第17話 不器用な陶芸クエスト
澄田さん肝いりのサスペンション付き荷車は、まさに革命的な発明だった。
今まで、山道をリヤカーで下るのに、悪戦苦闘していたのが嘘のようだ。竹製の板バネは、見事に路面からの衝撃を吸収し、荷崩れの心配も格段に減った。何より、引き手が感じる負担が、驚くほど軽減されたのだ。
これにより、俺たちの商いの中心は、本格的に清州の城下町へとシフトしていくことになった。
「いやあ、毎度あり! 近江屋の旦那! また、極上の炭、持ってきやしたぜ!」
清州の町の一角にある、大きな構えの商家「近江屋」の店先で、大森が朗らかな声を張り上げている。
何度も炭を運び込むうちに、大森は、その天性の人たらし能力を遺憾なく発揮し、この近江屋の主人とすっかり懇意になっていた。俺なんかには、到底真似のできない芸当だ。こういう時、彼のコミュニケーション能力の高さは、本当に頼りになる。
「おお、大森殿。いつもながら、見事な炭じゃ。おぬしのところの炭は、火持ちも良いし、煙も少ないと、評判でな。いくらあっても、足りんくらいじゃ」
恰幅のいい主人が、満足げに頷く。
俺と澄田さんは、少し離れた場所で、そのやり取りを眺めていた。俺たちの役割は、市場の動向調査と、新たな商材のリサーチだ。
「大森さん、本当に見事な交渉術ですね。相手の懐に、ごく自然に入り込んでいく。現代でも、トップセールスマンになれたでしょう」
澄田さんが、感心したように呟く。彼女の分析は、いつも的確だ。
「まったくだな。俺には、絶対無理だ」
「そんなことはありません。嶺さんには、嶺さんにしかできない役割があります。あのチェーンソーや、荷車の設計図のように、誰も思いつかないような発想で、道を切り拓く力……。私には、それが、とても眩しく見えます」
「え……?」
不意に、真剣な眼差しで、そんなことを言われ、俺は、どきりとして言葉に詰まった。澄田さんは、はっと我に返ると、慌てて視線を逸らした。
「……いえ。あくまで、客観的な分析、です」
まただ。また、彼女の耳が、ほんのりと赤く染まっている。その小さな変化が、俺の心臓を、ぎゅっと掴む。
茜さんとの、あの濃厚なキスが、まだ脳裏に焼き付いているというのに。俺の心は、澄田さんの、ふとした瞬間に見せる表情に、こうも簡単に揺さぶられてしまう。
やれやれ、俺の心は、竹の板バネみたいに、都合よく衝撃を吸収してはくれないらしい。
炭の商売は、順調だった。だが、それだけでは、いずれ頭打ちになる。俺たちは、村の新たな特産品を開発する必要に迫られていた。
「次の商品は、焼き物だ」
村に戻った俺は、皆を集めて、そう宣言した。
幸い、この辺りの土は、陶器作りに適しているらしい。問題は、技術だ。
そこで、白羽の矢が立ったのが、またしても、澄田さんだった。
「焼き物、ですか。専門ではありませんが、歴史民俗学の観点から、この時代の製法については、ある程度の知識があります。それに……」
彼女は、令和の自宅から持ってきた、分厚い専門書を、何冊か取り出した。『図説・日本の陶磁史』『誰でもできる! 週末陶芸入門』……。ガチのやつと、初心者向けのやつが混在しているあたりが、彼女らしい。
「これらの知識を応用すれば、あるいは」
「さすが澄田さん! 頼りにしてる!」
俺がそう言うと、彼女は、少し照れたように「お任せください」と、小さく頷いた。その姿に、俺の胸が、また、ちくりと痛んだ。
陶器作りのプロジェクトは、澄田さんの、的確かつ情熱的な指導の下で、着々と進んでいった。
特に、彼女がこだわったのは、釉薬だった。
「ただの素焼きでは、商品価値は低いままです。付加価値を高めるためには、釉薬が不可欠です。この時代で、最も手に入りやすい材料は、草木灰ですね」
彼女の指導で、木地たちが、様々な木の灰を集め、それを水で溶いて、上澄みを取るという、地道な作業が始まった。
そして、いよいよ、ろくろを使った成形作業に取り掛かることになった。手先の器用な、母栖さん……いや、今は、大森の嫁である詩織さんが、その役目を担うことになった。
だが、見様見真似でやってみても、粘土は、ぐにゃりと形を崩すばかりで、なかなか上手くいかない。
「うーん、難しい……」
