93.優しい彼のために
研究室には一通りの薬品や素材が集められていた。長年錬金術師をしているけど、これだけ充実した材料が揃った光景は初めて見る。
「殿下、本当にいいんですか? これ全部使ってしまって」
「構わないのだよ。そのために手配したのだからな」
素材のほぼすべては殿下が用意してくれた。エルメトスさんの話を聞いてからすぐに動き出し、翌々日にはざらっと必要になりそうな物が手元にそろった。エルメトスさんだけじゃなくて、レイナ姫も協力してくれたという。
「ありがとうございます。私たちの領地のために」
「礼を言われることではないのだよ。俺がやりたくてしていることだ」
「でも、この件に殿下は無関係なのに」
「そうでもないのだよ」
彼は遠い目をして、窓の外を見つめながら語る。
「この惨状を作ったのが三百年前の戦争だというのなら、それを起こした俺の先祖が原因ともいえるのだよ。ならば子孫である俺が、その尻拭いをしてやろうと思っただけだ」
「そういうところ律儀だよな。お前って」
トーマ君が素材の入った木箱をテーブルの上に置く。
「ふっ、お前こそ本来無関係ではないか?」
「何言ってるんだよ。俺はこの領地の主なんだ。俺以上に関係のあるやつはいないんだよ」
そう言ってトーマ君は笑い、殿下も同じように笑う。
私も彼と同じ気持ちだ。生まれも育ちも違う。本来関係のない過去と未来の話だ。だけど、私はここにいる。今の私がここにいる。この領地の錬金術師として。
だったら、私が果たすべき責任と向き合うべきだ。何より、私の心がそうありたいと望んでいるのだから。
「しかしなのだよ。実際どうやって開発を進める? 俺たちには情報が不足しているのだよ」
「師匠の話だと、一週間後にはこの領地の生命がすべて結晶化するということだった。ならそろそろ、領民にも変化が出始める頃だが……」
今、他のみんなには領地をめぐって変化が起こっていないかの確認に行ってもらっている。結晶化の進行速度、順番、生命活動が維持できる限界ライン。私たちにはわからないことが多すぎる。
後手に回ってしまうことに歯がゆさを感じつつも、私たちは準備を万全にして待機していた。
そこへ慌ただしい足音が響く。
「トーマ! 領民の一人に結晶化が始まったぞ!」
研究室に駆け込んできたのはシュンさんだった。彼の報告を聞いた瞬間、この場の全員に緊張が走る。
トーマ君がシュンさんに尋ねる。
「その方は?」
「一緒に来てもらってる。応接室に来てくれるか?」
「ああ、アメリア」
「行くよ」
一先ず回復系のポーションを数種類、できるだけ多く持ち出すことにした。私たちはシュンさんに連れられ応接室へと向かう。
扉を開けた先に、一人の若い男性が座っていた。一見して普通と思える。顔色も悪くないし、苦しそうにしているわけでもない。
少なくとも肌が露出している部分には、結晶化の症状は現れていなかった。
「領主様! お騒がせして申し訳ありません」
「いや、それよりお身体のほうは平気なのですか?」
「はい。特には、ただ……」
彼は右腕の袖をまくる。ちょうど肘関節の上くらいだろうか。紫色の結晶が、皮膚の表面に張り付いている。大きさは小指の先ほどのごくわずかな結晶だった。
「今朝起きたらこんなものができていて。子供のいたずらかと思ったんですが、剝がそうとしてもまったくとれずに」
「アメリア」
「うん」
私は男性に近づき、しゃがみこんで彼の右腕が正面に見える位置に移動する。
「すみません。少し見せてもらえませんか?」
「あ、はい。お願いします」
改めて状態を確認する。どうやら皮膚の表面を結晶が覆っているらしく、肉体の一部が結晶へと変化したわけじゃなさそうだった。透明な結晶の奥には皮膚がちゃんと見えている。
「痛みはありませんか?」
「ないですね。違和感が少しあるくらいです。剥がそうとしたら痛かったんですが、皮膚を引っ張られる痛みだったと思います」
結晶自体に触れても感覚はないという。痛みがないのはよかったけど、これだけじゃ状態の把握には足りない。
「ありがとうございます」
「いえ、それで、これはどういう状況なんでしょう? 何かの病気……なんですよね?」
男性が不安そうな表情で私に尋ねてきた。
私は返答に困る。どこからどこまで説明していいのか。そもそも真実を話しても大丈夫なのかがわからない。
躊躇する私に助け船を出すように、トーマ君が間に入る。
「最近流行り始めた新しい病気のようです。まだわかっていないことも多く、俺たちで調査しています」
「ああ、やっぱりそうだったんですね。まぁでも、変な症状だけで痛みも辛さもないし、放っておけば治る気もしてます」
「そうですね。そうであれば俺たちとしても安心です。一先ず今は様子を見ましょう。また変化がありましたら、すぐに屋敷へ来てください」
「はい。ありがとうございます」
男性は軽い足取りで屋敷から出ていった。私たちはそれを見送り、男性に声が届かない距離を見計らうように殿下が言う。
「黙っていてよかったのか?」
「……ああ」
「いずれは知ることになる。今はよくとも、近い将来命の危機に直面する。黙っておくのは酷だと思うのだよ」
「お前の意見はわかるよ。けど今じゃない。闇雲に不安を煽ればパニックになる。それに病ってのは案外、気持ちの持ち様で変わる。不安がより体調の悪化に繋がるなら、知るのはもう少し後でいい。できれば、対策を立てた後で」
語りながらトーマ君は拳を強く握り、その手は確かに震えていた。きっと悔しいんだ。信じてくれている領民に嘘をつくしかない現実が。
私がもしトーマ君の立場だったらこう思うだろう。自分にもっと力があれば、胸を張って真実を話し、それでも大丈夫だと安心させられたのに……。
優しい彼ならきっとそう思うはずだ。だから私が、彼の力になってあげるんだ。






