29話 魔法士ハイネ・クラッツ その2
クラッツの容体も順調に回復しており、タニアは甲斐甲斐しく看病をしている。現在クラッツは食事を取っている最中だ。
上半身だけを起こし、タニアがスプーンでスープをすくい口へと運びそれをゆっくりとだが食べていく。
「シャインさん、クラッツさんはもう大丈夫ですね」
「はい、後は体力をつける事を第一に考えたら良いでしょう」
ネルとシャインは食事の邪魔をしないように、静かに部屋から出て行った。そして家から出ると村の探索をしていく。村人は互いに知人である為、見慣れぬ者が歩いているだけで、ジロジロ見られていく。それは悪意のある視線では無い事は解っているのだが、ネルは少し落着かない様子であった。 2人は特にあても無く村を歩いていく、この村へ来た時は村をゆっくりと眺める事もできなかった為、ネルは村の隅々まで見てまわる。
村の幅は1km、長さが5km位あり。住民の数に比べて土地の方がかなり余っている感じだ。余っている土地には畑が作られている。不思議な事に全ての畑が豊作で、食料の自給自足が出来そうな程であった。
そして、畑や生活水は大河より分岐で村の中へ流れ込んでくる小川から水を補給しており、その水は美しかった。
そして一番驚いたのは、ネルが発明した水車がこの村にもあった事だった。
「お~い、おにぃーちゃん!」
少し離れた所から、飛び跳ねながら手を振っているのはマウロとノーラであった。ネル達が手を振り返すと走って近づいてきた。
「お兄ちゃん達がクラッツ先生を治してくれたって。お母さんから聞いたけど本当?」
「ノーラちゃんだったね? 僕達だけが治した訳じゃないよ。他の人も看病してくれたし、それに一番頑張ったのはクラッツさん本人だね」
「そうなんだ~ それでもありがとう、おにいちゃん! そうだお礼に私の好きな場所を教えてあげる」
ノーラはシャインの手を握り、引っ張りながら村の下流側へ歩いていく。ネルとマウロはその後をついていった。
着いた場所は一番下流側の一角であった。まだ手付かずの状態で芝生が生えており、様々な花々が一面に咲いていた。その芝生の広場でノーラは走り回り「綺麗でしょ?」と問いかけながら笑顔を振りまいていた。
マウロはノーラの元へ走っていき、2人で何かを集めている。ネルは芝生に座るシャインの横に座った。
「ネルさん、あの子達は楽しそうですね。この村もいい所だと思います」
「近くに魔獣が多く生息している危険な場所に何故、村があるのか解りませんが、この村は落着きます」
ネルとシャインは村の横を流れる大河を眺めている。日の光に照らされ光り輝くその光景は美しかった。
ネルとシャインにノーラ達が近づいてきた。体の後ろに何か隠しているようである。ノーラはシャインの前まで来ると「お礼」と言って、花で作ったネックレスを首に下げた。
「ありがとう……ございます」
花のネックレスは白や黄色など色々な種類が使われており、鮮やかであった。ネックレスから放たれる香りも甘く、心が癒される様であった。
「シャインさん、似合っていますよ」
隣で微笑むネルにシャインも自然と笑顔がこぼれていく。
そんな2人の元に全力で走って近づいてくる者がいた。到着したのはタニアであった。どの位走っていたのか、肩で息をしており、額からは汗もながれている。
「お~い! そこに居たのかよ。クラッツが2人にお礼が言いたいってさ、悪いけど戻ってきてくれないかな?」
「解りました。クラッツさんの所へ戻ります」
「そうしてくれるか! 悪いな」
タニアは2つ返事で了解を貰った事で嬉しそうに首を縦に振り「うん、うん」と頷いていた。ネルはノーラとマウロの方を向き、別れを告げる。
「ノーラ、マウロ、今日はありがとう。これからクラッツさんの所に行くから、また声を掛けてください」
「クラッツ先生に元気になったら、勉強を教え欲しいって伝えてね」
そう言いながらノーラ達も了解し、ネルとシャインはクラッツの元へ帰っていく。
ネル達は今クラッツを正面に見据えている。初めてあった時より随分顔色も良くなっている。
タニアはクラッツにお礼を言われて、ご満悦な笑顔をしていた。
