88.私は彼に……
「ここが暖房施設です」
「熱いですわね。ここだけ常夏気分になれますわ」
私の案内でレイナ姫を獄煉石の前に連れてきた。すでに一通りの説明を終っていて、ここが最後のスポットになる。
私たちは並んで獄煉石を見つめる。今朝方確認した通り、今日も正常に機能している。真っ赤な石を眺めながら、しばらく静寂が続く。
「……」
「……」
気まずい。
これまでは説明するという役割があって、必然的に会話も続いた。だけど話すことがなくなって、一気に静かになってしまった。
相手は王女様だし、私から話すべきだろうか。でも世間話なんて始めたら失礼だろうし、トーマ君たちは親しく接していたけど、私は今日はじめましての相手だ。
気分を害してしまったら……と思うと、下手に口を開けない。そもそも話題がない。何を話せばいいのか。
元々私は初対面の人と仲良く話すとかは苦手なんだ。物言わない素材と睨めっこしているほうがずっと気楽だし。トーマ君のように昔から一緒に相手ならともかく……。
それに、今唯一話題にしたい……聞きたいことがあるとすれば――
「――アメリアさん」
「は、はい!」
レイナ姫のほうから話しかけてきた?
「なんでしょうか?」
「……ふふっ、私からじゃなくて、あなたから私に聞きたいことがあるんでしょ?」
「え……」
「あなたもお兄様と似てるわね。聞きたいんでしょ? 私とトーマ様がどういう関係なのか」
思わず身体がビクッと反応してしまう。図星だったから抗えない。事実、私はずっと気になっていた。二人はどういう関係なのか。まさか見透かされていたなんて。
は、恥ずかしい。
「最初に教えておくけど、私とトーマ様はただの友人よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「そ、そうなんですか?」
「あら? そうは見えなかったかしら?」
「えっと……」
正直に言っていいなら、見えなかった。
友人以上の親密な……男女の、関係なのかなと想像したりもしたから。
「本当にただの友人よ。いえ違うわね。ただの……じゃないわ。トーマ様は特別な友人よ」
「と、特別……」
やっぱりそういう関係……だとして、私に関係あるのかな?
関係ない……けど、なんだかモヤっとする。この気持ちは一体なんだろう。胸に手を当てて問いかけても、答えが返ってくるわけじゃない。手に伝わるのは少しずつ早くなる心臓の鼓動だけ。
「トーマ様はね? お兄様に初めてできた心を許せる友人なの」
「え……」
予想していなかった話の始まり方に困惑する。そのままレイナ姫は、特別と表現した意味を思い出を連想するように語り出す。
「お兄様は昔からあーいう性格で、中々友人もできなかったの。私はお兄様のことが大好きだったけど、中々周りには伝わなくて……歯がゆかった。そんな時、トーマ様とお兄様は出会ったの」
二人の出会いは、トーマ君がこの領地に来た頃だったと聞いた。森を冒険しているときに偶然出会い、そのまま交流を持つようになったと。
「最初は信じられなかったわ。お兄様に親しい友人ができたなんて。お兄様は認めなかったけど、トーマ様のこと、よく褒めていたの」
「そうだったんですか」
「ええ。お兄様が他人を褒めるなんて珍しいわ。よほど認めている相手なんだと思った。だから興味が湧いて、私も会いに行ったの。初めてここに来たのは、燃えるような夏だったわ」
夏……彼女が知る当時の夏は、私が初めて体験した時の同じ、およそ人間が生活するには適さない猛暑の中だったはずだ。
「大変、でしたよね?」
「お察しの通り。初めてだったからもう暑くて暑くて、歩けなくなったの。そんな時、手を差し伸べてくれたのがトーマ様だった」
その時の二人に面識はなかった。初めて見る女の子に、トーマ君はなんの躊躇もなく歩み寄り、大丈夫と声をかけ手を差し伸べたそうだ。
レイナ姫の話を聞いて、トーマ君らしいなと思う。彼は、相手がどこの誰でも関係なく、困っている人がいたら放っておけない。
今も昔も、トーマ君はトーマ君のままだ。そんな彼だから、私もここにいる。手を差し伸べられて、その手を握って。
そんな彼を――
「素敵な人だと思ったわ。だから勝手に、私の中でもう一人のお兄様だって決めたの」
同じこと考えていたと……思ったら、少し違っていた。私にとってトーマ君は、小さいころからお兄ちゃんみたいな存在で。
再会した時も、懐かしい大好きだったお兄ちゃんがいて、すごく安心した。けど今は……どうだろうか?
