第20話 津島への第一歩
皐月、五月十六日。俺たちの、月一度の転移の日がやってきた。
婆ちゃんの家のリビングは、さながら、永禄尾張への物資集積所の様相を呈していた。俺が、向こうの皆から頼まれていた化学肥料の袋の横で、茜さんが、まるで通販番組の司会者のように、熱弁をふるっている。
「いい、嶺さん! これが、今回の目玉商品、『備中鍬』よ! 普通の鍬と違って、先が三本に分かれてるから、固い土地でも、少ない力で、ざっくざく耕せるの! まさに、農業革命よ!」
「さらに、こちらの『ねじり鎌』ですが、刃に、わずかな角度がついているため、従来の鎌と比較して、約1.2倍の効率で、雑草を刈り取ることが可能です。人間工学に基づいた、優れた設計ですね」
茜さんの熱弁を、澄田さんが、冷静なデータで補足する。もはや、この二人の連携は、芸術の域に達していた。俺は、彼女たちが、ホームセンターで、吟味に吟味を重ねて、選んできた、数々の「転生転移チート定番グッズ」を、言われるがままに、段ボールに詰めていく。
「というか、この量、一人で運べるか……?」
「あら、大丈夫よ。私たちが、手伝ってあげるから」
「ええ。合理的な、人員配置です」
にこやかに、そう言ってのける、二人の女神。もはや、俺に、拒否権など、存在しなかった。
俺たちは、大量の物資と共に、永禄尾張の地へと、舞い降りた。
「う……さむっ!」
光の中から、一歩、足を踏み出した瞬間、俺は、思わず、身を震わせた。五月だというのに、山の空気は、ひんやりと、肌寒い。令和の感覚で、薄手のシャツ一枚で来てしまったのは、完全に、失敗だった。
「……だから、言ったでしょう?」
「……危機管理能力が、著しく、欠如していますね」
茜さんと澄田さんから、同時に、冷ややかな視線と、ため息が、突き刺さる。
「ほら、見てなさい! 風邪でも引いたら、どうするの!」
「この時代の、医療水準を、侮ってはいけません。肺炎は、死に、直結します」
次の瞬間、俺は、またしても、二人に、両腕を掴まれ、有無を言わさず、時空のトンネルへと、逆戻りさせられた。
「ちょ、ま、待ってくれ!」
「問答無用!」
「再発防止策の、徹底が、急務です!」
令和の仏間に、戻された俺は、そのまま、リビングに、連行され、あれよあれよという間に、茜さんの、父親の、お古だという、ダウンジャケットを、着せられ、澄田さんからは、化学繊維でできた、高機能インナーを、手渡された。
「これで、よし! ちょっと、ダサいけど、我慢しなさい!」
「熱伝導率の低い、空気の層を、確保することが、重要です。覚えておいてください」
二人に、甲斐甲斐しく、世話を焼かれ、俺は、恥ずかしさと、それとは、別の、温かい何かが、胸に、こみ上げてくるのを感じていた。
なんだ、この、母親が、二人も、できたみたいな、感覚は……。
いや、それも、ちょっと、違うか。
俺が、一人で、赤面していると、二人は、満足げに、頷き合った。
「よし、これで、完璧ね!」
「ミッション、コンプリートです」
そして、俺は、再び、永禄の地へと、送り出されたのだった。俺の、意思など、そこには、一切、介在しない。
永禄の村では、俺たちが、持ち込んだ、新たな農具が、熱狂的に、歓迎された。特に、備中鍬の、威力は、絶大で、山窩の男たちは、面白いように、固い地面を、掘り返していく。
「すげえ! なんだ、この、鍬は!」
「いつもの、半分の力で、倍は、掘れるぞ!」
芋や、蕪といった、比較的、栽培が容易で、融通の利く、新たな作物のための畑が、みるみるうちに、広がっていった。
茜さんと、澄田さんは、今回も、短い滞在時間の中で、精力的に、動き回った。
茜さんは、詩織さんに、新たな作物の、栽培方法を、徹底的に、叩き込み、澄田さんは、村の、あらゆる、生産活動の、データを、更新していく。
やがて、二人が、令和に、戻る時が来た。
「じゃあ、嶺さん。私たち、帰るわね」
「くれぐれも、無茶は、しないように」
祠の前で、二人が、俺に、向き直る。
「今回、私は、こっちに、残る。前に、相談した通り、武井様に、もう一度、会ってくる」
「……そう。分かったわ。あの、武井様って人に、会うのは、いいけど……、変な、約束とか、しちゃ、だめよ? 危ないことには、絶対に、首を、突っ込まないでね!」
