31.研究は地味です
「なんでこんな散らかってるの?」
「うっ……」
研究室に戻ってから、イルちゃんの反応一言がそれだった。
テーブルの上には山積みになった書類と資料。
一部は崩れて床に落ちてしまっている。
途中経過を書きなぐった紙なんかもバラバラな状態で椅子の上に置いてあった。
素材の入った木箱は部屋の隅っこで倒れそうな塔みたいに詰まれている。
「リア姉さん、ここに来てまだ一月も経ってなくない?」
「そ、そうだね……そろそろ経つかなー?」
「だとしたって散らかり過ぎでしょ。ちゃんと掃除してるの?」
「し、してません……」
嘘はつけなかった。
だって見るからに散らかってるし。
これでしてるとか言っても信じてもらえないよね?
事実してないわけだから……
「はぁ、じゃあまず片付けからしようよ」
「え? でも研究が」
「こんな散らかったままするつもりなのか?」
「……掃除しましょう」
イルちゃんの圧力に負けてしまった。
可愛らしい容姿の彼女は、決して可愛いだけのメイドさんじゃないんだ。
その後、イルちゃんに指示されながら片付けをすることに。
「いる物といらない物もちゃんとわける!」
「は、はい」
「使う物は手の取りやすい場所にしまうこと! そうしないと仕事しづらいでしょ!」
「わかりました!」
的確な指示に右へ左へ動かされる。
おかしいな……私の想像だと、研究を始めた私が彼女に指示したり、指導するはずだったのに。
現実って厳しいね。
二時間後――
「よっし! これでひと段落だな!」
「そ、そうね……」
綺麗になった部屋の前で、汗をかきながら呼吸を乱す私。
隣で一緒に片づけをしていたイルちゃんは平気な顔をしている。
お互い熱耐性ポーションは飲んでいる。
差が出るとすれば単に、体力の問題か……
疲れた。
ここ最近で一番疲れたかもしれない。
それくらい頑張った。
「どう? 綺麗になると気持ち良いだろ?」
「それは感じる。なんだかスッキリした気持ちになるわ」
「でしょ~ リア姉さんもこれからはちゃんと掃除しなきゃだめだぞ」
「は、はい……頑張ります」
やれるか不安だけど。
「出来てるかどうか定期的にチェックするからな」
「お、お願いします」
しっかり掃除しないと怒られる。
自分より年下の女の子に指導されるって、普通に堪えるんだよね。
「本当はあたしが掃除してやっても良いんだけどな! うちの主様は変わり者だし、自分でやれることは自分でやれっていうのがモットーなんだと」
「トーマ君なら言いそうだね」
「だろ? 変な主様だよな~ 貴族っぽさとかぜーんぜん感じないしさ」
「ふふっ。それがトーマ君の良い所だよ」
「まっそうだよな! あたしも仕事しやすくて助かってるし」
イルちゃんはニカっと楽しそうに笑う。
きっと彼女の笑顔は、この自由な環境だからこそ培われたんだと。
もし王都の貴族に仕えていたら、こんな風に笑うことも出来なかったはずだ。
だとすれば本当に、ここは最高の環境なんだろう。
「さてと! 掃除も終わったし研究始めよう―よ!」
「そうね」
「まず何すれば良いんだ?」
「えーっとね。本来なら資料集めからなんだけど、必要そうなものは書斎から持ってきてあるから、さっそく何パターンか錬成を試すよ」
作りたい物のイメージはある。
冷気を発し続ける物質。
構成は何でも良い。
鉱物でも、液体でも構わない。
今回の場合は鉱物のほうが良いかな?
液体は空気に触れると変化してしまう可能性が高いし、子供が間違って飲んでしまう危険性もあるから。
「トーマ君が残してくれた氷もあるし、先に使いきっちゃおう」
「はーい! 素材準備するから言ってくれ」
「ありがとう。じゃあそこのハーブを――」
私が指示を出して、イルちゃんに手伝ってもらう。
ようやく私が予想した光景が再現された。
私たちは数パターンの構成を試し、錬成を試みる。
まったく新しい物を錬成する場合、いきなり思い通りの物が作れることはまずない。
大抵は失敗して素材だけ消失するか。
意図しなかった物質が作り出されるばかりだ。
「リア姉さん、この氷すっぱい匂いがするけど?」
「失敗だね。破棄しよう」
「これ普通に捨てていいのか? なんかじゅわーって音もしてるし」
「大丈夫大丈夫。元になった素材は安全だし、悪いものじゃないよ。たぶん……」
時々、本当に稀に意味不明な物が誕生することもある。
そうした発見も重要だとは言え、大抵は使い道のない無駄な何かだ。
「ここにあるだけじゃ足りないか……ちょっと他の素材で試したいから、倉庫に行くよ」
「はーい!」
イルちゃんを連れて倉庫へ。
まだ試していない鉱物や植物、乾燥した物を手に取り、また研究室へ戻ってくる。
そして試していないパターンの思考。
「うーん……微妙? 何かが足りないんだよね……」
「リア姉さん、さっきからドロドロの液体になってんだけど」
「失敗だから仕方がないね。ちょっと調べものしに書斎へ行こう」
「え、資料はあるんだろ?」
「足りてなかったみたい。他に使えそうな素材がないか調べないと」
そういうわけで書斎へ。
植物や鉱物に関する資料を読み漁る。
錬金術で生み出す物質の特性は、素材となった物の特性にも左右される。
冷気を発することに、それを持続する要素を足すには何が必要か。
調べては試し、失敗から足りない物を導き出す。
この繰り返し。
「リア姉さん」
「なに?」
「研究って思ったより地味だね」
「そ、そうよね」
大きな一回の成功の裏には、何百という失敗が埋まっている。
華々しい成果に到達するためには、失敗を積み重ねる地道な努力が必要不可欠。
地味だけど、大事なことなんだよ?