石器時代に生きる転生者
相も変わらず、突っ込み型のへたれ主人公です。
父が死んだ。
その知らせが届いたのは、僕が九歳、妹が五歳の夏の日のことだった。
僕の名前はアルゥ。
苗字も何もない。ただのアルゥ。それでもあえて言うのなら、霧の沼の氏族の一員にして、勇者オルゥの系譜に連なる勇者ウルゥの子、アルゥと言うのが正式な名乗りとなる。
この場合の勇者は、良くある魔王を倒したとかでは勿論なくて、氏族一の勇敢な狩人で、あまたの魔物を討ち氏族のお腹を満たしてきたものの自称のようなものなのだけれど。
ともあれ、そんな僕には、実はもう一つ名前がある。
いや、あったと言うべきなのだろう。
もう、その名前で僕を呼ぶものはいないし、僕すらも久しくその名前を聞いていないために忘れ掛けているのだから。
それは、ほとんど失われた名前といっても過言ではない。
しかし、確かに僕は昔その名前で呼ばれていたし、その記憶は僕を形作っている大きな要因でもあることは間違いない。だから、やはりそれは僕のもう一つの名前で間違いはなく、僕はアルゥであると同時に「杉浦健一」なのである。
そう。僕は日本からの転生者だ。
僕が自分が転生したんだと理解したのは四歳の時だった。
いや、理解ではない。あれは思い出したと言った方が正確だろう。
それまでにも少しではあるが、自分が見たこともない景色が、唐突に脳裏をよぎることがたびたびあった。
見たこともない家。見たこともない人。見たこともない建物。
僕はそんな景色を思い出す度、心乱れ、混乱し、泣きわめいた。
今、ここにいる自分と自分が思い出した景色。どっちが本物でどっちが虚像なのか分からなくなったからである。それほどまでにその記憶はリアルで鮮明だった。
僕は間違いなく同年代で一番よく泣く子供だったに違いない。
そんな風に急に泣きわめく僕に父は厳しく叱りつけ、母は優しく微笑みながら僕をあやしてくれた。
そんな彼らと、そし自然達のざわめきに僕は確かにここにいることに気付き、少しずつその記憶、その景色を見ても取り乱さなくなっていった。
しかし、そんな平穏はわずかなことであった。
あれは、僕が四歳の春。それは妹のイルゥが生まれた日、そして母が死んだ日、僕ははっきりと思い出したのだ。思い出してしまったのだ。
前の僕も、杉浦健一も同じように妹を得ると同時に母を失ったことを。
僕は転生者であると言うことを。
その時、それまでよく分からなかった記憶の断片達が一つに繋がった。
それはアルゥと杉浦健一が一つになった瞬間であった。
そして、僕はこの世界が異世界であることを理解したのだ。
記憶を取り戻してみれば簡単なことである。こんな世界が異世界でない訳がない。
何せ、住んでいるところは洞窟。父は毛むくじゃらで毛皮を纏い、母も毛皮一枚しか纏っていない。電気とか機械とかそんなものは愚か鉄やプラスチック製の物すらない。身の回りにあるのは石や木、骨を加工した道具ばかり。
そして、追い打ちとばかりに目の前でふよふよ浮く謎の半透明の生物、通称「自然のざわめき」さん達。
こんなものを見て、ここを異世界でないと思う者がどこにいるだろうか。
ただ、僕をこの世界に送ったものがいたのだとしたら、これだけははっきりと言わせてもらいたい。
なぜ、あと数千年後の未来に来るであろう、剣と魔法の世界に生まれ変わらせてくれなかったんだ!
これじゃあ、ただの石器時代じゃないか!
ともあれ、かくして僕の異世界生活が始まった。
というかとうの昔に始まっていた。
そこからの生活はとにかく「大変」の一言であった。
まだ生まれたばかりの妹と幼い僕、そして力はあるが生活スキルゼロの父を残して母が逝ってしまったからである。
せめてもの幸いは、父は僕達氏族の勇者であったことである。
その毛むくじゃらで逞しい腕は、数多の獲物を狩り、その強靭な肉体は氏族を襲う多くの脅威を退けた。
彼の振るう石槍に狩られた獣達は、僕達の腹を満たす肉となり、また僕達の寒さを防ぐ毛皮となった。彼は常に氏族の男衆の先頭に立ち戦った。
父の栄誉は氏族において強く尊敬されており、氏族の皆は様々な施しをしてくれた。
そもそもが氏族という数十人の共同体においては、皆が皆家族のようなものである。狩りに狩人を出すという義務を果たしている以上、僕たちは周りの庇護下にあるのだ。
妹が幼いうちは、同じ幼子のいる近所のおばさんが乳をくれ、乳離れしてからも、父が狩りで留守の内は僕と妹の面倒も見てくれた。
父は、狩りの腕は一人前だが、生活スキルはゼロである。
家族で行う家事全般はもっぱら僕が行っていたのだが、それでもいつも豪快に笑い、そして狩りから帰ると自慢げにその日の獲物を僕達に見せびらかしてくるような茶目っ気のある父には、僕達兄妹はどれだけ救われてきたことだろうか。
僕たちは、間違いなく父によって精神的にもそして生活的にも救われていた。
そんな父が死んだ。
それは他の氏族との共同の狩りの際、紛れ込んでいた他氏族の子供を庇ったからだという。
僕はしばらくの間それを信じられなかった。
あんなに強かった父が死ぬなんてあり得るのだろうか。
しかし、事実として父はもう帰ってこない。
妹は泣いた。母が死んだときには、妹は生まれたばかりで、理解できるはずもなかった。そして、それ以降に今日まで、うちの氏族で死んだものは一人もいなかった。だから、これは妹にとっては初めての親しいものの死になるわけだ。それはもう、これでもかというほど泣いた。泣き明かした。
僕も泣きたかった。
でも、泣けなかった。
泣いてる余裕が無かったのだ。
これまで、僕達家族は父が狩りに出ることで、氏族の一員としての義務を果たしていた。
それ故に、僕達は様々な施しが受けれたし、食料だって手に入っていた。
だが、その父が死んだ。
では、僕達はこれからどうやって暮らしていくのだろう?
