彼と彼女と治療室
- 演舞場へと続く通路
太陽の日差しが差し込んでいるため、通路内で額に汗を浮かべながら慌ただしく走り回る人たちの姿が分かる。
予想以上の怪我人の多さに人手が足りていないようだ。
そんな彼らなどお構いなしに、またもや重症人が2人出た。
先程、激闘を演じた2人が今度の手配のため、一時的にこの通路へと運び込まれていた。
簡易的に設置されたベットに寝かされるジェスター。
(あぁ、やばい位に眠いわ。......これなら...良い夢見れそうだ。エロいねぇちゃんがいっぱい出てきて、酒を、)
目を閉じ、意識を手放そうとするジェスター。
心地のいい眠気に身を任せ、夢の世界へ飛び立つ。
体から呼吸するたびに僅かに軋むような痛みが無くなっていき、雲の上から此方へ手を伸ばす金髪美女目掛けて羽ばたく。
が、飛び立とうとするジェスターの足を何者かが下から掴む。
ごつくて、茶色い男の手だ。
「ボロボロだな、ジェスター」
冒険者のマルコリー。
ここ数日間、ジェスターに様々なことを教えてきた先輩にあたる男だ。
「なんだよ、マルコさん。せっかく、寝れそうだったのに...」
「それはすまねぇな。俺が消えた後にでも、ゆっくり寝てくれや。...寝れるもんならな」
ニッシッシと笑いながら気持ちよく寝れなかったことに対して文句を言うジェスターの言葉を受け流す。
「ジェスター」
「ん?」
「よくやったな」
その言葉はジェスターにとっては素直に受け取れないモノだった。
いつもなら当然と言わんばかりに何かを要求しているところだが、そうはいかない。
約束したことを守れなかった、この事実があるからジェスターの声は曇っていた。
「まぁ、約束は守れなかったがな...勝てなかった」
「はっはっは、次は頑張りな。それに、俺は約束を破ったとは思ってないさ」
「そうか...次があったら勝さ」
「おう、期待してんぜ」
約束の意味も込めて差し出したジェスターの拳に丸コリーの拳を合わせる。
「で、どうだったよ、俺の戦いは?」
マルコリーはその問いに腕を組み唸りながら考える。
「まだまだ、だな。今回は運が良かった。いや、良すぎた。あんな戦いは二度と通用しないだろう」
ジェスターが取った先方は初見殺しの側面が強く、それが運よく相手に通用したという二重の運の良さが重なった結果だ。
「うっせっ。次は、鮮やかに、華麗に戦って見せるさ」
それを分かっているからこそ、ジェスターは文句は言わない。
「お前に、鮮やか、華麗なんて言葉は似合わなねぇな。それはあの騎士様にくれてやれ」
マルコリーの視線の先には、ジェスターの対戦相手であるジャレッグが同じように簡易ベットに横たわっていた。
その傍には、ジャレッグの師であるハンナが片膝をついてジャレッグの手を硬く握っている。
「ハンナ様、申し訳ございません。勝つことが...できません...でした」
振るえる体に鞭を撃ち、上体を起こし頭を下げる。
息も絶え絶えなその様子はジャレッグのダメージの大きさを物語っている。
「ハンナ様に頂いた、鎧も使い物にならないまでに...あまつさえ、貴方の顔に泥を塗るような真似を」
瞳から流れる雫が、彼の言葉を震わせる。
子供のように泣きじゃくるジャレッグの頭を撫で、優しく、ゆっくりと問いかける。
「ジャレッグ。 貴方のその涙は何の為に流れるのかしら?」
ゆっくりと口を開く。
「この涙は、ハンナ様の汚名を洗い流すためのものでございます。今は、ほんの小さな水たまりに過ぎません。子供も見向きしない小さな小さな水溜まりです。私にはその程度の力しかありませんでした。ですが、私が、この矮小な力しか持たない私が誓います!!ここで流した涙が、貴方を汚す泥を、貴方を害する塵を全て洗い流す清流となることを。私が、いつかハンナ様を覆う悪意の一切を洗い流します。私は、二度と負けません。貴方の為に、貴方に勝利を捧げ続けます!!!」
自身の力のなさと、尊敬する師の名前に泥を塗ったことへの涙。
通路に響き渡る震えることでの誓い。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった見習い騎士のみっともない誓い。
「貴方の降らせる清流で、私の心を晴らしてくれることを期待してます。これからもよろしくお願いしますね、私の騎士」
「はいっ!」
次の瞬間、ジャレッグは糸が切れたようにばたりと倒れこむ。
ハンナは慌てて、呼吸を確認するが、ただ疲れ果てて寝ているようだと分かると、ほっと胸を撫で下ろす。
搬送の準備が整ったようで、ジャレッグはタンカーで運ばれていく。
