試しの塔(2)
考えることは山ほどある。確認することも。
まず、安全を確保しなければならない。
『結界鋲』が展開する結界は強力に魔物の接近を妨げるが、何たって最難関の試練の場に来てしまっている。
ない頭を絞りに絞って("兄さん"達なら一瞬で判断するだろう)、ロシュは自分が与えられた最初の物資──高性能な『アイテムボックス』の機能に頼ることにした。
戦闘能力が皆無に等しい(多数のアイテムを駆使すればこの限りではないが)支援職【運搬士】が緊急時に取り得る、唯一といってもいい手段。
アイテムボックスの中に隠れてしまう、誰が呼んだか『弱者の逃避』!
──首を横に振る。
個人的にはとっても恥ずかしいし、情けない。
けど、ここには嗤う者も、嗤ってくれる者もいない。居やしない。
自分のことだけ考えてろ、ばかなロシュ。
人工皮革の持ち手がついた四角形のバッグを探り、確かめる。
私物を除いた荷物がきれいに消え失せている。貴重な物から余った物まで、たくさん借りたり預かっていたのだけど。
「ああー……そっか」
家族同然とは言え、誰かから借りた物や預かった物を使って試験に挑むことはできない。
冷静に考えれば当たり前だ。
ロシュはまたため息をついた。
"兄さん"の言うことを聞いておけばよかった。
ザックはあまり周囲に関心を払わない(ように見える)男だが、その彼ですら「ホントに大丈夫かよ」とか「先に相棒でも探した方がいいんじゃね?」とか心配してくれていた。
試験の難しさを知っていたからだ。
存分に後悔しながらバッグの中身をていねいに取り出す。
『逃避』するにはアイテムボックスの中身を全て移動させるか、さもなくば奪われたり使えなくなるのを覚悟でその場にぶちまけなければならない。絶対的な安全が確保できる代わりに、【運搬車】として小隊なり中隊の役に立てなくなる、本当に自分のことだけを考えなくては使えない技術だ。
幸か不幸か、今のロシュの場合は、着替えと大量の薬をリュックサックに詰め替えて背負い、ララベル"姉さん"が手織りしてプレゼントしてくれたハンカチをスカートのポケットに入れれば事足りる。
ろくすっぽ読めない魔導書も、果物や野菜の皮むきくらいしかできないナイフも。
冒険について行くときに身につけていた銀糸の頑丈な戦闘服でさえ借り物だったのだと、今さら、気づく。
最も重要な『鑑定』のスキルを会得するための座学にだけ夢中になっていた、報いなのかもしれない。
涙が込み上げてくるのを自覚したが、今ここで泣いても仕方がないので、作業を続ける。
空っぽになったバッグを床に置き、以前に見た手品師が余裕ありありで行っていたのを真似て、大胆に身体を携帯式の異次元空間に滑り込ませる。
うまくできた。これだけで奇跡的。
何より安全、『結界鋲』の性能を信頼していない訳ではないが、いつ破られるともしれない結界だけを恃んでうずくまっているよりは。
暗黒の魔力で包まれた不気味なダンジョンにいるよりは、安全だ。
ああ、でも、もし狡知を持った魔物が現れて、アイテムボックスを抱えてどこかへ持って行ってしまったら。もっともっと地下深くまで運ばれてしまったら、一体どうしたらいいんだろう。
想像しただけで恐ろしかった。
背筋が震える。呼吸が激しくなり、弱い喉が悲鳴を上げ始める。
ひゅう、ひゅう。ひゅう。
「……飲まなきゃ。薬。薬……」
先ほど背負ったばかりの小さなリュックサックを降ろし、密閉瓶を取り出す。
薬学に詳しい【賢者】ユェンが調合してくれた、特別な薬だ。副作用で身体を壊さないよう、いざという時以外はあまり頼らないようにと優しく戒められている。
飲む。流し込む。5粒。
一日に飲めるギリギリ。絶対、後で怒られちゃう。
「ごめんなさい、ユェン姉さん」
掠れた声でつぶやくと、急に視界がにじんで来た。
身体が原始的な恐怖を思い出したのか、それとも単なる疲れか。
容量を間違えなければ起きない副作用が起きてしまっている──強烈な眠気、試験いや戦闘の最中に在る冒険者には有り得べからざる症状。
もういい、もう……どうにでもなれ。
ロシュは絶対領域に身体を横たえた。
──おやすみ、ばかなロシュ。
2022/9/13更新。