#5 魔術師見習いのクレア
遺跡を抜けると、森、森、森。
晴れ渡る外。
雨上がりの空気に、光が差していて、草木の匂いに満ちている。
「自由だ〜!!」
私は控えめに叫んだ。他の人が来たらいけない。
振り返ると私が閉じ込められていた遺跡がそこにある。古く湿った遺跡だ。
近づくと、どこまでも押し返されそうなくらい大きな石壁が聳え立っている。
戦争に使われていた、古い城塞の遺構だ。山間に埋もれた城壁、壁には魔術や鏃の跡が大量に残っている。そこらへんの土を掘り返すと、骸骨の一つでも出てきそうだ。
「シエルはなんでこの遺跡に魂を保管してたの?」
素朴な疑問。
「さあ。私は別にこの遺跡で死んだわけじゃないしな。信頼できる人に保管先を委託してたらここだったってだけ」
「ふーん」
シエルにも友達みたいな人が居たのだろうか。
私には想像がつかない。なにせ150年も前のことだ。
「さっさと町に行こう。町の方向は?」
「分からない。馬車でここまで来たから」
この近くには教会区か、ヨースカインドという街がある。
道なりは覚えていないが、町との距離感はそう遠くなかったはず。とにかく止まっているのもなんなので、町の有りそうな方角へと私達は歩みを進めた。
――のだが、
「駄目だ、迷った」
のべ一時間ほど歩いて、山林は深くなるばかり。森は似たような景色が続いていて、自分がどこを歩いているか分からない。このまま直進しても町はなさそうというのだけが分かる。
私は思わずヘニョヘニョと近くの倒木に座り込み、休憩した。足も痛いし、食べてないので動けない。
シエルが言うには、今の私はシエルの魔術でようやく動けている状態らしい。本来なら一歩も動けてないみたい。まあそうだよね、飲まず食わずでここまで来たんだからさ。
きのこでも探して食べようか......この紫のきのことか食べられそうじゃない? そう思って切り株に生えてたきのこに手を伸ばし――
「ぎゃるる!!」
遠くで音がした。
『っ、おいアリサ、魔物がいるぞ』
「魔物? 食べられるかな?」
「馬鹿なこと言うな! 逃げるか戦うしかないぞ」
あまりにも深くに来すぎていて、魔物の生息地に足を踏み入れたのかもしれない。目を凝らすと、確かに遠くに黄色く目立つ色の、足の長いもふもふの魔物が居た。そしてそれはだんだんと大きくなっていた。つまり、こちらに高速で近づいて来ているということだ。それもすごく早い。
「やばいこれ、逃げられないよ」
「魔力を渡せ
「ば――……」
魔術の剣を抜こうとしたその刹那、
「ちゃっぴーストップ!」
知らない女の子の叫び声が聞こえて、目の前で魔物が急停止する。魔物は長くて屈強な足を持つ怪鳥だ。そしてその上に声の主と思われる、フードを深く被った女の子が居た。
「こんなところで何してるの?」
女の子の凛とした声が私に差し向けられる。
「道に迷っていて、休憩してました」
「休憩? ここで? ここらへんは魔物が出るから、送っていくよ。女の子一人じゃ危ないもんね」
めっちゃ親切な人だ。
「いいんですか?」
「いいのいいの。私も帰るところだったから」
彼女はフードを脱いで言った。
フードから金色の髪がぱさっと溢れて落ちる。
「私はクレア。クレア・レイン。ここの近くで魔術師見習いをやってるの。よろしくね」
クレアと名乗るその人は、輝くようなブロンドに、同じくきらきら輝く金の目。線が細くて、成人したてくらいの見た目の少女だった。
シエルは私の隣で黙ってぷかぷか浮かんでいるけれど、クレアさんはそれを見ていない。そんなものがあったら、必ず視界に映るはずなのに。だから多分、取り憑かれてないと、シエルのことが見えないんだ。
「あなたは?」
「私......あっ、私は......」
どうしよう、素性をそのまま明かすわけにはいかないよね。今の私は、脱獄犯だから。
