第9話 庭のバーベキューと、バレてしまった秘密
婆さんの家を相続してから、早数ヶ月。
俺の懸命な土木作業と草刈りの甲斐あって、荒れ放題だった屋敷の周りは、なんとか人様をお招きできるレベルまでには整っていた。
そうなると、だ。
日頃、何かとお世話になっている(あるいは、監視されている)あの二人に、感謝の気持ちを示すべきだろう。
そう、これは感謝の気持ちだ。断じて、下心などない。たぶん。
そして、運命の休日。
俺は、ピカピカに磨いた愛車のジムニーを走らせ、待ち合わせ場所の駅前ロータリーへと向かった。
先に着いていたのは、白いワンピース姿の茜さんだった。普段の作業着やラフな格好とは違う、大人の女性の魅力が全開だ。
「おっまたせ、嶺くん! 今日はありがとうね!」
「い、いえ、こちらこそ!」
俺がドギマギしていると、そこに、もう一人の人物が、ゆっくりと姿を現した。
黒を基調とした、少しゴシックな雰囲気の私服。バイトの制服姿しか知らなかった俺には、新鮮に映る。澄田さんだ。
「……どうも」
茜さんがにこやかに「初めまして、大峰です」と挨拶するのに対し、澄田さんは、ぺこり、と小さく頭を下げるだけ。
初対面となる二人の女性の間には、明らかに、見えない火花が散っている。
なんだ、この空気……。胃が、キリキリする……!
「さあ、二人とも乗って! すぐに着くから!」
俺は、この気まずい空気から逃げるように、二人を車に促した。
後部座席に並んで座る二人。バックミラー越しに見えるその光景は、なんとも言えない緊張感に満ちていた。
幸い、駅と俺の家は、車ならそれほど時間もかからない。
俺は、無言のプレッシャーを感じながら、安全運転で山道を進んだ。
「わー、すごい! 綺麗になったじゃない!」
家の庭に到着するなり、茜さんが感嘆の声を上げた。
俺は、この日のために用意したテーブルと椅子に二人を案内し、早速バーベキューの準備を始める。
「茜さんは、ビールでいいですよね? プレミアムなやつ、冷えてますよ」
「きゃー、嬉しい! 嶺くん、気が利く!」
俺が送迎役なので、茜さんには心置きなく飲んでもらう算段だ。
一方、澄田さんは、まだ高校生のはず。もちろん、アルコールは厳禁だ。
「澄田さんは、ジュースでいいかな?」
「……はい」
俺は、自分用のノンアルコールビールと一緒に、オレンジジュースを彼女の前に置いた。
すると、澄田さんは、ジュースには目もくれず、俺のノンアルの缶をじっと見つめている。
「……それ、なんですか」
「え? ああ、ノンアルだよ。アルコール分ゼロのビールテイスト飲料」
「……それ、ください」
「え、いいけど……」
なんだろう、この子。
俺は戸惑いながらも、新しいノンアルの缶を渡す。
彼女は、それをプシュリと開け、こく、こくと飲み始めた。その姿は、なんだか、少しだけ大人びて見えた。
俺は、この日のために奮発した、少し良い肉を網の上に乗せていく。
ジュージューという音と、香ばしい匂いが立ち上り、さっきまでの緊張感が、少しだけ和らいだような気がした。
……気がしただけだった。
「ところで、嶺くんって、澄田さんとはどういう関係なの?」
ビールで少し頬を赤らめた茜さんが、にこやかに、しかし、目の奥が笑っていない表情で、核心を突いてきた。
「えっ!? いや、関係って……麓のコンビニの店員さんと、常連客っていうか……」
「ふーん。よく、あのコンビニに行くのね?」
「は、はい。一番近いですし……」
「……別に、ただのバイトです」
澄田さんが、ボソリと呟く。
やめてくれ! 俺を挟んで牽制し合うのは!
俺は、この流れを断ち切るべく、とっておきの食材を取り出した。
先日、永禄尾張で収穫した、あの最高級の松茸だ。
「ささ、これも焼きましょう!」
俺が、威勢よく松茸を網の上に乗せた、その瞬間。
二人の女性の動きが、ピタリ、と止まった。
「……嶺くん」
茜さんの、にこやかな声のトーンが、一段低くなる。
「それ、何……。どう見ても、松茸にしか見えないんだけど」
「ええ、そのつもりで、裏山から採ってきましたけど」
「え?」
今度は、澄田さんが、鋭い視線を俺に向けてくる。
「時期が、おかしくないですか。まだ、九月ですよ。こんな、夏みたいな陽気が続いてるのに」
……しまった!
完全に、墓穴を掘った!
