#1 スレプテイル家のアリサ
この世界はカードが全て。裁判も契約も、人々の闘争のすべてはカードによって行われる。
人々は生まれつき魂のカードをもっていて、それらはソウルカードと呼ばれていた。
そしてカードを使って、現実を改変できる人々を、魔術師と人は言う。
***
私は箱の中に居る。望みのない無機質な一室、スレプテイル家の屋敷の別館の一室に私は閉じ込められている。私、アリサ・スレプテイルは、名門と呼んで差し支えない魔術師一家の、スレプテイル家、その長女だった。上に兄が二人いて、下に妹が一人いる。
二年以上閉じ込められているから、もう見慣れた部屋だ。今更何か話すこともないだろう。
ぱたぱたと足音が近づいてきた。多分妹だ。好き好んでこの監禁部屋に近づく人は妹以外にこの家には居ない。
「お姉様!」
「......レーナ」
「お姉さま、これを」
「レーナ、ありがとう」
妹のレーナがパンを一欠片、部屋の小さな小窓から手渡してくれる。
「ごめんなさい、お姉さま。こんなことしか出来なくて」
「ううん。いつもありがとう、レーナ。助かっているから」
固く閉ざされた扉。
家族による監禁は、私の境遇によるものだ。
この世界の人々は、生まれつき一枚のカードを「ソウルカード」として天から受け取る。成人である15歳までに神殿に行って、祝福を受けてソウルカードを発見するのだ。
たいていの子は10歳までにはソウルカードを心の内に見出す。
ソウルカードは人間の人らしさを保証するもので、いわば人権のような扱いだ。
世界に例外はいるもので、私はその例外。ソウルカードを持たずに15歳を迎えた、呪い子と呼ばれる人間だった。神の恩寵を受けていないから、呪い子。
この世界において、呪い子は犯罪だ。人らしい扱いは当然望めない。
妹のレーナはそんな私を差別せずに、たびたび食事を分けて、談笑しにこの小部屋の前まで来ていた。勿論親の目を盗んでのことだ。
バレたらひどい目に遭うらしい。私のせいで、と思うと心が痛む。
「今年の秋から、私アカデミーに行くことになってるんです」
「それは、楽しみね」
扉越しでも、レーナの明るい様子が分かる。
思えば、彼女は昔から感情表現に富んだ話し方をする。
だけど、私が監禁されてからは、そんな明るい話し方も、段々調子を失ってしまっていた。
「うん.......でもお姉さまが........」
「私のことは心配しなくていいよ。レーナは好きなふうに生きていいんだからね」
「うん......」
レーナは一歳年下だ。そして二人の兄は、既に成人を迎えてアカデミーに通っている。長男の方はもうすぐ卒業で、家業を継ぐことになるだろう。
アカデミーは王都にある魔術の総合学校で、魔術師たちの登竜門と呼ばれている。私はカードもないので、魔術家の生まれながら魔術が全く使えない。どうやら魔力自体はあるみたいだけど、宝の持ち腐れだ。
しばらくレーナの近況報告を聞いていたが、彼女は急に黙って、外のほうを見た。
「......もうすぐ誰か来ますね。私はこれで」
「うん。いつもありがとう」
「また来ます。必ず」
足音が遠ざかって、レーナは扉の前から居なくなった。
そして遠くで話し声が聞こえて、入れ替わるように誰かの足音が近づいてくる。そしてしばらくするとがちゃりと鍵が差し込まれて、扉が開いた。
ぎいっと音が鳴る。立て付けの悪い扉。
「おい、出ろ。呪い子」
「.......はい」
お父さんだ。
父はいつからか私を名前では呼ばなくなった。
彼は私を人とも思っていないような扱いで部屋から叩きだすと、彼を取り囲む複数の見知らぬ人達に私の身柄は預けられた。
服装から、教会の人間であることが分かる。
「お前はこれから教会で裁きを受けることになる」
その言葉に、周りの人々は神妙な顔で頷く。
私は内心、頭が真っ白になるような衝撃を受けた。裁き!
