反逆者のオープニング
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数十年前、日本のみならず世界中でテロリストとの大規模戦争が巻き起こった。
初めはどちらも一歩及ばずの戦いではあったが、日を跨いでいくうちに世界を壊す者達との戦いは激化していく一方だった。
その激化していく争いの中で、テロ集団の研究者が禁忌を犯してしまう。それは、人間と動物の遺伝子が組み合わさったハイブリッド……つまりは生物兵器を完成させてしまったのだ。
禁忌の手から造られた生物兵器は世界とテロ集団の戦争において、新たな戦力として活躍をし、世界側の戦力に大きな影響をもたらした。いや、もたらしてしまったのだ。
そんな活躍を見た世界側の研究者達はこぞってテロ集団と同じく、本来守るべきはずの一般市民を攫い、その禁忌に手を染め始めたのだ。そうしなければ、この戦争は世界側の敗北で終わっていただろう。
大量の悲劇が生み出されても尚、大きくエスカレートしていく戦争に終わりなんて見えなかった。このまま人類の破滅を招くのではないかと予想もされていた。
だが、その不安が募っていく中、世界側の研究者がAIを使った戦闘兵器を完成させた。その猛威は恐ろしく、数十年と長く続いた争いはたった一年で終わりを迎えたのだ。
被害は甚大ではあったが、その戦争から生み出されたAIを駆使し、争いから破壊された街や文化を復興させることが出来た。
それに、ただ復興させるだけではなく、もう二度と戦争によるあんな悲劇を繰り返さぬよう、平和や楽園を誓う都市が一番被害の大きい日本に創り出された。
それが『楽園都市HEAVEN』である。
生物兵器として誕生してしまった者達も、悲劇な想いを背負ってしまった者達も、今や自身の平和や安泰を求めてこの楽園の中で暮らしているのだ。
ただ、楽園と言うには少々……いや、かなり危険な所ではあるが、誰しもが一度は夢見た平和を掴みながら暮らしている。まるで、あんな戦争があったことなど“忘れている”かのように。
しかし、そんな楽園の都市部を平和とは懸け離れた女性がエンジン音を纏わせて走っていた。
一
第三者から見てみればただバイクを乗っているだけのように見えるかもしれないが、長い時間座っていたために肩と腰が悲鳴を上げていた。
無数にそびえ立つビルの間をバイクで走りながら、溜まった疲れを吐き出すように言葉が口から零れる。
「やっと着いた……」
時刻はもう十二時を過ぎている。アジトを出てから既に二時間が経過しているのだ。
いつもならもっと早くに此処へと辿り着いているのだけど、今日に限って多重事故が発生していたらしく、思わぬ渋滞に巻き込まれてしまった。
一応、すぐに警察が来て迅速な対応をしてくれたお陰で進めるようになったけど、それでも進めるようになるまでに一時間という時間を要してしまった。
そこから楽園都市を目指していたらこんな時間に……。
色々と考えて高速道路に乗ったはずなのに、その考慮が全て無駄になってしまった。なんだか何処にもぶつけられない怒りが出てきてモヤモヤする。
不満を心の中で募らせていれば、到着するまで何も飲めていなかったせいか喉が渇いてきた。なので、何か飲み物を買うためにコンビニへと停まる事にした。
***
「アリガトウゴザイマシタ」
感謝の言葉を口にする店員を尻目にバイクへと戻ると、買ってきたお茶を開けてゴクッ、ゴクッ、と音を鳴らしながら喉を潤す。
「ふぅー、生き返る~!」
ペットボトルに入った麦茶を半分以上飲んだら、思わず幸福感溢れる冷たい息を出す。
麦茶を飲んだ事で溢れ出てきた幸福の余韻に浸ろうとしたが、私の前に並んでいた他のお客さんがお店から出てきたのを見て、私の思考は既にコンビニ店員のことでいっぱいになっていた。
どうして私の頭の中がそんなことになっているのかというと、今までこの時間には必ずと言っていいほど居た店長さんが、いつの間にか見知らぬ人型ロボットにすり替わっていたことだ。
