第参十五話
(凰)
神輿馬車の乗降口にある幕を、後ろに付いてきていたシャリーナ姉さまとクロガネが開いてくれていた。
僕はその乗降口のステップを踏み中に入る。
中に入ると床には最高級の絨毯が敷き詰められ、そこに外枠に使われている物と同じ銀の棒が四本立てて取り付けられている。
その上には見事な装飾彫りが施された半球状の金の天蓋が取り付けられていた。
恐らくこの半球状の天蓋の上に鳳凰の彫像が乗せられているのだろう。
その神輿馬車の天井は天蓋以外は美しい刺繍を施された布で覆われ、砂漠の太陽の強い日差しを柔らかなものにして車内に引き入れていた。
その四本の銀の棒を床から一メーター位の高さで丸く囲うように銀の板が取り付けられている。
その銀の板には、恐らく鳳凰を題材にしたものだろう美しい彫刻が施されていた。
その銀の板が切れている前方から中を覗くとその円筒状の中一杯に座り心地の良いクッションのような一人掛けのソファーが納められている。
・・・ここに座るのかな?・・・と、僕が考えていると「シャイン様、どうぞそこにお座りください」と、僕に付いて神輿馬車に乗ってきたサーシャが僕に声を掛けてきた。
僕はサーシャに促されそのソファーに腰を落ち着けた。
それを確認するとサーシャはその銀の円筒状の後ろに設けられた弾力のありそうな革張りのベンチシートに腰を掛ける。
僕がソファーに腰を落ち着け前を見ると、神輿馬車の前面には簾が掛かっていた。
・・・この場合、御簾って言うのかな・・・
その簾から見える御者台にアジーナおばさまとシャイナ教の聖騎士クーレ・カトレナーゼさんが座る。
「では、出発致します」と言うクーレさんの声に合わせて、神輿馬車の先頭に立つシャイナ教聖騎士団の男性聖騎士が、「出発!」と声を上げる。と同時に、鞭の音が聞こえガコッという軋み音と共に馬車が動き出した。
時折揺れる神輿馬車の両側面の幕の隙間から馬車の進行方向に向かって右側にシャリーナ姉さま左側にクロガネがそれぞれ馬に乗っているのが見える。
シャリーナ姉さまは初めて合った二年前と殆んど姿は変わっていなかった。
魔神族特有の艶やかな黒髪に額の左右から生え頭に沿うように伸びる角、それに小麦色の肌、顔は均整が取れていてとても美しい。
体は鍛えぬかれているが女性らしい曲線は失われていない。
今はその体に厚手の半袖シャツと膝までのパンツ、その上に革鎧等を付けた冒険者の姿をしている。
クロガネは、艶やかな黒髪に白磁のような白い肌、均整の取れた顔に妖怪人独特の高い鼻、体は鍛えられているが女性らしい脹よかさがある。……何と言うか、はっきり言ってクロガネは僕が生まれた時から全く姿は変わっていなかった。流石は長命種という所か……しかも衣服もその当時から変わっていない。いや、確かに毎日清潔な服に着替えてはいるのだが……クロガネが持っている服は全部同じ色同じデザインなのだ。
・・・・よっぽどこの服が好きなんだろうなぁ・・・
そして二十人程のシャイナ教聖騎士団が聖甲冑を身に付け馬に乗り僕を護衛するためその周りを固めていた。
そのシャイナ教聖騎士団の聖甲冑は二年程前僕が全て補修強化しておいた。
そしてシャイナ教聖騎士団の前後に恐らくジャカール帝国の護衛の者達がいるのだろう。
ガタゴトと馬車の揺れる音を聞いていると、次第に周りから人がザワつくような声が聞こえ始める。
どうやら一時的に港近辺は人の出入りを制限していたみたいだ。その港を出て大通りに入ったのだろう。
簾から透けて見えるその大通りの沿道には大勢の人集りが出来ているようだった。
『なんだか凄い人だね』
『そうだな』
『何でこんなに人が集まってるんだろう?』
『さあな………まあ、それだけシャイナ教の信者が多いということなんじゃないのか?』
『ふぅーん、そうなのか……』
・・・・。
沿道の喧騒を聞きながら僕は船でのアジーナおばさまやサーシャとのやり取りを思い出す。
・・・この聖衣といい神輿馬車といい、やっぱり、どう考えてもアジーナおばさまとサーシャは僕を神聖視し過ぎてる気がする・・・というかエルフは全般的に僕を神聖視し過ぎてる・・・そういえば前にクリスティーン婆さまに相談した事があったけど・・・「それは仕方のない事だね。鳳凰はエルフにとっては至上の神で、お前さんはその鳳凰なのだから」と、当然のような顔をされ、「まあ、諦めな」と、いい笑顔で言われたんだった・・・う~ん、鳳凰の生まれ変わりと言われても僕にその自覚は無いんだけど・・・いや、確かに神代の頃の記憶も断片的には有るんだけど・・・
