賢者ガラ(1)
次にロシュが自分を取り戻した時、血を吸い尽くされた肉体は、ぬるめの湯に浸かっていた。
この試練の塔で、少しでも心地の良い体験があるとは思っていなかった。
気が付いた? とすぐ傍で声がするが、振り向かずに小さく頷く。
全裸の身体が伝えて来る感触からすると、明らかに誰かに抱きかかえられている。
本当はすぐに後ろを振り向いてみたくて堪らないのだけど。
「んー……女嫌いってわけじゃないのよね?」
「恥ずかしいんですよっ、もう……落差ありすぎでしょ」
「あら。役得とぐらい思った方がいいんじゃなくて? ダカツがあんな風だったから警戒してるのかしら」
「そうですね。それも、あるかな」
「あなたとわたし達は今、敵でも味方でもない……いつでもどうにでも立場が変わる関係。こっちから気まぐれに手助けしたりしなかったりするだけって感じだものね」
「本当はぼくからお願いしなきゃいけないのに、そうしてませんから……」
「だから彼が血を吸うのを許したの?」
「魔法のカンテラの機能を確かめないかって言われたんで、どっちも信用しなきゃかなと思って」
「『救命燈』のことね。あれは本当にいざって時の為のものだけど……さっそく役に立ってよかったわ」
「はい。すごいアイテムを作ってくださってありがとうございます、ガラ様」
「他の多くの人にもして来たことよ。でも、そう言ってもらえるのはうれしいわ」
少し遠回りしがちな話し方と言い鼻にかかった甘めの声と言い(間近にいる時の圧力みたいなケタ違いの魔力と言い)、ヴァレリア師によく似ている気がするのだが……。
「確かめたいことがあるみたいね。自分で思ってるほど鈍くなんてないんじゃない?」
「そうなんでしょうか」
「自分の判断に、自分に自信がない?」
あるわけない。
素晴しい先生や、家族みたいに大切にしてくれるすごい人たちが周りに居ても、自分の力を磨くことさえ満足にできていなかったのだから。
頷く。
後悔とも諦めとも違う、何と言えば伝わるのかさえ分からない感情。
そう、と静かに言ったきり、ロシュの細い方にゆるく巻きつけていた腕を放して、ガラは黙って湯に身を任せる。ゆったりと泳ぐかのようだ。
どろりとした赤褐色の湯が小さくちゃぷちゃぷと揺れ、女のくるぶしまであろうかという長い黒髪を水面にたゆたせる。
「ぼくはどうなって、ここに?」
「ダカツに水分吸い尽されて灰になって、お詫びがてらってことで4階ほど上まで運ばれて来た。ここは『試しの塔』地下33階、ドライバッハの意図とはちょっと違うけど、一応は地上に近づいたわね。おめでとうロシュ君」
「……あんまり嬉しくないかもです」
「だろうねー」
ガラは控えめに、でも愉快そうに笑う。
本当によく似ている。
「ねえ?」
「は、はい」
「先生のことは好き?」
しばらく迷って、肯定した。
期待に応えられていない弱い自分が、どうして自信を持ってギルド長への好意を口に出来るだろう。
「ふぅん。だからなのか。あの人らしいと言えばそうね。あまりにもヴァレリアらしい」
「よく知ってるみたい、ですね」
「ええ、そりゃあもう。いま聞く? これ、ものすごいネタバレだけど」
強烈な誘惑であった。
聞きたくて聞きたくて仕方がない。
でも、ネタバレな話を借りに知ったとして、この厳めしい試練が楽になるかというとそうでもないだろう、とも思う。
「そうね。心の持ちようがちょっと変わるくらいかな──まあ、それが一番大事だったりするんだけど」
「心持ち……気持ちが、ですか?」
「そう。厭でしょうがないでしょうけど、ちょっと思い出して欲しい。怖い目に遭ったのはさっきが3度目だったはずよね」
「はい。さっきはダカツが優しかったのとランタンの光のおかげで落ち着いてたけど……」
吸血鬼に身体中の血を残さず吸い尽くされるなど、恐怖に違いない。
「ちょっとでも思わなかったかしら? "こうなったら嫌だな"とか"この人にもし、裏切られたらどうしよう"って、怖い想像をしなかったかしら? まあ、生きてりゃそういうことはたくさんあるだろうけど」
2022/10/31更新。




