父さんから自分の処遇を一任されて、義兄がまず考える手段だ。


その手段について、だったのだ。

どうしても気になって義兄の執務室を覗き見たあの日に──温和で誰に対しても優しいアスカ実姉さんが烈火のごとく怒って、彼女の長姉の良人おっとに食って掛かっていたのは。


のろのろと流れる早春の川のように、ロシュの鈍い頭に理解が訪れる。

実姉さんは自分を守ろうとしてくれていたんだ、と。


そんな実姉さんに。

優しいアスカ実姉さんに。

自分はどんな感情を持っていたか。


試練の場そのものが発する、重く、恐ろしい疑問が、ロシュに回答を迫る。


「実姉さん」


記憶の奥底の明るい声が、ありありとよみがえる。

──今日から、あたしを実姉さんだと思いな。

彼女はそう言ってくれたのだ。

あたしに惚れると火傷するよ、なんて茶化して笑っていて、その時は意味が分からなかったけれど。


「心配してくれてたのに」

ロシュは大切な実姉さんの言いつけを守れなかった。

決して言葉にも態度にも出さなかったつもりだったけれど、元来が嫌になるほど不器用な自分に、誰あろうアスカ実姉さんに対して、隠し事を隠しきることなどできるはずもなかっただろう。

“火傷している”のを知っていて、何も言わなかっただけなのだ。


ロシュが自らの尊厳を保つために、基本的な動きを補助する魔力を貸してくれただけではない。

それで足りないと思われる部分があれば、少しも躊躇せずに介助(異世界の概念でララベルの好む表現だ)をしてくれていた。

起床から食事、ろくすっぽ頭に入らなかった勉強。

体調がひどいときには排せつや入浴まで。


成長するにしたがって、ただ単に行動を手伝ってもらえる家族、という認識が変わってしまうのも不思議ではない。

「好きにならない、わけ、ないじゃないですか。実姉さん。実姉さん」

ねえさんねえさんと繰り返しつぶやきながら、動かない脚を強引に推し進める。

そうでもしなければ、まともでいられる自信すらない。


幸いと言ってよかっただろう。

彼女には当時から、将来を約束した信頼ある恋人がいた。

その実姉の恋人がもし、実姉の全幅の信頼を得ていなかったならば。優れた【魔導士】でなかったならば。

「そうでもなけりゃ、お前、どうしてたよ。なあ?」


家族だった日々を忘れ、受けたる施しと恩を忘れて。

家族であり続けることを、平気でかなぐり捨てて。

10歳頃にはもう芽生えていた欲望と、今は失った力に任せて……実姉を巻き込んで、火傷どころか大炎上を引き起こしていたに違いない。


早熟で美しく、すさまじい力を持つ異種族──『妖魔族ミスティック』の子。

かつての自分は、確かにそういう存在だったのだから。

「……はは、は。ははは……。あはははは!」


統合されずに散らばっていた記憶が、時系列と鮮度と明確さを取り戻し、完全にロシュの中によみがえっていた。

手すりにつかまったまましゃがみ込んで、止まらない笑いに身を任せる。

2023/1/7更新。

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