『どうしようシエル。なんて言えばいいの?』
『アリシアとかでいいんじゃないか?』
『なるほど』
安直な偽名だけどそれがいいかもしれない。
「......ア、アリシアです」
「アリシアちゃんよろしくね! わたしのことはクレアって呼んでくれていいよ」
「あっはい。クレア......さん」
「むっ」
「クレアちゃん」
「よし」
疑う様子はない。私はほっと息をついた。
「じゃ、こっちだから」
私は先導するクレアの後ろに付いて行く。
クレアは流石に歩き慣れているみたいだ。私には見えない目印をたどって、森の深みに立ち入っていった。途中ちゃっぴーと呼ばれた魔物に水を与えてから、20分ほど経つと木組みの小さな小屋へと到着した。
「私の家。上がって?」
「いいんですか?」
「いいのいいの」
彼女は魔物をカードに戻してから、すたすたと小屋に入ってしまった。急いで私もその後に続く。小屋の中は外見と異なって小奇麗にしてあって、何だかひっそりとしていた。人一人分の空気感しかしない。集団で暮らしているような感じがしなかった。
「もしかして、一人で過ごしているんですか?」
「そ。魔物を狩って生活してるからね。そういう人は街では暮らせないようになってるんだよ」
民間には邪気の概念があって、魔物に直接関わる人は街に住居を構えることが出来ない。
だから魔物を狩る魔術師は、街ではなく屋敷を構えたり、隠居の形態をとったりするんだけど、こんなに若い子が一人で魔物を狩ってるなんて、ちょっと信じられなかった。
「ご家族は?」
「お父さん一人と私だけ。お父さんも魔術師だけど、今はヨースカインドで仕事に就いてる」
「ヨースカインドって近いんですか?」
「そうだよ。もしかして、教会区のほうに用事があった?」
「いえ、そういう訳じゃないんですけど」
つぶやきが聞こえたのか、彼女は苦笑して答えた。
むしろ教会から遠いほうがいい。
私はすすめられるまま、椅子に座らされてクレアちゃんの次の言葉を待った。
座り心地のいい椅子に座ると、どっと疲労が牙を剥いてくる。
「まずお風呂入ろっか。それで服も着替えちゃおう」
手を叩いてクレアちゃんが言った。
「服は私のを貸してあげる。それでいいでしょ?」
あっけらかんと言うクレアちゃんに私は驚いた。
「え、でも、悪いですよ」
「町に行くんでしょ? その格好じゃ捕まっちゃうよ?」
見ると確かに、消えてなくなりそうなボロボロの服しか身に纏っていない。
逮捕されるのは困る......クレアちゃんの押しの強さに押されるまま、私は服に手をかけられた。
ぽいぽいぽいと服を脱がされて、あっという間に裸にされる。
「傷......」
クレアちゃんが私の肌に触れて言った。
見ると、私の体には、傷跡やアザの跡がおびただしく連なっている。でもシエルのおかげで、その殆どがもう埋まっていた。触ると少し痛いけれど、でもただそれだけ。
「......うん」
恥ずかしくて顔から火が出そう。しかし新しい自分の体を改めて見ると、昔の体についた傷やアザがいくつか残っている。
促されるまま庭に出て、石の地面の上に座らされた。
そして彼女は魔術を諳んじる。
「水よ」
お風呂と言ってもお湯を炊くわけにはいかない。彼女はカードを取り出すと、何かを詠唱した。そして私の上から水がだぱーっと流れ落ちてきた。
「ひゃっ!!」
つべた。
冷たくて心臓が縮んだ。
彼女の細い指が私の髪を梳かす。
「髪サラサラだね」
「そう?」
自分で洗えるのに、なぜか彼女の手でごしごし洗われる。私ペットだと思われてる? 正直恥ずかしいんだけど、他人に体を洗ってもらうのってなんだか気持ちいい。うう......でもやっぱ恥ずかしすぎるよ。
石鹸を使ってるみたいで泡が立った。すこし香草が混ざっているのか、なんだかいい香り。