僕がハアッとため息を吐いた時、ガコッガタタ!と馬車の後輪が何かを踏みつけ大きく車体が動揺した。かと思った時、ギャーーーッ!という子供の悲鳴が上がる。と同時に、沿道の人達から悲鳴が上がった。・・・何事か!?・・・と僕は一瞬思ったが次の瞬間には神輿馬車から飛び出そうと動いていた。
「シャイン様!お待ちください!!」
そのサーシャの声が後ろに聞こえた時には、僕は既に神輿馬車を駆け降りていた。
(シャリーナ)
私がシャイン様にお仕えするようになって二年が過ぎた。
私の従姉にあたるカクラ姉さまによると、シャイン様は私と会うまでは隠者の里でカクラ姉さまの息子として、普通の人として過ごしてきたらしい。
そのためか、ご自分がこの世界を産んだ神、鳳凰様であるという自覚がシャイン様には無いように私には感じられる。
シャイン様は側に仕える私達に常日頃から「普通の人として接して欲しい」と言われている。
しかし、鳳凰様の力に目覚められてからは、体表面に抑えているとはいえ体全体から放たれる神威とあのお姿により、シャイン様が幼い頃から身近にいた者達以外はその神々しい姿を直視出来る者は無く、私でも最近やっと普通に接する事が出来るようになったばかりだ。
・・・シャイン様に会ったばかりの頃はまだ鳳凰様の力に目覚めておられなかったから、微かに神々しさは感じていたが普通に接する事は出来ていた・・・しかし、鳳凰様の力に目覚められてからは、その神々しさに気圧されることが屡々(しばしば)あった・・・
クリスティーン様によると「まだシャインは凰の神威を体表に抑えているからいいが、もしその神威を解き放ち神域を広げたら、その中でまともに動けるのは私と、ゼンオウとゴオウの力を受け継いだ者達くらいのものだろう」という事だった。
あと、シャイン様は自覚が無いようだが、 シャイン様の神威は抑えられていてもその力の影響を受ける範囲は聖域と化している。
隠者の森を覆っていた鳳凰様の力に目覚める前のシャイン様の力は乱世の狂気を近付けさせないほど清浄なものではあったがその本質は無垢で、その力の神聖は薄くその影響範囲は聖域とまでは言えなかった。
ただ、今現在シャイン様は神威を抑えているためその聖域の範囲も小さい。恐らくシャイン様を中心として半径一キロメーター程度といったところだろう。
シャイン様はその事に気付いておられない。
クリスティーン様もその事をシャイン様には知らせていなかった。
クリスティーン様曰く「今までもそうだったが、シャイン自身が実感しなければ誰が何を言おうとシャインには分からないだろうし理解できないだろう」ということだった。
今回の事は、それを実感していただくいい機会になるだろう。
私がシャイン様の事を考えていると、クロガネさんとアジーナ様との話し声が聞こえてきた。
「アジーナ、エンドウニヒトガ、アツマリスギテイル」
「そうですね……少し速度を上げましょう」
確かに沿道に人が集まりすぎている。
恐らく、一目でも鳳凰様の生まれ変わりと言われている光の神子様の姿を見ようと集まってきているのだろう。
・・・だが、この密集度は異常だ・・・シーガルの治安兵だけでなくジャカール帝国のシーガル駐屯兵も出て沿道の人の整理にあたっているが、このままだと人垣が崩れてこちら側に雪崩れ込んでくるかもしれない・・・
私が神輿馬車の進行方向の先に目を向けると、その気配を感じさせる場所があった。
・・・不味い・・・このまま進めばシャイン様の神輿馬車が通過する直前にあの人垣は崩れて雪崩れ込んでくる・・・
私はそう判断すると、少し歩速を早めた馬から飛び降り隣にいるシャイナ教の聖騎士に「馬を頼む」と手綱を預ける。
そして、駆け出し神輿馬車を追い抜きざまに反対側にいるクロガネさんと御者台にいるアジーナ様に「シャイン様の事、お願いします」と声を掛けた。
私がその場に辿り着いた時、治安兵と駐屯兵達は崩れようとしている人垣を必死に押さえようとしていた。
「あと少しだ! 踏ん張れ!」
私は声を掛けると同時に兵達が持つ人垣を抑えている棒を掴む。と同時に、その棒に掛かる人垣の力を上手く操作してその力を左右に分散させる。
その操作が上手くいき一先ず人垣が崩れる恐れが無くなった頃ちょうど神輿馬車がそこを通りかけ、ホッと一息ついた。その時、私から少し離れた人垣の足元から数人の子供達が押し出されるように神輿馬車に向かって飛び出してきた。
