33:ケッチャク 上
「おい。今の見たかよ」
「見たよ……見たっていうか、なんだよ今の」
「そりゃあ。あの金髪の小さい方が――」
明誠側のゴールネットが揺れたかと思うと、一瞬にして十有二月学園側のゴールネットが揺れていた。
あまりにも唐突に起きたことに両チームの選手やベンチ、応援席の人などの全員がしんと静まり返っている。
静止した時間の中で動いているのは、これをした本人とバスケットボールだけだ。
虚ろな瞳の少女が弾むボールを視線から切ると、守備に戻るために身体を翻して自陣の方へ歩いていく。
――シュートを決められて、たっぷり三秒くらい経過してから、再び時間が動き出した。
明誠側が自陣に引いていくのに対して、十有二月学園側はとても緩慢な動きをしていた。
最終クォータ残り半分足らずで二桁差の状況。
ベストメンバーが揃い攻勢ムードだったものが、相手のエースの一撃によって無残に蹴散らされた。
勝負に行く前から負けを認めた天野は心が折れかけているため、見かねた秋葉がボールを拾い上げ、前線に走りこむ風見鶏を目指してパスを回していく。
あの状態の天野をマークする必要がないと判断したセイが風見鶏を止めにくる。
少ない時間を無駄にしないように、動ける人が動き続けるなかでも、少女だけが違った動きをしている。
誰よりも先に戻り始めたはずなのに、小走り程度のゆっくりしたペースのため、今では味方の中で一番後ろを歩いていた。
「……まだ負けと決まったわけじゃない!」
四人で攻勢に出る十有二月学園は、エースが力付くで相手のコートの深いところまで入っていく。その間に秋葉がゴール下に入っていった。
「先輩! いつでも大丈夫です!」
「オーケー」
風見鶏は大きくボールを付くと一歩下がって相手と距離を取る。
シュートと判断してセイは跳躍するが、ボールの終着点がここではないと初めから決めていた風見鶏はそのままボールを後ろへ送った。
そこには亜佐美が待っている。
「亜佐美、フリー」
「まかせて!」
チームが流動的に動くことで、強力なシューターの亜佐美がフリーになる。
この試合を通して十有二月学園が続けていることは、ここへ来てさらに精度を高めている。
自身の突破でも得点でき、ゴール下の秋葉でも得点できる。
そんな強力な二人をちらつかせることで外のシュートが生きてくるのだ。
そしてこのシュートは決めなければならない。
亜佐美の中で、緊張のような気持ちが湧き上がってくるが、これはそんなものじゃない。
ここを決めないと全てが終わってしまう。
そんな使命感に似たものが亜佐美に今日、最高のシュートを打たせる。
タイミングはいつも通り、何度も打ってきたシュートの感覚そのままにボールはゴールリングの中央目がけて放たれた。
シュートが打たれた瞬間に、
敵も味方も完璧に決められた、
決まった――――と思った。
しかしそのシュートは、思いもしないところから出現した手によって軌道をずらすことになる。
「……これで、このシュートは、はいらナイ」
歩いていたアリスが、亜佐美の前まで回り込んで跳躍した。
前回のスピードに乗った跳躍でない分、高さはでないため亜佐美のシュートを完全にはブロックできない。せいぜい指先を触れさせるのがやっとのものだ。
しかしたったそれだけの違いが、亜佐美のシュートを大きく狂わせた。
「……っ、秋葉! 一姫! リバウンド、お願い!」
ボールの軌道は、半分も行かないところで失速して遥か手前に落ちようとしている。
そこにはセイム、秋葉、一姫がいる。
試合へ出る前に高さで負けないと宣言した秋葉が、そのリバウンド対決を制した。
「よっしゃぁぁあああ!」
着地して、次の跳躍でジャンプシュートを決めようとすると、どこからかまた小さな影が秋葉の横から出てくる。
「…………ボール、ちょうだい」
「なんっ!」
アリスがボールを奪取していた。
スピードだけでなく、気配を消したかのような出現に秋葉の動きが一瞬だけ鈍った。
そこをやられて、ボールは千里がキャッチしていた。
ここからのアリスは早い。
ボールを持っていない状態で前線まで最速で駆け上がり、多少後ろになった位置でボールを受けても、すでに少女を止められる人はコート上にいない。
残り時間四分を切って、さらに広がる点差は勝負を決定づけるものになる。
千里はセイのように真っ直ぐアリス目がけたパスを出そうとした。
いや、そうしようとボールを受けたときに思っていた。
それだけのことなら、千里以外の他の子でもできる。
攻守の切り替えで両陣営が激しく動くなかを千里は前を向いた。
「え?」
千里はその目を疑った。
視線の先に少女の姿がなかったからだ。
時間が経つにつれ十有二月学園の選手がどんどん戻ってくるのに、既にスタートを切っているはずの少女の姿がどこにもない。
首を振って周りを見渡しても、少なくとも千里より前にアリスの姿はなかった。
「ヘイ!」
セイムの声に反射的にパスを出して、千里は振り返った。
そこにいるはずがないと思っていても身体はその方を向いてしまう。
「どうして……」
どうして、そこにいるの?
千里は自分が言いそうになった言葉を止めた。
分かっていなかったわけじゃない。
ここまで尽力してくれた少女が、自分たち以上の消耗をしていることくらいわかっていた。
あと少しで去年の雪辱が果たせる今になって、少女の足が止まり。
その周りの時間が静止していることも理解できる。
分かっている。
分かっているけど。
どうして自分まで足を止めて後ろを振り返っているのか。
その理由なんて、してしまっている本人でも分からない。
「……いける。いける。いける。
アリスは頑張ってくれた。最後くらい私たちが――」
そこへ一陣の風が吹く。
ちょうどパスを受けて横を通り過ぎたセイムが行ったときと逆向きの突風が吹いたのだ。
「まだ、終わりじゃない!」
どうやったのか知らないが、風見鶏がセイムからボールを奪って単身突撃してきた。
前線に残る亜佐美を目指してまたくるのか。
そう思ったときに既に彼女の行動は完結しているとは知らずに。
風見鶏は、ハーフラインを越えてスリーポイントラインまで数歩のところからロングシュートを放った。
少しでも確実な点を返してくると思った十有二月学園は意外に大胆なことをしてくる。
相手の技を自分の物にする特性を持つエースが、味方のそれをコピーして試合に希望の光を見出してくるなんて、まるで物語の主人公のような輝きを彼女は見せつけてくる。
「こんのぉおお!」
千里は叫んでいた。全然、彼女に追いつけないところから飛んで、そのシュートをブロックしようとした。
勝負の世界で勝ち負けは必ず付いてくる。
しかし試合をここまで作って来てくれた少女を負けさせたくないという気持ちが、ここへきて芽生えた。
だからこそ無理なジャンプが最悪な結果を結んでしまう。
「バスケットカウント、ワンスロー」
千里の手が風見鶏にあたり、そのシュートはゴールリングに吸い込まれた。
さらにファールを取られたことで一気に三点を詰められて、点差は三分を残してあってないような七点差になってしまう。
気落ちした千里を労おうとチームメイトが声を掛けようとするが、誰も行くに行けなかった。
このままだと試合が終わる前に逆転負けを食らう。
それが容易にイメージできたからだ。
そして数秒間の沈黙を破ったのは、予想外の人物だった。