21 新たな難題
「姫君たち、全員をですか?」
こくりと頷く殿下に目を見開いた。
「あの、全員というのは、三十人近くいた全員ということでしょうか」
「そのとおりだ」
「全員を家や国に帰したのですか?」
「……不満なのか?」
「いえ、そんなことはありませんが……」
不満なんて僕にあるはずがない。ただ、それが王太子としてよい方法なのかと考えてしまっただけだ。
「前にも話したとおり、わたしはランシュ以外を妃に迎えるつもりはない。それなのに、いつまでも後宮に大勢のΩを住まわせておく必要はないだろう? だから帰したまでだ」
「たしかに、そうするのも一つの方法だとは思いますが……」
「それともランシュは姫たちがいるほうがよいと思っていたのか?」
低くなった殿下の声に、慌てて首を横に振った。
(僕だって、殿下の後宮があのままでよいと思ってはいなかった)
月桃宮でリュネイル様と話してからは、とくにそう思うようになった。
ノアール殿下に新たな妃を迎える気がないのに姫君たちを後宮にとどめておくのは、あまりに不憫で残酷だ。僕も考えたように、望みがないなら早く次に進んだほうがいい。家や国を背負って後宮に来ていた姫君たちにもいろいろ事情はあるだろうが、妃になれないまま後宮に留め置かれるほうがつらいはずだ。
(それに、僕が王太子だったとしてもきっと同じことをしただろう)
そういう意味ではノアール殿下の行動は間違っていない。しかし、大国ビジュオールの王太子としては問題が出てくる。
(もし僕に子ができなかったらどうするつもりなんだ?)
直系の王族はノアール殿下しかいない。その殿下に子ができなければ後継ぎがいなくなるということだ。それを防ぐための後宮で、せめて僕に子ができるか見極めてからでも遅くはなかった気はする。たとえそれが心から喜べる状況じゃないとしても、王太子だった者として後宮が空というのは看過できなかった。
「ランシュが考えていることはわかっている」
「殿下」
「王太子だったきみなら真っ先に国のことを考えるだろう。とくにこの国のαの現状を知ったいま、ランシュなら後継ぎの心配をするはずだ」
「……はい」
返事をした僕の頬を、殿下の指がそっとひと撫でした。
「国を思う気持ちはわたしも同じだ。もちろん後継ぎの問題は大きい。それに……ランシュに必要以上のものを背負わせてしまうだろうことも考えた」
「それはわたしの本意ではない」と告げた殿下が、もう一度僕の頬を撫でる。
「それでもわたしは自分の意志を貫くほうを選択した。今後一切、わたしが新しい妃を迎えることはない。生涯わたしの妃はランシュだけだ。それを国の内外に示す必要があった。そのためには後宮を空にするのが一番よいし、わたしの決意をはっきりと知らしめることができる」
「殿下」
「これから起きるであろう困難や壁は二人で乗り越えていけばいい。わたしが全力をもってランシュを守ると誓う」
殿下の瞳が夜空のようにキラキラと瞬いている。なんと力強くも美しいのかと思わず見惚れてしまった。
凛々しい顔をじっと見つめながら、ふと、頬に触れている殿下の指先がほんの少し震えたことに気がついた。おそらく僕に様々な負担を強いることを危惧しているのだろう。
「殿下、僕は守られるだけの男ではありません。困難があればともに立ち上がり、殿下を支え、ときに助けていきたいと思っています」
「そうだった。きみは元王太子だったな」
「小国ではありますが、国を支える心構えは学んでいます。まぁ貧乏国だったので主に考えていたのは金銭的なことばかりでしたが……お恥ずかしい限りです」
僕の言葉に殿下がふわりと微笑んだ。意図して金の話をしたとわかったのだろう。僕に大国で役に立つ力は何もないが、こうして殿下が笑顔を浮かべる手助けくらいはしたかった。
