37.青い桜
恐ろしい巨体の雪男。
それを一瞬で倒してしまった燃え盛る大猿に驚愕する。
いいや、驚いたのは大猿にではなくて、あれを使役しているのが彼女だということだった。
猿舞がぴょんと跳び、イルちゃんの元に戻ってくる。
「よーしよし、よくやったな」
イルちゃんは猿舞の頭を撫でてあげていた。
思いっきり燃えている場所を。
「あ、熱くないの?」
「ん? 平気だぜ? この炎は敵しか燃やさないんだ。あたしとか、あたしの味方には燃え移らないから。なんならリア姉さんも触ってみる?」
「え? あーえっと……遠慮しておく」
「そう? あったかくて気持ちいのに」
そうかもしれないけど、いきなり触るのは勇気がいる。
だって燃えてるし、顔も怖いし。
召喚獣って初めて見るけど、物凄い存在感だなぁーとか思いながら眺めている。
「猿舞も大きくなったよな~」
「まぁな」
「え? 召喚獣って成長するの?」
「するよ? 召喚獣はそもそも、召喚者の魂の一部が具現化した姿だからな。召喚者が成長するように、魂の成長に比例して召喚獣も姿を変えるんだ。昔はもっと小さかった」
召喚者の成長と共に召喚獣も成長する……
イルちゃんが年を経て背が高くなったように、この召喚獣も背が伸びた?
というかこれ、イルちゃんの魂の具現化なの?
ぴょんぴょん跳びはねて、燃え盛っていて、強いお猿さん……
「……合ってるかも?」
「そう思うだろ? 俺が思うにこいつは、イルの攻撃的な部分の具現化だと思うんだ」
「な、なるほど?」
「おいなんだよ! 攻撃的って……まぁいいや。お疲れ様、猿舞」
彼女が労いの言葉をかけポンと頭を撫でる。
すると猿舞は淡い光に包まれ、小さくなって彼女のペンダントに戻っていく。
「戻しちゃうの?」
「うん。こいつは強いけど、出してる間は結構疲れるんだ」
「そういうものなんだ」
猿舞の大きさなら、私たちを抱えて山を登ってくれないかなーとか考えたけど、それは難しいようだ。
確かにイルちゃんは、猿舞を戻してから多少息を切らしている。
召喚時間は短かったと思うけど、それだけで十分疲労するんだ。
だとしたら無理にお願いはできない。
「じゃあ登りますか。この雲を越えれば頂上までは近い。あともうひと踏ん張りだ」
「うん」
「おう!」
トーマ君の声に二人で応えて、雲の中へと歩みを進めていく。
入る直前に念のため、寒耐性ポーションを全員が飲んだ。
雲の中は視界が遮られるだけじゃない。
今よりも寒さが強いだろうし、感じ方も異なる。
先に飲んでおくのは私も賛成だ。
そうして雲の中へ。
予想通り、先の見えない道を進む。
呼吸も苦しさを感じるようになってきた。
空気の濃度が薄いことに加え、吸い込む度に氷の粒が口に入る。
何度もむせそうになって、その度に無駄な体力を消耗する。
時折トーマ君が立ち止まって、私たちの様子を確認してくれる。
「二人とも大丈夫か?」
「う、うん」
「あたしは平気だよー。ポーション飲んだら全然寒くない!」
イルちゃんは元気いっぱいだ。
召喚獣の影響に加え、私のポーションで完全防寒くらいにはなってるみたい。
対して私はいつも通り、自分の体力のなさに嫌気がさす。
「アメリア」
「大丈夫だよ。ここで止まってられないでしょ?」
「そうだな。でも……」
彼は私の手を引く。
「あ……」
「無理はしちゃ駄目だ。俺も手伝うよ」
「トーマ君……ありが――」
「あたしも後ろから押してあげる―!」
後ろからイルちゃんが背中を押す。
それに驚いて、前かがみになる。
「うわっ!」
「ちょっ、危ないなイル!」
倒れそうになった私を、咄嗟にトーマ君が抱き寄せる。
生まれて初めて、異性に抱きしめられてしまった。
「あーごめんごめん。つい?」
「ったく、大丈夫か? アメリア」
「あ、う、うん平気」
トーマ君の胸から離れる。
手は握ったままで。
「あと少しだ。行くぞ」
「うん……」
ビックリしたぁ。
というか、なんかドキドキしたような?
トーマ君の顔があんなに近くにあって、心臓の音も聞こえて。
ちょっと身体もポカポカしてきた気が……
気のせい、かな?
モヤモヤした温かさを感じながら、彼に手を引かれて山を登る。
険しく、見通しも悪い世界を抜けると――
「わぁ! これ……」
一面に広がる真っ白い雲の絨毯。
雪の白さとは違う。
雲の凹凸や陰影が織りなす別世界が広がっていて、思わず口が開く。
「絶景だな」
「すっごー! 遠くまで真っ白! 歩いていけちゃいそうだな!」
「そうだな。こういう景色を見てると、疲れも吹っ飛ぶよ。アメリアもそう思わないか?」
「うん。思う、思うよ! こんな景色初めて見るよ!」
感動する。
それ以上の言葉は出てこないし、不要だとさえ思える。
生まれて初めて目にする絶景に心を奪われ、興奮で全身を衝撃が駆け抜ける。
「これだけでも来た価値はあっただろう。まぁ、目的地はもう少し上だ。頑張れそうか?」
「もちろんだよ」
「疲れてるならあたしが背中を押すよ!」
「ありがとうイルちゃん。でも大丈夫、元気になったし自分で歩けるよ」
ううん、自分の足で歩きたい。
なんだか無性に、そう思ってきたんだ。
景色に後押しされ、二人の背中を追うように、私は山頂を目指す。
そして……
たどり着いた先には、一本の美しい桜が咲いていた。
桜の花びらは透き通るように――
青かった。