いつか裁判を受けることは分かっていたが、いざそれを目の前にすると、ぞっと鳥肌が立った。私は正式に犯罪者になる。悪いことは、なにもしていないはずなのに。
「全く、お前みたいなやつがこの家から生まれたと知られれば、一家の恥だ。早く出て行け」
「行くぞ」
教会の大人に連れられて、私は15年暮らしてきたスレプテイル家の屋敷を出た。
教会の馬車に乗り込む寸前、遠くで声が聞こえた。
「お姉さま、お姉さま!!」
見ると、レーナが屋敷の侍女たちに引き止められながら、必死にこっちに向かって叫んでいる。
「こんなの、おかしいですよ!! 私達は同じ、人間のはず、家族のはずなのに!!」
「レーナ」
これ以上彼女に発言を許すと、妹のほうで、なにか問題になるかもしれない。私はレーナの名を呼んで、彼女の発言を制止した。
私は、胸を張れるような存在ではないけれど、一応姉だ。
諭すくらい、わけないことだ。
「......私の分も、よく生きるんだよ」
「おねえ、ちゃん」
震えそうになる声をちゃんと抑えて、姉らしく私は話せたと思う。
その場で崩れ落ちたレーナを尻目に、私を乗せた馬車はその歩みを進める。
私は、悲しくて泣きそうになったが、必死にこらえた。泣いたら、なんだかなにかに負けるような気がして。
******
「しかし可哀想になあ、こんな子供が」
「でも呪い子じゃ、しょうがないべ」
「ずいぶん大人しい子だな、絶望はこうも人の心を折ってしまうのか」
「ちがいない。神に見放されちゃあな」
歩く度に手枷の鎖がじゃらじゃらと擦れて音を立てる。
私は呪い子として、監禁や折檻の後、教会に身柄を引き渡され、今日、教会所有の遺跡にある地下牢に収監される運びとなった。
ガチャリガチャリと金属の擦れる音が響く。
足が感じる石の冷たい感触が、奥に行くにつれ強くなった。
もう長いこと裸足で歩いていたから、足が切れてじんじんと痛み、血が滲んでいた。
「ほら、ここで過ごすように」
「……はい」
連れてこられたのは、固く閉ざされた遺跡の一室だった。
地下遺跡と言っても、それは完全な地下ではなくて、天井付近の、鉄格子が嵌められた穴から、薄く光が差している。一応窓なんだろうか。
「じゃあな、運が良ければ食事が来るから」
「呪い子になった自分の不運を恨みなよ」
自分を連れてきた僧侶たちが部屋を後にする。
ガチャリと錠を閉じる音がして、完全に密室になった。光が少なくて薄暗い。
「はあ」
試しに扉を押してみるが、びくともしない。格子が嵌められた窓は狭すぎるし高すぎる。
罰としての収監とは程遠い、生活できない場所に閉じ込めるのは、遺棄となんら変わらない。
――私は死ぬんだ、この場所で。この薄暗い部屋で。
かつてここに収監された人の骨や、脱出しようとした跡がある。部屋は案外広くて、歩き回れるくらいだ。四方は柱で支えられていて、壁は石が積んであって、時代を感じる。
なんのための遺跡なんだろうか。
少なくとも、はなから牢獄のために作られたとは思えないが。
「......そんなことを考えてもしょうがない」
日の傾きから多少時間が分かった。もってあと数日の命だろう。
短くて過酷な人生だったと思う。
***
――地下収容二日目
雨の音で目を覚ました。
外ではどうやら雨が降っていて、窓を伝って部屋に流れ落ちている。
私は部屋の隅で小さくなって、どうにか雨がこちらに染み出てこないことを祈った。
「暇だ。お腹空いた。誰か来ない?」
物がない地下牢で、虚しく声が響いた。
誰も来そうにない。
窓の隙間から曇り空が見える。
ここの所何も口にしていない。
教会に居たときから酷い扱いだったから、なかなか食べさせてもらえなかった。
暇だし、お腹が空いて気が狂いそうだったから、私は遺跡の散策を行うことにした。
「.......」
地下牢の奥には何らかの儀式に使っているのか、地面に深い溝が刻まれている。均等な距離を保った平行な二直線だ。
何かを動かしていたのだろうか。重たい台座のようななにか。でも動かせそうなものは見当たらない。
地面の砂を払ってみても、搬入の跡がない。そもそも入り口から入るような幅じゃないように感じる。
じゃあどこに繋がってる?