一通り洗い終わると、再びどぱーっと大量の水で流されて、泡を落とした。そして布で水を拭き取ると、彼女の持っている服を一式貸してもらった。白色の少し長めのチュニックだ。フェミニンでかわいい。
「くるくる回って?」
「こう?」
その場で一回転ターンした。
「うん、可愛い」
「そ、そう?」
「アリシアちゃん顔がいいね」
「え.......」
そんなふうに言われると照れる。シエルが相当な美人だから、それを引き継ぐ今の私も可愛くなってるだけだけど。元の私では、到底言われないような言葉だ。
「おなか空いたでしょ?」
「......空きました」
「スープ温めるから待ってて」
私は椅子に座らされ、一方のクレアちゃんはとてとてとキッチンの奥へと消えた。スープを待つ間もお腹がぐうぐう鳴っていた。天井から吊るされた鍋が煮込まれて、ぐつぐつと音を立てている。
私はぎゅっと自分の体を抱いた。
「大丈夫か?」
「うん......」
ずっと黙って私の横を浮遊していたシエルが、私を心配して声をかけた。
「ちょっと、お腹が空きすぎて苦しいだけ」
さっきまでの空腹感とは違う。近くに料理があるのを知ってしまうと、それが急激な飢餓感として私を襲っている。苦しい。喉の奥に、なんだか苦くて、塊みたいなものが、つっかえてるような感じ。
「おまたせ......大丈夫?」
「うん.......」
机に伏せる私を、心配そうにクレアちゃんが見つめる。
私は急いで姿勢を正した。
「スープはたくさんあるから、好きなだけ食べて」
「ありがとう、いただきます」
カチカチと震えるスプーンでよそってもらったスープを食べる。
一口。
二口、三口。
茎野菜と豆のスープだ。私は急いでそれをかき込んだ。
「美味しい、美味しい……」
「そう、よかった」
久しぶりに口にしたまともな食事で、気がつくと私はボロボロ涙を溢しながら、スープを飲んでいた。塩辛いスープが孤独に沁みた。
お腹が空くのはどうしようもなく、苦しかった。
それが一気に満たされて、長く保たれていた緊張の糸が緩んでしまったように思う。まずいと思った時にはもうぽろぽろ泣いていて、止められなかった。
「もっと食べていいからね」
「........はい」
クレアちゃんといえば、そんな泣いている私をただ何も言わずに見つめていた。
そうして満腹になるまで食べると、だんだんぼーっと気が遠くなる。
(まずい......)
ゆっくりと視界が暗くなる。
ふらふらと足元から軽くなるような、妙な浮遊感があった。
長距離歩き回って、お風呂に入って、食事を取ってお腹が満たされた私は、その後、気を失うようにその場で寝落ちた。
***
(クレア視点)
森で女の子を拾ってから次の日、わたしは昼食を作っていた。昼食と言っても凝ったものは作れない。貰った卵を焼いて、パンとサラダを付けるだけのもの。そろそろあの子も起きて欲しいんだけど、と思ったところで、遠くでベッドがもぞもぞと動いて、丁度彼女が起きたのを悟った。
「おはよう、随分寝てたね」
「わ、すみません」
「いいよ。水飲む?」
「......いただきます」
今朝煮沸しておいた水をコップに注ぐ。不格好な陶器のコップを彼女が受け取って、それをごくごく飲んだ。なんだかそれが小動物みたいで可愛い。
「.......?」
目の前の少女、アリシアちゃんは謎の多い女の子だ。
ご飯の食べ方も、話し方も、いいところの生まれだって分かる。わたしよりずっと上流階級の人間だ。だけど昨日はみすぼらしい格好で一人で森を彷徨って、何日も何も食べていないみたいだったし、体を洗っている時にちらりと見えた、おびただしい数の身体の傷も気になる。
一体なにがどうなってるんだろう。
普通ではないことは分かるんだけど......