「お疲れ様」
消えていく騎士に対しての激励の言葉は、答えることなく消えていった。
「ちょいといいかい、お姫様」
ジャレッグを見送ったハンナに声をかけるのは、今にも倒れそうなボロボロの男。
ふらつきながらなんとか立っているような状態のジェスターだ。
「あんたが、ジャレッグの言っていたハンナ様ですかい?」
「えぇ、そうよ。マルコリーの弟子さん」
何かを言おうか迷っているようだが吹っ切れた様に頭をガシガシと掻きながらぼそりと。
「ジャレッグは、さっき負けたって言ってたが、俺はそう思っちゃいねぇ、少なくとも全部が全部...アイツの方が上だった。...そんだけっす」
その言葉を残し、途中、転びそうになるものの、壁を支えにして自らの足で治療室へと向かっていく。
「すまねぇな、ハンナ様。あいつはよぉ...」
通路の奥に消えていくジェスターの背中を見つめながらマルコリーが言う。
「分かっていますよ。ジャレッグを気遣ったということでしょう?...その師である私のことも含めて」
マルコリーが、ジェスターのフォローをしようとするがその必要はなった。
「貴方達冒険者は、どうしてあぁも不器用なんでしょう? そういう意味ではあの子も紛れもない冒険者...でしょうね」
「はっはっは、ちげぇねぇ。あいつは、冒険者になったのさ。...あいつはもっと強くなるぞ、お前のとこの騎士様以上にな」
マルコリーの言葉に引っ掛かりがあったのか肩を震わせマルコリーを見上げる。
その眼はスゥと細められた切れ味の鋭い刃物のような印象を見せる。
「何を言っているのかしら? ジャレッグは既に立派な騎士となりました。それにあの子の伸びしろは物凄いですっ! それこそ冒険者君よりもずっとですよ!!」
「はっはっは、そいつはいいな。ジェスターの良きライバルとしてその騎士君には期待してるぞ」
今までの落ち着いた雰囲気とは違いムキになる子供のようなハンナの言葉を笑いながら受け流し、ジェスターの後を追い治療室へ向かうマルコリー。
去り際にマルコリーがポツリと零す。
「ハンナ、あの騎士なら。...大切にしろよ」
「わかってますよ」
ハンナの言葉はどこか寂しそうだった。
- 治療室
ベットに横たわり、青ざめた顔でそわそわしているチェルビーがいた。
「ダニエリーさん、ジェスターは大丈夫なんですか? あんなボロボロで、もしかしたら」
「大丈夫よ、係員さんがタンカーを使って安静に運ばれてくるわよ。それにマルコリーも付いているのよ。問題ないわ」
その言葉に胸をなでおろすチェルビー。
その時、やかましい怒鳴り声が聞こえてくる。どうやら治療室に近づいてきているようだ。
「降ろせって、マルコさん。俺は大丈夫なんすって!!!!」
「がっはっは、さっきまでふらついてたじぇねぇか、カッコつけんじゃねぇよ」
「俺はカッコつけてねぇよ、元々、カッコいいんだよ!! 分かります?俺のカッコよさ!?」
「分かる訳ねぇだろ、少なくとも俺に抱えられてるお前は、カッコ悪い、これだけは言える」
「だから、降ろせって言ってんの!! マルコさん、これ何回目ですか!?」
「10を超えた辺りから数えるのをやめたね?」
お姫様抱っこで、運ばれるジェスター。
もう、諦めたようでぐったりとしている。
マルコリーは両手が埋まっているため足を使って治療室のドアを開ける。
「おう、先生、こいつの事を診てやってくれ」
マルコリーがずかずかと入ってくる。
「あら、ジェスちゃん。試合観させて貰ったわ。頑張ったわね」
「ジェェスタァァァァ、大丈夫なの!!」
チェルビーとダニエリーがジェスターに気づいたようだ。
「おう、チェルビー、ダニエリーさん。すまねぇな、約束守れなかった」
「いいのよ、私達は約束が破られたって思っていないし、それに冒険者としてのジェスちゃんを観させてもらったから」
「ジェェスタ―大丈夫なの?ねぇねぇ?」
ベットから飛び出そうとするチェルビーを羽交い絞めにして必死に抑えるダニエリー。
飼い主に飛びつきたいペットを押さえつけているようも見える。
「おう、体は痛ぇし、凄く眠いし、やる気もないし、金もないんだ。大丈夫じゃないわ」
いつものふざけた口調で軽く返す。
「あんた達、ここでは静かにしなさい!」
先程までのやり取りを黙って聞いていたのは、白衣に身を包んだ年若い女性。セミロングの黒髪に鳥の羽をあしらった髪飾りがトレードマークの優し気であり、活発な印象を受ける。
「はっはっは、悪いな先生、こいつらが煩くてよ」
「アンタもその一員だから、他人事じゃないのよ、早く、その子を降ろしなさい」
