8話 父との約束
ネルは14歳になっていた。身長は160cmを超えシャインを少し抜いた所だ、引き締まった身体と精悍な顔立ちである。歩く姿は、姿勢の正しさもあり、上等な服を着ていれば富豪の嫡子と見間違うだろう。100人が100人ともネルを見れば好青年と答える、そんな成長を遂げていた。
「シャインさ~ん! 行きますよ~」
ネルは手を大きく振りながら、シャインを急かしていた。
ネル達がこれから行う事は狩であった。今まではシャインが1人で行っていたのだがネルが13歳の時から2人で行う様になっていた。
罠を仕掛けて捕らえる動物から、行動パターンを推測し追い詰め仕留める動物まで様々なタイプの狩を行っていた。
シャイン1人なら全ての動物を手掴みで生け捕る事が出来るが、ネルへ指導する為シャインも剣を持ち指示を与えながら狙いを追い詰めていく。
「ネルさん、私が投石で正面の大木前で右に向かうように牽制しますので、方向転換時に仕留めて下さい」
「解りました! 僕は先回りしています」
2人が併走しながら追いかけているのは、肉が人気で焼肉にすれば旨いと評判のビックビーフと呼ばれると動物である。
ビックビーフの分類は動物であるが極めて魔獣に近く、素人が狩る事は難しく主にベテラン狩人の獲物であった。
シャインはビックビーフの動きに合わせ大木に差し掛かる直前に投石を放つ。大木があるので右か左しか選択肢が無かったビックビーフは左側を数個の石で塞がれ自然と右へと舵を切る。だが右へ向いたその時には鉄剣を手に持つネルが待ち構えていた。
そして交差するビックビーフとネル。ビックビーフがネルの横をすり抜けた瞬間からスピードが落ちていき、2m程離れた場所で歩みを止め倒れる。
「やりました! シャインさんの援護のおかげです」
「ネルさん、お見事です!」
そう言葉を交わしながら2人でビックビーフの元へ向う。
「首筋に一撃で仕留めていますね。動物や低ランクの魔獣であるなら今のネルさんは十分対応出来ます。次は剥ぎ取りをやっていきましょう、以前教えました手順通り最初は血抜きからお願いします」
「はい。やってみますから見ていてください」
シャインはネルに必要だと思われる事を指導していく、剥ぎ取り方もガンツ直伝である。
「ふ~! 終りました。どうですか?」
ネルは額に流れる汗を腕で袖の部分で拭きながら完了の報告を行った。
「少し時間の方は掛かりましたが、その分丁寧に作業をしていました。部位を確認しても十分商品になるでしょう、後は回数をこなして慣れていって下さい」
ビックビーフは動物の中では大型種である、シャインであったなら全ての部位を袋に詰め1人で担いで運ぶ事も可能であるが、今日はネルが全てを1人で行いたいと言ったので、台車の上に部位を載せて町へと運んでいく。
街路で台車を引き歩いていくと、やはり人目についてしまう、ネル1人であれば、目立つ事もなかったのかも知れない。
今回はネルの横に寄り添い歩くシャインがいるため、目立たない訳が無かった。
すれ違う男性は10人が10人共振り返りシャインをマジマジと見ていく。
一方、女性の方は台車を引くネルを指差し口に手を当て黄色い声を出していたが、隣にいるシャインに目が行き、がっかりしている感じである。
今までもシャインはガンツの肉屋へ足げに通っていたが、歩く速度が猛烈に速く、男性陣は一瞬しか見ることが出来なかった。
だが今日は台車を引くネルの速度に合わして歩いている、シャインを観賞する絶好の機会だと言えた。
「シャインさん僕はこの視線に耐えられません……」
ネルは台車の速度を上げてガンツの肉屋を目指していく。
「いらっしゃーい! シャインちゃん、買い取りで来たのね」
カウンターにはいつもの奥さんが声を掛けてくれた。
今日は店長もカウンター傍にいるので、入ってきたシャインに目をむける。
「ガンツ店長、奥さん、こんにちは」