私が・・・しまった!・・・と思った時は既に遅く、その子供達の一人が神輿馬車の下に潜り込む。と同時に、神輿馬車が大きく揺れ悲鳴が上がった。その直後、動いている馬車から人影が飛び出してきていた。
・・・シャイン様!?・・・まったく! 後先考えずに行動する!・・・ここは隠者の里でもアルヴァロム王国でもないというのに・・・
私は慌てて人垣を押さえている治安兵らに「後任せて大丈夫か?」と言うと、「はい」と言う返事が返ってきた。それと同時に、私はシャイン様の元に向かっていた。
(凰)
僕が神輿馬車を降りて悲鳴を上げただろう子供の所に向かうと、既にシャイナ教聖騎士団の女性聖騎士が子供の治療に当たっていた。
「お願いします! この子を、この子を助けてください!! この子が助かるのなら私なんでもしますから!!」
その女性聖騎士に、狼のような尻尾に耳、そして鼻筋の通った犬顔の灰色のボロ服を着た女性がすがり付き懇願していた。
「落ち着いて下さい、お母さん。お子さんの命に別状はありません。ただ……」
「ただ、何ですか?」
「ただ、足は元に戻らないでしょう」
女性聖騎士の容赦ない言葉を聞き、その子の母親は顔を青ざめさせ泣き崩れてしまった。
「そんなに酷い怪我なんですか?」
と、僕が問いかけるとその女性聖騎士は、
「右足の太股が完全に潰され断ち切られています。再生は無理ですね」
と、難しい顔をして僕の方に振り返り、そして固まった。
「あの………大丈夫ですか?」
「ひゃい! あの、その、えっと………」
僕が再びその女性聖騎士に声を掛けると、その女性聖騎士は動揺しているのか変な笑顔になりながら僕に返事をしようと必死に口を動かしていた。
因みに僕は頭の先から足の先まで聖衣に包まれたままなのだけど……。
「シャイン様、初なエルフ女性を萎縮させるのはいい趣味とは言えませんよ」
僕が声のした方に振り返ると、そこには呆れ顔のシャリーナ姉さまとクロガネが立っていた。
そして、僕の周りにはシャイナ教聖騎士団の聖甲冑を着た聖騎士の、人の壁が出来ていた。
「それに無防備に外に出られるのは危険です。自分のお立場を考えてください」
「いや、だって子供の悲鳴が聞こえたから……」
僕がその子供の方へ目を向けると、いつの間にか来ていたアジーナおばさまがその子供の様子を診ていた。
「足の断裂部の止血は済んでいますね。ですが、筋肉や筋は潰れ骨は砕けています。先ほど彼女が言ったように足を繋げて再生させる事は不可能でしょう」
・・・・。
「分かりました……一度僕に任せてください」
そう言うと僕は拒否しようとしているアジーナおばさまを押し退けるようにしてその子供に近づく。
その子供を見るとボロの服を着ているが、尻尾や耳、髪の毛や体毛は艶やかで狼を連想させるものがあった。顔は鼻筋の通った犬顔の可愛い男の子だった。
その子は精霊魔法で眠らされているようだが、その表情は苦痛に歪んでいる。
馬車の車輪に踏みつけらた太股の断裂部は精霊魔法で止血され出血は止まっているようだが、潰れた肉片と砕けた骨片がその地面に擦り付けられたようにあり、その周りに大量の血溜まりが出来ていた。
・・・うっ・・・これは酷い・・・何とかこの子が今まで通り生活出来るようにしてあげなきゃ・・・
僕はそう心に決めると、その子を僕のマントの中に入れるように覆う。
そして、右手の手袋を外して分断された太股の胴体側を右手で足側を左手で持つ。すると、その子の足の断裂前の姿が頭に浮かぶ。それを意識して僕は【復元再生】と唱えた。
その数瞬後、左手で持つ足側の太股に血流が戻り脈打ち始めるを感じる。
・・・うん、もう大丈夫かな・・・
僕は右手に手袋をはめ立ち上がるとその子から離れ、太股の断裂していた部分を確認する。
『おお、流石は生を司る神、凰だな。断裂どころか怪我もまるでしていなかったように再生している』
『神なんて、やめてよ鳳』
・・・。
『そうだな、神と言われても俺達にそんな自覚は無いからなあ』
『そうだよ』
等と僕は鳳と会話をしながら、
「それじゃー、眠りの精霊魔法を解いてあげて下さい」
と言うと、女性聖騎士は僕に丁寧に頭を下げ、獣人の子供に呪文を唱えて眠りの精霊魔法を解いた。
「ん、うん……あれ? 僕、どうしたんだっけ?」
と、その子供が目を覚ますと、
「マルコ! ああ、良かった!」
と、泣き崩れていたその母親がその子供マルコを抱き締めていた。
