第7話 土のうとバーベキューと、時々、嫉妬
永禄尾張での三日間の冒険から戻り、俺は一つの現実に直面していた。
あの忘れられた集落。
あそこを活動拠点にするという計画は、実に魅力的だ。
だが、問題は山積みだった。
婆さんの家の周りを整備するだけでも、トラクターを借りて一月近くかかったんだ。
あの廃集落全体を、俺一人の力でどうにかしようなんて、それこそ年単位のクエストになってしまうだろう。
「……無理ゲーすぎるだろ」
そもそも、あの場所が正確にいつ、どこなのかという確証すらない。
時空の彼方にポツンと存在する孤島のようなものだ。
他からの応援なんて、望めるはずもなかった。
となれば、だ。
まずは、こちらの世界、令和日本における俺の城の足元を固めるのが先決だろう。
特に、インフラだ。道が貧弱すぎる。
コンビニや農協に行くたびに、麓まで軽バンでガタガタと悪路を下り、帰りにはヒーヒー言いながら大量の荷物を担いで山を登る。この苦行から、まず解放されなければ。
「何か、いい方法はないもんか……」
俺はPCに向かい、いつものようにネットの海を漂い始めた。
人力、低コスト、道路整備、そんなキーワードで検索をかけていく。
すると、ある一つの記事が目に留まった。
『日本のNPO、アフリカで驚きの道路整備! 土のうを使った画期的な工法とは』
……土のう?
記事を読み進めると、そこには、特別な重機を使わず、現地の人々の力だけで、土を詰めた袋、つまり土のうを敷き詰めて、雨季のぬかるみにも耐える頑丈な道を作り上げる様子が、写真付きで紹介されていた。
「これだ……! これしかない!」
ピコン、と俺の頭の中で、またしても何かが繋がった。
これなら、重機が入れない俺の家の前の細い山道でも、人力だけで整備できるじゃないか。
俺はすぐさま、計画の実行に移ることにした。
向かうは、もちろん農協だ。
「いらっしゃいませー。あら、嶺くん」
「どうも、茜さん。ちょっと注文したいものが……」
俺が差し出したメモを見て、茜さんはきょとん、と目を丸くした。
「……土のう袋、二百枚? それに、結束用の紐も……。嶺くん、一体、何と戦うつもりなの? 今度は、お城でも築くの?」
そのセリフ、どこかのコンビニ店員にも言われたような……。デジャヴか?
「いや、違うんです! 道を! 道を直そうと思って!」
俺は必死に、ネットで見つけた土のう工法について説明した。アフリカで、日本の技術がいかに貢献しているかを、身振り手振りを交えて熱弁する。
すると、茜さんは、最初はポカンとしていたが、やがて興味深そうに目を輝かせ始めた。
「へぇー、面白そうじゃない! なんだか、すごいね、嶺くん。そんなことまで知ってるなんて」
「えへへ、まあ、ネットで調べただけですけどね」
「よし、決めた!」
茜さんは、パン、とカウンターを叩いた。
「面白そうだから、お姉さんも手伝ってあげる!」
「えっ!?」
「人手は多い方がいいでしょ? それに、そんな壮大な計画、一人でやってたら、また泥んこになって遭難しかねないしね」
悪戯っぽく笑う茜さん。
いや、助かる。めちゃくちゃ助かる。だが、しかし。
女性に、こんな土木作業を手伝わせるなんて、どうなんだろうか。
「い、いや、でも、力仕事ですし……」
「あら、私を誰だと思ってるの? 農協の女をなめないでよね。トラクターの運転だって、嶺くんより上手いくらいなんだから」
そう言って、茜さんはむん、と力こぶを作ってみせる。
その頼もしい姿に、俺は思わず頷いてしまっていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……。その、お礼と言ってはなんですが、作業が終わったら、うちの庭でバーベキューでもしませんか? 材料、奮発しますんで!」
「ほんと!? やったー! じゃあ、決まりね!」
かくして、俺は農協のアイドルと、奇妙な土木作業デートの約束を取り付けることに成功したのだった。……これ、デートでいいんだよな?