いくら僕が元王太子だったとしても、小国アールエッティと大国ビジュオールでは何もかもが違う。国の規模もだが抱えている問題も状況も、すべて僕が想像できる範囲を超えている。そんな僕に殿下を手助けする力などないに等しい。わかってはいるが、だからといって何もしないわけにはいかない。何もできないと最初から諦めることは絶対に嫌だった。
(そうだ。僕は昔から諦めが悪いんだ)
諦める気持ちなど、小さい頃にうっかり絵筆を折りかけたときに捨て去った。殿下の妃になることではちょっと諦めてしまいそうになったが、もう二度と諦めたりしないと決意する。
「きみとなら何が起きても大丈夫だと思える。こんなふうに思ったのは初めてかもしれない」
「一緒に乗り越えていきましょう!」
そう言って自分の胸をドンと叩くと、殿下が「ぷっ」と小さく吹き出した。その顔は普段の大人びた表情とは違い、「そういえば殿下は二十六歳だったな」ということを思い出させるものだった。
僕と殿下は二歳しか違わない。それなのに、殿下は僕よりもずっと大きく重いものを背負って生きている。その重荷をほんの少し、せめてこぶし大くらいでも僕が肩代わりできればと思わずにはいられなかった。そのためにも僕は殿下と結婚式を挙げて、正式な王太子妃になる。
(それに、アールエッティ王国のことも考えなければいけないしな)
祖国の財政難もなんとかしなければならない。できればアールエッティ王国とビジュオール王国の両方に益をもたらすようなよい案が浮かぶといいんだが……。それよりもまずは子のことだ。殿下が本当に僕以外の妃を迎えないと決めたのなら、後継ぎを生むのは僕しかいない。
(いや、気負いすぎても駄目か)
リュネイル様もそうおっしゃっていた。気持ちを和らげ、考えすぎないことが男のΩの体調を安定させる一番の近道なら、まずはそれを心がけなければ。そうして発情を安定させることができれば、きっと子もできるはず。
(そうすれば、殿下の肩の荷も一つ下りることになる)
それに、僕だって好きな人との子はほしいと思っている。できれば二人くらいはほしい。そうして僕のように絵を描いたり、妹のルーシアのように香水のような新しい分野に挑戦する子に育ってくれればうれしい限りだ。
(いや、芸術ばかりに目を向ける子では駄目か)
それでは大国を背負うのは厳しいだろう。それなら趣味として、息抜きとして芸術を楽しんでくれればいい。元々芸術とは心を豊かにするものだ。もし好きになったのが絵なら僕が教えてやることもできる。
(そうか、それなら子と一緒に絵を描く楽しみもできるな)
不意に、まだ見ぬ子と僕が大きなキャンバスに絵を描いている景色が見えた。それを殿下が笑顔で眺めている様子が脳裏に浮かぶ。
(……って、まだ子ができるかもわからないのに、僕は何を想像しているんだ……!)
気が早いにも程がある。
「顔が赤いが、どうかしたのか?」
「な、なんでもありません!」
「本当に? もし体調が優れないのなら、一人で寝たほうが」
「大丈夫ですから! さぁ殿下はこちらの枕に、僕はこっちの枕を使いますね!」
右側の枕をポンポンと叩き、殿下に「さぁ、寝ましょう!」と促す。そうして僕自身は左側に置かれた枕に右頬を押しつけるように横になった。殿下に背を向けるように横になったのは、なんとなく気恥ずかしくて顔を見られたくなかったからだ。
「おやすみ、ランシュ」
少し笑っているような殿下の声とともに、頭にチュッと口づけられた。あまりにも甘い行為にますます顔が熱くなった僕は「おやすみなさい!」と早口で返事をし、うるさい鼓動を無視するようにギュッと目を瞑った。
まだ結婚式の正式な日程は決まっていないが、準備のほうは着々と進んでいる。婚礼服を仕立てるための採寸も終わったところだ。どういった服になるのか詳しくは聞いていないが、デザインや生地などはノアール殿下と色違いのお揃いになるらしい。
(それじゃあ馬子にも衣装な感じにならないか?)
