第六話
(クリスティーン)
「お久しぶりです、大賢者クリスティーン。 はじめまして、カクラ様。」
と、涼やかで耳に心地のよい鈴の音のような、それでいて、どんな喧騒の中でも聞こえてきそうな力のある声が聞こえてきた。
私達が声のした方に顔を向けると、そこには一才くらいの赤子を抱いたハイエルフの美女がいた。
そのハイエルフの美女は地に付きそうなまでに伸ばした透けるような新緑色の髪を風に靡かせ、エルフより短めの尖った耳に掛かった髪を手でかき上げつつ、誰もが息を呑んで見惚れる美しく均整の整った顔に柔和な笑みを浮かべ、私たちの方へゆったりと歩いてくる。
その優雅で気品のある洗練された身のこなしは、王者の風格を漂わせていた。
そんな彼女を見てカクラは口を開け目を見開いて、ぼーっと眺めていた。
子供達が生まれて一月程が経ったこの日、天気もいいので私とカクラは家の庭先の木陰に揺り籠を置いて、子供達をあやしながらお茶を飲んでいた。
「お久しぶりで御座います。アルス公爵殿下。」
と、アカガネとクロガネが軽く会釈をする。
「久しぶりね、アカガネ、クロガネ。」
アルス公爵殿下と呼ばれたハイエルフの美女は、柔らかな笑みを湛えたまま軽く挨拶を返す。
「わたくしも、お茶をご一緒させて頂いてよろしいでしょうか?」
「・・・何をしに来たんだい?アジーナ。」
と、私が怪訝に思い聞き返すと、
「千里眼の大賢者様なら分かっておいでだと思ったのですが? ・・・貴女に孫がお生まれになった、と聞きましたのでそのお祝いに。」
「ふん!何を言ってんだい!」
「貴女が可愛がっている娘の子なら、貴女の孫も同じだと思ったのですが?」
と、アジーナは悪びれる事無く、楽しそうに微笑みながら言う。
照れ隠しに怒鳴ったのを見透かされている気がして、私はさらにアジーナを睨み付ける。
「すみません、冗談が過ぎました。・・・こちらに身を置かれている前東神名国 国主のご息女、神名カクラ様がお子をお生みになったと聞きましたので、そのお祝いに駆けつけました。何の前触れも無く参ったこと、深くお詫びいたします。出来れば我が娘をカクラ様のお子の友としていただければと思い連れて参りました。千里眼の大賢者クリスティーン様には、わが娘の里への立ち入りご許可いただき感謝いたします。」
と、アジーナは片腕で愛おしそうに抱いている、アジーナの娘というだけあって可愛らしくも見目麗しい赤子を、もう片方の手で支えながら軽く会釈した。
「ふん、里の結界の近くにお前さんとその子の気配を感じたからね。」
・・・・・。
「で・・・どうするね?カクラ。」
と、呆けているカクラに私が声を掛けると。
「・・・え?あ、はい!!(ガタ!!)あの・・(スー・ハー)・・すみません、取り乱してしまい。・・・お初にお目にかかります。わたくし、ひが・・・いえ、カクラと申します。」
カクラはバネ仕掛けのオモチャのように椅子から飛び上がったかと思うと、今度は深呼吸をして跪いて挨拶をしようとする。
アジーナは慌てて、
「カクラ様!お止めください!貴女が私に対してその様な礼をする必要はありません。本来ならば、私と貴女は同等の立場なのですから。」
と、カクラが、民が王族に対してするような礼をしようとするのを止めた。
「いえ、わたくしは国を追われた身。そして、この里で暮らし子を産んで思ったのです。この子達の事を考えれば、ここでひっそりと暮らしていくのがこの子達の為なのではないかと。そして、夫とも相談し私は国を捨てる事にしたのです。ですので、貴女と並び立つなどとても・・・。」
と、カクラは頭を下げ言う。
「そうですか・・・残念です。貴女が国を取り返すとおしゃるのなら、表立っては無理ですが陰ながら支援させて頂こうと思っていたのですが・・・。噂の東神名の鬼姫の勇姿が見られるかと楽しみにしていたのです・・が・・・ 分かりました。この隠者の森は我が国の外にあります。ですので、私もここでは王妹や公爵等ではなく、ただのアジーナという一人のエルフとして貴女の友人にしていただけないでしょうか?」
と、アジーナはカクラに優しく微笑みかける。
カクラは私に、どおしましょう、と困ったような顔を向けてくる。
「アルブァロムの光皇女を、友人に持っておいて損はないと思うよ。」
と、私が言うと、
「そうですか、・・・クリスティーンがそう言うのでしたら・・・改めまして、カクラです。これからよろしくお願いします・・・ね。・・・えっと・・・。」
「アジーナ、とお呼びください、カクラ。こちらこそよろしく。」
と、二人は微笑みあい手を握りあった。