茜さんが、心配そうに、俺の、袖を、きゅっと、掴んだ。
「分かってるって。ただの、商売の話だよ」
「……嶺さん。あなたの、その、根拠のない、自信が、最も、危険な、フラグです。常に、最悪の、事態を、想定し、複数の、撤退プランを、用意しておくこと。いいですね?」
澄田さんも、厳しい口調で、釘を刺してくる。
二人の、真剣な眼差しに、俺は、ただ、頷くことしかできなかった。なんだかんだ、言って、この二人は、俺のことを、本気で、心配してくれている。
それが、くすぐったくもあり、嬉しくもあった。
「ああ、大丈夫だ。任せておけ」
俺が、そう言って、笑いかけると、二人は、少しだけ、顔を赤らめ、ふいっと、視線を、逸らした。
光の中に、消えていく、二人を見送りながら、俺は、胸の中に、ぽっかりと、穴が、空いたような、寂しさを感じていた。
……いかん、いかん。感傷に、浸っている、場合じゃない。
俺には、俺の、やるべきことが、あるんだ。
俺は、頬を、パンと叩き、気合を入れ直した。
数日後、俺は、大森を、伴って、清州の、城下町にいた。
荷車には、手土産として、村で採れた、初物のジャガイモと、炭、そして、選りすぐりの、陶器を、積んである。
「しかし、先輩。本当に、武井様に、また、会ってくださるんですかね?」
「分からん。だが、行ってみるしか、ないだろう」
幸いなことに、俺たちは、さほど、待たされることもなく、武井夕庵の、屋敷へと、通された。
「おお、長田殿。息災であったか」
夕庵は、穏やかな笑みで、俺たちを、出迎えてくれた。どうやら、俺の顔は、覚えていてもらえたらしい。
「はっ。本日は、我らの村で、採れました、些少なれど、初物の芋と、新作の器を、献上いたしたく、参上いたしました」
俺は、手土産を、差し出しながら、当たり障りのない、雑談を、始めた。村の様子、炭の売れ行き、陶器の評判。
そして、俺は、さりげなく、本題を、切り出した。
「おかげさまで、今年は、芋のほかにも、様々な、作物が、豊かに、実りそうです。山の幸も、多く、生産できそうでして。つきましては、この、清州の町、以外にも、我らの品を、扱ってくださる、売り先を、ご紹介、願えませんでしょうか?」
夕庵は、ほう、と、興味深そうに、俺の顔を見た。
「欲深きことよ。だが、その、意気や、良し」
彼は、少し、考える素振りを、見せた後、ぽつりと、言った。
「……明日、わしは、津島の港へ、視察に、参る。もし、お主が、よければ、ついてまいられるか?」
「よろしいので、ございましょうか!?」
俺は、思わず、身を、乗り出した。
津島! 澄田さんの、レクチャーによれば、この時代の、尾張において、清州と、並ぶ、いや、それ以上に、重要な、商業都市だ。信長の、莫大な、財力の、源泉でもある。
「うむ。ただし、わしが、お主を、連れて行くのではない。お主たちが、わしの、後ろから、勝手に、ついてくる、という、体で、ならば、構わぬ」
「ははっ! 有り難き、幸せ!」
俺は、深々と、頭を下げた。これ以上ない、千載一遇の、チャンスだった。
翌日、俺と大森は、武井夕庵一行の、少し、後ろを、付かず離れずの、距離で、ついていった。
初めて、見る、津島の港は、俺の、想像を、遥かに、超える、活気に、満ち溢れていた。
清州が、政治と、軍事の中心地ならば、津島は、間違いなく、経済の中心地だ。大小、様々な、船が、港に、ひしめき合い、屈強な男たちが、威勢のいい、掛け声と、共に、荷を、降ろしている。
道行く、商人たちの、顔つきも、どこか、精悍で、自信に、満ち溢れているように、見えた。
「す、すげえ……。清州の町とは、また、活気が、違いますぜ、先輩……」
大森が、呆然と、呟く。
俺は、澄田さんから、教わった、知識を、反芻していた。
信長の、力の源泉は、銭。
その、銭を、生み出す、巨大な、エンジンの一つが、この、津島なのだ。
だが、俺は、あくまで、初めて、この港町に、来た、田舎の、商人、という体を、崩さない。
「いやあ、これは、驚きました。このような、賑やかな、場所が、あったとは……」
俺が、そう、感嘆の声を、漏らすと、前を歩いていた、夕庵が、ふっと、笑った。