「ああ、良く来てくれた。シャインお前の横にいる少年は君が連れてきたか?」
「はい、今日の商品はネルさんが狩りました。私も傍でみていたので品質は保証させて頂きます」
その紹介の後、ネルはシャインの前に移動し腰を90度に曲げ店長を見据えて挨拶行う。
「シャインさんに狩りを教わっている。ネル・ダブルと言います。今日はビックビーフの肉を持ってきました。よろしくお願いします」
初めて自分が狩った動物を卸すので、いささか緊張している風に思われた。
「では、確認させていただこう!」
ネルが台車の肉をカウンターへ運び、ガンツが1つ1つ見定めていく、ネルはその作業を固唾をのんで見つめていた。
「下処理も出来ているし、剥ぎ取りも丁寧に行われている。これなら十分売り物になる。金貨5枚で買い取ろう!」
「本当ですか! ありがとうございます」
その言葉をきいたネルは崩れるほど顔をクシャクシャして笑った。
ネルは自分で稼いだ金貨を握り締め、その価値の重さを実感していた。狩から剥ぎ取り・運搬まで時間も掛かったが、その作業の疲れは初めて感じる心地の良い疲れであった。
帰り道、服屋の店に立ち寄り、母へエプロンを姉にはドレス買っていった。雑貨屋に寄ると父へタバコのパイプを買い、兄達へ靴や手袋など役に立ちそうになる商品を選んでいく。
その間シャインは台車の傍でその様子を伺いながら待っていた。今日は当初からこのまま別れる予定である。初めて自分で稼いだ金銭で、身内にプレゼントを買いたいとネルが提案してきたからだ。
店からネルが出てくる。両手には商品を持っていて満足そうな顔をしていた。
「ネルさん良かったですね。ご家族の方もきっと喜びますよ」
「おまたせしました。待っていただいてありがとうございます」
「では私は台車を運んでおくので、ネルさんも早く家へお向かい下さい。」
「その前にシャインさん、右手を出してくれませんか?」
そういうネルにシャインは右手を差し出す、ネルはポケットから紐の様な物を取り出し、シャインの右手首にくくり付けた。
「ネルさん、これは?」
「これは守りの紐です。守りの魔法が掛かっているそうです。いろんな色の紐があったので、どれが一番似合うか迷いました。これがきっとシャインさんを守ってくれます」
ネルは頭を掻きながらそう伝えた。
シャインは守りの紐を見つめながら動けずにいた。次の言葉を発する事も出来ずに少しの沈黙がながれる。
シャインは言葉を搾り出すかの様な声でネルに伝える。
「本当に…… 大切にします……」
その言葉を聴いたネルも恥ずかしそうに「じゃあ行くから」と手を振りながら走り去っていった。
シャインはその後台車を引き少し移動しては立ち止まり、何度も何度も右手を見つめていた。その光景を道行く者達が、悔しそうな表情で見つめ暴言を吐いていく。
今日、ネル・ダブルはまた違う意味で有名になっていった。
「ただいま~!」
両手に荷物も一杯抱え、ネルが家へと入っていった。夕食を食べるテーブルの上には、いつも以上に豪勢な食事が並べられている。ネルは不思議に思い母へたずねる。
「母さん、今日の食事は豪勢ですけど、何か良い事でもあるのですか?」
「ネル、お帰りなさい。いいことあったわよ。でも今はまだ言えません。父さん達が帰ったら、報告があると思いますので、ネルも待っていなさい」
ネルもみんなが揃ってから、今日の事を報告しプレゼントを渡す予定であった為、母の言いつけ通り部屋でみんなの帰りを待った。
父や兄達も帰宅し、家族全員がテーブルに付いて食事を行う。それがダブル家の恒例行事である。
ただ5年前から、長男のアルは結婚し家庭を持っているのでここには居ない。
「よし、全員揃ったなでは、私から報告がある」
そう父が切り出してきた、みんなは父を見つめその後の言葉に耳を傾ける。
