81.師匠は待っている
「不愉快だな。お前もこの地に住まう者の一人だろう? ならば協力を仰がれたなら応えるべきではないのか? 領地を作るのは領主だけではない。その地に暮らす全ての者が領地を作る。無論、お前も含まれているのだよ」
「おいエドワード」
「トーマ、お前は甘すぎるのだよ。いかに師といえど、ここでの立場は領主であるお前のほうが上だ。命令し、従わせるだけの権利がお前にはある。なぜ行使しないのだよ」
「それは……」
「お前はハッキリ言うべきだ。ここで暮らしたいなら協力しろ。そうでなければ、この地から今す
ぐ去れ――とな」
厳しい一言だった。殿下はいつになく真剣な表情で、苛立ちをあらわにしながらトーマ君に進言する。トーマ君はそれを黙って聞いていた。
「共に歩む気のない者に、領地で暮らす資格はないのだよ。お前だってわかっているはずだ」
「……」
「資格はない……か。君は厳しいね」
回答に困っているトーマ君の代わりに、エルメトスさんがいつもの調子で口を開く。
「いや、一国の王子としてはそれが正しい。むしろ彼の言う通り、君がとても甘いんだよ、トーマ」
「師匠……」
「おっしゃる通りだ。まったく耳が痛い。どれもこれも、反論しようのない事実だよ」
「自覚があるなら協力してもらおうか」
殿下の言葉は、もはや命令だった。鋭いナイフを突き立てられているように、従わなければどうなるか……想像してごくりと息を飲む。
それでもエルメトスさんは――
「残念だけど、それはできないよ」
「お前は……」
「こればっかりはダメだ。僕が協力しない理由は……君も知っているんじゃないのかな?」
「知っているさ。以前にトーマから聞いている」
エルメトスさんが領地の事情に介入しない理由。それは、魔法という便利な力に人々が頼りすぎて、自立する力を失ってしまわないように。
魔法はとても強力で、便利で、極めれば何でもできてしまい。私の錬金術以上に万能な力だ。
今、こうして冬の寒さをほとんど無効化しているように、彼の力に頼ればこの地の問題の多くはあっさり解決するだろう。
だからこそ、彼は協力を拒んでいる。
「理屈はわかる。が、俺には理解の外だ。お前が気にしているのは行き過ぎた場合の話ではないか。ならばそうならぬようこちらで調整すればいい」
「その調整が難しいんだよ」
「本当にそうか? 俺には何か、別の理由で拒んでいるように見えるがな」
「別の、理由……」
実のところ、私の中でもとっくに殿下と同じ疑問が浮かんでいた。人々が魔法に頼り切ってしまうことを恐れるなら、そうならないように基準を設ければいい。
こういう場合は手を貸すとか、これは自分たちでやれることだ、とか。明確ではなく大まかでいいから取り決めをすればいいんだ。
この領地で暮らす人たちは真面目で優しいから、何が起こってもエルメトスさんに頼り切り……なんてことはすぐにはならない。
私がこの地へ来る以前だって、自分たちの力で過酷な環境に耐えていたんだ。別の住みやすい領地に逃げても誰も責めないのに。
長く、この地に留まって住み続けている。そんな人たちだからこそ、安易な方法に頼らないと信じられる。
きっと私よりもエルメトスさんのほうが知っているはずなんだ。
私より、トーマ君より長く、この地の人々を見てきた人なら。
「君が知りたいのは、僕が何者なのか、そしてどうして僕がここに居続けているのか。やっぱりそこなんだね」
「わかっているなら答えろ」
「残念だけど答えられない」
「……俺が他国の人間だからか? ならば席を外そう」
「違う。そうじゃないんだ」
エルメトスさんは首を横に振る。少しだけ申し訳なさそうに。
「知る権利の話だけなら君にもあるよ」
「俺にもだと?」
「そう。権利はある。だけど、今はその時じゃないんだ」
「時? 何かを待っているのか?」
エルメトスさんは再び口を紡ぐ。それに苛立って、殿下は続けて問いかける。
「何を待って――トーマ」
「もういい。ありがとう」
殿下を止めたのはトーマ君の右手だった。気持ちが逸って前のめりになる殿下の胸を、トーマ君の右手が引き留めている。
「師匠が答えないと言ったんだ。だったらこれ以上は聞かない」
「……お前はそれでいいのか?」
「いいよ。今までもそうしてきたんだ」
「領主としてはまともな判断ではないのだよ。いくら恩人とはいえ、得体のしれない者を近くに置くなど」
「わかってる。けど……」
トーマ君はエルメトスさんを見つめる。その視線には疑念や戸惑い以上に、彼を慕う心が宿っているように感じた。
「俺は師匠を信じているからな」
「トーマ君……」
「師匠が言いたくないことは無理に聞かない。きっと考えあってのことだろうから。今は無理でも、いつか自分から話してくれる日が来るさ」
「……つくづく甘い男だな」
殿下は呆れて肩の力を抜いた。トーマ君は自覚していると、気の抜けた笑顔で答える。
確かに殿下の言う通り、トーマ君は甘いのだろう。領主として、領地を治める者の判断としては不正解かもしれない。
それでも、その甘さに……彼の優しさに救われた人たちがいる。私がそうであったように、彼の優しさは、彼らしいよさだと思う。
もしかしたらエルメトスさんも、彼の優しさに救われている一人なのかもしれない。そう思ったら、急に親近感が湧いてきた。
「ありがとう。トーマ、みんなも僕の我儘を聞いてくれ。お礼と言ってはなんだけど、今回は少しだけ協力しよう」






