下
朝日が昇ります。
明るい陽射しが、白く染まった村を照らしつけていました。
一面白で覆われた村の中に、一か所だけ……黒く焼け焦げた跡があります。リリーの家があった場所です。屋根の梁は剥き出しで、柱は炭になってしまっています。まだ焼け跡は熱を持っており、子どもが不用意に入り込み、火傷を負っていました。
……リリーの姿は見えません。ですが、生存は絶望的でした。焼け跡の周りには、人が出入りした足跡がなかったからです。
「リリーちゃん、可哀そうに」
「いったん、仕事に戻ろう。また、明日……熱が引いてから片付けようぜ」
村人たちが仕事に戻るなか、雪の中に崩れ落ちる一人の青年がいました。
ルシアンです。
やっとの思いでリリーの誕生日プレゼントを手に入れ、帰ってきたときには、家が燃え尽きたあとでした。
ルシアンの前に村人たちは駆けつけていましたが、予想以上に火の回りが早く、すでに手遅れだったようです。
「そんな、リリーが……」
ルシアンは、絶望しました。
ルシアンにとって、リリーは想いを寄せていた唯一の女性だったからです。
幼い頃、いじめっこから助けてもらって以降、ルシアンはリリーの優しさに惚れていました。いつか想いを伝えたい。自分で稼いだ金でプレゼントを買い、リリーへの愛の告白をするのだ!と心に決めていたのです。
そして、今――ルシアンの右手にはプレゼントが握られていました。
もう、そのプレゼントがリリーの手に渡ることはあり得ません。ルシアンは大粒の涙を流しました。
「ごめん、君が……まさか、死を選ぶなんて」
ルシアンは歯を食いしばると、リリーへのバレッタを強く握りしめます。バレッタの冷たくて固い感触が、ルシアンの指に吸い付きました。
『バレッタが欲しいわ』
リリーは柔らかな笑みを浮かべながら、心地よい声で欲しい物を告げました。
ルシアンは笑顔で承諾すると、すぐさま「バレッタ」を手に入れるために奔りだします。ルシアンは、バレッタがなにか知りませんでした。いままでリリー一筋の女っ気のない人生を送ってきていたので、バレッタが見当もつかなかったのです。
だがしかし、ルシアンはリリーに尋ねることをしませんでした。
ひとえに、「知らない物があると思われるのが、恥ずかしい」という単純な理由です。それに、隣町の市場へ行けば、バレッタとやらが売っているだろうと安易に考えたのです。
「リリーが欲しがるんだから、たぶん、バレッタとやらは若い人のなかで流行っているのだろう。
でも、女の人に聞くのは恥ずかしいから……よし、男の人に尋ねよう」
その考えはある意味で正しく、大きく間違っているとは知らずに。
ルシアンは昼前には市場に着き、近くにいた若者をつかまえて尋ねました。
「バレッタは、どこに売ってますか?」
と。
その若者は酷く驚き、やや悩んだあと、バレッタの売値を教えました。
ルシアンはバレッタの価格に驚き、次に何故、リリーがバレッタを欲しがったのか頭を捻りました。バレッタとは、若い女子が欲しがるような装飾品ではなかったからです。
「まあいい。それは、どこで売ってるのです?」
「裏町で取引されてますぜ、旦那。だけんど、まだ出回り始めたばかりで、ちょいっとばかし値が張るもんんで……」
「そんなこと、別にかまわない。教えてくれてありがとう」
ルシアンは裏町に足を踏み入れると、おっかなびっくり進んでいきました。なにしろ、ルシアンが裏町に来たのは初めてだったからです。
裏町は薄暗く、昼間っから酒の臭いが充満していました。壁に寄りかかり、眠っている人もいます。空を向いて、変な独り言をつぶやいている人もいました。
ルシアンが「本当に、リリーが欲しがる物が売ってるのだろうか?」と不安に思い始めた頃、1人の男が話しかけてきたのです。
「おい、ここはガキが来るところじゃねぇぜ……って、ルシアンじゃねぇか!?」
そこにいたのは、かつてのガキ大将でした。
数年前、「都会で一発上げる」と村を出て以降、消息が分からなくなっていたのです。まさか、こんな近くの裏町にいるとは思ってもいませんでした。心なしか、村にいた頃より顔色が悪いように見えます。
「……久しぶり」
ルシアンは過去の苦い思い出を噛みしめながら身構えました。きっと、また嫌なことをしてくるに違いありません。しかし、ガキ大将だった男は嬉しそうに笑い出しました。
「なんだなんだ。まーったく変わってねぇじゃないか!