「ネル君とシャインさん、話は伺いました。治療して頂いた事を感謝しています」
ベッドで腰から上だけを起こしていたクラッツは頭を深々と下げている。
「気になさらず、頭をお上げ下さい」
ネルの言葉を聞き入れた後にクラッツは頭を上げた。
「ゴンゾーさんの話によると、私を尋ねられたと聞きましたが、一体どの様なご用件で?」
ネルはカバンから1つの手紙を取り出し、クラッツに手渡していた。
「なつかしい…… ロックからの手紙ですか……」
「クラッツ! あんな奴の手紙なんて読む必要ないよ~」
タニアはロックの名前を聞き、会話の横槍を入れてくる。それでもクラッツは手紙に目を通していく。そして一通り読み終え、ネル達の方へ顔を向けた。
「ロックの手紙には、貴方達に助言を与えて欲しいと書いてありました。私としましても、命を救ってくれた恩人でもあります。協力は惜しみません、何でも聞いてくださればお答え致しましょう」
「ありがとうございます」
ネルは頭を下げ、精霊の事について質問を行う。
「術士の場合ですと、精霊が魔法を決める。だが魔法士の場合だと人が使う魔法を決める事ができる、と本に書いてあります。魔法士は本当に望めばどんな魔法でも手に入るのですか?
タニアさんはご存知ですが、シャインさんの片腕は欠損していて、今は義手を使っています。それを治す事も可能でしょうか?」
クラッツは少し考えていたが、ネルの質問に答えを返した。
「魔法が手に入る、入らない、で言えば……。 その魔法も手に入るでしょう……。
ですが、その魔法がどの程度の精神力を使うかによると思います。
魔法士の魔法は、術士の魔法より多くの精神力を使います。私の考えでは、魔法士と術士は潜在的な精神力の量に違いがあると思います。
手紙には、ネル君も魔法士と書かれていました。実際に魔法を覚えた時より、今の方が魔法使用の際に感じる、精神力の負担は減っていると思います。それは当初から眠っていた精神力が開花し、使える精神力の量が増えているからです。潜在的な量は増えていません。
ネル君の希望する回復魔法が、貴方の潜在的な総精神力で使用できるなら、手に入れる事ができるでしょう。ネル君が欲している魔法は創造の部類に入ると思います。使用する精神力の量も相当必要だと思います。
後問題なのは、精霊の種類です。魔法士と術士の精霊は違います。
私もそしてネル君達も魔法士になれる精霊と出逢っていますが、それは幸運であったと思います。普通に生活していて、もう一度、魔法士の精霊に出会える事は無いかもしれません。
精霊は色んな条件で現れると考えています。例えば儀式や祈りや想いの力など言われていますが。私は地の力も関係していると思います。精霊の力に満ちた場所に現れやすいと言う事です。
私は今までに2度精霊に出逢っています。一度目が街で今の魔法を手に入れた時、後の1回はこの地で出会っています。この地はアスリカ山から流れる大河の力で精霊の力が強い、ここで生活をしていれば、いずれ出会えると思います」
「クラッツさんが、ここへ来てからどの位経ちましたか?」
「私は5年前からこの地にいます。本当はもっと山の麓にある施設で研究していたのですが、今回は魔獣の変異種に襲われた私をタニアが治療の為に、この村まで運んでくれたのです」
「それじゃあ、僕達も新しい魔法を手に入れる為には山の麓で5年以上は居ないと難しいと言う事ですか……」
「そういう事になりますね……。 ただ、山に登るにつれ、精霊の力も強くなります。もし山頂にいければ…… 精霊がいるかもしれません」
「解りました、僕達はさっそく山に登る準備を……」
ネルの言葉をクラッツが遮った。
「ネル君、ちょっと待ってください! 今は山に登らない方がいい。山で何か起こっている様です。
私も10年ほど居ますがこんな事態は初めてです。何が起こっているのか判明するまで危険な事は止めた方がいいでしょう」
「何が危険かを教えて下さい」
ネルの問いにクラッツが頷いた。
「それにはまず精霊について、もう少し説明します。精霊と契約すると、魔法士、術士になる事ができますが、実はもう一つあるのです……
