98.それぞれの変化
ザーッと雪の上をソリの馬車が走る。室内には一組の兄妹が向かい合って座っていた。
「よろしかったのですか? お兄様」
「何がだ?」
「アメリアさんのこと、気に入っておられたでしょう?」
「確かに優秀な錬金術師だったのだよ」
レイナ姫はクスリと笑う。
「隠さなくてもいいのですよ。私はお兄様のことなんでもお見通しですわ」
「……」
エドワードはそっぽを向く。窓の外は真っ白で何も見えない。見ているのは外ではなく、遠く離れているかの地。
「単なる気まぐれ、お前と同じおせっかいをしただけなのだよ」
「見ていてむず痒いですわね。あの二人は」
「まったくなのだよ。だが少なくとも己の気持ちを自覚した。あとは勝手にすればいいのだよ。俺は友として……見守るだけだ」
「ふふっ、そうですね」
二人を乗せた馬車は国境を超える。過酷な冬の寒さが一瞬で消えて、帰国したことを肌で実感する。窓の外は晴れ渡る青空が広がっていた。
「さぁ、これから忙しくなるのだよ」
「私もお手伝いしますわ」
次に彼らがこの地を訪れるのはまだ先の話。その時には馬鹿王子ではなく、こう呼ばれているだろう。
アルザード王国、次期国王筆頭候補――エドワード・アルディオン、と。
◇◇◇
アメリアたちがエルメトスの元で真実を知った時、彼女の古巣である王都でもとある変化が訪れていた。
王宮内はいつになく慌ただしい。何人もの兵士や職員が、廊下を右往左往しながら叫ぶ。
「ポーションはまだか!」
「た、ただいま作成中でして」
「遅い、遅すぎる! これでは間に合わないぞ! わかっているのか? 今、こうしている間にも感染者は増え続けているんだ」
「も、申し訳ありません」
怒られ頭を下げているのは、宮廷錬金術師の所長、その人だった。横柄で偉そうな態度をとっていた彼女の姿はどこにもない。
目の下にはクマがくっくりとできて、身体も少し瘦せていた。原因はハッキリしている。カイウスの失脚後、彼女を取り巻く環境は劇的に変化した。
常に監視の目が付き、仕事内容や部下への命令も含めてくまなくチェックされる。不必要な外出も、休日の息抜きすら自由にはできない。
過度な仕事で溜まったストレスに、監視によるストレスも追加されたことで、彼女の精神は大きくすり減っていた。
そこにきて、今回の事態。
もはや限界に近い。だが、彼女だけではなかった。残された錬金術師たち全員が、今までよりも縛りがきつくなっている。
中でも彼女は特別厳しい対応をされている。
アメリアの妹、リベラが廊下を通る。所長と視線が合って、お互いに後ろめたさから視線をそらし、挨拶もせずにすれ違う。
リベラは罪人となったカイウスの元婚約者であり、もっとも事件への関与が疑われていた。その影響はアルスター家全体の信用にも影響した。
故に、両親からの叱咤も数えきれないほど受けている。疑いを晴らすために実績を残すことを義務付けられていた。
宮廷錬金術師として、彼女は今日も働いている。弱音を吐いても助けてくれる人はいない。手伝ってもらいたくても、誰も彼女に手は貸さない。
奇しくも彼女は、かつてアメリアが体験していた状況をなぞっていた。そして今、彼女たちは窮地に陥っていた。
誰もが思う。今のままでは何も解決しない。仕事量は日に日に増え続けて、いずれパンクしていまうだろう。監視されている以上、逃げることもさぼることも許されない。
こんな状況を乗り越えられるとしたら……。
「アメリア」
「……お姉さま」
彼女しかいない。稀代の天才錬金術師アメリア・アルスターの力が必要だと。
◇◇◇
私は研究室から窓の外を見つめる。外は相変わらず猛吹雪で真っ白だけど、ほんのり人の姿が見えるようにはなった。
「あと一週間くらいで冬も終わるんだね」
「ああ、そしたらまた春だ」
研究室にはトーマ君も一緒にいる。今は二人で休憩時間を共有していた。
「春の準備もしたほうがいいかな?」
「そうだな。ついでに前回の春より快適に生活できる方法も考えておくか」
「うん。目標は普通の四季と変わらない生活、だね」
「何度も夢に見たな。でも、アメリアのおかげで現実味を感じられるようになったよ」
私とトーマ君はしみじみと実感する。四季の移り変わりを、その変化を。この地にやってきて、もうすぐ四か月が経過しようとしていた。
春から始まり冬へ。そしてもうすぐ一周する。普通は一年で体感するものを三分の一の時間で
感じることになった。
感覚的にはもうすぐ一年経つなぁーくらいのもので、それほどこの四か月が色濃く、充実した日々だったことの証明だ。
「本当に変わった。変わってくれたな……この領地が」
「うん。そうだね」
彼はまだ気づいていないかな?
変わったのは目に見えるものだけじゃない。私の心、奥底に眠っていた新しい感情に気付いてから、この目に映る世界が少しだけ明るくなった気がする。
トーマ君は窓の外を見つめる。そんなトーマ君を私がじっと見つめる。
私はトーマ君が好きだ。この気持ちを伝えたい。だけどそれは今じゃない。勢いとか、その場の雰囲気とかに流されず、お互いがお互いのことをしっかり見られる瞬間に、私は想いを伝える。
その時が来るまで、この気持ちは大事に温めておこう。






