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 『予兆(arashino_kehai)』-2-


「ようこそ瑛己さん!」

「おう、よぉ来たな瑛己」

「……」

 ――飛と秀一の部屋。

 『湊』に赴任になってから、この部屋に訪れるのは何度目か。

 そのたびに、確かに瑛己はこの部屋の間取りを見ていた。3人部屋を2人で使っているのだとも聞いていた。そのうちここへ、部屋移動の命令が出るかもしれないなと思った事がないわけではなかった。

 だがまさかこんなに突然、こんなにあっけなく、その日がこようとは。

「お前、何やその荷物は」

「……ああ……」

「まさかそんだけってわけがないやろ? あ?」

 部屋の入り口に佇む瑛己が抱えていたのは、本5冊。

「こっちはお前のために休日返上で大掃除やぞ!? 真面目に荷造りせんか阿呆」

 誰のせいだ。瑛己は嫌そうな顔をし、大きくため息を吐いた。

「……荷造りは、一応終わってる」

「そうか、ほな早よ持って来い」

「……」

 この部屋に、自分の平穏なスペースがあるのか。

 この1週間考え考え、考え続けている瑛己である。

「ほれ、チャカチャカ動け! ボーっとしとんな。日が暮れてまうぞ!」

「……」

 瑛己は大きくため息を吐くと持ってきた本を部屋の入り口の脇に置き、部屋に背を向けた。

 その背中から、

「飛もちゃんと掃除して! 手が止まってるよ!」

「ふぇーい」

 聞こえてきた秀一の怒号に、瑛己はやれやれと目を閉じた。

 ――『湊』赴任からもうじき1年が経とうというこの日。瑛己の引越し作業は、本人の意志はそっちのけで始まる事となった。

「瑛己さんの荷物、そこ置いておいて。場所こっちに作ってるから」

 瑛己が元いた部屋とこの部屋の違いは、やはり広さにある。

 そもそも『湊』の宿舎は個室ごとにバス・トイレが完備されている。

 以前は大浴場にグループごとの時間交代での入浴制であったが、隊や作戦などにより生活リズムや自由時間も全員が一定というわけではない。24時間浴場を運営しておく手間・そして管理面を考慮して各部屋に備え付ける事となった。

 また、隊員への配慮もある。

 戦地そして激務へと赴く飛空艇乗りへの配慮。ただでさえ基地内の宿舎は公私が混同しやすい環境にある。仕事から頭を切り離す事ができにくい環境だからこそ、せめて住居スペースに1人の空間を持てる場所を用意し、リラックスをはかってもらおうという意図もあった。

 そういった点から宿舎は建て替えをされ、その大規模建工事が行われたのは数年前。現総監・白河 元康になって後に執り行われたのであった。

「お前のベットはあそこな」

 話を戻し、この3人部屋である。

 そういう事で玄関スペースの脇にはバス・トイレ。しかも2つはそれぞれ別室になっている。

 それを挟むようにして小さなキッチンが。コンロが1つあり、作ろうと思えば食事を作る事もできるようになっていた。

 バス・トイレとキッチンを挟んだ廊下の先に、メインとなる住居スペース。

 瑛己がいた部屋ではシングルベットが2つここに並んでいた。空きのベットは物置にされているか、もしくは突然やってきた兵庫や、酔いつぶれた飛がそこで寝込んだりなど、本来の役目もそれなりに果たしていた。

 そしてこの3人部屋。ここにはシングルベットではなく二段ベットが2つ、部屋の両側に取り付けられていた。

 2つのベットが挟む空白のスペースは瑛己の部屋より一回りほど広い。トランプを広げてもまだ余りがあるほど。デスクは窓際に2つ並べられ、1つは明らかに乱雑に散らかり、もう1つはきれいだが推理小説がぎっしりと並べられていた。