それを変異と私は呼んでいます。ただし変異は人ではありません。魔獣と精霊が契約した時に身体の構造事態が変わっていく現象の事をいいます。
一般的には、魔法石を取り込んだ変種が有名ですが、変種よりも強く凶悪だと思ってください。
変種の場合は、身体の大きさが変わり力や皮膚の硬度など自身の持つ能力が強化されます。
変異種の場合は、変種以上に強力な強化に加え、普通では持ち得ない力を手に入れます。ただ、変異は今まではアスリカ山のみ生息していて、下山してくる事はありませんでした。
それが少し前に変異種が下山してきました。彼らは自分の縄張りから動く事は無かった……。 もしかすると、より強力な変異種によって追い出された可能性があります。下山した変異種が村の周りに新たな縄張りを作っています。だから、村から出ると非常に危険ですし、山にはもっと危険な存在がいます」
クラッツの話を聞き、ネルとシャインは顔を見合わせた。
「クラッツさん、村の周りにいる変異種はもしかすると、もう居ないかもしれません。今回下山してきた変異種は、頭が2つある魔獣では無かったですか?」
クラッツの顔が驚きにかわり、その表情からネルの推測の正しい事が予想された。
「どうして…… それを?」
「クラッツ! 私も変異種が死んでいるのを巡回中に発見している。もっと早く報告したかったが、クラッツの体調が悪化していたので、忘れていた。それとクラッツが欲しがると思ったから。ちゃんと牙も採取してきたぞ」
そういって、タニアは別の部屋に置いていたバックの中から牙を取り出し、クラッツに渡した。
「ネル君達に私の魔法をお見せ致しましょう。何故変異種が下山してきたのか? 何故変異種が死んだのか? それを私は知らねばなりません。私の魔法は物に刻まれた記憶を見る魔法です。あくまで物にしか効果はありません。人に使っても何も起きませんから安心してください」
クラッツは牙を手に取ると、目を閉じて集中していく。時々眉をしかめているのが気になる。
少し時間は掛かったが、クラッツは目を開けた後、一度深呼吸をして自身を落ち着かせていた。
「色々解りました。この牙の持ち主はやはり、変異種でした。長い間アスリカ山の一部に縄張りを張っていたようですが、他の変異種に縄張りを奪われ山を降りてから、この村の近くに新しい縄張りを作っていた様です。
アスリカ山からファイアーサーベルの変異種を追い出した相手は、魔獣ドウラの変異種です。
そして、ふもとに下りてきた、ファイアーサーベルの変異種を倒したのは、ネル君、シャインさん、貴方達ですね」
ネル達はクラッツの魔法が本物である事を理解する。それを肯定する様にネル達が頷くのを見てクラッツは話を進める。
「変異種を倒す事が出来る程の強者に、私は山へ登るなとは言えません。貴方達で話し合って、もし山へ向かわれるのでしたら、私の研究所に登山道具が残っています。タニアに研究所まで案内させますから、お使い下さい」
「クラッツさんも山に登っていたのですか?」
「私が今やっている事は、魔法を使って精霊の歴史を知る事です。山へ登り様々な資料を集め研究しています。
私の魔法は、物に刻まれた記憶を見ると言いましたが。記憶といっても、全てが解る訳ではありません、物に宿る記憶が1枚の精巧な絵となって現れます。正し自分で見たい状況を選ぶ事はできません。何枚か見える絵を並べ絵の間に起こった事を他の資料と照らし合わせて推測していきます」
「すごい魔法ですね」
クラッツは首を横にふり、ネルを見据えた。
「どんな魔法にも良い事ばかりではありません、欠点もあります。私は以前この魔法で罪無き人を罪人にしてしまった事があります。その事は今でも後悔しています。私がこんな場所にいるのも、そう言った理由からです。
ネルさんもどんな魔法も良い事も悪い事も起こる可能性があると覚えていてください」
クラッツはネルにそう伝えると病み上がりで魔法を使った事が負担になったのだろう。眠ってしまった
ネルはシャインの方を向き自分の意思を伝えた。
「シャインさん、行きましょう。アスリカ山に!」




