28話 魔法士ハイネ・クラッツ その1
「大河に守られている村がコーラル……」
呟くネルの正面には大河の端に浮かんでいる島があった。島の長さは随分長い。島の周囲には石垣が積み上げられており、治水対策と外敵から島を守っていると思われた。
子供の案内で、河の下流側へ少し歩いていく。すると石垣に切れ間があり、可動式の橋が設置されている。片方が地面に固定されており、逆側がロープによって吊り上げられている。人が通る時だけ橋を降ろすのであろう。
子供二人は橋の前で手を振り、村の方へ声をかけている。
「おーい。 おーい。 橋を降ろしてー」
石垣の上には男が1人立っており、子供に気が付き叫んでくる。
「マウロ! ノーラ! 何で村の外にいる? 勝手に出たら駄目だろう! 親に言いつけるからな~!」
そう言うと姿を消した。その後、橋が降ろされていく。
「ゲェ~! お母さんに怒られる。どうしよう……」
2人は顔を見合わせ、この後に怒られる事を想像したのだろう。しょんぼりと肩を落としていた。
橋が降りた後、村の方から先ほどの男が走ってくる。
「ドカ、ドカ、ドカ パシッ! パシッ!」
男はマウロとノーラの元へ走ってくると間を置かず、2人の頭を平手で叩く。
「うぅ~!!」
マウロ、ノーラと呼ばれていた子供は同時に頭を押え、うずくまって悶えていた。
「村から子供達だけで出て行って、今がどんなに危険な状態なのか知っているだろう! 魔獣にでも襲われたらどうするのだ! 死んでしまうぞ!」
2人の事を心配しているのだろう。言葉はキツいが、表情には安堵の様子が伺える。
頭を押えていた少女が男を見て得意気に状況を伝えた。
「動物に襲われたけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんが助けてくれたから。大丈夫、怪我してないもんね~!」
何故か両手を腰に当て、大きな態度で自分たちが危険な状況であった事を自慢していた。
「ノーラぁ~! 今、何を言った? 襲われて死に掛けたんだぞ! 解っていんのか? 何故森へと出て行った?」
男がノーラの頭を拳でグリグリ擦りながら、懲らしめていく。悲鳴を上げるノーラ。
だがその惨状を少年マウロが必死で止めようと男の両手にしがみ付き、訳を話し出した。
「ゴンゾーのおじさん! 止めて下さい! 僕達、薬草を採りに行っていたのです。クラッツ先生の熱が下がらなくて…… 僕達心配で…… 本当にごめんなさい」
「クラッツさんが…… チッ! 解った! もう村から勝手に出て行くんのじゃないぞ! お母さんに後で言っておくからな。さっさと村へ入れ」
そう言って、マウロとノーラは橋を渡り、村へと入っていく。ネル達の方を向きながら「ありがとー」と、声を出しながら手を振っている。ネルとシャインも手を振り返していた。
子供を見送った男は、ネルとシャインへ身体を向け直した。
「マウロとノーラを助けてくれたみたい様だな。君達も早く村へ入りなさい。今この辺りは危険だ」
男に言われるまま、ネル達は背中を押され橋を渡り村へと入っていった。
村へ入ると、すぐに橋は吊り上げられ、先ほどと同じ様に進入不可能な状況へと戻っていく。
「ゴンゾーさんでしたよね? すみません、凄く警戒していますが、何かあったのですか?」
「ああ、今は精霊の加護の力が弱まっている。森の近くまで魔獣が寄ってくる可能性があるのだ。離れた森では魔獣の変異が縄張りを作っていると教えてもらった。
今は調査団が調べに森へ入っているから、村は警戒中って訳だ」
ネルは解ったような、解っていない様な感じで曖昧な返事をしていた。
「ところで、アンタ達は何故この村へやって来た? 自慢じゃないが、この村は何も無いぞ?」
「僕達はハイネ・クラッツさんに会いに来たのです。家はこの村の近所だと聞いています。住いとかご存知ですか?」
ゴンゾーはクラッツの名前を聞くと、苦虫を潰した様な顔になっていった。
「クラッツさんは、今この村にいるぞ! でも今は魔獣に襲われて危ない状況なのだが……」
「!!」ネルは新たな情報の内容に驚いている。
「回復魔術士には見てもらったのですか?」
「それが…… 今は危なくて村から出られない。魔獣の変異が現れ出したのだ」
「先ほどから魔獣の変異って言葉を何度か聞きましたけど、変種の間違いじゃないですか?」
「よく解らんが、クラッツさんの話では、2種類あって今回は変異って言っているみたいだ」
「僕達をクラッツさんの居る所へ案内してくれませんか?」
ネルはゴンゾーにそう願い出た。ゴンゾーは2人の姿を頭から足へと見渡している。怪しいものか様子を伺っている風であった。
「君達はクラッツさんの知り合いか? 彼に会って何をするのだ? 今は状態が悪いと聞いただろ!」
「僕達はクラッツさんに聞きたい事が会ってここへきました。でもクラッツさんが怪我をしている事をここで知りました。
僕達もここへ来る前に旅の準備で薬草なども用意してきています。何かお役に立てるかもしれません」
ゴンゾーは少し考えている様子であったが、薬草を持っている言葉に惹かれたのだろう。
「付いて来なさい」と言うと歩き始める。ネル達はゴンゾーの後を追った。