いや、大抵の企業がロボットの従業員を採用する事は当たり前なのだけど、ずっと熱心に働いていた彼は何処に行ってしまったのだろうか。
もしかすると、ロボットを採用するときにクビになってしまったのかもしれない。人型ロボットは優秀だからね。
このHEAVENには色々な機械やロボットが居り、その中でも一際目立っているのが人型ロボットだ。
見た目は全体的に白色で、絵を描くときに使うデッサン人形に顔を付けて、服を着させたような見た目をしている。
ただ、彼等の存在意義は別にマスコット的な可愛らしいものではなく、治安維持や人手不足の解消に使われること。
治安維持は上空を飛んでいるド大量のドローンが危険を見つけると、その情報が彼等に伝わり、白かった体が赤色に変貌して戦闘モードに移行する。そして、伝わった情報を元に危険を排除してくれる優秀な機械なんだ。
私達も何度か任務などで戦ったことがあるけど、出来ることならもう二度と争いたくはない。いくら倒してもゲームの敵モブ並みに出てきてくるんだもん。しかも、それぞれが物騒な武器を持って襲ってくるし……。
正直言って、あの光景はトラウマものだよ。
けれど、そんな優秀な彼等でも一部の人間達から反感を買っている。
その理由は機械やAIに職を取られてしまったり、ロボットが誤作動を起こして怪我を負わされたりする人が少なからず居てしまうからなんだ。
最近はそういった理由からロボット達に復讐をする人が後を絶たない……なんて噂をよく耳にする。
まあ、実際そうだったとしても私には何も関係ないことなのだけど、ちょっとだけ同情する。
誰だって突如として安定した収入源を失ったり、無機物に襲われたりするのは恐ろしいことだからね。
後者は特に。
社会の恐ろしさや闇深さを考えながらも、スマホのメッセージ欄を開いた。
ホーム画面にはENDINGのメンバー、友人複数、その他諸々の連絡先が入っている。
その中でも「れんれん」と書かれたオシャレなハンチング帽と一丁の拳銃が映っているアイコンに指で触れる。
《急だけど、今からそっちに行くね!》
慣れた手つきでメッセージを打ち込んだら、返事を待たずしてスマホをリュックの中へと戻す。
一般的に考えたら誰かの家等に行くときは返事を待った後に、許可も貰ってから向かった方が人間関係という点から見ても絶対にその方がいい。
でも、私と彼の関係はそんなことをしなくても、いつ来ても歓迎できる状態になっている。
それに、親しき中にも礼儀あり、なんて言うけれど、私達はそんな間柄でまとめられるほど浅い関係でもないからね。
「よし」とペットボトルもリュックの中にしまう。
喉も潤ったことだし、そろそろ行くとしましょうか。友人が営んでいる喫茶店へ。
軽く上に伸びをしたら、ハンドルを握り、エンジン音を轟かせながらバイクを前へと走らせた。
***
目的地である喫茶店に向かう道中。当然なことながら色々な光景が目に飛び込んでくる。
近代的な建物やいくつもの小洒落たお店、街を飛び交う多種多様なドローン、人と同じく都市によく馴染んだこれまた多種多様なロボット達。
私のバイクとは違いタイヤが存在せず、道路の上を浮いて移動する車やとてつもないスピードで目的地まで向かう電車。
沢山のビルから出来た路地裏や裏路地で怪しいナニかを取引している二人の人間。
ここからでも見える程に大きく、この楽園都市を象徴しているタワー。
色々なモノがこの短期間で私の視界に入り込んできた。やはり、この都市は飽きない。
六つ目の信号を通り過ぎると、近代的な鉄骨鉄筋コンクリートで出来た高層ビル群の中に、一瞬だけ目を疑うようなぽつんと佇む木造のお店が建てられていた。
「頭がおかしくなりそう……」
その光景は未来の中に過去が混ざっていると表現しても特色がないくらい見ていて混乱を極めるものだ。
確か、ネットでの評判はいまいちだった気がする。
もう昼時だというのにここだけ存在を忘れられているのではないか、と思うほど空いている駐車場へと入っていく。
静けさが目立つ駐車場にバイクを停め、そのまま降りてヘルメットを外す。
