25:埋もれた才能1
眠気覚ましにガムを噛んだときの頭を突き抜けるような衝撃を小春は観客席で受けていた。
隣で観戦を共にするアンジェリカの方も先刻の出来事に身体をビクッと震わせる。
「アリスがミスしたっていうの……」
気持ちを隠せない小春とは対極に彼女の方は冷静なものだった。
「ふーん。このクラスの選手がこんなところにいるとは驚いたね」
「でも、あのアリスが止められるなんて……」
「うん? それはそんな驚くことじゃないって。ねぇ」
小春が聞き返すより早くアンジが答える。
「どうしてって顔してるけど、向こうの四番がそうだったように」「アリスにも致命的な弱点があるってこと?」
その言葉は小春の口から自然と出てきた。
はっきりと何かが分かったというわけじゃない。
隣の人やコート上の天野の反応から小春は予想した。
「ふうん。いいじゃん」
アンジは珍しいものを見る眼で表情を綻ばせていた。
***
秋葉&天野がやったことは、少女の行動を読み切った、というわけじゃない。
秋葉が散々抜かれる姿を見て、天野が気づいた一点を何度かの試行の末に確かな結果へと天野が繋いだのだ。
アリスのドライブは初速からトップスピードに持っていくまでの時間がコンマ数秒のため、小細工なしで天野なら抜かれていた。
しかし秋葉の場合は、足の速さ以上に秋葉の方がアリスより身長で上回る分。リーチの差があったため、リスクを考えると多少時間がかかっても丁寧にフェイクやドライブのタイミングを探って抜きに行く方が良かった。
それは試合の外から見ていると、異様なものに天野の眼には映っていた。
なぜならアリス・テンペストという選手の動きは『ドライブ』『シュート』の動作に決まったパターンがある。
それも並みの選手なら自分が一番調子のいいときを目指して練習を重ねて技を磨いていくのに、まるでアリスのそれは元々完璧だったものを特定の相手ができるように一度レベルを落としてから、その過程で覚えたせいで独特の歪さを孕むものだ。
何を言っているのかといえば、アリスという少女は自分のものではない複数のスタイルを使っているということだ。
奇しくも十有二月学園の一姫と近いスタイルで、真似っ子の完成度で言えば明らかにアリスの方が上で、それを真似ることができない一姫はアリスを止めることは永遠にできない。
だからこそ天野が止めることが出来る。
アリスが持つそれぞれのスタイルは、例えると、必ず解答のあるクイズを解かされているようなものだのだ。なぜなら、必ずそのクイズには答えがある。すなわち、アリスの全てのプレイは誰でも止めることが出来る危うさを秘めているということだ。
実際に、直前のプレイで天野がしたことは。前半でアリスが秋葉を抜くときに使ったドリブルのルート上に手を出しただけだった。
普通に考えれば異なる相手、異なる場所、異なる状態でとるドリブルコースに、パターンは合っても全く同じコース取りをしてくることはありえない。
だから天野がしたことは賭けにすらならない――無意味なことのはずだった。
それがこのときのアリスの出したクイズの答えだったということだ。
「ボールを外に出さないで!」
自陣深くにいた亜佐美が一姫に向かって叫ぶ。
天野が作ったチャンスらしいチャンスを逃がすまいと全力で一姫がボールを死守する。
アリスも足を止めずに先を読んで動き出していた。
「させナイっ!」
この試合で始めて自分のボールを奪われた少女は、即座に一姫の進路上に現れた。
一姫とアリスはバスケットだけの能力値をみれば、アリスがいくらか上回っている。
しかしそれを覆すだけの力を一姫が持っていることもまた事実なのだ。
「追いつかれちゃうか。……まぁ、関係ないけど」
アリスを普通のドライブで抜けるとは思っていない一姫は、去年の準決勝で見せた右と左に同時に切り込んだように見せかけるドライブを仕掛ける。
ビデオでいくら研究された動きだとしても初見でそれを止めるのは難しいはずだ。
右に抜きに行くと見せかけて踏み込んだ方向とは関係のない方向へ一姫の身体は分身を作って揺れ動いた。
「――――ッとと」
……まさか、攻撃だけでなく守備もコート上の誰より上を行くとは思っていなかった。
試合を観戦する人たちはそう思ったのかもしれないが、コートに立つ三人はそれぞれ違う対応をしてみせた。
一姫は抜くことが出来なかったアリスにボールを奪われないように死守し、フリーの天野はセイムのマークを引き連れてゴール下へ走っていく。
自分で決めに行くことが少ない天野だが、このチームでの決定力は一姫と秋葉を抜けばNo.1なのは確か。だがこの試合で言えばマークにセイムがつくことでその決定力はゼロに等しくなる。
二人の動きは、両チームが同じ考えで同じ結論に達した結果だ。
一姫、天野の両ポイントゲッターを封じた明誠を本当なら褒めなければいけない。
次に一姫が選んだ選択肢は、両チームの考え方を一新させるものだった。
――――――――――シュッ。
高い位置からボールがリング中央を射抜いた。
ぶつかることなく決められるきれいな音がした。
そのボールを放った選手は、スリーポイントラインより二歩ほど離れたところにいる。
本来はマネージャーのはずなのに、その選手は強力な武器をここまで隠す余裕を持っていた。