夜のプール
入部して最初の夏、先輩たちは私たちを夜のプールへ連れ出した。
肝試しだ、と笑っていた。フェンスを乗り越え、月明かりだけの水泳部のプールに忍び込む。連れてこられた新入りは、私を入れて四人。それを、先輩たちが取り囲むように立っていた。昼間なら底まで透きとおっているはずの水も、月明かりだけの今は、ただ黒く凪いで、どれほど深いのかも見えなかった。
「ルールがある」と、主将の先輩が言った。「水を叩く音が聞こえるだろう。あの音に合わせて潜って、合わせて浮かぶ。リズムを守ってる限り、絶対に安全だ。外したやつだけが、持っていかれる」
持っていかれる、って、どこへ。誰に。
私が訊くと、主将は答えなかった。ただ、暗い水面に目をやって、薄く笑った。「守ってれば、知らなくていいことだよ」。ほかの先輩たちも、同じように笑っていた。
誰が叩いているのかは、わからなかった。だが、たしかに聞こえた。暗い水面のどこかで、ぴしゃ、ぴしゃ、と一定の間隔で水を打つ音が。
先輩の合図で、私たち新入りは次々に水へ入った。その音に合わせて、潜っては浮かぶ。音が鳴るたびに息を吸い、潜る。次の音で浮かぶ。単純だった。怖さは、じきに高揚に変わった。これを越えれば、仲間に入れてもらえる。そんな気がした。
どれくらい繰り返しただろう。ふと、リズムが変わった。
叩く間隔が、ゆっくりと、長くなっていく。潜っている時間が、少しずつ延びる。息が苦しい。それでも、外せば持っていかれると言われた手前、私は必死に音を守った。潜って、こらえて、次の音を待つ。だが、次の音が、なかなか来ない。
肺が焼けそうになって、私はたまらず、ルールを破って浮かび上がった。
息を吸い込み、目を開けて——凍りついた。
プールサイドに、先輩たち五人が、濡れてもいない体で並んで立っていた。ひとりが、木の棒で、水面を叩いていた。ぴしゃ、ぴしゃ、と。ずっと、あれを鳴らしていたのは、彼らだった。
私以外の新入りは、三人いたはずだった。律儀に音を守り続けた、まじめな三人。その姿は、もう水面のどこにもなかった。
「惜しいな」と、主将が言った。心底、残念そうだった。「お前、ルールを破っただろう。破ったやつは、入れてやれないんだ」
助かったのだ、と気づくのに、少し時間がかかった。ルールを守った者から沈んでいく試験を、私は破ったから、生き残った。
先輩たちは、私を残して帰っていった。来年もまた、新入りを、ここへ連れてくるのだろう。まじめで、素直で、音をよく守る子を。
いまも耳の奥で、あの水を叩く音が鳴っている。ぴしゃ、ぴしゃ、と。守れば死ぬ、と知っている私の耳に、その音は、もう二度と合図には聞こえない。