背が高く骨格がしっかりした殿下に似合うデザインを、痩せて貧弱な僕が着たら似合わない気がする。ただでさえ王子として情けない体つきだというのに、それがますます強調されてしまいそうだ。
(Ωの体つきとしてはこれが普通なんだろうけど……)
自分の体格にため息をつきたくなるのは昔からだが、いい加減慣れなくてはいけない。わかっているのに、ついため息が漏れてしまった。
(殿下とは四度も夫婦の営みを経験したんだ。いい加減Ωとしての自覚をしっかり持たなくてはな)
発情を三度も経験し、うなじも噛まれ、殿下のαの香りもわかるようになってきた。殿下以外のαの香りは相変わらずわからないままだが、とくに困ることはない。
(ヴィオレッティ殿下の小馬鹿にしたような言動は気に入らないが)
先日、久しぶりにヴィオレッティ殿下を顔を合わせた。僕がノアール殿下の執務室で絵を描いているときに出くわしたのだ。なんでもヴィオレッティ殿下はいま、ノアール殿下の仕事を手伝っているのだそうだ。その後も何度か顔を合わせているが、会うたびにニヤッと見下ろされるのが若干腹立たしい。
「そもそも、ヴィオレッティ殿下はいろいろわかりにくいんだ」
思わず声に出してしまった。自分の妃たちのことを「俺に乗り換えたんだ」と言っていたが、実際は暴漢から救った殿下に惚れただけだった。ノアール殿下のことを「気に入らない」と言って僕にちょっかいをかけてきたきたが、本気ではなかったということもわかっている。
(もしあのとき本気だったなら、僕は間違いなく発情させられて噛まれていたんだろうからな)
ベインブルで襲われたとき、威嚇はされたが強制的に発情させられることはなかった。ノアール殿下の話ではヴィオレッティ殿下にもその力があるということだから、発情させなかったということは本気で襲うつもりはなかったということだ。
再会したとき、にやりとしながら「これで次代の国王も安泰だな」と言った言葉こそが本心だったに違いない。そうでなければノアール殿下がそば近くに置くとは思えなかった。
「まったく、なんて面倒くさい男なんだ」
自分で言った言葉ながら、「言い得て妙だな」と思った。そんな厄介な性格の男でも、ノアール殿下に必要だということは理解している。若い王族αが減ってきているいま、性格に難があっても優秀なら手元に置いておきたいと思うのは王太子として当然だ。
(……ルジャン殿下も本当はそうだったんだろうな)
僕の一件があってから現在まで、ルジャン殿下に大きな罰を下されたという話は聞いていない。王宮で見かけることがなくなったということは、謹慎処分で落ち着いたということだろう。
一度だけ、ノアール殿下がヴィオレッティ殿下の後ろ姿を見ながら「あの男も優秀だったんだが」と口にしたことがある。「あの男」とは、おそらくルジャン殿下のことだ。漏れ聞こえた話では官僚とのやり取りに長けていたらしい。二十五歳の若さで狐狸の多い官僚と渡り合えるというのはたしかに優秀だ。そういう王族が一人でも欠けてしまうのは、僕も惜しいと思う。
(いや、表舞台のことを僕があれこれ言うわけにはいかない)
僕は王太子妃となったが、異国から来た妃という立場だ。そんな立場で表のことに口出しをするのはよくない。しかも僕はまだ正式な王太子妃ですらないのだ。
(それでも僕は、少しでも殿下の力になれればと思っている)
そのためにも、まずは数日後に迫っている国王との謁見を無事に終えなくてはいけない。
国王とノアール殿下の仲がかんばしくないというのは、それとなく確かめた侍女たちの反応からも間違いではないだろう。殿下が後宮の姫君たちを全員帰したことで国王との間で一悶着起きたという話も聞いた。ヴィオレッティ殿下は「最後はノアールが勝ったってわけだ」と笑っていたが、国王と王太子が言い争うなど笑いごとでは済まない。しかも、殿下が国王に自分の意見を押しとおしたのは今回が初めてだったとも聞いている。
(つまり、その原因となった僕を国王が快く思っていない可能性は高い)
そう考えるといろいろ気が重くなるが、そこを乗り越えなくては殿下との結婚式にはたどり着けない。
(さっそく乗り越えなくてはいけない壁が出てきたな)
いや、この壁を乗り越えられないようでは、この先殿下と一緒に困難に立ち向かうことなどできないだろう。そう思い、僕はグッと拳を握りしめた。
そうして数日後に迎えた初の謁見で、さっそく問題が起きた。
「子ができなければ、王太子妃として認めるわけにはいかぬ」
国王の声に、広間に集まっていた貴族たちがしんと静まりかえった。隣に立つノアール殿下はぴくりとも動かない。横目でそっと表情を窺ったが、眉一つ動いた様子はなかった。
(まさか、そこをつかれるとはなぁ)
いや、そういうこともあるだろうと予想はしていた。それでも妃にすると一応は決まったのだからと油断していた。
「このことは後宮を与えたときに言っておいたはずだ」