そして、三日後の休日。
約束の時間通り、一台の軽トラが、家の麓の道に乗り付けてきた。
運転席から、颯爽と降りてきたのは、作業着姿の茜さんだった。
「おっまたせー! よーし、やるわよー!」
なんだか、俺よりやる気満々だ。
俺たちは早速、道端に土のう袋の山を置き、スコップで土を詰めていく作業を開始した。
ひたすら土を詰め、口を縛り、それを道の端から敷き詰めていく。単調な作業だ。
だが、一人でやると心が折れそうになるこの作業も、二人だと、不思議と楽しかった。
「よいしょっと! ねぇ、嶺くん、なんか私たち、息ぴったりじゃない?」
「そ、そうですかね?」
「うん! 嶺くんが土を入れて、私が口を縛る。このコンビネーション、完璧よ!」
茜さんは、額に汗を浮かべながら、満面の笑みでそう言った。
確かに、作業効率は段違いだった。一人でやっていたら、一日かかっても数メートル進むかどうかだっただろう。それが、午前中だけで、みるみるうちに土のうの道が伸びていく。
気づけば、太陽は真上に昇っていた。
「よし、午前の部はここまで! お待ちかねのバーベキュータイムにしましょ!」
茜さんの号令で、俺たちは作業を中断し、家の庭へと向かった。
俺が用意したコンロで肉を焼き、キンキンに冷やしておいたノンアルコールビールで乾杯する。
「んー、美味しい! 汗をかいた後だと、格別ね!」
茜さんは、実に美味そうに肉を頬張り、ノンアルをごくごくと飲み干していく。
その姿を見ているだけで、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
だが、問題が発生した。
「あ、嶺くん、ごめん。もう無くなっちゃった」
茜さんが、空になったノンアルの缶を掲げてみせる。
しまった……! 茜さんがこんなに飲むとは思わず、俺一人で麓から担いでくることを考えて、量をケチってしまったのだ。
「す、すみません! すぐに、取って……いや、買いに……」
「ううん、いいのいいの。気にしないで。でも、大変ね、毎回、こんな重いものをここまで運んでくるの」
「ええ、まあ……。だから、今、中古でいいから、四駆のオフロード車が欲しいなって思ってるんですよ。ジムニーとか」
俺がぽつりと呟くと、茜さんは、にぱっと笑った。
「なーんだ、そんなこと! 任せなさい!」
「え?」
「私に、いい知り合いがいるのよ。中古車屋さんの。安くていい車、きっと見つけてくれるわ。来週の休み、一緒に行ってみましょ!」
「い、いいんですか!?」
「もちろん! バーベキューご馳走になったお礼よ!」
……なんだろう、この展開。
土木作業デートの次は、中古車屋巡りデートか?
俺の人生のクエストが、急にイージーモードになったような気がする。
それから数日後。
弾切れになった日用品を買い足すため、俺は久しぶりにあのコンビニを訪れていた。
カラン、とドアベルが鳴る。
「……いらっしゃいませ」
いた。レジカウンターの向こうに、バイトの澄田さんだ。
彼女は、俺の顔を見るなり、ふい、と視線を逸らした。
……あれ? なんだか、いつもより、さらに不機嫌なような……。
俺がおずおずと商品をレジに置くと、彼女は無言でバーコードをスキャンし、ボソリと呟いた。
「……最近、ずいぶんと楽しそうですね」
「え?」
「農協の人と、バーベキューですか。いいご身分で」
……なっ!?
なんでそれを知ってるんだ!? エスパーか!? それとも、この山に監視カメラでも仕掛けているのか!?