でも、なんでお前がここにいんだよ? ここは、お前のような人間の来るところじゃないっての」
男は親しげに話しかけてきます。まるで、長年の親友のようにルシアンを扱うのです。ルシアンは、だんだん気味悪くなってきました。
「別にいいだろ? それにしても、バレッタを知らないか?」
「バレッタって、あのバレッタか?」
「ああ、そのバレッタだ」
ルシアンは、市場の若者から聞いたバレッタの特徴を伝えます。すると、男の顔色はますます悪くなりました。
「別にかまわねぇけどよ、あんな物騒な物、なにに使うだ?」
「君には関係ないよ。でも、どうしても手に入れないといけないんだ」
ルシアンは男を睨みつけました。幼いころの怖さを堪えて睨みつけます。男は何か言いたげな表情を浮かべていましたが、やがて頭を横に振りながら息を吐きました。
「……そんな必死な顔されちゃお手上げだ。来いよ、案内してやる」
男はルシアンを手招きしました。
男は裏町の更に深いところへ案内します。さきほどまで塵や酒瓶が転がっていたのに対し、深そうな場所へ進めば進むほど、そういったゴミが綺麗に一層されているような気がしました。代わりに、壁に滲みのようなあとが目立ち始めています。ルシアンは、できるかぎり滲みをみないように、ただ、男の背中だけをみながら足を動かし続けました。
男は一人の影の前で立ち止まりました。男は一言、二言、その影になにか話すと、影はむっくりと起き上がりました。
「……君は、バレッタでなにをするんだ?」
影は、壮年の男性でした。
村で見たことのあるだれよりも体格がよく、ガキ大将だった男より2回りも巨大に視えます。ルシアンは、ごくりと唾をのみました。
「……答えることは、できません」
「……まぁいい。買い手がいるなら、品物を売るまでよ。だが、高くつくぞ、坊主」
壮年の男性は、値段を提示しました。
とてもではありませんが、ルシアンが買える金額ではありません。ルシアンは悩んだ末、壮年の男性と借金の契約を交わし、10年ローンでバレッタを購入することに成功しました。
壮年の男性は喜ぶルシアンを見つめながら、最後にぽつりと言葉を残しました。
「それをどう使うのかは勝手だ。こっちの知ったことではない。
だが、くれぐれも――それを使って馬鹿な真似はするなよ」
最初、ルシアンは壮年の男性が何を言っているのか分かりませんでした。
それよりも、念願のバレッタを手に入れたことの方が嬉しかったのです。
ガキ大将だった男と別れ、来た道を戻ります。雪の道を少し小走りで踏みしめながら、リリーの満面の笑みだけを心に描いて……
「あぁ、リリー。君は、誰かを殺そうとしていたんだね」
ルシアンは、狙撃銃を優しく撫でました。
使い方はボンヤリと知っていました。要は、猟銃と同じ仕組みです。同時に購入した弾を込めて、引き金を引けばよいのでしょう。
ルシアンたちの村は、冬になると狩猟が盛んです。男だけではなく、女も狩猟に出かけます。
しかし、リリーは違います。狩猟に出向けるほど、体力がないのです。なにしろ、銃を担げるだけの体力がありません。
あるとき、ルシアンが「狩猟に出られなくて、寂しいのか?」と尋ねると、リリーは「別にかまわないわ。だって、動物を撃ち殺すなんて可哀そうだもの」と寂しげに微笑むのでした。そんなリリーが、どうして狙撃銃を欲しがったのでしょうか?
「きっと、リリーは誰かを殺したいほどに憎んでいたんだ」
リリーは狙撃銃で、誰かを殺そうと考えていたのでしょう。
リリーだって女性です。好きな人の1人や2人、いたとしても不思議ではありません。その好きな人が別の女と結婚なんてした日には、殺したいほどの憎しみを抱くに違いありません。きっと、ルシアン自身が同じ立場に置かれたとき、リリーと結婚した男を首を絞め殺したいほど憎むからです。
でも、リリーは心優しい娘です。
「憎むのに疲れて、自分で死を選んだんだ……」
ルシアンは自分で解釈すると、しゃくりあげながら自分の顎に銃口を突き付けました。銃身は長く、手をグッと伸ばして引き金に指をかけます。
「ごめん、リリー。君の辛い気持ちを分かってあげられなくて」
自分は、最低な男だ。
彼女の身近にいたのに、なにも分かってあげることが出来なかった。
ルシアンは眼を閉じると、指に力を込めました。
夕方、村人は焼け跡から遺体を見つけました。
1つは、大量の布を抱え込んだ女性の焼死体。
そして、もう1つは、顎を撃ちぬかれた男性の射殺体を……。