国王の言葉に「本当に子が最優先なんだな」とため息が漏れそうになる。姫君たちは国同士の関係や政治的な思惑があってノアール殿下が決めかねていると話していたが、実際はそれよりも子ができることのほうが優先されていたということだ。子ができれば姫君の出身国や家柄など関係なかったのだろう。
(そういうことだから、Ωとして遅咲きだった僕にも声がかかったんだろうが)
これではまるで、姫君たちは子を生む道具のようじゃないか。そう思うと腹立たしい気持ちになる。同時に「これではまるで、子を孕ませる道具のようだと思わないか?」と言った殿下を思い出し、どちらも残酷な話だと胸が痛んだ。
「なんとおっしゃられようとも、わたしの妃はランシュ王子だけです」
「それでは国が立ち行かん。王太子ともあろう者が愚かな発言だとわからないのか?」
「さて、愚かとはどなたのことをおっしゃっているのでしょうか。目先のことだけに囚われる者こそ、わたしには愚かに思えますが」
殿下の言葉に国王の眉がぴくりと動いたのがわかった。
(あー……これは相当いろいろ溜まっていたんだろうなぁ)
殿下がこれまで何に対しても受け身だったのは国王との衝突を避けるためだったのだろう。国王と王太子が対立しては国内外に不安を与えてしまう。僕が同じ立場だったとしても大人しくしていたはずだ。
ところが殿下は、僕のことで初めて国王に逆らった。それがきっかけで、受け身のままではいけないと本気で考えるようになったのかもしれない。
(その一端がヴィオレッティ殿下ということなんだろう)
ヴィオレッティ殿下は王族で優秀なαだ。僕にはわからないが、ノアール殿下がそう話すということはそうなのだろう。
しかし、ヴィオレッティ殿下がこれまで表舞台に立ったことはないと聞いている。二十八歳でそうだということは今後も表に出る予定はなかったはずだ。それなのに、ノアール殿下はヴィオレッティ殿下をそばに置くことに決めた。
(王族αは子を生ませるためだけの存在じゃないと言いたいんだ)
そのことも国王はよく思っていないに違いない。ヴィオレッティ殿下に嫁いだ妃たちの意向もあったのかもしれないが、国王は王太子妃候補の姫がヴィオレッティ殿下に嫁ぐことを認めた。おそらくノアール殿下と同じように子を求めていたに違いない。それなのに子ができないまま表舞台に出てきた。
そんな国王と、αの存在価値は血筋や優劣だけではないと考えるノアール殿下が衝突するのは当然だ。
(国王は、とにかく一人でも子を作らせたいのだろうな。……いや、それならなぜ国王は自分の後宮の妃たちを解放したんだ?)
殿下の母君である王妃は留め置くとして、ほかは月桃宮のリュネイル様しかいない。ノアール殿下が生まれたとはいえ、さらに子を増やそうと考えなかったのだろうか。
(最初に生まれた国王の子がもっとも優秀なαなら、たしかに一人でも生まれれば安泰かもしれないが……)
僕には大国の王が考えることを推し量ることはできない。だが、国王が殿下に押しつけていることはαもΩも子を作るための道具と言っているようなもので、家族を作ることとはほど遠いように思えた。
それを、この国の代々の国王は受け入れてきた。そのことにノアール殿下は正面から異を唱えた。
「大きな口を叩くな。己の意志を押し通したいならば、子を一人でもなしてから口にするがいい」
殿下がクッと口をつぐんだ。国王の言っていることは間違っていない。次代を残すことは王太子としての大きな役目の一つだ。子をなさなければ未来に不安が生まれ、王族や貴族たちの間で無用な争いを招くことになる。
それは民の混乱にも繋がる。とくにビジュオール王国のような大国なら、ほかの国が付け入る隙を作ることにもなりかねないだろう。
(だからといってよその国から次代のαを迎え入れれば国を乗っ取られかねないし、子ができないと焦れば欺くためのΩが輿入れしてくる可能性もある、か)
それならと国内の王族αから次代を選ぶにしても政争に発展しかねないわけで、その隙にとすり寄る輩は国内外に大勢いるだろう。ただの子一人、されど子一人、というわけだ。
「それとも、そこのΩ王子が確実に子を生むとでも言うのか?」
「Ω王子ではありません。アールエッティ王国の第一王子、ランシュ王子です」
「国にも名にも興味はない。子をなすかどうかがもっとも大事なのだ」
「それは陛下のお考えでしょう」
「代々の国王の心構えだ。そうしてきたからこそ我が国は大国であり続けている。他国に脅かされることなく繁栄を続けられるのは、もっとも優秀なαが国王として統治しているからだ」
「その繁栄が何をもたらしていますか? 直系王族に子が生まれにくくなり、ほかの王族αも数を減らし能力は衰えていく一方です。αの血筋に執着し続けた結果、この国は歪な国王をいただき続けるしかなくなった。それがこの先の繁栄に繋がると、本気で考えていらっしゃるのですか?」
