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エンゲブラ的短編集

エステルは『側妃でもかまわない』と答えた。

作者: エンゲブラ
掲載日:2026/05/21

「やだもう、いったい何を考えておられるのかしら、このガスパール伯爵って御方は!」


エステルは、吐き捨てるように言った。

無限に送られてくる釣書つりがきの山。

彼女は、心底疲れ果てていた。


先日、王家主催の合同デビュタントを無事に終え、淑女の仲間入りを果たしたエステルは、早くもそれを返上したい気分であった。


ガスパールは、五十代のバツイチ男。

父のジェラールよりも、さらに歳高な、老境の域にも差し掛かった、伯爵家当主だという。


エステルのモンフェリエは、子爵家。

家格で考えれば、好待遇に属する縁談でもあったが、さすがにこれは却下である。


「やれやれ、ルシールの時も凄かったが、今回はさらに凄まじい。断りの親書を書くだけでも、ひと苦労だぞ、これは」


山脈を成す釣書に、溜息をつくジェラール。

ルシールとは、エステルの姉のことで、彼女も王国屈指の美女である。結果、彼女も上位の伯爵家へと嫁いでいる。


貴族の結婚は政略に尽きる。

そのため、家格差の大きな婚姻は稀である。

だが、この姉妹の美貌は、群を抜いていた。

魅惑の権益などよりも、価値のあるもの。

<最高級のアクセサリー>として、多くの上級貴族から求められることとなった。


「―― 大変です、旦那様! 王宮からの使者を名乗る馬車が、門前にまで訪ねて来ております!」


老執事が、息を切らしながら、執務室に無断で駆け込んできた。少々不敬にも当たる行為であったが、事が事であった。





使者がうやうやしく持参した王室の家紋入りの箱。その中には、最高級の羊皮紙とインクで書かれた釣書と、宮廷お抱えの画家による殿下の姿絵が収められていた。


やんごとなき者の名は、アルベール。

この国の第三王子であった。


「あら、これを描かれた画家は、あまり人物画がお上手ではないのかもしれませんわね。実物とかけ離れ過ぎですわ」


恐れ知らずのエステルが毒を吐き、ジェラールの心臓がキュっと締まった。


「たしかにそうね。誇張にしても、美化するパーツを間違っているわ。これでは赤の他人の肖像だわ。いったい何の冗談なのかしら」


「おっ、おい……さすがにそれは不敬に当たるのではないか、マルグリットよ」


エステルに同調し、さらに毒を重ねるマルグリットをたしなめるジェラール。


エステルの母・マルグリットは、名門のヴァレンシアール侯爵家の出である。そのため、この高慢ぶりは彼女の平常運転であった。


また彼女のとげのある言葉には、意図があった。

マルグリットはジェラールの容姿に惹かれ、わざわざ二階級も降嫁した女であるが、ジェラールのこのキュっとなる顔を特にでていた。


エステルが参加した合同デビュタントは、王宮で行われ、たしかに王族も臨席していた。だが、まさかその王族からの求婚があるとまでは、誰も想定しておらず、これはほとんど「決定に近い縁談」である。


「で、どうなの、エステル。貴方の意思は?」


「うーん、悪くない話ではあるのですが……」


「だっ、『だけど』とはなんだ、エステル!」


「ちょっと貴方は黙ってなさい」


ジェラールを軽く制止するマルグリット。


それはエステルにとって、いつもの風景であった。

また彼女にとっては「理想的な夫婦像」でもあったため、微笑し、ジェラールはさらに顔を赤らめることとなった。


「他に気になる殿方でもいるのかしら、エステル?」


「……」


エステルは黙ってうなずき、ひとつの釣書をマルグリットの前へと差し出した。差出人の名は、エリック・ベルモラン。男爵家の当主と記載されていた。





ベルモランからの縁談は、非常にふざけたものであった。


到底、求婚とは思えぬ、罵倒語が多く散りばめられた親書。それにデタラメな内容の目録と抽象画のような怪奇な肖像が添えられており、送り返し先の記載もなかった。


「―― いったい何者なのだ、そのベルモランなる男は! エステルのことを舐めよって! 正式に抗議してやる」


珍しく攻撃的な態度を見せるジェラールに、マルグリットとエステルの母子は、思わず失笑した。


「いったい何がおかしいというのだ? ひょっとして、そのベルモランなる男爵は……大物であったりするのか?」


縁談は、上位ないしは同階級の貴族家からのものばかりであり、格下の男爵家からは、ベルモランからしかなかった。そのため、ジェラールは気苦労の鬱憤をこいつで晴らそうと考えた。しかし、母子の反応に違和感を覚え、また心臓をキュっとさせることなった。


「ベルモラン ―― そんな男爵家はそもそも存在しませんことよ、貴方」


「……ふぇっ?」


素っ頓狂な声が出た。

ジェラールは、妻が何を申しているのか、にわかには理解できず、エステルを見遣った。だが、エステルもただ頷くだけで、ジェラールはさらに混乱することとなった。


「エリック・ド・ベルモラン。彼は正体不明の人気作家様なのですの、お父様」


ジェラールの子犬のような反応に愛らしさを覚え、思わず助け舟を出すエステル。マルグリットの「早すぎる」という微かな舌打ちの音が聴こえたが、それすらも好ましく感じるエステルであった。