トーマ君は……トーマお兄ちゃんは、私にとってあの頃ままなのかな?
違う、気がする。
「今日、アメリアさんと会えてよかったわ」
彼女は続けて言う。
「ずっと心配していたのよ。あんなに素敵な人なのに、浮ついた話が一つもない。辺境と言っても貴族なら、縁談の一つもあるだろうけど、できれば心を許した相手と結ばれてほしい。もし見つからなかったら、私が立候補しようかと思っていたわ」
「――!」
また、心がざわつく。胸が締め付けられるような感覚に襲われて、戸惑う。そんな私を見ながら、レイナ姫はクスリと笑う。
「でも安心したわ。あなたみたいな人が傍にいるなら、トーマ様も大丈夫ね」
「え、えっと……」
「あら? 直接言わないとわからない? 好きなんでしょう? トーマ様のこと」
「――え……」
突きつけられた一言に、私の思考はバチっと火花が散って固まる。静寂に包まれた室内で、無言のまま見つめ合う。
ニコニコしていたレイナ姫も、徐々にキョトンとした表情へと変わっていく。
「聞こえなかった?」
「い、いえ! 聞こえています。はい……」
「うーん……なんだか思っていた反応と違うわね。もっとドキドキして動揺したり、顔を真っ赤にして照れる姿を期待したのに」
「す、すみません……」
「謝られるとこっちが困るわね」
もう一度謝りそうになった口を、ぐっと塞いで堪える。レイナ姫が望むような反応こそできなかったけど、動揺はしていた。
ただ、ざわつく心の意味を、私はまだ理解できていない。錬金術で未知の物質を解析した時と同じように、解析不能と頭に浮かんでいる。
「あなたはトーマ様に恋をしているんでしょ?」
「恋……なんでしょうか?」
「その反応……まさか自覚してなかったのかしら?」
「自覚というか、わからなくて。私は……」
恋というものがどういう感情なのか、私には説明できない。誰でも答えられるようなあっさりした解釈ならできている。
愛し合うとか、通じ合うとか、言葉で表現することは簡単だ。だけど、根本的に理解できていない。私はたぶん、恋をしたことがないんだ。
そう思っていたけど……。
「わからないねぇ……じゃあ聞くけど、トーマ様と一緒にいて楽しくないの?」
「楽しいです!」
即答した。この質問には迷わない。だって、本心からそう思っているから。
「トーマ様が叶えたい願いがあったら?」
「協力したいです」
「トーマ様にピンチになったら?」
「私が助けられるなら助けたいです」
次々にレイナ姫の質問に答えていく。一つも詰まることなく、ハキハキとよどみない感情を言葉にして。
「じゃあ、トーマ様が自分じゃない女の人と仲良く手をつないでいたら?」
「えっと……」
初めて答えに戸惑った。答えられない私を追い込むように、彼女は続ける。
「その人と抱き合っていたら?」
「そ、それは……」
「キスをしていたら?」
「……嫌です」
私は小さな声で、絞り出すように答えた。彼女のいう場面を想像したとき、私の心はどうしようもなくざわついて、締め付けられるように痛くて。
この気持ちを表現するなら……ただ、嫌だった。彼と一緒にいるのは自分であってほしい。手をつないでいるのも、抱き合っているのも、キスをしているのも。
他の誰かに渡したくない。
「トーマ様と結婚して、子供ができて、幸せに暮らす……そんな日々を想像してごらんなさい」
「……幸せそうですね」
なんて暖かな未来なんだろう。その隣にいるのが私なら……。
レイナ姫は大きくため息をこぼす。質問は今ので終わりだった。答え終わった私に、彼女は呆れながら伝える。
「アメリアさん? その気持ちに、恋以外の名前がつくとは思えないわ」
「……恋」
私が胸に抱く気持ちは、恋なの?
「私は……」
トーマ君のことが……。
そこへ、駆け足で近づく一つの足音が聞こえる。
「お待たせ二人とも!」
「ト、トーマ君!?」
「エドワードが途中でどこかに行って……どうしたんだ? 顔が真っ赤だぞ?」
「な、なんでもないよ!」
キョトンとするトーマ君。私の後ろではレイナ姫がクスッと楽しそうに笑っている。
彼の話をしていたから、顔がまともに見られない。いつもは平気だったのに、今はどうしようもなく恥ずかしくて、全身が熱い。
これも……恋のせい?
私は彼に――恋をしているの?