「い、いや、あれは、その、道の整備を手伝ってもらったお礼で……」
「……別に。どうでもいいですけど」
ツン、と澄田さんは横を向く。
その横顔が、なんだか、少しだけ、寂しそうに見えたのは、きっと俺の気のせいだろう。
うん、気のせいだ。
俺は、彼女の冷たい視線から逃げるように、すごすごとコンビニを後にした。
やれやれ、女心は、時空転移の法則より、よっぽど複雑怪奇だ。
そして、運命の週末。
俺は、茜さんと待ち合わせ、彼女の知り合いだという中古車屋を訪れていた。
私服姿の茜さんは、いつも農協で見る姿とはまた違った魅力があって、俺は内心、ドギマギしっぱなしだった。
「このジムニーなんて、どうかな? 年式はちょっと古いけど、前のオーナーさんが大事に乗ってたみたいだし、足回りもしっかりしてるわよ」
茜さんは、まるで自分の車を選ぶかのように、真剣な眼差しで車をチェックしている。頼もしすぎるだろ、この人。
結局、俺は彼女のお眼鏡にかなった、シルバーのジムニーを、なけなしの貯金をはたいて、現金で購入した。
「やったわね、嶺くん! これで、今日から快適な山暮らしよ!」
「は、はい! 全て茜さんのおかげです!」
納車の手続きを終え、俺は早速、買ったばかりの愛車に茜さんを乗せ、試運転がてらのドライブに出かけることにした。
これって、完全に、車デートじゃないか……?
四駆のエンジンが、力強く唸りを上げる。ガタガタだった山道も、嘘のようにスムーズに進むことができた。
「すごい……! 文明の利器、最高だ……!」
「ふふ、大げさね。でも、本当によかった」
茜さんは、助手席で優しく微笑んでいる。
なんだか、いい雰囲気だ。
俺は、少しだけ感傷的な気分になり、ぽつり、ぽつりと自分のことを話し始めた。
会社を辞めて、都会から逃げるように、この山に引きこもるようになったこと。
最初は、ただ無気力に日々を過ごしていたこと。
「そうだったの……。大変だったのね、嶺くん」
茜さんは、相槌を打ちながら、真剣に俺の話を聞いてくれた。
その優しい眼差しに、俺はなんだか、すべてを話してしまいたくなった。
同情されたついで、というわけではないだろうが、茜さんも、自分のことを話してくれた。
「実は、私……一度、結婚に失敗してるの」
「え……」
「数年前に結婚したんだけどね、一年も経たないうちに、旦那の浮気が原因で離婚。笑っちゃうでしょ?」
そう言って、彼女は寂しそうに笑った。
俺は、かける言葉が見つからなかった。
「だから、もう恋なんてこりごりだって思ってたんだけど……。でも、やっぱり、一人は寂しい時もあるかな。いい人がいたらなーって」
茜さんは、窓の外に視線を向けながら、そう呟いた。
そして、急にくるり、と俺の方を向き、悪戯っぽく笑った。
「……なんてね。ねぇ、嶺くん」
「は、はいっ!」
「私をもらってくれない?」
……へ?
今、なんて?
俺の思考は、完全にフリーズした。
頭の中で、警報がけたたましく鳴り響く。なんだ、このクエストの急展開は!
「あはは! 冗談よ、じょーだん! そんなに固まらないでよ!」
茜さんは、俺の反応を見て、お腹を抱えて笑っている。
冗談……だよな? そうだよな?
だが、その時の彼女の瞳は、なんだか、本気と冗談の境界線が、ひどく曖いまい見えた。
その日のドライブデートは、そんな爆弾発言もありつつ、最高に楽しい時間だった。
俺と茜さんの距離は、この一日で、物理的にも、心理的にも、急速に縮まったような気がする。
ただ……。
自宅に戻り、新しい愛車を眺めながら、俺はふと思う。
茜さんを、今度、改めて家に招待して、ちゃんとお礼をしないとな。
そういえば、なんでだろう。
いつの間にか、澄田さんも、家に招待することになっていたような気がするんだが……。
俺の頭の中に、二人の女性の顔が交互に浮かび、そして消えていった。
やれやれ、俺の戦国サバイバル計画は、なんだか、予期せぬラブコメ展開に巻き込まれ始めているのかもしれない。
……無理だな、うん。このクエスト、難易度が高すぎる。