1 恋した相手は同性愛者でした
紬衣代は、心因的に追い詰められると無表情になる。彼女自身は無自覚であるが、出来る限り辛さを遠ざけようとする彼女なりの防衛反応であった。
その日彼女は無表情だった。
先週から目をつけ、難癖つけては彼女を責め立てる男子学生二人組。騒ぎにしたくなかった衣代は、その日命じられたまま裏庭に足を運び、罵倒を浴び続けた。髪を引っ張られようとも突き飛ばされようとも、無表情を保ち続けた。
「ちょっとさぁ。そこの羽虫、うるさいんだけど」
衣代の無表情の膜を破ったのはそんな一言だった。
人気がないと油断していた二人組は慌てて声の主を探す。
「あ、もしかしてイジメの現場ぁ?鬱陶しい。ここは俺専用スポットなの。邪魔しないでよね」
声の主は申し訳程度に据えられていたベンチから身を起こし、気だるそうに、いや、機嫌悪そうに視線を向ける。乳白色の癖っ毛のから深い藍の瞳が覗く。
「あ……」
二人組は相手の顔を見るなりさあっと青ざめる。あからさまな変わりように衣代はわずかに首をかしげた。人に見られた、というだけでこうも態度が変わるものなのか。
しかし、次の瞬間その考えは間違いであると知る。
「ほ……ホモだあぁ!!襲われる!!」
そう叫ぶなり二人組は一目散に校舎へ走りだした。
「なっ…!誰にもかまわず襲うみたいな言い方するなよ!?」
そう勢いよく立ち上がる相手のポケットからスマホが落ちる。視線をやると、画面に見覚えのある顔の写真が映し出されていた。クラスメイトの、男子生徒だ。
「……ほ……?」
つまり同性愛者。二人組が恐れた理由。
ポカンと見つめる衣代に気づき、その少年は慌ててスマホを拾い上げ悪態をつく。
「……何。鈍臭い女に興味は無いんだけど。さっさと行けば?」
「……突き飛ばされた時に足を挫いて」
「はあ?どんだけ鈍臭いのさ?これだから女って面倒臭い」
「は、はは……」
立ち去りたい。だが立ち上がれそうに無い。とにかく相手が去るのを待とうと衣代は俯く。
そんな彼女の目の前に手が差し出される。その手は微かに震えていた。
「……ちょっと、時間無いんだから早くして。テキトーに保健室とか行けばいいんしょ?」
見上げた先の藍の瞳が真っ直ぐ衣代を見ていた。
その時だった。
紬衣代は同性愛者の男子に恋をした。
「恋をした……だって?」
入学して早半月。その中で一番初めに友人となった女子生徒、紬衣代の告白に葉山紗絵は目を張る。感情表現の乏しい彼女は恋愛にも興味はないだろう。そう思っていただけに衝撃は大きかった。
「さっき転んだ時に頭打ちつけた?平気?生きてる?」
「普通に失礼だと思うんだけど……それ」
僅かにふくれる衣代の頬をつつき紗絵は冗談、と笑う。
「その……転んだ時に助けてくれた人?」
「うん」
衣代は机の上に置いていたパンの袋を開け、少しずつ口に運ぶ。
結局衣代はその男子生徒に保健室まで付き添ってもらい、転んだと偽って先生に手当を受けた。嘘をついた時、彼は顔をしかめたが、何も言わず手当が終わるのを見守っていた。
「でもその後さっさと帰っちゃったんでしょ?なんか無愛想よね。名前聞けた?」
紗絵の問いに衣代は小さく唸る。
「聞けなかった。でも先生が神崎君って言ってた」
「嘘!!」
突然の紗絵の叫びに、昼食や雑談を楽しんでいたクラスメイトが一斉に注目する。はっと顔を赤らめると気まずそうに座り直した。
「衣代、やめた方がいいよ」
「なんで?」
声を低める紗絵に首をかしげる。
「アンタ、噂聞いてない?二年の神崎結弦は女に恋愛感情を持ってないの。その……」
「あれ、本当なんだ」
「知ってるんか!!」
紗絵の叫びに再びクラスメイトが注目する。
「……しかも女を毛嫌いしてるって。その、助けてくれたのは、気まぐれ?別人?名前の聞き間違い?いや、神崎って他にもいたかしら……」
「でも他の人にホモって言われてたよ」
平然とした返答に紗絵はがくっと肩を落とす。
「マジで言ってるんだ。衣代、変な趣味も程々にね。私心配で胃に穴あきそう」
「でもね」
衣代はパンを飲み込み、丁寧にビニール袋を畳む。
「女の私を助けてくれた。きっと性別で嫌ってても差別はしないと思うの」
怪訝そうな表情の紗絵をちらりと見ながら呟く。
「それよりもただ……お礼したいなって。礼儀として、一応。その相談、したかったの」
口ごもり微かに赤くなる衣代に紗絵は長くため息、そしてふっと微笑む。
「まぁ……お礼くらいなら、応援してあげる」
ぱあっと衣代の表情が明るくなる。といっても紗絵にしかわからない程度だ。
その表情を見た紗絵は心内で一つ、溜息をついた。
同性愛者、女嫌い、ストーカー、変態、男尊女卑その他諸々。
学校という狭い世界で浮くには容易いほど神崎という男に良い噂は無かったのだ。
紗絵は先の不安を感じながら二つ目のパンにかぶりつく衣代を眺めていた。