「俺と秀のベット、知ってるわな? 俺が上の段、秀が下の段。お前は反対側の上な」

 飛と秀一が使っているのとは別の二段ベット。そこは以前は2人の物置のような状態になっていたが、見ればすっかり片付けられていた。

 ちなみに下の段にはベットはない。元々取り外されており、その空白のスペースは物置となっていた。上の段のそれも加わり、前以上にギッシリと物が詰め込まれていた。

「そこ、お前も荷物置き場に使ってくれていいで」

 とは言ってもそれほどスペースはないな。一応「ん」と返事をしながら瑛己は思慮を巡らせた。

 そして自分のベットへと上がる階段を下から上へ視線を滑らせる。

 あそこがこれから自分の場所になるのか……とりあえずその様子を確認しようと、階段に足をかけようとした時。

「瑛己、この部屋にきたからには、言っておかにゃならん事がある」

「?」

「この部屋のルールや」

 神妙な顔をする飛に、瑛己は薄く眉間にしわを寄せた。

「……ルール?」

「せや。承知の通り……うちの部屋は、アレがアレや」

「……?」

 怪訝な顔をする瑛己に、飛は小さく舌を打った。「察しが悪いやっちゃなぁー」

「ホレ、秀が、アレだっちゅー話や」

 ヒソヒソと耳元で言ってくる飛に、瑛己はちょっと目を見開いた。

 相楽 秀一――本名・相楽 秀子。彼が女だという話である。

 瑛己はふと周りに秀一の姿がない事に気がついた。彼のその様子を見て、「下でジュース買ってくる言うてた」

「だからな。先に言うておく。この部屋には独自のルールがある。暗黙のルールちゅってもいい。これを破ったら命はないと思え」

「……何だ一体……」

 少し息を呑む瑛己に、飛はいたって真顔で続けた。

「まず1つ。そこの秀一のベット。カーテンついてるやろ? あそこが閉まっている時は、勝手に開けたらいかん」

「……」

「その2、秀一が風呂入ってる時は覗かない。トイレもや。覗いたら絶対あかん」

「……」

「その3、あいつが着替える所はガン見すんな。視界にも入れんな」

「……」

「その4、あいつが」

「……もういい」

 ゲッソリとそう言って、片付けに戻ろうとした瑛己を。飛はその肩をガシリと掴んだ。「何がいいんじゃド阿呆」

「この点を注意せんと、お前、命がないぞ」

「……見ないから。風呂なんか」

 大体トイレって……。むしろ瑛己は飛に疑惑の目を向けた。

「何やその目は。言うとくが、俺は覗き見なんぞせぇへんぞ」

「……」

「あ? せやけどな、一緒に暮らす以上、凡ミスっちゅーもんがあるんや。見たなくても、注意しとっても〝不慮の事故〟っちゅーもんも発生するんや。なめたらあかん。注意してもナンボやぞ。大体あいつの風呂場なんぞ見てなんになる。胸がボーン!!のダイナマイトなねーちゃんならまだしも、秀やぞ? あいつ胸なんぞあらへん。ぺったんこや、板や板。危険犯してまで見るもんやない」

「……」

「もう1度言う、秀一の風呂は見るな。見たって板や。ええな、瑛己。秀一に胸を期待したらあかん。〝おっぱい〟っちゅーもんやない。板っ切れや、あれを見るなら、コンクリの壁でも見た方が幾分安全……」

