第1話 桜の木の秘密
桜は、季節の移り変わりを映す鏡のように、人々の記憶と想いを静かに抱き続ける。
満開の春の輝きも、散りゆく刹那の美しさも、そこには誰かの心に刻まれた時間が流れている。
本作は、時を超えてつながる想いをめぐる物語。
過去に刻まれた記憶が、桜の木を通じて未来へと語りかける。
16歳の少女・凪花は、ある春の日に一本の古い桜の木と出会い、そこに眠る秘密を解き明かしていく。
この物語は、ただの発見の記録ではない。
長い時を超えて届く誰かの願い。そして、忘れかけていた自身の記憶。
それらが交差することで、凪花の心に変化が生まれていく。
「桜の木には人の想いが宿る——」
祖母が語ったその言葉が、桜の木の下で拾った一冊の日記と響き合うとき、
凪花は人生の新たな扉を開くことになる。
過去と現在が交差し、未来へと紡がれる物語が、今ここから始まる——。
第1話:桜の木の秘密
春の訪れを感じさせる穏やかな午後。16歳の高校生、凪花は学校帰りにいつもとは違う道を選んだ。友達との別れ際の何気ない瞬間と、少しだけ静寂を求めた気まぐれが、彼女を桜並木へと導いた。
風に乗って漂う桜の香りに惹かれながら立ち止まる凪花。その並木の中でひときわ異彩を放つ一本の古い桜の木が目に留まった。その幹には深く刻まれた年輪がいくつもの季節を越えてきたことを語り、枝が広げる影はどこか優しくも寂しげな印象を与えている。その木だけが、周囲の静寂をまとったように春風に花びらを揺らし、まるで語りかけるような佇まいを見せた。
凪花は、その桜の木に何か特別なものを感じ、心の奥底に眠る記憶が呼び起こされるのを感じた。幼い頃、彼女が大好きだった祖母と一緒に桜を見た日のことが、はっきりと思い出されたのだ。
「桜の木には人の想いが宿るんだよ。」
小さな凪花の手を握りながらそう語った祖母は、桜の花びらが舞う空の下で優しい笑顔を浮かべていた。その言葉が彼女の心に深く刻まれていたからこそ、今目の前にある桜の木が特別に見えるのだと感じた。
ふと視線を根元に移すと、雨上がりで柔らかくなった土の中から古びた箱が顔を覗かせているのが目に留まった。
「……なんだろう、これ。」
凪花は箱を膝の上にそっと持ち上げた。ざらついた木の質感と、角に付着した苔が長い年月を物語るその箱は、予想以上に重たかった。ふたを開けると、錆びた金具が軋む音を立てた。その中には一冊の古びた日記が収められていた。
表紙には「楓」とだけ記されていた。その文字は少し色褪せており、表紙のざらついた手触りが日記の古さを静かに物語っている。
「誰だろう……楓って。」
凪花は日記をそっと開き、最初のページをめくる。そこで彼女の目に飛び込んできたのは、詩的で切実な願いが込められた一文だった。
> 「桜の木は、僕の記憶の証人だ。いつかこの言葉が誰かに届くことを願っている。」
その一文を読んだ瞬間、凪花の心には温かな感覚が広がった。桜に込められた祖母の言葉と、日記の作者である楓の想いが重なり合い、時を超えたつながりを感じたのだ。
日記の中にある物語が何を語るのか、彼女は知りたいという衝動に駆られ、さらにページをめくる手を進めた——。




