01:進学と不運な事故
千駄ヶ谷中は、中学最強の女子バスケットボール部。
十年に一人の逸材と呼ばれる選手が毎年のように現れ、
出場する大会の全てで優勝し、ここ数年間は公式戦で無敗。
強さの秘密は、試合を支配する絶対的なエースが毎年いることだ。
第三十回中学女子バスケットボール全国大会決勝は、千駄ヶ谷中学と湘南第二中学のカードだった。
湘南第二中は、速攻から生まれる爆発的な攻撃力と豊富な運動量からの超攻撃的なチーム。この大会のダークホース的存在として千駄ヶ谷中に挑む挑戦者と注目されていた。
迎え撃つ千駄ヶ谷中は、エースの上園青空を中心に作られたチームで、ここまでの試合を見てもそこまで他校と圧倒的な差があるように見えなかった。
しかしスコアボードを見れば毎試合ダブルスコアに近い点差が出来てしまうのは、やはりというか例年通りエース一人にやられているからに他ならない。
試合が始まって実際にコートに立っている選手は、そこでようやく分かる。
ここまでインターミドル九連覇をしている学校のエースがどんなものなのかということを。
「バスケは五人でやるものなのに」
上園に向かって相手校の選手がそう言うが、全く持ってその通りだと彼女自身も思う。
ポジションがポイントガードである上園は、組織的な攻めでそつなく得点を重ね試合の主導権を握りにいくスタイルを得意とするが、相手の中学最速の攻勢で点差はほとんど広がらない。
相手チームは上園にマンマークを付けた上で、チーム全体を上手く機能させていた。
相手はこの試合に掛けていて、実力の120%を発揮してくる。それを倒すために、いったい何をするべきか考えながらでも、上園は一人を軽く抜いてしまう。
「一人を抜いてもすぐにフォローが来る。それはわかってる」
二人目は準備をしていたかのようにすぐ目の前に現れるが、それでフリーになるはずの選手が出てこないのはなかなかいい守備だ、と思うが。
「ここでそれは意味がない」
「それは、どういう意味―――― !」
上園の独り言に反射的に答えた一人が、ただならぬ気配を感じて一歩下がると、上園はその位置からシュートを放った。
そのシュートは勢いが強くゴールリングの奥に当たって跳ね返ってくるが、それに反応した選手が一人いた。
それはいつのまにかシュートを放ったはずの上園自身がゴール側まで出てきて片手をつき上げてボールをゴールへ叩き込む姿だった。
大きな音を立てボールはゴールリングへねじ込まれる。
まず女子中学生がするようなものじゃない片手ダンクで、変則アリウープを披露した上園は恐ろしいことを言う。
「私を止めなきゃ。これからはずっと点差が開き続けていく」
「そんなはず……」
「なら、止めてみればいい」
攻守が切り替わると、湘南第二中は一回のパスでコートの深いところまで持ち込むが、それを囮にして外にいるシューターへのパスが流れるように決まった。
上園のプレーに惑わされず、冷静な判断でここまで持ち込めたのはさすがに決勝まで勝ち上がってきたチームといえる。
しかしその選手に追いついている上園もさすがと言うしかない。
「分かっていると思うけど。私の前でのシューターのシュート成功率は……」
「そんなもの、打って見なきゃわからな――」
再びボールを地面へ叩き落とす大きな音がした。
シューターの子とほぼ同時に飛び上がった上園の高さは、彼女の胸元にバスケットボールが来るくらい高くて速い跳躍。
まだシューターが打たずに何かを言っているので、上園は余裕を持ってそのボールを味方のいる方へ叩き落とした。
「速攻!」
相手のお株を奪う形で上園が叫ぶと、まだ陣形が整えられていない相手をその選手が一人で決めてしまう。
その一連を体感しただけで相手チームの一人は身体の震えが止まらなかった。
これが、空中戦でほぼ敵なしの千駄ヶ谷中エースなのだと嫌でもわかってしまう。
しかも上園はこれでだいたい半分くらいの力しか出していない。