その容姿は誰もが目を奪われるほど優美で、その洗練された立ち居振る舞いは優雅で気品があり王者の風格を漂わせる。また、レイピアを握らせれば、その剣速は光の如し、と言われるほどの腕前だと言う。それでいて、他の領地で飢饉などの食糧難や災害で民が苦しんでいると聞けば、自ら王や他の領主に掛け合い民の為に食料などの支援をする。気高く心優しい、王妹でありアルス公爵でありシャイナ教大神官でもある、アジーナ・ポート・アルスの事を国民は親愛の念を込めて、アルブァロムの光皇女と呼んでいる。
それを聞いた時小さい頃のアジーナを知る私は、あのお転婆姫も随分と変わったものだ、と思ったものだ。
「ああ・・・そう言えば、お前さんはカナコが風の魔物と呼ばれ暗殺者として恐れられていた時に、カナコが仕留め損ねた唯一の標的だったね・・・。」
ふと、カクラの家の方を見ると、カクラに何か用事があったのだろう、表に出てきていたカナコがアジーナに気付き仰け反り青ざめて固まっていた。
それを見たアジーナが、ニヤーと腹黒い笑顔を見せていた・・・・・。
私はそれを見て、
・・・うん、根は変わってないね・・・
と、思いなぜだか嬉しく感じた。
「まあ、立ち話もなんだ、アカガネが持ってきたその椅子にでも座りな。」
と、アカガネが気を利かせて持ってきた椅子を勧める。
「ありがとう御座います。」
と言って、アジーナは腰を掛ける。
「ところでアジーナ、公爵で大神官のお前さんがこんな所に来ていていいのかい?」
「はい。お蔭様でいい部下に恵まれていますから、一週間と四日の休みという事で避暑に参りました。」
と、アジーナはニッコリと笑って言う。
「・・・あんたの部下になる奴も大変だ。・・・て、あんた、今しれっととんでもない事を言ったね。・・・一週間もここに居る気かい?」
「ええ、・・・いけませんか?」
と、アジーナは悲しそうな顔をして言う。
男なら、一発で落ちそうな顔だ。と、思ったら女も一発だった。
カクラが、私からもお願いします、と言うような顔でこちらを見ている。
「はあー。」と、私は一つため息を吐き、
「アジーナ。お前さんも知らない訳じゃあるまい。たとえ、この里を作る時に個人的に助力したとはいえ。ここは、ハーフエルフの里なんだよ。エルフしかもその王族であるハイエルフにいい感情を持っていない者たちばかりが集まっているんだ。そこに、一週間もアンタやその子供が居たら、何が起こるか知れたものじゃないよ。」
と、話していると、
「いえ。アジーナ様なら大歓迎ですよ。」
と、いつの間にか来ていた里長のハインツが声を掛けてきた。
誰かがハインツにアジーナの事を知らせたのだろう。
ふと、周りを見回すとかなりの数の里の者達が集まってきていた。
「この里を作るとき、仲間を集めるのにアジーナ様にご助力いただいたのは里の者も皆知っていますし、その上、我らが主であるカクラ様のご友人ともなればなおの事、歓迎こそすれ危害を加える者など居りません。」
そう言って、ハインツは「その節は、お世話になりました。」と頭を下げた。
周りに居る里の者達の中にも、何人も頭を下げている者たちが居る。
「いいえ。私も何とかせねばと思いながら、何も手を打てずにいたときにこの里のことを聞いたのです。私にとっても、渡りに船だったのですよ。」
と、アジーナは優しく微笑んだ。
「まあ、里長のハインツがそう言うんなら、私は構わないんだがね。だが、お前さん、まだ命を狙われたりしてるんだろ?そっちの方は、大丈夫なのかい?」
「出来れば黒幕をクリスティーンの千里眼で突き止めていただければ有難いのですが。」
「・・・悪いけど・・無理だね。救世の星が降りてから未来が揺らぎまくって、全くと言っていいほど見えなくなっちまったよ。」
「そうですか・・・まあ、そっちもここに来た事で何とかなりそうです。黒幕について証言が取れそうな人物に会えましたから。ねえ、カ・ナ・コさん。」
と、アジーナは微笑みながら、その笑っていない目のスカイブルーの瞳を、未だに動けずに居るカナコの方へ向けた。
カナコは「ひっ。」と、小さく悲鳴を上げて縮こまる。
・・・よっぽど手痛い返り討ちにでもあったのだろう・・・まぁ、おおよそ検討はつくが・・・
カナコは助けを求めるように、縋る様な目をカクラに向ける。が、カクラは、ご愁傷様でした、と言わんばかりにカナコに手をすり合わせていた。
カナコは観念したように、ガックリとうな垂れた。
「では、アジーナはカクラの屋敷に泊まるという事で決まりだね。」
と、私が言うとカクラも頷いて了承する。
カナコは地に頽れていた。
「カナコさん、よ・ろ・し・く・ね。」
と、アジーナはカナコを見て、またニヤーと腹黒い笑みを浮かべた。
「・・・はい。」
と、カナコは滂沱の涙を流しながら、魂の抜けたような表情で返事をした。
カナコは何故、アジーナにここまで怯えているのか?