詩織さんが、困ったように眉をひそめる。
見かねた澄田さんが、隣に座り、手本を見せることになった。
「詩織さん。腰を入れて、体全体の軸を意識してください。そして、粘土の中心を、指先で感じ取るんです。こう……」
澄田さんの手が、詩織さんの手に、そっと重ねられる。回転する粘土の塊が、まるで、魔法のように、すうっと中心を捉え、みるみるうちに、美しい椀の形になっていく。
「すごい……! 澄田さん、なんでもできるんですね!」
詩織さんが、尊敬の眼差しを送る。
「いえ。本で読んだ知識を、実践しているだけです」
澄田さんは、謙遜するが、その横顔は、自信と喜びに満ち溢れていた。
俺も、見ているだけではつまらなくなり、挑戦してみることにした。
「俺も、やらせてくれ」
「嶺さんが? ですが、意外と難しいですよ」
「いいから、いいから」
俺は、詩織さんと交代し、ろくろの前に座った。だが、結果は、惨憺たるものだった。粘土は、あっちへ、こっちへと暴れまわり、しまいには、遠心力で、俺の顔に、べちゃりと張り付いた。
「ぶっ……!」
「あはははは! 先輩、ひどい顔になってますぜ!」
大森が、腹を抱えて、大笑いしている。
「もう、嶺さんったら、子供みたい」
詩織さんが、呆れたように笑いながら、布で俺の顔を拭いてくれた。
その時だった。
「……貸してください」
澄田さんが、俺の後ろに、すっと回り込み、座ったのだ。
「え、ちょ、澄田さん!?」
彼女の体が、俺の背中に、ぴったりと密着する。柔らかい感触と、シャンプーのようないい香りが、俺の鼻腔をくすぐり、思考が、一瞬で、フリーズした。
「力を抜いてください。私が、ガイドします」
澄田さんの手が、俺の手に、優しく重ねられた。そして、そのまま、ゆっくりと、回転する粘土へと導かれる。
な、な、な……なんだ、この、ラノベで百万回は見たことのある、超王道展開は!?
背中には、澄田さんの体温と、柔らかな膨らみ。耳元では、彼女の、落ち着いた、それでいて、少しだけ、上ずったような声が、囁くように、指示を出す。
「そう……指先に、意識を集中して……。粘土の、声を聞くんです……」
俺の心臓は、もう、爆発寸前だった。粘土の声どころか、自分の、バクバクとうるさい心臓の音しか、聞こえない。
だが、不思議なことに、彼女に導かれるままに動かした俺の手の下で、あれほど言うことを聞かなかった粘土が、少しずつ、形を成していくのが分かった。
どれくらいの時間が、経ったのだろうか。
やがて、不格好ながらも、一つの湯呑みが、完成した。
「……できましたね」
澄田さんの、安堵したような声で、俺は、はっと我に返った。彼女は、名残惜しむように、ゆっくりと、俺から体を離した。
俺は、振り返ることができなかった。今、自分が、どんな顔をしているのか、自分でも、分からなかったからだ。
遠くで、大森が「ちくしょう、先輩だけ、ずるい……!」と、ハンカチを噛むような仕草をしているのが、見えた気がした。
試行錯誤の末、草木灰を使った、淡い緑色の釉薬をかけた、記念すべき陶器第一号が、いくつも焼き上がった。
素人の作品としては、上出来と言っていいだろう。形は、少し歪だが、それが、かえって、素朴な味わいを醸し出している。
「よし、合格だ。これなら、清州で、値段さえ間違えなければ、十分に売れるぞ。炭に続く、新たな商品の誕生だ!」
俺が、そう言って、完成品の一つを掲げると、ワッと、歓声が上がった。
その中でも、一際、興奮していたのが、大森だった。
「すげえ! すげえよ、詩織! お前は、天才だ! 日本一の陶芸家だ!」
彼は、妻である詩織さんの肩を掴んで、ぶんぶんと揺さぶっている。
「こ、こんな、素晴らしい芸術品を、安売りなんか、できるか! 一つ、米一俵だ! いや、二俵でも安い!」
「おいおい、大森、落ち着け」
俺は、あまりの暴走ぶりに、呆れて釘を刺した。
「売れないと、困るんだよ。俺たち全員が、な。これは、芸術品じゃない。俺たちが、この時代で、生きていくための『商品』なんだ」
「で、ですが、先輩! この、詩織の、血と汗と涙の結晶を……!」
「もう、あなたったら、大げさなんだから」
そこで、詩織さんが、にっこりと微笑んで、大森の手を握った。