<エリック・ド・ベルモラン>の名は、ペンネームである。

三年ほど前に、突如として現れた人気作家である。


宮廷内の陰謀や不埒な令嬢たちとの禁断の恋物語を描き、瞬く間に多くの貴族令嬢たちの心を鷲掴みにした謎の小説家。―― それがエリック・ド・ベルモランである。


「小説家だと? ひょっとして貴族ですらないのか?」


「そんなわけないでしょ。あれだけの文章が書ける御方なのに」


マルグリットも、ベルモラン作品の愛読家であった。


「そうよ、お父様。エリック様は貴族、それもかなり高位の方々に近しい場所にいる方に違いありませんことよ」


拳を握りしめ、母に強く同意するエステル。彼女も隠れてファンレターを送る程度には、ベルモラン作品の信者であった。


ふたりの様子に、ずっと「意味が分からない」といった表情でキョロキョロし続けてきたジェラールは、意を決することにした。


「……悪いが、そのベルモランとやらからの親書を私にも見せてもらえないか、エステル」


マナー違反であることを承知しながら、エステルから受け取った親書に目を通し始めたジェラールは、すぐに震え出す。


「……いっ、いったい何だというのだ、この親書は! ぶっ、無礼にもほどがあるではないか!」


ベルモランが、達筆でしたためた文書は、全文が毒舌で埋め尽くされていた。エステルの高慢な立ち振る舞いに始まり、それに舞い上がる貴族たちへの罵詈雑言が、面白おかしく書き連ねられている。特に王族であるにも関わらず、のぼせ上った姿を見せたアルベールへの揶揄は、完全に不敬罪に相当するものであり、ジェラールを青ざめさせた。


そして親書の最後は ――


高慢なる小娘エステルよ、

アルベールへの見下したようなあの対応は、非常に見事であった。

お前のような性悪女には、同じく私のような性悪男がお似合いであろう。

私のもとへと来るがよい。適度には遊ばせてやろう。


お前の愛すべき男、エリックより


―― で締めくくられていた。


「いかん、いかん、いかんっ! いったい何だというのだ、これは! このような不埒な男に、私の可愛いエステルをやれるわけがなかろう! 絶対にコイツだけはいかんぞ、エステル! マルグリット!」


始めて見せるほどのジェラールの癇癪ぶりに、唖然とするマルグリットとエステルであったが、同時にひとつの確信めいたものが、彼女たちにはあった。






「なあ、エステルよ……返書だけでよかったのではないのか。どうして、わざわざ……」


王宮内を歩く、モンフェリエ親子。


縁談の断りを入れるのに、わざわざ「王宮に行け」という妻の言葉に、最初は耳を疑うジェラールであったが、エステルからの強い願いもあり、渋々同伴。彼は、このあと起こるかもしれない<最悪の事態>の想像に身を震わせながら、この日も子犬ぶりを見せていた。


「だいじょうぶよ、お父様。きっと悪いようにはならないから」


「いったいどこから、その自信がくるのだ、お前ら母子は? 最悪の場合、国外逃亡すら考えねばならぬというのに」


「ふっ、そうなったら、その時よ。ほら、もう少し早く歩いてくださいませ、お父様」


ジェラールとは、対照的にエステルの心は逸っていた。

その不可解なふたりの様子に、先を歩く案内人は、声を殺しながら、肩を揺らした。





「―― よくぞ、参った。モンフェリエ親子よ。今日はよき返事を携えてきたのであろうな?」


王のいきなりの言葉に、背筋を凍らせるジェラールとエステル。


(ひょっとしたら、ひょっとする……かも?)


それまで楽観的であったエステルも、ここに来て、急に不安になってきていた。万が一、自分の読みが外れていた場合、本当にジェラールの想像する<最悪の事態>もありえるからである。



「は、早く返事を聞かせてくれ、エステル嬢よ」


芋くさい青年が、順序をわきまえず、口をはさんだ。

此度の不釣り合いな求婚をしてきた本人。第三王子のアルベールであった。


同席していた王妃カロリーヌと王太子のステファンは、思わず眉をひそめた。しかし、王は気にせず、さらに繋げた。


「して、返事やいかに?」


呆れたという表情で、同時に天を仰ぐ王妃と王太子。

この母子は顔だけでなく、動作までそっくりであった。

それに興味をそそられている娘を横目に、ジェラールは意を決して答えた。


「ま、誠に不敬では御座いまするが……」


「こっ、断ると申すのか! 我はこの国の王族であるぞ! エステルよ! この男の発言は、お前の本心なのか?」


テーブルをドンと叩き、椅子から立ち上がるアルベールの姿に肝を冷やすモンフェリエ親子。


「いい加減になさい、アルベール。いつまで子供のままでいるつもりなの、みっともない」


王妃の冷ややかな言葉と目が、アルベールに同調し、立ち上がろうとしていた王をも同時に静止させた。


「誰か、他に思い人でもいるのかな、エステル嬢には?」


ステファンが、助け舟を出すように、口を開いた。


「ええ……あっ、はい!」


緊張だけではない動悸の高鳴りを必死に抑えながら、エステルは答える。


「彼の殿方は、正体不明の小説家様なのでございますが ―― 」


エステルの語り出しに、思わず両手を顔を覆い、慌ててそれをやめるジェラール。終わった! ―― 彼は心の中でそう叫んだが、王家の反応は、彼の予想に反するものであった。