「坊や、足の具合はどうだい?」
と、僕がその子供に問いかけると、
「あっ! そういえば……」
と、その子供は自分の右足を馬車に踏まれ断裂していたことを思い出したのか、顔を青ざめさせて右足の太股を恐る恐る見る。が、
「あれ? 何ともなってない?」
と、不思議そうな顔をして呟いた。
「違和感とか無いかい?」
「うん……何ともない、よ」
「そう、それなら良かった」
僕とマルコが話していると、マルコを抱き締めていた母親はハッと気が付いたように僕の方を見て頭を下げた。
「ありがとう御座います! ありがとう御座います! このご恩は一生忘れません!」
「ああ、そんな、いいですよ」
僕は手を振りその母親に応える。が、その母親は僕の姿を見て徐々に顔を強張らせていく。そして、
「すみません! すみません! まさか光の神子様とは気付きませんでした。………ほら、お前も頭を下げてお礼を言いなさい」
と、息子の頭を押さえつけるようにして自分は地面に額をすり付けるほどに頭を下げていた。
それに対して僕は、あははは……、と笑うしかなかった。
「お母さん、もう息子さんの手を離したらダメですよ。……坊や、もう道に飛び出したりしないようにね」
「うん、ありがとう神子様」
「本当にありがとう御座いました。光の神子様」
獣人の母子は一頻り僕にお礼を言うと、シャイナ教聖騎士団の壁をすり抜け沿道の人混みの中へと戻って行った。
『鳳、あの親子を見てると前世のお母さんの事を思い出すね』
『ああ、そうだな……』
僕は獣人の母子を見送りながら前世の働き者の母親の事を思い出し、少しセンチメンタルな気持ちになった。
・・・。
『今はカクラ母さんがいる。他にも大切な人達がいるんだ。前世とは違う』
・・・。
『うん、そうだね』
その時、その母子が戻って行った沿道にいる人達が「おお、神の御業だ」「やはり光の神子様は鳳凰様の生まれ変わりだ」等とザワつき始める。と同時に僕は「うっ!」と呻いた。
その時、いろんな想いの籠もった感情が僕に襲いかかってきたのだ。
今までに感じた事のない、いろいろな想いの籠った感情の奔流に翻弄され僕は目眩を起こす。
「シャイン様! 大丈夫ですか?」
そんな僕を近くにいたサーシャが支えてくれる。
「シャイン様、早く馬車に戻りましょう。神輿馬車には人の想いや感情を遮断する精霊魔法が掛けてありますから」
「うん……」
僕はサーシャに支えられるようにして神輿馬車に戻る。
神輿馬車の中に入れると僕に向けられる人々の想いや感情は感じられなくなった。
『うっ、でも、まるで頭をシェイカーにかけられたみたい………気持ち悪い』
『大丈夫か? いろいろな感情を含んだ想いが一気に流れんできた感じだったからな……』
『うん………鳳は大丈夫なの?』
・・・。
『ああ、俺は大したこと無かったな』
『そう……』
「シャイン様、大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう、サーシャ。……何とか大丈夫」
サーシャは僕をソファーに座らせると心配そうに声を掛けてくる。
「シャイン様、これに懲りたら勝手な行動はお慎み下さい。ここは隠者の里やアルヴァロム王国と違ってシャイン様に苦しみや悲しみからの救いを求める者達ばかりなのですから」
「うー………」
御者台に戻ったアジーナおばさまには強い口調で窘められ、僕は何も言い返せなかった。
『確かにな……敬う気持ちは感じられたがそれ以上に救いを求められていた気がする』
・・・。
『うん、いろいろな感情や想いでぐちゃぐちゃだったけど、確かに殆んどのものが救いを求めてる感じは僕も受けた』
『だが、だからといって全てを救おうなんて思うなよ』
『分かってるよ! 僕もそこまで馬鹿じゃないよ!』
僕は一つ息を吐き、ふと思ったことを後ろに座るサーシャに聞いてみた。
「サーシャ、エルフも想いや感情は感じ取れるんでしょ? どうしてサーシャ達はあの強い想いを受けて平気でいられるの?」
「そうですね………簡単に言えば、慣れ、でしょうか」
・・・・。
「あれを………慣れるの?」
「はい………まあ、意識をその想いや感情に向けないようにするんです」
「う~ん……」
「シャイン様にもその内慣れるようになりますよ」
・・・そんないい笑顔で言われても・・・でも、慣れていかないときっとダメなんだろうなあ・・・
僕はそう思いながら大きくため息を吐いた。