暮らしていけるのだろうか?
僕はまだ、九歳と幼く狩りに出るには早すぎる。
妹のイルゥに至ってはまだ五歳の上、女の子である。勿論、狩りなんかに出られるはずもない。
僕達はただの足手まといとして捨てられるのではないだろうか?
結論から言えば、それは勿論杞憂であった。
氏族と言えば家族も同然。
狩りで立派に死んだ勇者の子供がそんな扱いを受けるわけがない。
僕達には、僕が大人になって狩りに出られるまでの三年間の猶予が与えられた。
つまり、僕が十二歳になって成人と認められるまでは、狩りの義務から逃れられたのだ。
父の葬式の日、そのことを氏族長のエギルから直々に伝えられたとき、僕はほっと一息をついた。
「じゃあ、あと三年は猶予がもらえると言うことなんですね。はぁ、良かった……」
「当たり前ではないか。氏族と言えば家族も同然。それにウルゥはこれまで我が氏族に本当に良く尽くしてくれた。その子供たちを無下にするようなことがあれば、私がウルゥに祟られてしまうではないか」
「父が祟るなんて器用な真似ができるとは思えませんがね」
「ははっ、それもそうだな」
そう言って、エギルと僕は笑いあう。
エギルは父と同じぐらいの歳で、腕前も父に匹敵する勇者だが、脳筋の父と比べて頭もよく回る。
流石は数十人の氏族を率いる氏族長といったところだ。
「とにかく、僕の杞憂でよかったです」
「アルゥ。君は父親に似ず心配性なのだな」
「どうも、僕の性分なものでして」
「君には幼い時から苦労を掛けたからな。まだ四つの時だったか。エミリィが亡くなったのは……」
「そうです」
エミリィとは僕の母の名だ。
氏族長の妹にあたるらしい。つまり、目の前にいるエギルは僕の伯父でもあるわけだ。
「あいつは幼い時から体が弱かったからな。しかし、四つで母を亡くし、九つで父を亡くすか……」
「そんな憐れまないでください。僕は自分が不幸だなんて思いたくない」
僕は、自分がなかなかに波乱な人生を歩もうとしていることは自覚している。
しかし、この世界では、大なり小なり誰もが味わうことだ。
元の世界ほど命の価値が重くない世界だ。
平均寿命は短く、狩り以外でも病気などで命を落とす者はかなり多い。特に呪師のいないうちのような氏族では、ただの風邪で命を落とす者までいる有様だ。この五年死者が出なかったのが、奇跡のようだと言っても過言ではない。
そんな環境下においては、僕のような子供はありふれているとは言わないまでも、不幸と言えるほどでは無いと思う。
「おお、それは、すまないな。ならどうだ、気分転換に三年後を見据えて次の狩りの見学に来ないか。そろそろ牙材が心もとくなってきていてな。明日あたり、ジャイアントマンモスの狩りを行おうと思っているのだが」
「ジャイアントマンモス、ですか……?」
ジャイアントマンモスとは、元の世界にいたマンモスをさらに大きくしたような魔物だ。
まだ僕は子供で、一人で出歩けないので、生きているところを見たことは無いが、氏族の男たちが時たま持ち帰ってくるその牙の大きさには驚きと興奮を隠せなかった。
「そうだ。まだ三年ある訳だが、その間何もしない訳にはいくまい。実際の狩りを見ることは、良い刺激になると思うのだがな」
「そう……、ですね。わかりました。お邪魔かもしれませんがお供させてもらいます」
確かに、僕ももうすぐ三年後には狩りをする一員になるわけだ。
自主練で筋トレでもしようかと思っていたけど、その前に実物を見ておいた方がモチベーションが上がるのではないだろうか。
「もしかしたら、僕が一番手柄を立てるかもしれませんよ。なにせ勇者ウルゥの子供ですから!」
「ははっ、それもそうだ。もう君も立派な勇者だな」
「ふふっ、氏族長。その言葉は三年後まで取っておいてくださいな」
「はははっ! そうだな。その時を楽しみに待っているよ」
そう一通り冗談を言い合って、僕と氏族長はもう一度顔を見合わせた。
「…………」
「…………」
「……ぷっ」
「……ははっ」
「「はっはっはっ!」」
そうして耐えられなくなった僕と氏族長は、二人して大きく笑いあったのであった。
この時の僕には、氏族長が父親以上に父親として見えていたのかもしれない。
こうして、僕の狩りの見学と、三年後の狩りの参加が決まった。
決まってしまったのである。
この時の僕の脳内はお花畑だったと言っても過言ではないだろう。
父が死んだことにより、すぐにでも狩りに参加しなければいけないのではないかという懸念が払拭され、男衆なら誰もが狩りにデビューする十二歳までの猶予が与えられたことで、狩りに対する恐れなんてものが吹き飛んでしまっていたのだ。
(あと三年もある。皆、同じ歳に狩りに参加するんだから大丈夫。)
そう無邪気に思い込んでいたのである。
そう、この時の僕は真の意味で理解していなかったのだ。
この世界の、この時代の狩りが、現代社会で生きてきた僕にとってどういうものか、ということなんて……
と、ここからプロローグへとつながる。