それに、多分この子は魔術師だ。キャスターが、なんでこんな風に森をさまよっていたのか、見当がつかない。
ただ、今はっきりしていることは、彼女はなんらかの危機に瀕しているということ。
そして、わたしはこの子を助けないといけないということ、それだけだ。
何かに怯えて、きょろきょろと辺りを見渡して、小さくなっているアリシアちゃんは、正直痛々しくて放っておけない。わたしが守らなきゃ、そういう気分になる。
「アリシアちゃん、昨日はお話できなかったけど、アリシアちゃんのこと、ちょっと話してくれないかな?」
「私のことですか?」
「うん。昨日何してたの? お家はどこ? アリシアちゃんはどこから来たの?」
「わ、私は......」
彼女は深刻そうな顔をして俯くと、「.......話せません」と小さく言った。
そっか話せないか。
はららと視線を落として小さくなっている彼女を見ると、こっちが居た堪れなくなる。それに、何かを憂いている表情をしていて、顔がいいな、と思ってしまった。おめかしすると相当な美人だろうと思う。
ふわふわの銀色の髪、目が青くて、お人形さんみたいだ。
「あ、あの、これ」
そう言って、アリシアは細い手を出して光る物を出した。
それは金色に鈍く光った一枚の硬貨。
「金貨じゃん」
金貨は大銀貨の4倍の価値があり、それで支払えないものはなかなかない。
それを一晩泊めて朝ごはんを食べさせただけで、受け取れるか。少なくとも私にとってはそうじゃなかった。
「それは受け取れないよ。アリシアちゃんが持ってて」
「でも」
「でもじゃない」
頑として受け取らない姿勢を見せると、流石にアリシアちゃんも諦めたみたいだ。
「ま、まあ、お昼ごはんでも食べてさ、今後のことを考えよっか」
「......はい」
わたしは努めて明るい声で言うが、彼女は気落ちしたままだった。
「私は今日、これから、近くの市に魔石を売りに行くの。魔石は分かる?」
「分かります。魔物の心臓で、カードになる」
「そ」
わたしはアリシアに、自分の仕事を話した。
彼女の過去を暴く方法は――ないわけじゃない。
結界に引き込んでカードで勝負を決めれば、彼女に過去を洗いざらい話させることも容易い。わたしにはお父さんから譲り受けたデッキがあるし、アカデミーでも上位入学を決めている。彼女に勝つこと自体は難しくないだろう。
しかし、
「クレアちゃん? どうしたの?」
「ううん。ちょっと考え事してただけ」
こんな可愛い子相手に無理やり話を聞き出すなんて、と躊躇してしまう。
「まずはお昼食べよっか」
誤魔化すように言ってから、私たちは二人で作った昼食を囲んだ。
***
食事を終えて、私達は出かける準備をする。とにかく、このアリシアちゃんを、無事街へと連れて行かないといけない。
ただアリシアちゃんは、訊いたところによると、街に行っても目的地がないらしい。なんだか、どこかから逃げてるみたい。
「ただ.......」
ひとつ考えるのは、アリシアちゃんを傷つけた人が、もし、世間で正義として扱われていたら? 彼女を傷つけるのが、世の中で正しいことだったら?
「わたしはどっちの味方をするべきなんだろう......」
わたしは、大きな力を敵にして、アリシアちゃんを守るだけの覚悟があるのか、分からない。
だってアリシアちゃんは昨日出会ったばかりの女の子で、私にだって身分がある。これから魔術師として学園に通う身なんだ。
わたしは、アリシアちゃんをお父さんのところに連れて行くことにした。
父は魔術師だ。わたしが一番尊敬する魔術師。
強くて優しくて、だからきっと上手く全てを解決してくれるはず。
「今日は魔石を換金して、カードを見て、どっかでぶらぶらしながら、夕方頃お父さんのところに行くから」
「お父さんって、クレアちゃんのお父さん?」
「そ。最近はキャスターとして魔術師の組合のお手伝いをしてるんだよ」
組合というのは魔術師の活動を支える中間機関のようなものらしい。似たような機関に魔術師ギルドというのもあって、こっちは魔術師たちによって街の揉め事を消し去る組織だ。わたしの父はキャスターとしての実力が買われて、組合の臨時役員として働いている。
意見を聞いて匿えるだけの力があるはずだ。
「じゃ、いこ?」
「......うん」
私はなるべく自然に思われるように手を差し出して、アリシアちゃんはためらいながらそれを握り返した。手をつなぎながら、二人で森を歩く。
いつの間にか繋いだ手は離れて、それなりの時間をかけてついた場所、ヨースカインド市は比較的大きめの街だ。
王国でもかなり活気のある街と言える。木組みと石畳の町並みに、カラフルな屋根の色。王都に次ぐくらいの規模感だろう。王都のロンドグラムはこれより南に位置する。ヨースカインド市とロンドグラム市はどちらも大きめの川を中心とした都市で、川を通じてつながっていた。
右も左もわからないアリシアちゃんを引き連れて、雑踏の中、わたしはどんどん先に進んでいった。
どうにか、アリシアちゃんを助けたい。
そうするために、わたしは何をするべきなのか。
歩きながら、最善手がなにか、ぐるぐる考えていた。