線の先をなぞっていって、しかしその先には何もなく、壁があるのみだ。
「壁」
壁を払って見ると、埋まっていた壁の溝が現れた。こっちは削ってできた溝じゃなくて、隙間だ。壁の中になにか埋めてある。ただ、壁に埋まったものはぴったりと壁に同化していて、指を入れるような隙間もなく、私ではどうすることも出来ない。
……しばらく動かせないか挑戦してみて、諦めた。
****
――地下収容3日目
お腹が空いた。
お腹が空いているのに、吐きそうだ。頭ががんがんする。気分も最悪で、胃もキリキリと痛んだ。先日雨水が降ってきて、泥にまみれたそれをすすって飲んだが、それが良くなかったかもしれない。
「ツラい、苦しい」
声に出すと、少しだけ苦しさの波が引く。手足がしびれていて、まともに動かせない。目の前が霞んで、口から血が出た。歯茎が切れているのかもしれない。
これは罰なんだ、と思う。
呪い子に生まれた、神からの罰。けれど自分は、神に誓って、罰されるようなことはしていない。そのはずなのに。
そんな限界の私は今何をしているかというと、飲めなくなった水を使って、壁に埋まった四角い何かを、丁寧に磨いていた。昨日触っていて思ったのだが、この直方体は、周りの壁とは少しだけ材質が異なるようだった。長く触れていると、温度の伝わり方が違うのが分かる。叩いてみると、少しだけ硬質な音がした。
水で濡らしてから、もともと持ち合わせていた一枚きりの服を使って磨く。
やることがないのがなによりも苦しいから、まだ日の出ていない時間から、真っ暗闇の室で、自分はとにかく目的もなく磨き続けている。
そのうち、磨いていると元の材質を取り戻したのか、長方形のなにかはだんだんつやつやとした触り心地になってきて、それがほのかに達成感をもたらしてくれた。
だんだんと空が白んできて、この地下室にも光が差してくる。
日の出たばかりのまだまだ低い光は、一直線に私と、私の磨いた壁を照らして――
――息を呑んだ。
「綺麗」
暗闇の中で磨いていたものだから、よく分からなかったけど、その長方形は異様な極彩色の組み合わせで彩られた、なにか複雑な意匠を伴ったものだった。
そしてその中央にはなにか文字があしらわれている。
「古代語だ」
古代語、旧文明の文字で、大陸でも長らく知識階級の一般教養として文明の底を支えてきた書き言葉だ。失われて久しいけれど、自分も貴族の家系であり、家庭教師に習ったことがある。
掠れる視界で、文字を一つ一つ追うと、その意味が見えた。
「――不死なる魂の眠る地、来る再訪の折に禁を解かん」
瞬間、閃光が瞬く。
古代語の文を声に出すと、文字が光って、ガガガとなにかが擦れるような音が響いた。
すぐに私はよろつきながら飛びのくが、地面の線に従って、壁の長方形がまっすぐと出てきた。
直方体の、丁度人が収まるくらいの長さだ。
丁度人が収まるくらい?
じゃあ、これって......
「棺?」
遺跡に棺。なるほど、ちょっと考えてみれば、あっという間に出てきそうな答えだ。
棺を丁寧に見回すと、その仮説を証明するように丁度蓋のような部分もある。錠がかけてあったが、すでに朽ちていて、触ると淡い光と共にぽろぽろと崩れ去った。
「うーん......」
迷ったが、見てみようと思った。
わざわざ棺を覗こうだなんて行儀のいい行為ではない。でも、地下室に閉じ込められている人間に行儀なんて求められても困るというもの。蓋を開けるのには苦労した。なにせ私は、ここのところずっと何も食べていないのだ。腕の筋肉は落ちて、指先に力が入らない。
どうにかこうにか、棺の蓋に体当たりなんかもして、やっとの思いで棺を開く。
中を覗くには、十分な日差しだった。
「どれどれ」
しかし、その棺は、どうにももぬけの殻だった。
中には何らかの刻印と、なにかの道具だけが散逸している。そしてその中央には、黒く濁った一枚のカード。
墓荒しの後か?
そう思ってまもなく、それは訪れた。カードを手にとったその瞬間のことだった。
「世界よ、私は帰ってきたっ!!」
「ぎゃーーーーっ!?!?!?!??!?!??!?!??」
突然後ろから声がして、私はびっくりして跳びはねた。
なに?なになになに!?
「私の封印を解いたのは君なのかな? ありがとう!」
「は? え? だ、誰?」
「む、私を知らないのか? これでも高名な魔術師だったんだぞ。世間では大賢者様だなんて言われていたくらいだ」
突如現れた人に、目を瞠った。
背の高い女の人だ。
突然、音もなく、後ろから現れた。黒いフードのような装いで、銀色のあまり長くない髪。
なにより恐ろしいのは、立っているのに足がない。足元がなんだか透けていて、まるで.........
「お、お化け............!」
「おい、死ぬな。死んだら私が取り憑けないだろ!」
声が遠くに聞こえる。私は意識を手放した。