ドラゴンの娘
ある羊飼いの男が、ドラゴンを妻とし、国を興した。小国アスフェリアの始まりの物語である。
それから三千年の月日が流れた現在、地上のドラゴンはすべて死に絶えた。ドラゴンの血を引く人間と、ドラゴンの亜種たるワイバーンを残して。
「四方を囲め! 押さえつけろ!」
「王よ、お離れください! 危険です!」
3メートルもの体躯を誇る、オスのワイバーンが暴れていた。羽先の鋭い爪で、向かい来る男たちをけん制する。網が避け、茶褐色の方羽が広がった。途端、力の入った後ろ足が地面にめり込む。今にも飛び立たんとするワイバーンに、王は体をのけぞらせた。屈強な男たちがすかさず、王を守る。
このワイバーンは、王への貢物だった。世に珍しい茶褐色の大柄な体躯、他の追随を許さぬ圧倒的な強さ、これぞ王のワイバーンにふさわしい。
しかし強きワイバーンは王を拒絶した。いや、王だけじゃない。このオスはこれまで、誰にも背中を許しはしなかったのだ。
「処分しろ!」
従者の一人から声が上がった。王に歯向かう獣など、必要ない。たちまち巻き起こる、殺せ、殺せ! の大合唱。
そのとき、ひとりの少女が広場に躍り出た。
「わたしが乗るわ」
場は騒然となる。少女を止めようと、男たちが立ちはだかった。しかし、少女を止められる者はいなかった。ワイバーンの威嚇を交わす少女の、翡翠の長髪が左右に揺れる。すでに少女はその背にいた。緊張した面持ちで暴れるワイバーンの首をさすり、ささやく。
「お願いよ、わたしと一緒に──飛んで!」
少女はかたい横腹を足で蹴った。と、次の瞬間、ワイバーンは空に飛びあがった。広げた両羽が風を切る音──あはっ──少女の笑い声が雲に溶ける。
わっと、見物人から興奮の雄叫びが上がった。割れんばかりの声援の中にあり、王は唖然と少女の背中を見つめた。
大臣が耳打ちする。
「あの方が次期女王とは、頼もしい限りですな」
次期女王。あれが、あの娘が。
王の顔にみるみる、抑えきれない笑みが広がった。
「娘よ!」
王は上空を舞う少女に向かい、叫ぶ。風の吹きすさぶ中、それでもしっかりと聞き届けた少女は──にっと、心から嬉しそうに笑った。
王に『娘』と呼んでもらえたのは、これが初めてのことだった。愛情のこもった視線を、向けられたのも。この情景を、私は死ぬまで忘れない。少女はそう、確信した。
王が死ぬ、四日前の出来事である。