「昨日エルが州の剣術大会で、優勝し見事州代表の座を勝ち取ってきた。これは大変名誉な事だ!」
「父さん、ありがとう。みんな俺は頑張るから応援してくれ」
エル兄さんの言葉の後、父が拍手を始めそれをきっかけに家族全員で大きな拍手を送った。
エル兄さんは、サボる事なく鍛錬に打ち込み、本来持っていた才能を立派に開花させていたのである。
ネルも自分の兄の快挙へ賛辞を送りながら、大きな音を立てて拍手を送っていた。
その後、食事が豪勢だった事もあり、会話も弾み家族団らんの楽しい食事が進められていった。
全員のお腹も満腹に近づいたと思われる時、ネルは手を上げて注目を促し今日の事を報告していく。
「父さん、母さん、エル兄さん、ネイ姉さん、ハル兄さん! 僕の話をきいてください」
その言葉に全員の視線がネルに集まっていく。
「僕は今日、狩りで捕った獲物を初めて卸してきました。その金銭で皆さんにプレゼントを買っています。どうか受け取ってください」
「おお~!」
一同から声が上がる。そして、父から順にプレゼントを渡していった。
みんな予想以上に単価の高いプレゼントに目を見張った。
以前より狩りを行っている事は全員知っていたが、罠を仕掛けノウサを捕まえている程度と思っていた。このような高価なプレゼントを買える獲物を取れるようになっていたネルにみんな驚いている様子であった。
「ネル、凄いじゃないか、何を狩ったか話してくれるかい?」
その疑問に回答を求めるかの様に、父がネルへ尋ねる。
「はい、今日はビックビーフを狩りました! ガンツの肉屋で卸したのですが、とても緊張しました」
「ビックビーフ!?」
全員の声が揃っている。
兄のニュースも只事ではないが、それに劣らずネルの発表も凄いものであった。
「ビックビーフを1人で狩ったのかい?」
エル兄さんが聞いてくる。
「いえ、追い詰める時はもう1人に協力してもらい、とどめは僕が指しました」
その言葉にエルは絶句する、普通の大人でさえ狩るのは無理である筈のビックビーフをネルが仕留めたというのは普通なら信じがたい事であった。
それを発表した人物がネルであった。エルはネルの事を良く解っている。嘘など付く子ではないと。エルはネルの言葉を信じ賛辞を送る。
「ネル凄いじゃないか! 毎日北の森で鍛えているのは知っていたけど、そこまで強くなっているなんて、頑張ったな!」
その言葉をネルは素直に受け止め笑顔でありがとうと言った、その後ネルは真剣な顔になりエルへ伝える。
「そこでエル兄さんにお願いがあります。10日後僕と勝負して下さい!
僕はこの年になるまで全力で訓練してきました。州代表の兄さんにはまだ及ばないかも知れませんが、お願いします」
ネルは頭を下げ、エル兄さんの言葉を待った。
実際、7歳の時の約束から一度足りとも挑戦してこなかったので、もう挑戦する気が無いのと思っていた、その分ここまで自分を鍛え上げた上での挑戦、正に真剣に取り組んできた事の証でもあった。
「父さん、これは受けるしかないね」
エルは父を見つめ言い放った。
「ああ、仕方ないな! ただしエルは州代表選手だ。中途半端では怪我だけして終わりって事もあるぞ、それはわかっているな?」
「はい解っています。僕も持てる力を全て出し切って、父との約束を守りたいと思います」
ネルは力強く答える。
「話はまとまったな、勝負は10日後。場所は自衛団の練習場を借りよう、エル頼んでいてくれ!」
「父さんわかった、そっちの件は任してくれ」
「それでは今日はこれで休もう!」
その言葉と共にみんなが離れていく、離れ際にネイ姉さんとハル兄さんから応援の言葉も頂いた。ネルはその日、10日後の勝負を思い眠れぬ夜を過ごす。
一方、シャインは基地の中で毛布の上で転がっていた。
何時もならば狩りを行うのであるが今日は右を向いたり、左を向いたりとゴロゴロとし、ずっと右手に巻かれた、青い守りの紐を見続けていた。