向かった先は1軒の民家であった。ゴンゾーはドアをノックし中へ入る。家の中には1人の年配の女性が椅子に座っており、その横のベッドに男性が寝込んでいた。汗を大量にかき息も荒い状態であった。
「エルアナさん、クラッツさんの状態が悪いと聞きましたがどうですか?」
「ゴンゾー、見に来てくれたのかい。朝から熱が上がりでしてね…… 状態は良くないよ」
ベッドで眠っているクラッツを見ながら、エルアナは今の状況にため息を付いた。
「実は、クラッツさんを尋ねて来た者が薬草を持っているらしくて、ここへ連れて来た。会わせてもいいか?」
「お前がそう判断したなら、私は構わないよ。この村の薬草も残り少ない。その人達が持っている薬草に期待しようじゃないか。」
ゴンゾーはネル達をベッドの傍へ案内すると「よろしく頼む!」と一礼をする。
2人はベッドを挟み込む様に両側へ立ちクラッツの様子を観察していく。シャインはまず首元と手首の脈をはかり、その後脇の下へ右手を差し込む。
ネルはその間にクラッツの状況を再度確認していた。
「クラッツさんは魔獣に襲われたと聞きましたが、何処かに怪我をしているのですか?」
その質問にエルアナが答えた。
「肩に攻撃を受けた様で、肩から肘かけて傷がある。結構深く抉られておって。それも発熱の原因かもしれん……」
「傷口を見てもいいですか?」
ネルの確認に無言でエルアナが頷いた。シャインは毛布をずらし、着ている肌着を慎重に脱がしていく。クラッツは全身から大量の汗をかいていた。左手の肩から白地の布が当てられており、薬草を染み込ませているのだろう。布全体に黄緑色で濡れており、傷跡に沿って黄色く変色していた。
2人は布を取り除き傷口に注意を向ける。
「化膿していますね。傷口の周りに膿が溜まっているようです。取り除いた方がいいでしょう」
「解りました。僕がお2人に説明します。シャインさんは準備をお願いします」
ネルは振り向くとゴンゾーとエルアナに膿の摘出方法を説明していく。ナイフを使うので心配されない様に実際に傷口を見てもらいながら説明を行った。
その後、シャインは綺麗な水をゴンゾーに持ってくるよう依頼し、他にもナイフと布をいくつか用意していく。
ネルは眠っていたクラッツに声を掛け、なんとか目覚めさせ状況を説明する。
熱で集中力が低下しているクラッツであったが、何とか理解し頷いて了承している。ネルは布を何重にも折って厚みを持たせた布をクラッツに噛ませ、痛みで下を噛まない様注意をする。
水も用意できシャインはクラッツの膿を摘出していった。
クラッツから声にならないうめき声が聴こえてくる。その場にいるだけで力が入ってしまう状況であった。傷口に沿って数箇所の膿を取り出し、水で洗浄を行う。新しい布にネル達が持ってきた、薬草を湿らせ、傷口にあてる。その時に体全体の汗も拭いとり、清潔な状態をたもった。
一通りの治療を終えた後に、ネルは別の薬草を取り出す。ネルが故郷で発見していた。ネル草であった。それを煎じてクラッツに飲ます。
「僕達はこのままクラッツさんの傍で看病を行います。もし信用が置けないようでしたら、他の人もいてくれて構いません」
その時、入口のドアを開け1人の女性が入ってくる。
年は20台後半だろうか、引き締まった身体で使い込んでいる鎧を着用しており、髪は黒く動き易そうに肩までで揃えられている。目は鋭く、装備と同様に修羅場を潜った雰囲気をかもし出していた。
「エルアナ婆、クラッツの様子は……」
そう声を掛けようとした彼女の正面には、床には血痕が飛び散り、ベッドの横には血の付いたナイフがあり、見知らぬ者が2名クラッツの周りにいる。クラッツ自身も眠っているので動いていない。
瞬時に怒りに満ちた表情に変わると。腰に下げている剣を抜き取り、シャインへ斬りかかっていった。
「クラッツに何をした~!」
一番近いシャインの頭部へ向かって、問答無用で斬り付けた。
シャインはかわす事も出来る筈だが、その剣を左腕の義手で受け止めた。
その瞬間、女性の背後からネルが羽交い絞めで動きを止めようとする。暴れる女性を唖然と見ていたゴンゾーがハッと正気に返り、ネルと同様に女性にしがみ付きながら声を荒げた。
「タニアさん、落着け! クラッツさんの命の恩人達を殺す気かぁ~! 彼女達は治療してくれたんだ!」
「え??」
手に持つ剣を床に落し、先ほどまでの剣幕をどんどん崩していく。
「じゃあ、クラッツは死んでないのか?」
タニアの問いかけにエルアナが呆れた様子で答えた。
「このバカ者が! 彼等が治療してくれるまでは、危ない状況だったが、今は落着いてきておる。安心せい!」
「よかったぁ~ ……うぁぁぁん~」
ネル達の拘束から開放されたタニアは重力に逆らわず、尻餅を付き安心した為か泣き出してしまった。
タニアの気性の変化にネル一同、戸惑うばかりであった。
その後、タニアの謝罪の嵐が訪れたが、ネルもシャインも気にしている様子もなく。3人で看病を続ける事となった。定期的に汗を拭き傷口の布を新しい者にかえていく。薬を飲ませ様子を伺う。
何故かタニアは汗を拭くとき、部屋から逃げていく。その代わり綺麗な水を桶一杯に運んでくるのだ。その様子に笑みを浮かべているネルを横目にシャインはクラッツの回復状況を確認していった。
それから2日が経過しクラッツはベッドに寝たままだが会話を交わし、食事を取れるようにまで回復していく。




