44.お断りします
脳裏に浮かぶのはあの頃の記憶。
王都で働いて、働いて、働いて……
ただそれだけの日々、そして唯一仕事以外の繋がりを最後に絶たれた瞬間。
好意があったかは微妙だ。
それでも、嫌いじゃなかった。
婚約者に選ばれた時も、私なんかで良いのかって思ったくらい。
もう思い出せないけど、たぶん当時の私は嬉しかったはずなんだ。
だからこそ……
アメリア、君との婚約は今日限りで破棄させてもらうよ?
心に響いた。
突き刺さった。
私にとって唯一の味方なんて……いなかったんだと。
そんな人が私に、手を差し伸べている。
「迎えに……来た?」
「そうさ。君を迎えに来た。また王都で、宮廷で働いてほしいんだ」
「……何を言って……私を宮廷から追い出したのは」
「そうだね。その点については申し訳ないと思っているよ。私もつい感情的になってしまった。すまなかったね」
カイウス様は謝罪の言葉を口にした。
なんて軽い言葉なんだ。
頭を下げてほしい、とまでは思っていない。
せめて謝罪に誠意を感じられれば……多少は気も穏やかになったかも。
だけど彼の謝罪は口だけだ。
言葉だけで、中に感情が籠っていない。
とりあえず謝っておこう、とでも思っているのだろう。
にこやかに平然とした顔で言うんだから。
「君が戻ってきた後のポストは用意してあるんだ。君には宮廷で今まで通り仕事をしてもらいたいんだよ。そのほうが君にとっても幸せだろう?」
幸せ?
私にとっての幸せを、貴方が理解しているんですか?
婚約者がいるのに浮気して、簡単に捨ててしまうような人に。
誰かの幸せなんて考えられるの?
「ああ、もちろん必要な物があればこちらで準備するよ。アルスター家にも私から口添えしておくから心配いらないよ? どうだい? 君も貴族に戻れるんだ」
貴族の肩書を欲したことなんてない。
私は別に、アルスターの名前を誇りに思わないし、誇りに思えるような出来事もなかった。
彼は知っているのだろうか?
私はあの家で、ずっと放置されていたことを。
どんな気持ちで生活していたのかを。
そうだ。
彼は一度も聞いてこなかった。
私のことなんて最初から見ていなかった。
きっと見ていたのは、私の肩書きとか実績だけなんだ。
「君にとっては良いことばかりだろう? あまり言いたくないが、こんな辺境で暮らすより、王都での暮らしのほうが快適だろう?」
カイウス様はこの領地のことも軽く見ている。
というより馬鹿にしている。
言葉は選んでいるつもりだろうけど、侮辱している事実に変わりはない。
私はともかく、トーマ君たちの前でそれを言うの?
失礼なんてものじゃない。
トーマ君たちも苛立ちを抑えているのがわかった。
「仕事も生活も私が保証しよう。ああ、なんだったら婚約の話も前向きに再検討することも可能だよ? まぁその場合、第二夫人か愛人という形になるだろうけど」
極めつけにこのセリフ。
プチンと。
私の中で張り詰めていた糸が千切れる音がした。
もう、限界だと。
「さぁアメリア、いい加減この手をとって――」
「お断りします」
「……は?」
面食らったような顔をするカイウス様。
私が断ったのがそんなに意外だったのかな?
まさか今ので断られると思わなかったの?
「な、何と言ったんだ?」
「お断りします」
「……聞き間違いかな? まさか断るなんて――」
「断ると言っているんです。聞き間違いではありません」
カイウス様の言葉にかぶせるように、私は何度も繰り返し言う。
「カイウス様のお誘いには応じられません。私はこの地、ここに住む人たちのために働くと決めました。ですから王都には戻りません」
「しょ、正気なのか? こんな場所が良いと?」
「こんな場所じゃありません。こんなにも素敵な場所です。カイウス様にはわからないでしょうが、ここには魅力がたくさん溢れています。王都で暮らすよりずっと、私は今が幸せです」
「アメリア……」
話しながら、私はトーマ君と視線を交わす。
きっと彼も言ってやりたいことがたくさんあったと思う。
だから代わりに私が言ってあげるんだ。
馬鹿にするな、と。
「私はこの領地が気に入っています」
「そ、そうか。それは良かったね。だが宮廷付きに戻れるんだよ?」
「宮廷付きに拘りはありません。そもそもどうして今さら私なんですか? 私の代わりにリベラが宮廷付きになったはずですよね? 彼女が代わりになってくれているなら、私が戻る必要なんてあるのでしょうか?」
「そ、それは……」
カイウス様は言葉を詰まらせる。
なるほど、そういうことね。
なんとなく理解した。
たぶん務まっていないんだ。
私の代わりに、リベラがなりきれていない。
だからこうして、カイウス様自らが私を連れ戻そうと探していたと。
なんだ。
結局回っていないんだね。
それだけの仕事量を私に押し付けてたんだから当然かな?
ちょっとリベラに同情しちゃうけど、自業自得でしかない。
彼女が奪って、手に入れた場所なんだから。
「お話は以上ですね? 遠路はるばるお越し頂いて申し訳ありませんが、どうぞお気をつけてお帰り下さい」
話すべきことは終わった。
ちゃんと言い切った。
もうこれで、彼らと関わることはない。
やりきった気分でいた私だけど……
どうやら、そう簡単には終わらないらしい。