第四話 「=本当の気持ち」
もう7月に入ろうかという時期なのにもかかわらず依然として図書室にはなんともいえない
寂しげな涼しさが漂っていた。
外では酷い雨が降っているらしく、まるで静まり返った図書室の中に
積乱雲が発生しているような感覚に苛まれた。
ここ数日降らなかったためかいつもよりも雨が長く感じる。
・・・いや、理由はそれだけではないのだろうけど。
「図書室って、こんなに静かだったかしら・・・」
あれからもう2週間ほどたつだろうか。
一ヶ月間毎日通いつめていた高倉さんはあの日以来ぱったりとこなくなってしまった。
心に何か穴が開いたような虚しさで心がいっぱいになってしまっている。
嫌いだったはず。不愉快だったはず。空白だったはず。
この一ヶ月間奪われ続けた私の至福の時間はかくして開放されたわけだが、
どういうわけか以前よりもよりいっそう寂しさを増していた。
・・・何を考えているんだ私は。
せいせいしたじゃないか。ついに自分だけの静かな時が帰ってきたのだから。
これで何もかもが元通り、万々歳さ。
なのに、どうして、こんなにも、
「・・・この本、こんなにつまらなかったっけ?」
*
「ら~んちゃん。」
「何よ理恵、猫なで声なんか出しちゃって気持ち悪い。」
次の日の放課後、私は教室で理恵としばしの歓談をしていた。
「いやあ、寂しそうだなーって思ったからさ、私が一緒に図書室まで行ってあげよっか!」
「・・・あ~?」
「ほ、ほら、高倉さん。来なくなっちゃったんでしょう?」
「・・・・・」
「あのね、高倉さんも最近元気ないみたいでさ。
高飛びの記録も落ちる一方らしいの。ほら、スランプって奴かな?」
・・・また・・・高倉さんの話か・・・
「私の前で高倉さんの話をしないで頂戴。非常に不愉快だわ。」
「不愉快・・・って、そんな。らんだって前は楽しそうにしてたじゃない。」
「楽しくなんか無い。」
「でも、ここ数日ずっと落ち込んでたから。きっと寂しいんだろうって。」
「別に、寂しくも無い。もともと迷惑だったんだからさ。」
「・・・素直じゃないのね、らんは。」
「いや、素直とかじゃなくてさ。」
本当に、迷惑だったんだよ。あんな人。
「でも、そういう風には見えないけどなー。」
「五月蝿いわね、引き裂くわよ。」
「そこはひっぱたくとかにしようよ!怖すぎるよ!」
「理恵、あなたも今日部活があるんでしょう?」
「う、うーんそうだけど、らんが心配だから・・・」
「そんな心配無用よ。私は大丈夫だから。」
「で、でも・・・
「いいから!!」
「はっ、ハイッ!」
「あ・・・」
・・・ああ、しまった。柄にも無く怒鳴ってしまった。
「・・・」
「・・・ごめん。」
そういって私は体を半回転させ、後ろ髪を引かれる様な気分になりながらも
出口へと歩いていった。
今まさに教室を出ようとした時、再び理恵に声をかけられた。
「らん!」
・・・・・・・
「自分の気持ちに嘘つかないで。」
「!?」
―瞬間、教室の空気が一気に冷えた。様な気がした。
それは、私の中で何かが動き出した気にさえさせた。
いや、もう動かされていたのかもしれない。
「・・・私・・・は・・・」
気がつくと私は教室を飛び出していた。
分からなくて。
どうしようもなくて。
気づきたくなくって。
どうしようもなかった。
「何よ!何よ何よ何よ!勝手に私の領域に入ってきて、
自分勝手にいなくなって、私の心を揺さぶって!」
それは今までに無いような感覚で困惑していた。
怒りや寂しさ、嬉しさや虚しさ。
いろいろな感情がごちゃ混ぜになってこんがらがって、訳が分からない。
どうしてこんなに焦っているのか。
どうしてこんなに感情的になっているのか。
どうしてこんなに、彼女に会いたいのか。
「違う!違う!会いたくなんか無い!顔も見たくない!
高倉さんなんか、高倉さんなんか・・・ッ!」
それ以上の言葉は見つからなかった。
というより言葉に出来なかった。
「言えないよ、大嫌いなんて・・・言えないよ、戻ってきてなんて・・・」
静寂の中、ただただ私のつぶやき声だけが小さく反響していた。
図書室は今日も静かだ・・・
*
あの日から2週間は過ぎただろうか。
結局それから一度も図書室へは行かなかった。
なにやら気まずくて、恥ずかしくて、足を運べなかった。
私の中には黒く大きく、そしてモヤモヤした何かが渦巻いていた。
完全に負の感情に支配されていた私はどれだけあがいてもスランプを
抜け出す事が出来ず、かつて無いほどの不安で押しつぶされそうになっていた。
怖い。飛ぶのがこれほど恐怖の思えた事は無い。
今はどれだけ飛んでも、あの子の顔を見る事が出来ない。
「高倉さん、大丈夫?何か考え込んでるみたいだけど。」
話しかけてきたのは同じ陸上部の田村さんだ。
彼女はいつも誰にも気さくに話しかけてきてくれる明るい人だ。
ここ数日様子がおかしかったであろう私を不審に思って・・・
いや、聞こえが悪いな。私を心配して話しかけてくれたのだろう。
「大丈夫だよ。なんでもないさ、うん。本当に・・・」
「そ、そう?ならいいんだけど。」
「ごめん、心配かけちゃって。」
心配か・・・あの子も、あいちゃんも。
私のことを心配してくれているのだろうか。
まだ私のことを覚えていてくれているのだろうか。
思い返せば私の一人相撲でまったくもって迷惑ばかりかけていた
用に思える。
それを彼女は嫌がっていたようにも思える。
やっぱり、私なんていないほうが良かったんだろうか。
とするならば彼女はもう私のことなんて・・・
私の悪い癖だ。
物事を悪いほうへ悪いほうへともっていく。
考えるな!集中しろ!今は部活中だぞ!