「くそっ、どうして皆、兄上ばかりに……」


消沈したようにこぼすアルベールと顎ヒゲを撫でる王。

そして視線を交わし、目で会話をする王妃と王太子の姿が、そこにはあった。





謎の毒舌小説家<ベルモラン男爵>の正体。

それは、王太子のステファンであった。


三年前、宮廷の内外における陰謀の数々に、心底疲れ果てていた彼は、魔が差して、ひとつの小説を書き下ろした。


『ベルロワ王国における醜悪なる面々』


ステファン自身のガス抜きのために書かれた小説であったが、


「いったい何者なのだ、このベルモランとやらは?」

「一級の諜報員か、何かか?」

「それにしても、この宮廷伯だけは許せんな。完全な害虫ではないか!」


宮廷内闘争や、外部との軋轢あつれきの描写があまりにも精緻であったため、貴族たちのあいだで話題を呼び、その熱狂は隣国にまで波及するほどであった。


それは書いた本人すら予期せぬ反応であったが、まんざらでもなかった。だが、直接的にではないにせよ、国の内情をこれ以上ばらすのも少々まずいと考えた。そこで二作目からは路線を変更することにした。―― 不埒な男爵による恋物語である。


すると、今度は令嬢たちの心に突き刺さり、これまた大ヒットすることとなった。


ジェラールは、これらの作品を一度も読んだことがなかった。

そのため、まったく会話についていけず、唖然とするほかなかったが、エステルは目を輝かせながら、ステファンの話に食い入った。


「なんと、あの事件の元ネタは、ランヴァリエにおけるクーデターの計画だったのですね。そのようなことが実際にあっただなんて!」


エステルは、恋物語よりも処女作『ベルロワ王国における醜悪なる面々』を特に好んでいた。そのため、作者本人から聞く<裏話>に狂喜し、国王夫妻を前に指を鳴らすほどの興奮を見せていた。


アルベールの姿は、もうそこにはなかった。

すでに自室へと戻り、泣き濡れている頃であった。


「して……お前は、この自称・小説家のステファンからの求婚を受けるつもりなのか、エステルよ?」


王は、物憂げにエステルに問うた。


エステルは、王の存在をすっかり忘れていたが、その言葉に、再び背筋を伸ばした。


「謹んで、お受けしとう存じます、陛下」


「だが、モンフェリエはたかだか子爵家。ステファンは王太子である。正妃にというわけにはいかぬが?」


王の言葉に、皆が息を飲んだ。


「もちろんに御座います、陛下。わたくしは側妃にて、いえ、愛妾でも十分に御座いまする」


その言葉に、カロリーヌとステファンは肩を揺らして微笑し、王は溜息をついた。


わたくしめの勝ちに御座いまするな、父上」


「いや、しかしだな ―― 」


「しかしもへったくれも御座いません、貴方。王が一度口にした約束を反故ほごにするなど、けっして許されませぬ」


カロリーヌの圧に負けし、項垂うなだれるように頷く王・フィリップ。彼は、王妃にそっくりなステファンを苦手としており、また自分にそっくりな気質のアルベールを溺愛していた。そのため、今回の求婚でもアルベールに肩入れしていたが、アルベールの姿は、すでになく、また<賭け>にも敗北することとなった。


ステファンからの提案は、こうであった。


「もし万が一、エステルが自ら『側妃でもかまわない』と言った場合、正妃として迎えることも許す」


―― といった条件の賭けであった。


不正のないよう、ステファンが架空の男爵としてエステルに送った親書の中身も、フィリップは確認していた。そのため「こんな求婚を受ける馬鹿な令嬢など、この世におるまい」と安心し、その賭けに気軽に応じてしまっていた。


それがベルモラン作品内における〈符牒〉であったことも知らずに。




―― Fin.


エピローグを書くことも考えましたが、蛇足となる可能性もあるため、今回は省かせていただきます。


ちなみにステファンがエステルに興味を持った理由は、彼女から毎回送られてくる、ステファンの想像の斜め上を行く「ファンレター」から。


「側妃でもかまわない」というエステルの言葉は、ベルモラン作品内でのセリフを踏襲する、いわばオマージュ。息子の作品を読んでいなかった王が悪いというオチの賭け。



多くの作品の中から、

この作品を最後まで、お読みいただきありがとうございました。


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