「わかったような口を利くでない」
「いいえ、王太子として、次の国王として申し上げます。これまでの方法がよいとは到底思えません。このままでは、いずれこの国は衰えていくでしょう。もはやαの血筋に縋りついているだけでは駄目なのです」
「王太子の身で、国王に逆らうというのか?」
国王の冷たい声が空気を張り詰めさせた。広間にいるのは身分の高い貴族たちばかりのはずだが、誰も二人を止めようとはしない。いや、この雰囲気ではそれもできないのだろう。
(このままじゃ、ますます二人の仲が拗れてしまう)
国王と王太子が対立するなど、とんでもないことだ。それこそ他国に付け入る隙を与えてしまう。王太子を快く思っていない王族αたちが再び動き出すかもしれない。
それでは、ノアール殿下は四面楚歌になってしまう。国のためを思っているのは国王と同じはずなのに、かえって国を乱してしまうことになりかねない。
(そんなことになってたまるか)
僕には大国の論理もαのこともわからない。小国の元王太子が理解できる範疇をはるかに超えている。それでも僕はノアール殿下の妃だ。正式にはまだでも、心ではすでに妃になるのだと決意している。妃として最大限、殿下のためにできることをしたい。それに何があっても一緒に乗り越えるのだと誓い合ったばかりだ。
すぅっと息を吸い、両手にグッと力を入れた。
「ぼ……、わたしが、ノアール殿下の子を生みます」
僕の言葉に、静まりかえっていた貴族たちがザワッとした。国王の目が初めて僕に向く。
「子を生む、と言ったか」
国王の低い声に怯むことなく、努めて冷静に「はい」と返事をした。僕を見る国王の表情からは何を考えているか読み取ることはできない。しかし、少なくとも蔑んだり嘲笑したりしているようには見えなかった。
ざわついていた貴族たちが静かになった。隣に立つノアール殿下は視線を国王に向けたままだが、ほんのわずか体を僕のほうへ寄せてくる。それが「大丈夫、わたしがそばにいる」と言ってくれているように思えて心がほわりと温かくなった。
「いいだろう」
静まりかえった広間に国王の声が響いた。
「子ができれば、正式な王太子妃として挙式するがいい。……そうだな、あと半年もすればノアールは二十七になる。それまでに子ができなければ、ノアールには別のΩの発情の相手をさせる。ノアールがそれを拒むことは許さぬ」
あと半年……それが期限ということか。発情が安定していない僕は、それまでの間に何度発情を迎えることができるだろうか。いや、発情を迎えても子ができるかはわからない。
(それでも僕は諦めない)
もう一度両手にグッと力を入れ、しっかりと国王を見た。
「わかりました」
僕をじっと見た国王がスッと瞼を閉じた。しばらく何かを考えるような雰囲気だったが、目を開いたときにはもう僕のほうを見てはいなかった。
「ランシュは時々想像もしないようなことをするな」
後宮の僕の部屋に一緒に戻った殿下が、やや苦笑したような表情でそんなことを口にした。
「自分でも少し驚いています。直情的なことはしない性格なんですが」
「直情的か。わたしにはとても冷静に見えた」
「そうですか?」
「あの雰囲気の陛下に正面から堂々と意見できる者は王族でも少ない。それだけでもすごいことだが、ランシュが冷静だったからこそ陛下も耳を傾けたのだろう」
「そう、なんですかね」
あのときの僕はただ殿下を助け、この難局を一緒に乗り越えたいと思っただけだ。勝手なことをしてしまったと反省していたが、殿下が怒っていないことにホッとする。
「しかし半年で子を、か」
殿下の言葉に、改めてとんでもないことを言ってしまったなと思った。しかし後悔はしていない。諦めようとも思っていない。
(だって、僕はこんなにも殿下が好きなんだ)
生まれて初めて好きになった人と結ばれ、結婚までできるのだ。諦めるなんて選択肢はない。それに結婚がアールエッティ王国のためにもなる。もちろん一番は殿下を助けることで、両国にとってよい結果になるようにしたい。まったく不安がないかと言われると難しいが、いまは「どーんと来い!」とさえ思っていた。
「僕は諦めません」
そうだ、諦めたりなんかするものか。二十四歳でΩになって、嫁ぎ先を探していたときでさえ僕は諦めなかった。
それにあのときとは違う。隣には殿下がいる。僕は殿下のことが好きだし、殿下も僕のことを好きだと言ってくれている。そんな殿下との間に子ができないはずがない。それこそ愛の女神が子を授けてくださるくらい想い合っているという自負もある。
「殿下との子作り、むしろ楽しみでなりません」
拳をグッと握りながらそう口にすると、なぜか殿下の頬が少しだけ赤くなった。
「なんというか……ランシュは男らしいな」
「そうですか?」
「それに、無意識に煽るのがうまい」
煽るとはどういうことだろうか? よくわからず首を傾げていると、殿下が右の頬にチュッとキスをした。