確かに、今年の九月は、異常なほどの残暑が続いていた。世間では、キノコの不作がニュースになっているくらいだ。
そんな中で、こんな見事な天然物の松茸が出てくるなんて、不自然極まりない。
「い、いやー、たまたまじゃないかな! 日当たりの悪い、涼しい場所に生えてたとか……あはは」
俺が苦し紛れの言い訳を並べると、茜さんは、じーっと俺の顔を見つめ、そして、にっこりと微笑んだ。
アルコールが入っているせいか、その追及は、いつもより、遥かに鋭利だった。
「ねぇ、嶺くん。正直に、教えて? この松茸、本当に、この山のもの? 農協職員として、この時期の、この品質の松茸は、どうしても看過できないのよ。万が一、不正なルートで……なんてことになったら、嶺くんのためにならないわ」
その優しい口調は、もはや、逃げ場のない尋問だった。
澄田さんも、無言で俺にプレッシャーをかけてくる。
……だめだ。これは、もう、ごまかせない。
俺は、観念して、天を仰いだ。
「……分かりました。話します。でも、その前に、見てもらいたい場所があるんです」
俺は、神妙な面持ちで二人を促し、家の奥、あの仏間へと連れて行った。
突然の展開に、二人は戸惑いながらも、俺の後をついてくる。
薄暗い仏間の、荘厳な仏像の前に立ち、俺は深呼吸を一つした。
「信じてもらえないかもしれないですけど……俺、この場所から、別の世界に行けるんです」
「……は?」
「別の、世界……?」
俺の言葉に、二人はポカンとしている。
そりゃそうだ。俺だって、自分が何を言っているのか、分からなくなる時がある。
だが、俺の次の言葉に、二人の表情は一変した。
「ひょっとして……それって、異世界転移、ってことですか!?」
声を上げたのは、意外にも、澄田さんだった。
彼女の目は、今までに見たことがないくらい、キラキラと輝いている。
「え、澄田さん、なんで……」
「私、ラノベ、大好きなんです! 異世界転移モノとか、もう、ほとんど全部読んでます!」
……なんだって!?
あの、絶対零度の毒舌バイト嬢が、ラノベ好きのオタク女子だったとは!
「え、そうなの!? 私も、その手の話、好きよ! 漫画版だけど、色々読んでるわ!」
今度は、茜さんまでが、目を輝かせて会話に加わってきた。
俺の予想では、ドン引きされるか、頭がおかしくなったと心配されるかの二択だったんだが……。
なんだ、この展開。
俺は、唖然としながらも、スマホを取り出し、これまでに撮影した永禄尾張の写真を見せた。満天の星空、廃集落、そして、俺の『時空ジャーニー研究ノート』まで。
「すごい……! 本当に、ファンタジーの世界じゃないですか!」
「この星空、AIの解析結果が『永禄三年』って……ガチのタイムスリップでもあるのね!」
さっきまでの気まずい空気が嘘のように、二人は俺の転移話に、すごい勢いで食いついてきた。
特に、澄田さんの食いつきは、尋常じゃなかった。
「あの! あの! ひょっとして、私も行けますか!?」
澄田さんが、身を乗り出して聞いてくる。
「えっ、私も行きたい! 連れてってよ、嶺くん!」
茜さんまでが、懇願するように言ってくる。
やれやれ、どうしてこうなった。
「い、いや、行けるとは思うけど……俺の検証だと、今のところ、新月の夜しか、安定して転移はできないみたいで……」
「新月の夜……」
「次だと、十月になってからかな」
俺がそう答えると、二人は、同時に声を上げた。
「「それなら、次に連れて行ってください(ちょうだい)!」」
「い、いや、でも、夜しか行けないんだよ!?」
俺は、慌てて付け加える。
茜さんは、大人の女性だから、自己責任でまだいいかもしれない。
だが、澄田さんは、まだ未成年だ。そんな彼女を、夜中にこんな山奥まで連れてくるのは、色々とまずいだろう。倫理的にも、法律的にも。
「大丈夫です! 親には、友達の家に泊まるって言いますから!」
「そうよ、嶺くん! 私が、ちゃんと保護者として監督するから、問題ないわ!」
……だめだ、この二人、聞く耳を持たない。
さっきまで、初対面でバチバチやっていたのが嘘のように、二人は「チーム永禄、結成ね!」「はい、茜さん!」などと、勝手に盛り上がり、連絡先まで交換している。
俺は、完全に置いてけぼりだった。
結局、その日のバーベキューの後半は、俺が撮った写真を見ながら、転移先のことで、三人で大いに盛り上がった。
夕方になり、名残惜しそうにする二人を、俺はジムニーで駅まで送る。
秘密を共有したことで、俺たちの関係は、なんだか、奇妙な共犯関係へと変化してしまったようだ。
やれやれ、俺の戦国サバイバル生活は、これから、一体どうなってしまうのだろうか。
ただ一つ確かなのは、次の新月が、とんでもなく波乱に満ちたものになる、ということだけだった。
俺は、二人の女神(という名の厄介事)を乗せたジムニーを走らせながら、大きく、そして、深いため息をつくのだった。