32.涼みに行きませんか?
夕刻。
窓ガラスから差し込む光がオレンジ色に変化していた。
ポーションの効果が弱まっていくのと同じように、日が落ちて暑さも和らぐ。
それでも暑いことには変わりない。
私とイルちゃんの額からは、次第に汗が滴り落ちる。
そこへ、ガチャリと扉が開く音が響く。
「お疲れ、二人とも」
「トーマ君」
「おっ、主様だ」
姿を見せたのはトーマ君だった。
私とイルちゃんはほぼ同時に作業の手を止める。
時計を見ると、午後五時半を過ぎていた。
「もうこんな時間」
「うわホントだ。全然気づかなかった」
イルちゃんも気づいていなかったらしい。
途中からほとんど会話もなく、端的な指示と研究に関する単語だけを口にしていたような?
それだけ集中していたという証拠なのだろう。
時間を忘れるのは私にとっていつものことだ。
「順調か?」
「うーん、それなりに?」
「なんで疑問形なんだよ。イルはどうだった? 彼女の手伝いは」
「地味だった!」
ハッキリ一言感想を口にするイルちゃん。
その表情は純粋そのもので、悪気ないのは明白だった。
これにはトーマ君も苦笑いをする。
「あははは、まぁでもつまらなかったわけじゃないんだろ?」
「うん。それなりに楽しかった」
「じゃあ十分だな。で、成果のほどを詳しく聞かせてもらっていいかな?」
トーマ君の視線がこっちに向く。
期待の籠った視線だ。
「残念だけど、これといった成果物はないよ? いくつか試したけど全部失敗だったから」
「そうなのか」
「うん。根本的に何か足りないんだよ。錬成陣を工夫してみたけど全然だったからね」
「素材か……」
トーマ君はチラッと私から視線を外す。
彼が見た方向には、山積みになった書物があった。
「なるほどな。だから文献を読み漁ってたのか」
「そうだよ。倉庫にあった素材の組み合わせはほとんど試したからね。この辺りで取れる素材を中心に調べてるところ」
「終わりの方ずっと本読んでたぞー。あたしも目が疲れた~」
「ありがとうイルちゃん。今日はここまでにしましょう」
パタンと本を閉じる。
ここが王都だったなら、結論が見つかるまで深夜でも探していたと思う。
誰かに言われるまでもなく、自然にそういう流れになっていたはずだ。
そうじゃなくて、ちゃんと休もうと提案できたことに、少しだけ変化を感じる。
「定時に仕事が終われるって最高だね」
「普通だ普通。そんなことで一々感動するなよ」
「私にとっては凄いことなんだよ? 何回だって言いたくなるの」
「慣れるまで当分かかりそうだな」
トーマ君はやれやれと首を振る。
慣れるときって来るのかな?
自分じゃまったく想像できないんだけど。
そんなことを思いながら、調べものに使った書類を片付ける。
書斎から持ち出した本のうち、調べ終わった物を抱え、書斎へ運んだ。
トーマ君も手伝ってくれたから、一回の往復で運べそうだ。
「あの時間でこんなに読んだのか」
「リア姉さん本読むのすっごい早いんだぜ。あたしが一冊読み終わる頃には五冊は読んでたからな」
「五倍か……なんか聞いたことある数字だな」
「き、気のせいじゃないかな~」
別に他人の五倍の仕事をやらされていたから、とかじゃないよ?
これこそ慣れだよ慣れ。
必要な情報だけ読んで、そうじゃない所は流し見していく。
そうすれば一冊目を通すのに時間はかからないから。
「そんなに読んだなら、何か目ぼしい素材とか見つからなかったのか?」
「あったよ? えーっと例えば氷竜の牙とか」
「思いっきりモンスター素材じゃないか。しかもそれが取れる相手って、ドラゴンだよな?」
「うん。だからさすがに無理かなって」
いくらトーマ君たちが強いからって、ドラゴンの相手を簡単に頼んだりできない。
ドレイクとは明らかに別格のモンスターだ。
王都でも討伐依頼が出た時は、騎士団がてんやわんやになっていたのを覚えている。
「他にはないのか?」
「あとはねー、うーんと……『イモータルフラワー』って言う花が気になったかな」
「聞いたことないな」
「私も初めて見たんだけど、永遠に枯れることなく咲き続ける花があるんだって」
詳しい情報は特に載ってなかった。
半分は空想な気がするけど、もし実在するならほしい。
永遠に咲き続けるという部分を上手く使えたら、溶けない氷だって作れる気がする。
「でもどこあるかわからないんじゃ仕方ないよね」
「そうだな」
「ん? その花の場所なら知ってるぞ」
「「え?」」
私とトーマ君は思わず足を止めた。
遅れてイルちゃんも立ち止まり、私たちのほうへ振り向く。
「たぶん凍らない花のことだろ? それなら領地の北にあるクリスタルバレーの山頂に生えてるって聞いたぞ」
「本当かイル? 誰から聞いたんだ?」
「シズクちゃんから。前に帰ってきた時にそんな話してた」
「シズクからか……なるほどな。だったら信憑性は高いか」
トーマ君が頷きながら考え込む。
シズクさんって確か、この領地にいる諜報員さん?
彼女の情報でドレイクも発見できたし、今回もそうなのかな?
私は直接知らないから、ふわっとしか思えないけど。
「なら行ってみるか? クリスタルバレーに」
トーマ君が私に尋ねる。
答えはもちろん――
「行くよ。そこに素材があるなら」
「よし決まりだ! ちょうど良い季節だし、涼みに行こう」