両想いな二人④
あっという間に時間は過ぎて、深夜になる。
今日は最初から最後までとても綺麗な空が続く一日だった。一瞬で天気が変わってしまうことがあるこの領地では珍しい。
みんなが寝静まっている屋敷、自分の部屋で待っていると、ガチャリと部屋の扉が開いた。
「お待たせ、アメリア」
「トーマ君」
彼は私の部屋に入ると、ゆっくり音を立てないように扉を閉める。
「準備はできているか?」
「うん。いつでもいいよ」
「よし、じゃあ行くぞ」
「うん! って、え?」
彼は進んだ先は扉ではなく、窓のほうだった。私は驚きながら、だけど声は小さく尋ねる。
「窓から行くの?」
「ああ、こっちのほうが冒険って感じがしないか?」
「……もう」
本当に、今夜のトーマ君はなんだか子供みたいだ。無邪気な笑顔を見ているとそう思うし、とっても可愛いと思ってしまった。
男らしくて頼りになるトーマ君にはこんな一面もあったんだ。
「ほら、行くぞアメリア」
「うん」
私に差し伸べるトーマ君の手を握る。彼に優しく、けれど力強く引っ張られて、私たちは夜の世界へと降り立った。
なんて、物語の中のような空想の世界じゃない。私たちが暮らしている領地の夜でしかない。
それなのに、なんだか不思議な気分になる。いいや、不思議な雰囲気を感じていた。
「満月、綺麗だな」
「そうだね」
屋敷を出て適当に歩きながら、私たちは夜空を見上げていた。辺境の領地は明かりも少なくて、そのおかげで夜空の星々がよく見える。
辺境なんて住みにくいだけだと都会の人たちは言うけれど、こういう些細なところに辺境の良さがあって私は好きだ。
この時間はとても静かで、私たちのように夜の散歩をしている人たちの姿はない。当り前だけど夜は暗くて、この領地はいろんな危険があるから、夜にはしっかり家の中にいる習慣がついている。
そんな話をトーマ君がしてくれながら私たちは歩く。
「じゃあ私たちは悪い子だね」
「だな。バレたらシュンに叱られるぞ。あいつ怒ったら怖いからなぁ」
「それなのに抜け出したんだ」
「だって気になるだろ? 興味のほうが勝ったんだよ」
そう言って、彼はまた無邪気な笑顔を見せた。
今宵は満月。昼と夜、二つの世界が重なる一月に一度だけ、奇跡の時間だ。というのは物語の中だけで、私たちの生きる世界は……。
「……ん? なんだあれ」
「え?」
トーマ君がふいに指を指したのは、とても大きくてきれいな木だった。月明かりに照らされてて桃色に光る花がひらひらと舞う。
「サクラの……木?」
「おかしいな。こんな場所にサクラなんて……そもそもうちの領地にサクラなんてなかったはずなんだけど」
私とトーマ君は揃って首を傾げた。
ここは厳しすぎる環境が様々な植物を寄せ付けない場所だ。サクラはとても繊細な植物で、この領地ではもっともそぐわない。
私も春にやってきたから知っているけど、この領地にサクラの木はなかった……はずだ。
けれど今、私たちの目の前にはサクラが咲いている。それも満開だ。
「綺麗……初めて見る」
「アメリアもか?」
「うん。王都にもサクラの木はあったけど、こんなにも綺麗なのは初めてだよ」
「俺はサクラをこうして見ることも初めてだ」
サクラは春の風物詩。冬の寒さが開けると、桃色の花が満開に咲き誇り、ひらひらと青い空を舞う光景は美しい。
それを絵にしたり、詩にしたりと、多くの人々が魅了されてきた自然の芸術だ。
「もしかして、アメリアが何かしてくれたのか?」
「ううん、私じゃないよ」
「そうなのか? じゃあどうしてこんな……」
「――!」
ふと、サクラの木の下に淡い光を見つける。
「トーマ君あれ、誰かいるよ」
「え? どこに?」
「ほらあそこ! サクラの木のすぐ下に」
私は指を指し、トーマ君が目を凝らすように探している。そんなに集中して見なくても見つけられるはずだ。
なぜならその少女は、サクラの木の下で、私たちの目の間に立っているのだから。
「見えないな」
「え?」
俺には誰も見えないぞ、とトーマ君は言った。私には見えている。ハッキリとではないけれど、白い髪に白い服をきた綺麗な女の子が立っていた。
顔はなぜかよく見えない。ぼやけている。表情もだ。笑っているようで、泣いているようにも見えて……吸い込まれそうになる。
少女の口が、小さく動いた。
――また会いましょう。
そう言っているように聞こえた。いいや、伝わった。声ではなく感情が、まるで知っていたように私の中に浮かんだ。
私が瞬きをすると、少女はいつの間にかいなくなっていた。それどころか、満開に咲き誇っていたサクラも消えてなくなっている。
「どういうことだ? 急にサクラが……」
「消えちゃったね」
私たちは驚きのあまりその場で立ち尽くしていた。
目の前にあった綺麗なサクラ、私だけじゃなくてトーマ君の目にも映っていたようだから、あれは私だけが見た幻じゃない。
「何かの魔法……なのか。師匠がここは魔法の影響で変化した土地だと言っていた。その影響でこの間みたいな結晶化も起こったわけだし、同じように」
「三百年前に使われた魔法の一部が残っていた……とか?」
「わからない。そんなこと普通はありえない。でもこの土地では、ありえないこともたくさん起こっているからな」
「うん」
私たちが頑張って乗り越えた結晶化の事件もその一つだ。本来魔力を持たない植物が魔力を持ち、全てが結晶化してしまう。
原因はこの土地だけに存在する異質な魔力の蓄積だった。私はポーションを作って結晶を魔力に戻し、吸収することで改善させたけど……。
「この地に漂う異質な魔力はそのまま残っているんだよね」
「ああ。根本的な解決にはならない。問題を先伸ばしただけだ。ならこれも、その問題の一つなのかもしれないな」
と、口では言いながらトーマ君は首をかしげる。そして小さく笑う。
「問題……か。あんな綺麗な景色を問題だなんて思いたくないな」
「そうだね」
「もしかしたら本当に、この世界には俺たちが知らない夜の世界があるのかもしれない。そっちのほうが俺はいいな」
「うん、私もそう思うよ」
私たちが今見たものが、三百年前の戦争がもたらした障害ではなくて、空想だと思っていた別世界との交信だった……と思ってみたい。
そっちのほうが素敵だし、美しいサクラに合っている。