「これから、もっともっと、たくさん作るから。だから、あなたが、これを、しっかり売ってきてちょうだいね。頼りにしてるわよ、私の旦那様」
「し、詩織……!」
詩織さんの、完璧な一言で、大森は、完全に陥落した。彼は、感激に打ち震えながら、力強く頷いた。
「分かった! 俺に任せろ! この大森、命に代えても、詩織の作った器を、清州で、一番の評判にしてみせるぜ!」
やれやれ。どうにか、この場は収まったが、大森の、あの異常なテンションは、完全に、恋する男のそれだった。まあ、見ていて、微笑ましい限りだがな。
そんな、賑やかで、どこか、のんびりとした日々が、冬の尾張で過ぎていった。
幸いなことに、今年は、雪が積もるほどの日は少なく、比較的、穏やかな冬だった。炭作りや、荷車の追加生産、そして、陶器作りと、村の男たちも、木地たちも、農閑期だというのに、忙しく、そして、楽しそうに働いている。
いつの間にか、木地の人々のほとんどは、山奥にある自分たちの集落には戻らず、俺たちの村にある空き家を、自分たちで修理して、住み着くようになっていた。もちろん、その辺りは、大森が、きちんと許可を出しているらしい。
事実上、彼らは、大森の配下と言っても、差し支えない状態になっていた。
村は、確実に、一つの力を持った共同体として、成長しつつあった。
だからこそ、俺は、次の手を打つ必要性を感じていた。
ある晩、俺は、大森を、自分の小屋に、こっそりと呼び出した。
「大森。今後の、俺たちの進む道について、もう一度、確認しておきたい」
囲炉裏の火が、俺たちの顔を、赤く照らし出す。
「方針は、変わらない。地侍として、半農半武の暮らしを確立し、織田信長の配下の、どこかの武将の下につく。これで、間違いないな?」
「はい、先輩。ですが……どうやって、信長様の、お目に留まるか……」
「ああ、そう簡単にはいかないだろうな。だが、焦る必要はない。大丈夫だ。時期を待て」
俺は、澄田さんから得た、歴史の知識を、彼に伝えることにした。
「澄田さんからの情報なんだが……、歴史通りに進むなら、来年、永禄五年には、信長は、犬山城の織田信清と、本格的な戦を始める……らしい」
「来年、ですか……」
「ああ。そして、この時代の、こういう侵攻作戦の場合、まずは、敵方の、地侍や国衆の調略から始まるのが、定石……だそうだ」
俺の、少し、歯切れの悪い言い方に、大森が、苦笑した。
「先輩。貴重な情報を、ありがとうございます。……が、できれば、断定形で、伝えてもらえると、助かりますぜ。疑問形で言われると、こっちも、不安になりますからね。まあ、出所は、澄田さんなんでしょう。彼女の言うことなら、間違いはねえでしょうが」
「……すまん」
確かに、その通りだ。
「初陣は、その、犬山城攻め、ということになるかもしれんな。だが、大森。お前は、決して、戦に、積極的に参加するんじゃないぞ。槍働きで、手柄を立てようなんて、考えるな。この時代、ちょっとした怪我一つが、命取りになるんだからな」
「分かっております。俺の役目は、頭脳働き。腕っぷしは、山窩の若い奴らに任せて、俺は、武将として、どっしり構えてみせますよ」
大森は、そう言って、不敵に笑った。こいつなら、本当に、やり遂げるだろう。
俺たちは、それからも、夜が更けるまで、話し合った。
そして、当面の目標を、改めて、確認した。
「まずは、清州で、銭を稼ぐだけ稼ぐ。炭と、新商品の陶器で、近江屋のような大店との取引を、さらに太くするんだ。そして、ゆくゆくは、清州城に、直接、品物を納める『出入り商人』の身分を手に入れる。そうなれば、武将たちと、直接、繋がりを持つ機会も生まれるはずだ」
「へい! やってやりましょうぜ、先輩!」
大森の目に、力強い光が宿る。
そうだ。この乱世で、ただ生き残るんじゃない。俺たちの手で、未来を掴みに行くんだ。
俺たちの野望は、囲炉裏の火のように、静かに、しかし、熱く燃え上がっていた。
この、ヘタレな俺が、まさか、歴史の歯車を動かす側に回ることになるなんて。人生、何が起こるか、分からないものだ。
俺は、遠い令和の空にいる、二人の女神の顔を思い浮かべながら、小さく、そして、力強く、拳を握りしめた。