「…………」

 ここまできてようやく、飛は瑛己の微妙な表情に気がついた。

 瑛己の視線は、飛の背後を見たまま固まっている。

 そしてその瑛己の様子から、飛は自分の背中に何者がいるかすぐに気づいた。顔面から血の気が引いた。

「おっ、おっ………おっぱっぱっぱっぱ………ぱ、パイが食いたくない? 瑛己クン?」

「……ねぇ飛、誰が何だって?」

「あ、あ、あれぇー?? 秀一クンいたの? いつからそこに? あはははー、今日も男前! なぁお前、腹減らへん?? メシ行くかメシ」

「誰の胸が、板だって?」

「……い、い、イタタタタ、さっきコケた所が痛いって話をしとったんやわ。なぁ瑛己クン!?」

「あ、ああ」

「うふふ」

 3秒後。

 秀一の猛烈なパンチが飛に炸裂したのは言うまでもない。

 そして残念ながら瑛己にも、その猛攻は及んだのである。

 この部屋の絶対的権力者は秀一である。

 彼女に逆らえば命がない。数秒でこの部屋では彼女自身がルールであるという事を思い知る瑛己であった。



  ◇


「それじゃ、かんぱーい!」

 秀一の音頭にあわせ、飛と瑛己はグラスを掲げた。

「瑛己さん、これからよろしくね」

 差し出されたそれに瑛己は自分のグラスを当てて答える。「ん、こちらこそ」

「おう、俺もや。改めて頼むぞ」

 一瞬「イヤだ」と言おうと思ったが、渋々ジョッキを当てる。

 『海雲亭』である。

 時間は夕刻。窓からは夕の光が差し込んでいる。晩時には少し早いのと開店直後という事もあり、店内にはまだ空席が目立つ。

 そのためか料理が運ばれてくるのも早い。3人が陣取るテーブルは、海月とバイトの青年によりあっという間に料理でいっぱいに埋まってしまった。

「じゃあ今日は瑛己さんの転居祝いって事で。ジャンジャン行きましょう」

「会計は割り勘やけどな」

「うわー、飛ケチ。僕はそんな事言わないよ? 麦酒は僕のゴチね」

「……ありがと」

「お前もみみっちぃなぁ。どうせなら全部会計ゴチします!くらい言わんか」

「やだよ。そんな事したら飛の分まで払わなきゃいけなくなるじゃん」

 目の前で笑い合う飛と秀一の姿を、瑛己は何だか眩しい物を見るような心境で見つめた。

「ええやないかなぁ瑛己? ……あん? 何や」

「……何でもない。いただきます」

「そうですね。せっかくの料理が冷めちゃう」

「腹減ったわー、昼間まともなもん食えんかったからなー」

「悪かったね、お昼、僕の手作りおにぎりで」

 赴任して1年。

 今回辞令はなかった。

 でも今日からまた新しい生活が始まる。

 瑛己の心に、何だかよくわからない胸をくすぐるような感情が浮かんだ。

「せやけど、お前が俺らの部屋にくるなんてなぁ……何や、笑ってまう」

「誰のせいだ」

「だって、なぁ?」

 クスクスと笑う飛の横を通りがかった海月が、彼らのテーブルに顔を突っ込み、

「なぁに、瑛己君部屋移動したの?」

「そうなんですよ海月さん、瑛己さんね、僕らの部屋に来る事になったんですよ」

「こいつが、一人じゃ寂しいって総監に頼み込んで」

 瑛己は思わずテーブルの下から、飛の足を蹴飛ばした。

「へぇ? なぁに、瑛己君たらそうなんだ??」

「………兵庫おじさんは? いないんですか?」

 話題をらすべく、かなり強引に瑛己はそう聞いた。

 海月は少し笑っていたが、「仕事だって。昨日の朝出てったよ」

「でも2、3日したらまた戻るような事言ってたから。何でも急に宅配の仕事が入ったとかで」

「宅配、ですか」

 原田 兵庫、自称〝郵便屋さん〟。

 実際に何を運搬しているのか、詳しい仕事の内容を瑛己は知らない。

 かつては空軍に属し、一飛行部隊の副隊長までした男。だが13年前の事件をきっかけに退役し、今は一人の飛空艇乗りとしてこの空にあり続ける。

 13年前のあの事件――〝空の果て〟。

 退役してからこれまで……兵庫がどうやって生きてきたのか、実際の所を瑛己はよく知らない。実家にいた頃は時々お土産持って遊びに来てくれた。手紙や電話もあった。兄のような父のような存在。

 だが彼が、一定の場所で落ち着いている印象はない。

(いつもどこかを転々と)

 定まった家も持たず。

 その様はまるで本当に、渡り鳥のようだなと思っていたけれども。

 ……去年の冬に『湊』に来て以来、今度の滞在は長い。もう4ヶ月ほどになる。『海雲亭』の店主――海月の父と母の好意で2階に部屋を借りているのだと言っていたが。

「……」

 瑛己はグラスの端についた泡をぼんやりと見た。

(おじさんは)

 人当たりがいい。誰とでもすぐ仲良くなる。気さくだし、懐っこい。

 でも。

 瑛己は何となく感じていた。

 避けていると。

 兵庫は人と深く接する事を避けているんじゃないかと。

 何を見てそう思ったのかはわからない。だけどぼんやりと、瑛己にそう感じさせる何かが、兵庫にはあった。

 その兵庫が1つの場所にこれほど長くいる。

 会えない事が普通だと思っていた彼が、いつでも、会いたい時に会えるような距離にいる。

「兵庫のおっちゃん、酒弱いもんなぁー」

「飛だって人事じゃないでしょ。この前なんか2人でつぶれてたじゃん」

「阿呆。お前が強すぎるんや。あー、また兵庫のおっちゃんと飲みてー」

 ましてここには、彼の事を一緒に話題にできる人がこんなにいる。

 何となくそれが瑛己は不思議で。

「戻ってきたら言っておく。喜ぶよあいつ」

 海月が嬉しそうに笑って厨房へ消えて行った。

 その背中を見ながら、瑛己は自分も、仄かに笑っている事に気がついた。

「なぁ、つーか海月さんと兵庫のおっちゃんて仲ええよな? どういう仲やろか?」

「飛でもそういう事気にするの? 意外」

「阿呆。あったり前や。なぁなぁ瑛己、どない思う? やっぱアレか? できてんやろか?」

「……さぁ」

「できてるとか……そういう表現、飛ちょっと、おじさんっぽいよ」

「何やと! お前、ええやないか、俺がどういう表現使おうが」

 ――でも。

 瑛己も思っていた。

 兵庫が少し変わった理由は。海月なんだろうと。

 2人を見ていればわかる。

 兵庫の顔は前よりずっと穏やかだし。

 海月は少し、きれいになった。


 ◇



 瑛己の歓迎会という名目で、その夜は賑やかに更けていった。

「お前ら何してんの?」

 途中、『海雲亭』にやってきた新が3人を見つけテーブルに加わってからは、それがさらに増し。

「おう! 今日は歓迎会だ! 朝まで飲み明かすぞ!!」

「新さんは同じ部屋じゃないじゃないですか」

「いいじゃん、気分気分。ホレ、飛。飲んでるか!? 今日は聖のおごりだぞ!!」

「せやったらもう一杯! 海月すぁーん、追加ー」

「……」

「聖 瑛己君、部屋移動おめでとう!! 実にめでたい、めでたいなぁ、うひゃっひゃっひゃ」

「飲みすぎですよ新さん! 飛も!! ちょっと飛、やめてって!!」

 いつもと同じ、馬鹿馬鹿しいほど平和な夜の時間は。

 ゆっくりと、過ぎて行ったのだった。



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