逃げとおやじと出稼ぎと
- 朝 ジェスター宅
ドンッという扉と壁がぶつかる音が響く。
「ジェスター、起きな!!!」
母親の手荒い目覚ましだ。
(.....来たな)
「ふぁーーぁぁぁ...あぁ」
カーテンの隙間から差し込む優しい朝日と、小鳥のさえずりが俺を起こす。
トントン!!
(どうやら我慢が出来ないようだね...)
急かされるように窓を開けると、案の定、お客さんが出待ちしていた。
僕の姿を見るな否や、肩に乗り、羽を折りたたむと一休みを決め込む。
「僕は君の止まり木じゃないんだぞ!」
彼に注意をした。この言葉に反抗したのか、首を嘴で突く彼。そのやり取りが毎朝の日課になりつつある。
(今日もいい日になりそうだ!! おっと、挨拶を忘れていた。イケナイ、イケナイ)
「こんにちは、太陽さん!! 今日もご機嫌ね!!」
世界を照らす太陽が、この時だけは俺の為に微笑んでくれている..そんな気がした。
「なんだい、その小芝居」
そんな朝のルーティンに水を差すように怒気と呆れ交じりの声が聞こえる。
「おはようございます!! お母様!!」
朝から声が大きかったのか、彼女は顔を歪ませる。朝の挨拶は大切なんだぞ!! プンプン!!
「着替えたら、ちょっと来なさい。」
そう言い残し部屋を去る。
「......」
いつもなら2,3言はある罵声もない。いつになく真剣な物だった。
ここでジェスターは考えが正しかったと確信した。
そう、ジェスターが行った作戦は"僕はとてもいい子なんです。ひ弱なんです。鳥さんが友達なんです。だから怖い外の世界へは行けないんです"と儚げな雰囲気を持つ病弱お坊ちゃまを装うと言うモノ。
(勿論、こんなので騙せるなんぞ思ってないわ!! ここからが....本番じゃっ!!!!!)
ここ一か月で一番の気合を入れ、母親が待つリビングへ向かう。
「そこに座んな」
彼女の言うとおりに、指定された椅子に座る。
「あ、あのぅお母様、お話とは?」
「はぁ、もう少し待ってな....あとそれもやめな」
「あのぅそれってなんでしょうかぁ?」
緊張の糸が張り詰めたまま、数刻が過ぎ去った。
ジェスターが話すたびに怒りのボルテージが上がっていく母親。
その時。
「すみません!! チェルビーです!!」
扉に視線をやると、如何にも私は元気です!!と言わんばかりの明るいオレンジ色と縦巻ロールが目印の娘が現れた。
服装も気合が入っているようで、「没落三流田舎貴族の3女あたり」に見える。
「チェルビーちゃん、こっちに座って!!」
母親というものは他所の子には丁寧に接する生き物なのだなと再認識した。
「ジェスター、チェルビーちゃん。2人には"都市部への出稼ぎ"に言って欲しいの。」
「勿論です!! 憧れの都市部。そこで一旗揚げて、この村の財政を潤して見せます!!」
「チェルビーちゃんは頼もしいね!.....」
母親がチェルビーを褒めたその時。
(ココだっ!!!)
「お母様!! お待ちください!!」
ジェスターは仕掛ける。
「僕も出稼ぎをして、村を楽にしたいです!! でも都市部の気候は、この村程安定しておらず...ゲホゲホッ」
必要なのは病弱アピール。
「おば様...ジェスターは一体何を言っているのでしょう?」
「今年は、変な演技で乗り越えようとしてんだろうさ....」
「流石に、無理があるんじゃないですか...これ」
(その矮小な脳みそで考えても分からんだろうさ...俺の狙いがな...)
「毎朝、小鳥さんと太陽さんにおはようの挨拶が出来ないじゃないですか....えーんえーん」
「小鳥さんに挨拶どころか、何時もは自分から挨拶しないじゃないのアンタは....」
苦しい言い訳に呆れるチェルビー。
「そんな酷い!! 毎朝、起こしに来る彼も寂しがってしまいます...それに太陽さんだって!!」
(ここでダム決壊!!!)
「びぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。びぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
大声で泣き叫ぶ。
人間、想定外の事があると放心状態となるものだ。
「お母様なんて...きらいだ!! 去年みたいにずっと走って逃げ続けてやる!!!!!」
その隙を見逃さず涙ながらに家を飛び出す。
数瞬後、正気を取り戻す2人。
「やられた!! 今までの演技は一瞬のスキを作る為だったのね....くそがぁぁぁぁぁぁ」
ジェスターの策に気づいた母親は村の出口に行く。
「私も行きますっ!!! ジェスターっ!!」
追うように、チェルビーも向かう。
後に残るは、静かになった家だけであった。
(....家を出れた時点で俺の勝ちだ)
先程の涙は渇き果て、他者を嘲る表情が浮かぶ。
(おっと、厄介な村人どもめ....去年の逃走がいい振りになってくれた。奴らはおれが去年同様に走り回っていると思うだろう。)
「騒ぎが収まったら、悠々とおやじの家に向かうだけ.....かぁ」
都市部への定期便は田舎ゆえに不定期であり、今日がちょうど来る日。これを逃したら、次は来月なのか来年なのか...
