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 今日は、リリーの誕生日です。





 リリーは、か弱い針子でした。


 生まれつき身体が弱く、他の娘たちのように畑仕事が出来ません。バケツ一杯の水を運ぶこともままならず、1人で針子の仕事に専念していました。


 しかし、村人は誰も文句を口にしません。なぜなら、彼女の針子の腕前は抜き出ていたからです。

 とくに、刺繍にかけては村で右に出る者はいませんでした。リリーに頼めば家で縫える単純な綻びも、あっという間に直るだけでなく、ちょいちょいっと刺繍を縫い付けてくれるのです。それも、頼みに来た人の好みに応じた刺繍を。

 たとえば、子供服の胸には愛らしい猫の顔を、おしゃれな村娘のスカートにはレースの刺繍を縫い付けます。自分が畑で働けない分、働いてもらっている村人たちへの真心を込めて。


 村人たちは朝から晩まで畑仕事で忙しく、縫い物に割く時間も惜しかったので、リリーは重宝されていました。






 そんなリリーも、今年で24歳。

 リリーと同い年の村娘たちのなかには、すでに子どもを育てている者もいました。リリーも結婚に憧れていましたが、リリーを嫁に貰いたがる男は滅多にいません。リリーは、畑仕事はおろか、日頃の家事すらままならないからです。

 リリーの元を尋ねてくる奇異な男性もいません。

 故に、リリーは


「わたしは結婚できないで終わるのね」


 と、なかば諦めて暮らしていました。

 



 しかし、村には1人だけ……3つ年下のルシアンだけは違います。彼だけは、リリーの家に顔を見せる青年です。

 きっかけは、7年前の雪の日のこと。ルシアンは些細なことからガキ大将に追われる羽目になり、リリーの家に匿ってもらったことがあったのです。

 それ以来、たびたび顔を見せる仲になったのでした。


「リリー、お誕生日おめでとう!」


 リリーが隣のおばさんの服を縫っていると、ルシアンは開け放たれた窓に身を乗り出してきました。


「プレゼントには何が欲しい? 俺、少し金がたまったんだ」

「プレゼント? いいえ、いらないわ。おめでとうの言葉だけで嬉しいもの」

 

 リリーは縫物の手を止めずに答えました。


「それに、お金は自分のために使いなさい。あなたが働いて稼いだのだから」

「俺は、リリーのために使いたいんだよ。ほら、いつも僕のボタンを縫い付けたり、袖を直してくれてるお礼さ!」

「でも、それは……」

「頼む! 欲しい物を言ってくれ!」


 ルシアンは、まっすぐな目でリリーを見つめます。 

 リリーは、ルシアンの瞳に驚いてしまいました。こんなに男の人から見つめられたのは、はじめてだったからです。純粋で透き通った双眸を見つめているうちに、断ってはいけない気になってきました。

 それに、ルシアンは弟のような存在でした。いまでは背丈も逆転してしまいましたが、リリーにとってのルシアンはガキ大将に泣かされて駆け込んできた男の子です。大切な弟の頼みを無下にできるわけありません。


「そうね……」


 しかし、それはそれで問題が発生します。リリーは、これまで男の人から贈り物されるという経験もありません。だから、なにを頼んで良いのか分からなかったのです。無難に花束を頼むことが出来ればよいのですが、生憎と季節は冬。木々には重たい雪が降り積もり、つぼみは雪の下で眠っています。

 リリーは縫物の手を止めると、悩んだ末に1つの結論を出しました。


「わたし、バレッタが欲しいわ」

「バレッタ?」

「そう。新しいバレッタが欲しいの」


 別に、バレッタが欲しかったわけではありません。友人が「この髪飾り(バレッタ)、彼氏に貰ったのよ」と自慢していたことを思い出したからでした。


「ああ、バレッタだな。夜までに手に入れて来るよ」


 ルシアンは笑顔で承諾すると、すぐに街へ走り出しました。

 リリーはルシアンの背中を見送ると、すぐに針子の仕事を再開させました。

 しかし、なかなかルシアンの純粋な瞳が頭から離れず、その日は何度か針で指先をつついてしまいました。指先には血が滲み、預かり物の白服に紅い斑点がつきそうになります。


「……これじゃあ、仕事にならないわ」


 縫いかけの服を脇に置きながら、リリーは肩を落としました。

 太陽は傾き、西の空は橙色に染まっています。東の空には気の早い星が輝き始めていました。遠くを見つめてみれば、畑から帰ってくる人たちの長い影が伸びていました。


「今日の仕事は、ここまでね」


 リリーは針を机の上に置くと、夕飯の支度をし始めました。

 ルシアンが約束を違えたことはありません。きっと、ルシアンは夜までに来るはずです。おそらく、お腹を空かせて来ることでしょう。リリーの元を夕方時に訪れ、夕飯を一緒に食べることも度々ありました。