相手のミスからボールをスティールして上園が再び一人で上がっていく。
確かに上園はポイントガードというポジションで周りを使って得点を重ねる組織的な攻めをするが、それは時と場合による。
こうやって自分達に流れがきているなら、パスを回すよりは少し攻撃速度が落ちるが単身で敵陣に突撃して点を奪っていく。
そもそも空中戦に強いというのは、そのゾーンがほとんど無敵であるからそうしているだけで、一対一で上園のドライブを止められる選手もまたこの世代には一人もいない。
あっという間に五人全員を抜き去り上園はバックハンドダンクを決めてみせる。
それで完全に心を折られてしまった相手は持ち前の速攻も上手く使えず、試合はそのまま千駄ヶ谷中が一度もリードを譲らずに決着した。
史上初のインターハイ十連覇という記録のできあがりである。
この試合を見ていたあるスポーツ誌の記者は、上園青空は世界に通用する日本人という印象を強く受けた。これは今後の進路も取材しなくては記者として死んでいると思ったくらいに。
その後、上園は高校へ進学せずにアメリカに留学する話もあったというが、そのまま千駄ヶ谷の高等部へ進学することにした。
残念ながら高等部は中等部と違い、伝統のように流出していくエースが後を絶たないことから、最高でも県大会準々決勝レベルで、全国大会への出場すらしたことがないほどの弱小高校だった。
納得できない周りからの反対の声に、上園は、次のように答えた。
「黄金世代と呼ばれる私の先輩たち――元千駄ヶ谷のエースを相手に、千駄ヶ谷の高等部を全国大会で優勝へ導ければ、日本で一番のバスケット選手ということになると思います。私はそれを目指してみたい」
進学が決まり、時間が出来てから上園は特別に高等部の練習に参加させてもらっていた。
まだまだ成長期の上園は、短期間ながら高等部との練習の中で進化を続けた。
そんなある日のこと。
上園はお気に入りのバッシュを持ち、気まぐれにいつもとは違う道で高等部の校舎へ向かっていた。
通学中の彼女は、年末にあった女子バスケの世代別代表のアメリカ戦の事を考えて注意が散漫になっていた。
大会には、同世代の中学生が出場していたが、チームの規則から千駄ヶ谷中は代表を辞退して上園が代表に選ばれるということはなかった。
そのせいもあってか、結果は無残なものだったという。
予選リーグを突破したのが奇跡。
決勝トーナメント初戦でアメリカならトリプルスコアなんて当たり前、という内容だ。
もしその場に自分がいたらどうだっただろうか。
試合の映像を見た限り、自分一人では何も変わらなかったと思う。
でもいつかきっと、という思いは少なからずあった。
晴れることのない曇り空の只中にいるような気持ちで顔を上げると、バスケットゴールの前で遊ぶ小学生くらいの子供たちの姿を見かけた。
ゴールは一つしかないが、高さはミニバス用に下げられ背の小さな小学生でもなんとかシュートを決めることができる。
男子も女子も関係ない年齢なだけに、どの子も全力でバスケをしていて微笑ましいと思う。
「私にもあんな時代があったのかな」
見ているだけで心が穏やかになるような気がして、彼女はその光景を見つめながらゆっくりと歩いていた。
そのときの彼女は少し不注意だった。
そうでなければすぐそこまで近付いていた大型トラックに気付かないはずがない。
徹夜で疲れていたトラックの運転手は、居眠り運転をしていた。
排水溝にそってガリガリと車体を削りながらそれは近付いてくる。
数秒とかからず、無防備な彼女は背後から歩道に乗り上げた車体に押し潰されてしまう。
少女の視界は暗転し、一瞬で意識を飛ばされた。
***
彼女が目を覚ますと、不思議なことにそこはバスケットボールが転がる体育館だった。
意識を取り戻すと同時に不思議な声を聞いた。
『本当の自分を取り戻すには、中学最強のチームに勝たなければならない』