情報を掴んだ母親は"都市部への出稼ぎ"を告げ、さっさと出稼ぎに行って貰おうとしたのだがジェスターの方が一枚上手。
親の脛は一度噛んだら離さない性分。楽をするために努力をする。間違った努力をしたまま、おやじの家に駆け込む。
「.....失礼しますよ。おやじ匿てくれ...」
声が来ない...数瞬後。
「いらっしゃい...」
ジェスターが期待していた声はこんな冷たくはなかった。
あの低くも優しさに溢れた父性溢れる声で出迎えてくれるはずが、眼前には、先程の田舎貴族三女。
(なぜ、おやじの家にいる!!! 田舎貴族!!)
動揺を隠せない。母親ならば分かる。いや、本来ならばあり得ないのだが、それでも母親ならばまだ納得できる。
「な...なぜ、なぜお前がいるんだぁ!! 三流田舎貴族っ!!!」
「だぁれが、田舎貴族だぁぁぁ!!」
鋭いツッコミ。
ジェスターは思考の海に潜る。
(おやじはなぜいない。普段のおやじならチェルビーなんぞ家に上げるのか....それもこのタイミングで..)
起こった事象を並べると、一つの結果が浮かび上がった。それはとても残酷な現実だった。
「おいっ! お前は...おやじを手に掛けたのか!!」
受け入れたくない現実。
「てめぁが、おやじを手に掛けたのかって聞いてんだよ!! 三流田舎貴族高慢暴力貧乳おんなぁぁぁぁ!!」
「誰が貧乳だぁぁぁぁぁ!!!」
炸裂する拳。的確に鳩尾を捉えた。
「ぐぅ..............」
呼吸は出来ぬ、逃走も出来ぬ。
「ジェスター...茶番はもういいでしょ? 一緒に行きましょうよ?」
しばらく蹲る。
「なに黙ってんのよ....都市部って村にはない色んなお店があるんだって!! ね?行きましょう?」
「ジェスター...聞いてる? ねぇ聞いてるの? ねぇねぇねぇねぇねぇ?」
「お前が...鳩尾を..えぐるから..喋れなかったの!! 聞いてたよ!!」
「あっ...ごめん。でも人のコンプレックスを言うのはどうかと思うよ!」
「あぁ、ついな。それは悪かったわ..すまん」
「うんっ!許す。」
2人は幼い頃から一緒に遊んできた。彼らの間には家族に似た関係性が構築されている。
「で、本当におやじはどうしたよ? 」
「あぁ、おじさんなら....」
後ろを指さす。チェルビー。
「すまないな。ジェスター...私がチェルビーにお前が来ることを教えたんだ」
「おやじ、裏切ったのか!!! おうおうおうおうおう!!」
「ジェスター、お前には才能と知恵がある。この村で腐らせて奥には勿体ない程に。儂はお前に大きな世界を見てほしいのだ」
そう言うと、一冊の本を手渡す。
パラパラとページを捲りながらも文句を言う。
「腐らせるものどうするも、俺の勝手だろ? おうおうおうおう!」
「勿論。でもなぁ、腐らせるにしても、色んな道を実際に見た後でも遅くはないだろ?お前がその眼で見て、その手で感じで、その才を振るう価値なしと判断すれば腐らせるといいさ。」
「色んな道だと?」
「そうだ、お前の目の前には色んな道がある。未体験の物がたくさんあるんだ!!」
その言葉からは、いつものふざけ倒したダンシングおやじではなく、一人の大人としての経験からくる重みが感じられた。
思わずページを捲る手も止める。
「でも...俺は...」
ジェスターは怖いのだ。完結していた世界に風穴を開けて、未知への道を進むのが。
そんなジェスターを知っているのか、彼はジェスターの肩に手を置き、昔を懐かしむように語る。
「私も、大きな世界へ踏み出す時は怖かった。何があっても頼る人もいない、何が起こるか分からない。そんな世界が怖かった。」
あのダンシングおやじにも怖いものがあったのかと驚きを露にするジェスター。
おやじは続ける。
「だが、同時にワクワクもした。楽しかった。知らないことが溢れ、知りたいことが溢れたモノが私の世界になったのだよ。」
昔を懐かしむように語るおやじは、いつもの弱弱しくもひょうきんな表情ではなく、修羅場を潜り抜けた強者の風格を感じさせた。
ジェスター、チェルビーは肌でそれを感じ取り、真剣に受け止めた。
「しゃーねーな、おやじにそんな顔させるなんて...興味が出てきたよ」
おやじがクシャっと少年のような笑顔を見せる。
(あの、おやじがそこまで言うなんて..ワクワクか..)
「チェルビー...俺は行くよ。おやじの言う色んな道ってやつを見つけてくる。」
「良しっ!! 行きましょう!!」
「行ってきます!! 」
「おう」
後ろは振り返らない。別れは一言、それだけでいい。
握り拳を突き上げ短い返事。それで伝わる。今の彼等には血よりも強い繋がりが出来ていた。
たとえ星の距離程、離れようとも、この繋がりは消えはしない。
(...ほんと、男ってのは幾つになっても変わらないんだから..)
男同士の関係性を羨み微笑むチェルビー。
突き上げたおやじの拳の中にはキラリと光るものがあった。
- 都市部への定期便内
「チェルビーよぉ、よくあのおやじの口を割らせたな...あぁ見えておやじは約束は守る男なのによ....まさか色仕掛けとかはねぇよな?」
「んなことしないわよ!! ....金貨を渡したのよ。おねぇちゃんと遊ぶ金が欲しいって言ってたから...」
「おう? ....じゃぁ、何か...おやじは女遊びの為に俺を金貨で売ったのか...」
「そうなるわね....まぁ、どんまい!!」
先程までの感動はどこへやら。
「くそ、おやじぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!」
血よりも強い繋がりが一瞬にして消えたのは言うまでもないだろう。