 せっかくの誕生日だから……と、数少ない野菜を丁寧に剥き、貴重な鶏肉を大きく切ります。くつくつとシチューを煮込み、そろそろテーブルを拭こうかしら……と、布巾を用意したときのことです。ふと、かなり手元が暗くなっていることに気づきました。

 外を見ると、すっかり暗闇に包み込まれています。ランプの明かりだけが、リリーの手元を照らしていたのです。


「……遅いわ」


 だんだんと、リリーは不安になってきました。

 リリーが頼んだのは、ただのバレッタです。市場に行けば、髪飾りくらい売っています。どんなに遅くても、朝に出立したならば、夜までに戻ってくることが出来るはずなのです。

 リリーは布巾を手ごろな場所に置くと、窓を開けました。窓からは、肌を刺すように冷たい夜風が入ってきます。夜風の中で踊った髪を手で押さえながら、リリーはルシアンが現れないかと目を凝らしました。


「ルシアン?」


 リリーの細い声は、雪に吸い込まれて消えていきます。

 冬の夜は、どこまでも静まり返っていました。

 まっしろな雪が、すべての音を覆い隠しています。

 笑い声や泣き声も聞こえません。ざくっざくっと人が雪を踏む音やすら耳に届かず、時折――ホゥホゥと鳴く鳥の声だけが、遠くから曇って聞こえてくるのでした。

 あまりにも寂しい夜。そっと顔を上げてみれば、夜空に浮かぶ星々まで青白く凍りついていました。星が固まって動かないからでしょうか。白銀の三日月は、空の端っこで拗ねているみたいに輝いているのが見えました。


「まさか、野盗に襲われたのかしら?」


 リリーの背筋が凍りました。

 街へと続く道は、安全と言いきれません。 

 野盗を避けるため、女は何人かで固まり、男ですら武器を腰に提げて歩く必要があります。それでも、1年に数回は野盗の犠牲になる人がいるのです。


「……確かめに行きましょう」


 リリーは村の入り口まで、様子を見に行ってみることに決めました。

 いそいそと窓を閉めると、外套を纏います。ランプの炎が消えぬよう、しっかりと油を注ぎ、いざ出発と言うときでした。



 ばちばち、という音が後ろから聞こえます。

 リリーが振り返ってみると、竈の火が布巾に燃え移るところでした。リリーは、うっかり火の始末を忘れてしまっていたのです。


「大変!!」


 いそいで消化しようと汲み置きのバケツを手に取りますが、そのときには手遅れな状態になってしまっていました。最初の布巾に燃え移ると、みるみるまに他の布へと火が広がっていきます。炎は、テーブルクロス、そして、カーテンへと侵食し始めました。


「逃げなくちゃ!」


 リリーは慌てて玄関へ駆け寄りましたが、部屋の隅に置かれた服が目に留まりました。村人から預かった服です。大事な商売道具である裁縫道具は諦めるとしても、村人の服だけは燃やすわけにはいきません。預かったものを燃やすなんて今後の信用に関わってきます。それに、縫い直してまで使いたい衣服には、それぞれ村人たちの想いが込められているのです。

 リリーは村人たちの服をかき集め、可能な限り手に抱えます。次第に、リリーの頬に熱風が当たりはじめ、足元から熱くなってきました。


「きゃっ!!」


 リリーのスカートの裾に、火が燃え移りはじめます。リリーは火のついた部分を懸命に靴で潰します。 

 このとき、火を気にせずに外へ逃げていれば良かったのかもしれません。スカートの裾の火が消えたとき、リリーの周りは炎の海に包まれていました。轟轟と燃え上がる炎の壁が、玄関を覆い隠しています。


「そんな!?」


 リリーは愕然と立ち尽くしてしまいました。

 針子の家には、火の燃料が沢山あります。

 継ぎ接ぎ用の布きれに、新しい服を縫うための布、それに、預かりものの服やリリー自身の衣類もあるのです。

 火は息を吸い込むように布を燃やし、黒い煙を吐き出し続けます。最初、リリーは煙を吸うまいと口を押えていたのですが、ゆっくり、しかし確実に黒い煙はリリーの体を蝕んでいきます。


「もう少し待てば、きっと、ルシアンが……助けに来てくれる。村の誰かが、気づいてくれる」


 くらりと歪み始めた視界の中、リリーは懸命に助けを待ちます。




 そして……





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