恐怖(4)
ひたすらに同じ動きを繰り返す。
昇って休息、上って休息、登って休息。
自分では割と根気強いと思っていたロシュだが、景色どころか構造物の色すら変わらない(乳白色で美しいけれども)道行きの価値を疑うことが多くなってきた。
意味のない鍛錬だったらどうしよう。
以前みたいに意味のない努力なんかしていたら。
ドライバッハを、賢者ガラを信頼しているはずなのに、どうしても、泥のように湧いては脳裏にこびりつく疑念を振り払う事ができない。
『瑞風の園』に入って1年にもなろうかというのに、まったく成長していなかったということなのだろうか。
もう、何度、階段を昇ったかも覚えていない。
自分で目標を決めて、それを目指して体を動かすだけなのに。
──こんな簡単なこともわからないのか。
──才能うんぬんは関係ないといつもいつも言っているだろう。
──なぜ当たり前のことが当たり前にできないんだ。
父子ほども歳の離れた義兄にさんざん罵られた言葉が脳裏でよみがえる。
手に入れた"家族"のことを考えていれば辛くもないだろうに、どうしても思い出してしまうのだ。
内面と向き合えば当然だ、隠して、秘密にして、忘れて来たことを思い出すことに他ならない。
ゆえにこそ、これも試練である。
奇妙に澄んでいた空気すら淀んできたように感じられた。
足を止める。
小さな子がいやいやをするように首を何度も振りながら、それでも忘れたいことが溢れて来るのを止めることが、ロシュにはできなかった。
実に温厚で人当たりが良く、誰からも敬愛される義兄は、遮音結界を完璧に張り巡らせた離れの一室で毎晩のようにロシュに説教を垂れた。
他人と会う時とはころりと態度を変えてしまうから不思議で仕方なかった。
アスカ姉の言う「結局はあなたに甘えてるのよ」という言葉の意味も理解できなかったし、今でも出来ていない。
懇願して(必死に嘘をついて)国立の農業大学校に入らせてもらうことが決まり、家を出立する前の晩も、「わざわざ金を使って学ばせねばならんとはな」なんぞという憎まれ口をたたかれたものだ──学ばせても家の事業を手伝えるようにはなるまいという義兄の予測は的中した訳だが。
ヴァレリア様に初めて打ち明け話をした時には、「できる者にはできない者の気持ちがよく分からんもんなんじゃよ」と仰って、「よう我慢したのぅ」と頭を撫でてくださったのをよく覚えている。
それでようやく、義兄にとっては自分のせねばならない事ができるのが当たり前で、そうできない自分を見ていて苛立っていただけだったのだとわかった。
苦しいのではないかと続けて問われて、そうだ……思い出した。
救済施設に入る前の記憶を、魔法で少しだけぼやかして頂いたのだった。
ゆっくりと思い出してゆく。
ひどい頭痛がして、階段にしゃがみ込んだ。
家を飛び出すきっかけが何だったか。ヴァレリア様に導かれて彼の事を少し理解するまで、自分が義兄に対してどんな感情を持っていたか。
厳しく説教されるたびに眠れなくなった。
姉に借りた本を読みまくるうちに眠ってしまうのだ。
そんな夜更けには、必ず嫌な夢を見た。
慈悲部火器賢者の魔法が、暗黒の力の前に寝食されてゆくのが分かる。
もう思い出さなくていい、考えなくていいと微笑んでくださったヴァレリア師の顔が、ゆっくりと消えてゆく。消えてしまう。
……夢を見た、だけでは、なかった。あの頃は。そうだった。
ばかな子どもの短絡的な考えで。
深夜──何度も何度も、豪華な寝室で眠る彼に忍び寄ろうとした。
男性としては細いエーミール義兄の首を見つめて、どうすれば自分が楽になるか考えて。
アスカお姉ちゃんを裏切れなかったから、それ以上の行動に出ることは、決してなかった。
その頃の愚かで汚らわしい思考を、エーミール義兄さん本人やヘルベルト義父さんに知られることもなかったはずだ。
「あ……あぁぁ……、ごめんなさい……」
だが。
ロシュは確かに、向けてはならない感情を家族に向けてしまっていた。
ミンナ居ナクナッテシマエバ楽ニナレル。
必死に隠して、秘密にして、否定して来た。
なのに、なのに……思い出してしまった。
それだけで両手が震えて仕方がない、頭が痛くて動けない。
あの恐怖が喉の奥からこみ上げてきた。
何者かの細くて冷たい腕が、身体に巻き付いて来る──。
2022/12/7更新。