飛ばなきゃダメなんだ!
夢に向かって!
あいちゃんだって頑張ってるんだ!夢のために!
・・・・・
また、あいちゃんのことが頭に浮かんでくる。
考えないようにしても。無心になろうとしても。
なんどもなんどもぐるぐると頭の中を回っている。
何を考えればいいのか分からない。
「高倉さーん、次だよー。」
「え、あ、はい!」
と、高飛びの順番待ちをしていた私の番がいよいよやってきたみたいだ。
まだ前に2,3人ほど待っていたような気がしたが、
なるほど、それほどまでに私は考え込んでいたのか。
っと、咄嗟に足を踏み出し徐々に加速していく。
いざ空を飛ばんとした時、またしても不意にあいちゃんの顔が浮かんできた。
夢・・・か・・・。私も、兄貴のように。
飛びたい。
けど、飛べない。
でも、飛ばなきゃ・・・
!?
「あッ!」
・・・なんだ、急に目の前が暗く・・・
痛い。なにやら足が焼かれるように痛い。
何が起こった?
「高倉さん!」
何故私は寝転がっている?
「大変!先生、先生よんでッ!」
何をそんなに慌てている?
「しっかり!高倉さん!高倉さん!」
私はどうなったんだ?
「高倉さんッ!」
「はッ!」
我に返った私は咄嗟に己が足を見た。
「痛、った・・・」
「だめ!動いちゃダメよ!」
「血・・・血が・・・。」
どうやら盛大にすっ転んだらしい。
私とした事が、スポーツ選手失格だな。
いや、初めからそんな資格など無かったのかもしれない。
兄貴の夢を継ぐだの何だのいって、結局は自己満足。
周りの期待を憂いて憧れの目すら億劫に感じた。
所詮は三流だったんだよ。向いてなかったんだよ。
これではっきりした。
私は、兄貴のようになんてなれない。
兄貴と同じ怪我で引退するのがお似合いだ。
「保健室・・・行って来る。」
「あ、動いちゃダメッたら!今先生来るから、それまでは。」
「いいよ、別に。もう、いいよ。」
「・・・え?」
「うッ!」
無様に横たわった胴体を起こそうと足を立てては見たものの
まともにたつ事が出来ないらしく、またも無様に手を地についてしまった。
「立つなんて無理よ!ほら、肩貸すから。」
「田村さん・・・ありがと・・・」
結局私は部員二人に方を借りて保健室までよろよろとあるいていった。
それはまるで何かから逃げているようで、切なく、虚しく、痛かった・・・
*
また次の日がやってきた。
今日は月に1,2回程ある図書室の非開放日である。
この日は朝からやけに嫌な予感がしていた。
虫の知らせとはよく言ったもので、その予感は見事に的中してしまった。
「・・・は?」
放課後、早く帰れる喜びと図書室へいけない悲しさとの葛藤の中話かけてきた
理恵の話を聞いて戦慄した。
何食わぬ顔で聞いていたがしかし、私の顔は一瞬にして曇ってしまった。
「私も聞いた話だから」
何を
「本当かどうかは知らないけど」
言っているんだ
「そういってたんだ陸上部の友達が」
冗談はよしてもらいたい
「にわかには信じられないと思うけど。」
信じられるか、こんなこと・・・
「え?何?何々?意味が、わからなくて・・・え?」
「・・・・・」
自分の耳を疑った。理恵の口を疑った。
「高倉さんが・・・陸上をやめた・・・?」
ありえない。だって、彼女はあんなにも高飛びが好きで、
泣くほど高飛びが好きで・・・
「まだ正式にはやめてないって・・・でも昨日、退部届けをだしたとか・・・」
馬鹿な
そんな
ありえない
あるわけが、無い
次の瞬間、私は勢いよく教室を飛び出した。
今までに無いほど猛烈な勢いで、本来学校ではタブーとされている
廊下の全力疾走をしている。
なんで、私は走っているの?
なんで、まだ高倉さんの事を気にしているの?
関係ないはずなのに、どうでもいいことのはずなのに、
私は、常識人だったはずなのに・・・
これが、私の本当の気持ち・・・?
「何処にいるの、高倉美咲ッ!!」