「ここは、伊勢湾の、交易の、要。あらゆる、品が、集まり、そして、散っていく。商いを、志す者ならば、一度は、見るべき、場所よ」
彼は、俺を、一軒の、大きな、商家へと、案内した。船問屋も、兼ねているという、その店は、ひときわ、大きな、構えだった。
「ここの、主人とは、懇意にしておる。長田殿の、器、一度、見せてみては、どうかな」
「はっ! ありがたき、お言葉!」
夕庵の、紹介で、俺は、その、大店の主人と、話す機会を、得ることができた。俺が、持参していた、陶器を、見せると、主人は、目利きらしく、じっくりと、それを、吟味した後、深く、頷いた。
「……ほう。面白い。素朴だが、味わい深い。これならば、十分に、商いに、なりましょう」
こうして、俺たちは、津島における、新たな、販路を、確保することに、成功したのだ。
夕庵との、別れ際、俺は、深々と、頭を下げた。
「武井様。この、御恩は、決して、忘れませぬ。これより、毎月、一度は、ご挨拶に、参上つかまつります」
「うむ。達者でな」
夕庵は、それだけ言うと、静かに、去っていった。
俺と大森は、その背中が、見えなくなるまで、頭を、下げ続けていた。
俺たちは、その足で、一度、村に戻ると、荷車に、ありったけの、陶器を積み込み、再び、津島へと、とんぼ返りした。
武井夕庵の、紹介という、強力な、お墨付きもあって、商談は、驚くほど、スムーズに進んだ。俺たちが、持ち込んだ、陶器は、全て、その日のうちに、銭へと、変わった。
店の主人は、勘定をしながら、少し、申し訳なさそうに、俺に、言った。
「長田殿。勘定の、半分を、この、鐚銭で、支払わせては、もらえぬだろうか。もちろん、その分は、色を、つけさせていただくが……」
鐚銭。質の悪い、私鋳銭のことだ。この時代、流通している、銭の、多くが、この、鐚銭だったという。
俺は、澄田さんとの、勉強会で、その知識を、得ていた。そして、同時に、ある、アイデアを、思いついた。
「なるほど。……では、試しに、お尋ねしますが、この、良銭、一枚に対し、鐚銭、五枚、という、比率で、交換しては、いただけませぬかな?」
俺の、突拍子もない、提案に、店の主人は、一瞬、目を、丸くしたが、すぐに、にやりと、笑った。
「面白いことを、おっしゃる! よろしい。その、比率で、構いませぬ!」
話は、すぐに、まとまった。主人は、できるだけ、状態の、マシな、鐚銭を、選んで、俺に、渡してくれた。俺は、代金の、半分を、ずっしりと、重い、鐚銭で、受け取った。
村への、帰り道、大森が、怪訝そうな顔で、俺に、尋ねてきた。
「先輩。どうして、あんな、価値の低い、銭を、わざわざ、受け取ったんですかい? 良銭だけで、もらった方が、良かったんじゃ……」
「まあ、見てろって」
俺は、ニヤリと、笑った。
「この、鐚銭を、一度、令和に、持ち帰る。そして、これを、溶かして、俺たちの手で、もっと、質の良い、銭に、作り直すんだ」
「……へ? 先輩、それって、もしかして……、貨幣の、偽造、ってやつじゃ、ないですかい……?」
大森が、顔を、青くする。
俺は、そんな彼に、悪戯っぽく、笑いかけた。
「馬鹿だな、大森。これは、偽造じゃない。『鋳造』だ。そしてな、これは、転移転生ものの、お約束……、定番チートってやつなんだよ」
俺は、そう、軽く、受け流しながら、頭の中では、別のことを、考えていた。
この計画を、あの二人に、話したら、どんな、反応を、するだろうか。
澄田さんは、きっと、眉をひそめて、「法的な、リスクと、経済的な、リターンを、定量的に、比較分析し、実行の、可否を、判断すべきです」なんて、難しいことを、言うんだろうな。
茜さんは、きっと、目を、まん丸くして、「ええっ!? 嶺さん、そんな、悪いこと、しちゃ、だめだよ!」って、本気で、心配してくれるんだろうな。
二人の顔を、思い浮かべると、自然と、口元が、緩んだ。
やれやれ。俺も、ずいぶんと、あの二人に、毒されてしまったらしい。
ずっしりと、重い、銭袋を、荷車に、揺らしながら、俺は、新たな、野望と、そして、令和にいる、二人の女神への、尽きせぬ想いを、胸に、抱きしめるのだった。
俺の、奇妙で、そして、どこかワクワクする日々は、まだまだ、始まったばかりだ。




