89.自覚した途端
春の風、夏の灼熱、秋の渇き、冬の凍てつき。季節の特徴をより強化しわずかな期間に凝縮した四季の移り変わり。
世界中を探しても、この地以外には存在しない。本来の周期の三倍の速度で変化し、絶えず生命を脅かすほどの天災を振りまく環境など。
大自然の恐ろしさ?
否、これは自然とは無関係に起こる……天災ならぬ災厄である。
全てを知る一人の魔法使いが、窓の外を見つめる。
「……近づいているんだね」
彼は知っている。この地がまだ正常だった頃から、何が起こって、何を失って、現在に至るのかを。彼だけが知っている。
この地に蔓延る負の連鎖は、まるで呪いのような悲劇を生むと。彼の手元には一輪の花がある。
作り物のように綺麗な結晶が、花の形になっている。
この花には特別な力も、特異な性質もない。ただの花だったものが、紫色の結晶と化している。
「まだその時じゃないとは言ったけど……」
彼はつぶやく。見据える先は、過去か、未来か。
「そろそろ僕も、向き合わないといけないみたいだね」
そうして、重い腰を持ち上げた。
◇◇◇
屋敷の研究室で一人、黙々と仕事に向き合う。使い慣れた道具、小瓶の中に注がれたポーションは透き通り、窓から差し込む光を反射する。
いつも通りの日常……。
「……恋」
ただ心の中だけは、いつも通りではいられなかった。
昨日、レイナ姫から指摘された言葉が、今日になっても忘れられない。私はトーマ君に恋をしているという。
自分ではまだピンと来ていない……つもりでいた。私にはやっぱり、恋がどういうものなのかわらないんだ。だから明確に、レイナ姫の意見を受け入れられない。
トーマ君は私にとって家族みたいな存在で、恩人で、とても大切な人。それはハッキリと言葉にできるのに、恋という未知の感情が混ざり合って、頭の中は大渋滞だ。
仕事をしていても、そのことばかり考える。夜には静かなせいで余計に意識して、考えていたらあまり眠れなかった。
時々大きな欠伸が出てしまう。
「眠そうだな? 昨日は寝れなかったのか?」
「うん。考え事をしてたから」
「考え事? 何についてだ?」
「それはトーマ君……トーマ君!?」
いつの間にかトーマ君が私の隣に立っていた。驚いた私は大げさに身振りをして、三歩後ろに下がって彼と距離をとる。
「おっ! そんなに驚くか?」
「だ、だって急に、いつからいたの?」
「ついさっき。ノックしても呼び掛けても返事がないから大丈夫かなと思って覗いたら、ぼーっとしながら仕事してる姿が見えて。近づいても気づかないし、しばらく見守ってた」
「そ、そうだったんだ……」
まったく気が付かなかった。今までも仕事に集中していて気づかないことはあったけど、今回はいつもと感覚が違う。驚き方も。
普段と違う私に違和感を覚えたのか、トーマ君は心配そうな顔をする。
「大丈夫か?」
「う、うん。なんでもないよ」
「でも寝不足なんだろ? さっき俺の名前を言っていた気がするんだが」
「そ、それはあれ! トーマ君に相談しようかなーって思ってたからだよ。よく眠れる方法ってないかなって」
「よく寝れる方法? そういうのは考えたことないな。俺も眠りは浅いほうだし、むしろ教えてほしいくらいだよ」
「そ、そうなんだね」
なんとか誤魔化せたかな?
トーマ君に恋をしているかどうかを考えて眠れなかったなんて、どんな顔して本人に話せばいいのか。絶対に話せないよ、こんなこと。
私は心の中で大きくため息をこぼした。
「体調が優れないなら今日は休んでもいいんだぞ? 特に急ぎの用もないんだし」
「ありがとう。でも大丈夫だから」
実際、仕事でもしていないと落ち着かないんだ。静かな部屋でぼーっとしていると、頭の中でレイナ姫との会話が浮かんでくる。
その次はトーマ君の顔が浮かんで……悶々とした悩みが尽きない。仕事をしている間は、少しだけど気持ちが紛れるからいい。
「ちょうどポーション系の数が減っていたからね。補充もしておきたかったんだよ」
「そうだったか? 気づいてくれてありがとう。アメリアは頼りになるな」
「あ、ありがとう?」
「ん? なんで疑問形なんだ?」
この領地で働くようになってから、何度もトーマ君には褒めてもらった。彼は優しいから、私が何かをする度に褒めてくれる。
今までは純粋に嬉しかった。今も嬉しい。けど、そうじゃない感情も混ざっていることに気付く。
ただの嬉しさじゃない。もっと深い……別の感情が。トーマ君の顔を見ていると、胸がドキドキして全身が温かくなる。
胸に手を当てれば心臓の鼓動が、ドクドク、ドクドクと徐々に速くなっていく。こんなの普通じゃない。トーマ君を見ている時だけだ。
レイナ姫の言う通り、やっぱり私はトーマ君に……。
「アメリア? 俺の顔に何かついてるのか?」
「な、なんでもないよ!」
「そうか? やっぱり疲れているんじゃないか? なんだかいつもと様子が違うぞ」
「そ、そうかもね。疲れてる……のかも?」
ドキドキし続けるのは確かに疲れる。こうして彼と話しているだけで、胸の高鳴りが抑えられなくなっていた。
今までこんなこと一度もなかったのに。
少し、自分で自分のことが心配になってきた。恋をするって、こんなにも苦しいことだったのだろうか。それとも……。
その時、不思議な風が吹き抜けた。外は吹雪だから、もちろん窓は開いていない。何より風は温かかった。
「トーマ君、今のって」
「ああ」
私たちの脳裏には、たぶん共通の人物が連想された。風は私の中にあった戸惑いや照れを運んでどこかに飛ばした。
互いに顔を見合わせ、こくりと頷いてから研究室を出る。向かった先は屋敷の玄関だった。道中、シュンさんやイルちゃん、殿下たちも含む全員が集まる。
どうやらさっきの風を、この屋敷にいる全員が感じ取って、皆を玄関に導いだらしい。私たちは玄関でそろい、扉が開く。
「こんにちは、みんな」
「師匠!」
「エルメトスさん」
驚きつつも、心の隅でやっぱりと思う。玄関の扉を開けて姿を見せたのは、領地の森でひっそりと暮らす魔法使いエルメトスさんだった。
「急に押しかけてしまってすまないね、トーマ」
「いえ、師匠ならいつでも歓迎です。でも……どうして? 今まで一度も、師匠はこの屋敷に来なかったのに。いや、どころか……」
エルメトスさんは、ただの一度も森を出ていないという。少なくともトーマ君が知っている間、彼はずっと森の家にいた。
外が大変な状況で、領民の方々が困っている時も、いついかなる理由があろうとも決して森を出ることはなかった。
そんな彼が初めて、私たちが暮らす屋敷に足を運んだ。誰かが呼び出したわけじゃない。予定があったわけでもない。
なんの前触れもなく唐突に、彼は自らの足でここへやってきた。その意味、重大さを、この場に集まった全員が感じ取る。
そうしてエルメトスさんは、いつもより低い声で、真剣な眼差しを向けながら口にする。
「君たちに、大切な話があるんだ」