アジーナは子供の頃から男性女性分け隔てなく接してきた・・・色々な意味で・・・。
恐らく、カナコはアジーナを暗殺しようとして逆に捕まり、黒幕を吐かせるための取調べと称して、抵抗できない状態にされアジーナの閨に引きずり込まれそうになり危ういところでなんとか逃げ出した、というところだろう。
・・・その時のトラウマがカナコをここまで怯えさせているのだろう・・・
その日の夜、子供達が寝静まった頃、「いいお湯でした。」と、アジーナが風呂から出て来たのをカナコは見止めると、そそくさと部屋を出ていこうとする。
その服を掴みアジーナがある意味いい笑顔で、「さあ、カナコさん、話を聞かせていただきましょうか?」と言うと、「いえ、私にはまだお勤めが有りますので。」と、アジーナの手を振り払おうとする。
「大丈夫です。カクラの許可は取ってあります。」
と、アジーナが言うとカナコは涙目でカクラを見る。
「・・・・ゴメンね、カナコ。」と、カクラは目を明後日の方向へ向ける。
「大丈夫、夜は長いわ。最初は痛くても直によくなるから。」
「って、話を聞くだけですよね?」
「大丈夫。大丈夫。」
「・・・ねぇ、何が大丈夫なの?ねぇ、何が・・・」
「ほーほほほほほ・・・」
「いぃーやぁああああ・・・・」
・・・。
「ねぇ、クリスティーン。」
「なんだい、カクラ。」
「アジーナって最初、品行方正で、どちらかというと堅苦しいくらいの人かと思ってたんだけど・・・話してみると気さくで親しみやすくて、冗談まで言える人だったんですね。」
「ははは・・・どちらかというと、今のが地だね・・・」
「へぇー、そうなんですか・・・でも何故、カナコはあんなにも怯えてたのかしら?一度自分が殺そうとした人物だからかしら?アジーナは今はカナコのしたことは何とも思っていないと言っていたけれど・・・」
「そうだね・・・それじゃぁ、私はこれで御暇するよ。」
アジーナは高笑いをし絶叫をするカナコを自分の巣、いや部屋へと引きずり込んでいった。
カクラはアジーナの性癖を知らないため、アジーナが冗談を言っていると思っているようだった。
私はそれを見届けカクラの話に適当に返答をした後自分の家に戻ったのだが、翌朝カクラの家に行ってみると、仁王立ちしたカクラは目の下に隈を作りその後ろではカナコが「もう、お嫁にいけない。」と呟きながらさめざめと泣き、何故か肌の艶が増したようなアジーナはカクラの前に正座させられていた。
「アジーナ。カナコには話を聞くだけと言ってましたよね。」
「・・・はい。」
・・・・。
「それで・・・何故、その・・・カナコの悲鳴のような甘い声が一晩中家の中に響き渡っていたのですか!どんなに部屋の扉を開けようとしても開かないし!」
と、カクラが言うとカナコは耐えきれなくなったのか、うわーん、と泣き出した。
「ああもう、カナコ、大事なものは奪われていないのでしょう。」
と、カクラは片手でカナコを宥めるように頭を撫でながら言うと、カナコはコクリと頷いた。
「だったらもう泣かない。」
と、カクラが言うとカナコは泣くのを耐えようとシャクリあげる。
そして、カクラが睨み付けるようにアジーナに目を向けると、アジーナは苦笑いを浮かべながら「カナコが私好みの容姿をしていたものですから、つい・・・」と、言った直後、ゴン!と鈍い音が室内に響き渡った。
・・・カンザブロウはいいとして、キリマルが居なくてよかったよ。いろんな意味で・・・
と、思いながら、その部屋に響き渡った音を聞きつつアジーナの性癖を知っていた私は、そっと扉を閉めた。
後で聞いた話だが、カナコは黒幕については暗殺者ギルドの者が口を滑らしたのを聞いて覚えていたらしい。
その後、三人は中直りしたようだが、アジーナはカクラにカナコに二メーター以上近づくことを禁じられたのは言うまでもないだろう。