49.私の選択
ピチャン――
冷たい雫が頬をつたり落ちる。
およそ室内では味わえない感覚に目が覚めた。
「ぅ……あ、れ?」
目を開けても暗いまま。
部屋の明かりもなく、周囲は薄暗くほんのり湿っている。
ここは自分の部屋じゃない。
そう理解するのに五秒くらいかかってしまった。
目が暗闇に少しずつ慣れていって、うっすらと周囲の景色が見えるようになる。
外?
壁……洞窟の中?
意味がわからなかった。
とりあえず移動しようと身体を動かす。
「っつ、え……」
動かない。
手が後ろで拘束されてしまっている。
それに今さら気づいたけど、椅子に座らされていた。
どうして?
私は確か、自分の部屋で寝ていたはずなのに……
困惑する私の耳に、ある男の声が響く。
「お目覚めのようだね?」
「――!? その声……まさか……」
耳を疑った。
だけど聞き間違えるはずもない。
何度も聞いて、二度と聞きたくないと思った人の……
「カイウス様?」
「こんばんは、アメリア」
カイウス様の手持ちのランタンが周囲を照らす。
予想した通りここは洞窟だった。
彼の他にも後ろに、何人か姿が見える。
しかし誰一人として知らない人ばかり、加えて服装はカイウス様の従者とも思えない。
見た目だけなら盗賊、それとも野盗?
どちらにしろ、表舞台で活躍するような人たちには見えなかった。
「なんですかこれは? どうやって私を?」
「そいつは俺様の仕事だぜ~」
答えたのはカイウス様の真後ろにいた男だった。
彼はニヤニヤしながら言う。
「悪いねお嬢さん、あんたがぐっすり寝てるもんだから忍び込みやすかったぜ? 屋敷のくせして警備も薄かったしな~ 音も気配も殺して動ける俺様にとっちゃ難易度低すぎたぜ」
「あ、貴方たちは一体……」
「俺たちはただの流れ者さ。カイウスの旦那の指示で、お嬢ちゃんを攫ったまでのこと。ってあれ、これ言って良かったんでしたっけ?」
「口にした後で尋ねてくるな。わざとらしい」
カイウス様の指示で私を攫った?
流れ者って、やっぱり野盗か何かってことだよね?
そんな人たちと関わっていたなんて……
「どういうおつもりですか? こんなことがバレれば、カイウス様と言えど」
「心配するな。どうせ君は全て忘れる」
そう言って彼は懐から紫色のポーションを取り出す。
紫は毒か幻惑系、もしくは催眠の効果?
「まさか……」
「察しが良いね、さすが錬金術師だ。君の予想通りこれは催眠効果のあるポーションだよ? 飲めば精神を鎮静化され、私の命令に従うだけの傀儡になるのさ」
「な、何を考えているんですか!」
「この状況なんだ。もうわかっているだろう? 君を洗脳して王都へ連れ帰るのさ。あの生意気な領主共も、君が自主的に王都へ戻るのを止めたりしないだろう? あくまで自主的なら、私の意思ではないのだからね?」
カイウス様はニヤリと笑みを浮かべる。
本気でそう思っている?
仮に洗脳して私が王都へ戻ると言い出したとして、トーマ君たちが不自然に思わないとでも?
催眠系ポーションは強力だけど、端から見て誰にでもわかるくらい効果がハッキリしている。
普段の私じゃなくなっていることくらい、トーマ君じゃなくても気づけるのに。
知らないの?
ううん、知らなかったとしてもさすがに……
「馬鹿過ぎるよ」
「――なんだと?」
「……」
「アメリア、私を馬鹿だと言ったのか?」
思わず声に漏れてしまって、カイウス様にも聞こえた。
苛立ちを見せる彼に、私は哀れみすら感じる。
ふと、シズクの言葉を思い出す。
賢そうに見えるけど、中身は何も考えてない馬鹿なタイプだから。
まったくその通りだったみたいだ。
この人はただ、自分を賢くて優秀だと思っているだけの大馬鹿者らしい。
「つくづく癪に障る女だ。一時的にでも君と婚約していた自分が恥ずかしいよ」
それはこっちのセリフです。
浮気されて傷ついていたあの頃の自分を殴ってやりたいくらい。
「ちょっと~ やるならさっさとしてくださいよ~ 話してた通り、身体は俺らで好きにしちゃっていいんでしょ?」
「ふっ、ああ。仕事が出来る状態でさえあれば問題ない」
「やっり~ みーんな女には飢えてるからな~ こいつは中々の上玉だし最高だ」
「……」
下衆で気色の悪い視線が私に向けられる。
女性として見られることが、こんなにも不快に思ったのは生まれて初めてだ。
彼らが私で何を想像しているのか、考えなくてもわかってしまう。
本当に、反吐が出る。
「さて、まともに話せるのはこれで最後だ。一応、何か言い残すことがあれば聞いてあげよう」
「……」
「何もないならこのまま――」
「感謝しないといけないみたい」
「は?」
シズクちゃんの助言がなかったら、今頃私は泣いていたかな?
助けを求めて震えていたかもしれない。
ありがとう、シズク。
「カイウス様、貴方は錬金術師をなめすぎですよ」
お陰で、一泡くらい吹かせられそうだよ。
「何を言って――」
「拘束するなら、ちゃんと手首周りくらい調べておくべきでしたね?」
「――!? まさか!」
「もう遅いです」
私の手首には自作のブレスレットが装着されている。
それには錬成陣が刻んである。
素材となるのはブレスレット本体だ。
このブレスレットは――スノーフラワーを主体に出来ている。
錬金術を発動。
手首を起点に周囲へ冷気の霧があふれ出す。
起点である手首は特に冷たく、その冷気で拘束具が凍結し、力を入れるだけで砕ける。
「つ、冷たっ!」
「くそ目が開けられねぇ!」
拡散された冷気は極小の氷の粒。
目に入れば冷たさに耐えきれず、誰でも一瞬は目を瞑る。
その隙をついて立ち上がり、今度は懐から錬成陣を書いた紙と結晶を取り出す。
ドレイク戦で使った麻痺の霧を、カイウス様達に向けて拡散する。
「が、あ……」
「この霧を吸えば一時的に身体が麻痺します。知らないと吸っちゃいますよね?」
私は知っているから、拡散時に息を止めていた。
五秒ほどで消える霧はその場にいた私以外の全員の肺へ入り、バタバタと痺れ倒れていく。
「あ、アメリア……」
「本当に詰めが甘いですね。次なんてないでしょうけど、ちゃんと持ち物は確認したほうがいいですよ?」
「正気……なのか……」
「こっちのセリフですよ。この領地でトーマ君たちと生きる。それが私の選んだ道です」
意味のない忠告を残し、私はカイウス様を跨ぎ超えて走り去る。