そう言い、診察台にジェスターを降ろさせる。
「ったく、私はこんな大会は反対だったのよ、怪我人作って迄、最強とやらを決めたいなんて、頭おかしいんじゃないの?」
「はっはっは、確かに頭はおかしいな。死にかけるんだもんな」
責めるような口調の女性とは対照的な、軽い態度のマルコリー。
「で、冒険者君でいいんだよね。貴方の怪我も相当に酷いから、そこの子と一緒に安静にしてること。良いわね?」
"そこの子"と言いつつ、視線をチェルビーに向ける。
「了解でーす、安静にしてまーす」
気のない返事を返すジェスター。
「はぁ、本当に冒険者って奴らはどういつもこいつも」
「先生は、冒険者が嫌いなんすか?」
顔を先生に向けて、問いかけるジェスター。
「別に、冒険者が嫌いってわけじゃないの。ただ、平気で怪我をして帰って、また怪我して来るっていう神経が信じられないの、とくにそこの禿マッチョとか」
「それは仕事だからな、仕方ねぇだろ?」
「あんたが来る回数が異常って言ってるの!!」
マルコリーとの間には確執があるようだ。
「ったく。じゃぁ、じっとしていてね」
そう言い、ジェスターの体に手をかざす。
次の瞬間、淡い緑色の光がジェスター体を包む。
切り傷や打撲痕が綺麗に消えた。
「おぉ、先生スゲーですね!」
「まぁ、これでも治療師って身分なんで当然よ」
綺麗になった体を見つめ、感心するジェスター。
「じゃぁ、冒険者君もそこの開いているベットに横になっていて。しばらくは体力回復に務めるのよ。マルコリー、は心配だから、ダニエリーさん。この子も監視しといて下さいね」
「えぇ、任せて頂戴」
「ちょっと席を外すけど、騒がない事! 分かった!!」
「「「「はーい」」」」
冒険者たちの返事を聞き、怪しみながらも治療室を出る先生。
「改めて、ジェスちゃん。頑張ったわね?」
「おう、よくやったじゃねぇか」
「うんうん。ジェスター凄かったわ!!」
三者三葉に労う。
「ありがとうございます。でも、俺は勝ててない。油断もあったし、慢心もあった」
「そうねぇ、反省点は沢山あるわねぇ」
苦笑いするダニエリー。
「でも、反省点以上に得るものはあったでしょう?これは2人ともね?」
チェルビー、ジェスターに視線を向ける。
「お前らは、初めて戦うという事を経験した。理解不能の状況に追い込まれ、冷静さを欠いた。刻一刻と変化するフィールドにどう対応するか、真っ向から力の限りぶつかる、色んな事を経験したな」
「はい、私は戦う事が怖くなった。周りが見えなくなって、震えが止まらなかった」
「俺は、全てが上の奴とぶつかって、ギリギリで躱し続けて、ぶつかり、負けた」
各々の試合を振り返り、悔しさを滲ませる。
「色んな思いがあると思う。俺達が歩き続ける限り、もっと辛い事や苦しい事が山の様に出てくる。それでも歩みを止めちゃなんねぇ。止めた瞬間に終わっちまうからな。何もかもが。お前らに少しでも、冒険者と言う道は険しいってことが理解できたようで俺は嬉しい。」
続けて。
「改めて、問いたい。チェルビー、ジェスター。お前らは冒険者として、辛く険しい真っ暗な道を俺達と進む覚悟はあるか?」
静かに問いかけるマルコリー。
「俺は、勿論、進むぜ。その真っ暗な道ってやつを。手っ取り早く金を稼いで、酒飲んでバカやって、そんな生活が気に入ったのさ。それに、一人じゃ暗い道を歩くのは怖いだろうさ。不安だろうさ。俺には、アンタらがいる。アンタらには俺がいる。馬鹿共と歩けば、暗い道だって酔っ払いが蹲ってる路地裏に早変わりさ」
おどけた様子で真剣に話すジェスター。
「私は、戦う事は怖くないなんて、声を大にして言えません。多分、またビビっちゃうし、振るえちゃうかも。でも、それ以上に、皆と一緒に居られなくなるのは嫌! 私は冒険者として、あの皆と肩を並べて歩きたいんです! 私だっていっぱい強くなって、皆の道を照らして見せます!!」
震える手を握りしめるチェルビー。
その様子にニヤリと笑うマルコリー。
微笑むダニエリー。
「よく言ったぁぁ! それでこそ俺の見込んだ奴らだぁ!!」
いつになく嬉しそうに、2人の頭を撫でまわすマルコリー。
「もう、嬉しいのは分かるけど、2人は怪我人なのよ?」
宥めるダニエリーを無視して、更に騒ぎ始める。
「マルコさん、俺達、怪我人なの!静かにしてろって、先生に言われたろ!!!」
「マルコさん、目が回ります、頭が取れます、取れますぅぅぅぅ」
2人の静止の言葉は届かないほどに、喜ぶマルコリー。
禿マッチョのバカ騒ぎは、先生が戻るまで続いたそうな。