そして、正面へと目を向ければ深緑の屋根に、少しひび割れたクリーム色の壁で出来たレトロ感漂う喫茶店があった。
私は友人に会える喜びから緩む口を抑えて、その入口へと歩いていく。
二
中にはお客さんなど誰も居ないはずなのに、静けさとは反対のガヤガヤとした賑やかさが店内には存在していた。
「蓮さん、この椅子は何処に置きますか?」
「それは俺達が使うものだからな。カウンターの中にでも置いておくか」
「分かりました!」
全体的に重厚感溢れるダークブラウンな色彩で、まるで昭和を彷彿とさせるようなレトロな雰囲気がその空間にはあった。
四つのカウンター席とその対面に三つの四人用席、入口から正面には四つの二人用席がある。
そして、気持ちを落ち着かせてくれるクラシック音楽が天井のスピーカーを通して店内全体に流れている。
そんなカウンター内には先程帰ってきたばかりのようで、頭にはハンチング帽を被り、灰色のスウェットの上に内側がもこもことしたアウターを身に着け、紺色のスラックスを履いた、顔面に痛々しい縦の傷跡が付いた男が居た。
縦傷の男はカウンターの外で丸椅子を担いで頭にタオルを巻いた筋肉質な男に命令をする。
そうすれば、タオルを巻いた男は元気良く返事をしてカウンターの中に入っていった。
「蓮さ~ん。買ぉてきた食材は全て冷蔵庫の中に置いといたでぇ」
「おぉ、ありがとな」
二人が丸椅子の置き場所に迷っていると、カウンターの奥にある厨房からツバ付きの帽子を深々と被った関西弁の男が現れた。
どうやら縦傷の男が買ってきた食材を代わりに冷蔵庫へと入れていたようだ。その作業が終わった事を報告すると、軽く会話を交わして関西弁の男も丸椅子の置き場所を考え始める。
「そういや、清明はいま何処に居るん? トイレか?」
「弟は二階で床掃除をしている最中だな」
「あぁ、今日はあいつが当番やったか。忘れとったわ」
関西弁の男が辺りをきょろきょろと見渡せば、隣で真剣な表情で丸椅子の位置を動かしているタオルを巻いた男に、清明という男の現在地を聞き始めた。
質問された答えを目も合わせることなく、タオルを巻いた男は大幅に丸椅子の場所を変えながら答える。
関西弁の男は大袈裟に首を頷かせていた。
「今日は誰も来ないだろうからなぁ……それが終わったら昼食でも取るか」
着ていた上着をカウンター横のレジにある椅子へ畳んで置くと、忙しく動き続ける二人にそう呟いた。
すると、二人は仏頂面だった表情を子供のような明るい笑顔に変えて縦傷の男へと目を合わせる。
「本当ですか? じゃあ、俺は醬油ラーメンが良いです!」
「自分は豚骨がええなぁ」
唐突に顔色を変えて各々の希望を言い始める二人に縦傷の男は吹き出す。
「ははっ、相変わらずお前等はラーメンが好きだな……よし、そうと決まれば先に作っておくか。どうせ清明も醤油だろ」
「そう言いながら自分の味噌ラーメンもちゃっかり買ぉてきてるくせに」
「ん? 当たり前だろ?」
客らしい客も来ず、三人はただ駄弁りながらも楽しげな雰囲気に身を包んでいた。
だが、その時、カランコロンと子気味の良い鈴の音が店内に伝わる。
三人が咄嗟に入口の方へと目を向ければ、そこには縦傷の男にとって誰よりも馴染みのある女性が店内をキョロキョロと見渡しながら立っていた。
「……いらっしゃい、よく来たな。見ての通り俺達以外は誰も居ないが、ゆっくりしていけよ。雫」
先程までとは違う、まるで年の離れた妹に接するかのような優しい声色で、温かく口角を吊り上げれば目の前に居る知り合いを歓迎するのだった。
三
深緑で出来た屋根の喫茶店へと入れば、まず初めに聞き慣れた鈴の音が頭上で鳴り響く。
入った途端に外とはまるで違う世界観に安心すると、カウンターの中に居たこの喫茶店のマスターが話しかけてきた。
その近くでは彼が雇っているバイト君達も屈みながらではあるが、私の登場に慣れたように口角を上げている。
「うん! 急に来ちゃってごめんね~。一応、メールで連絡はしといたんだけど……見てくれた?」
マスターである彼が袋麺を持っていることから、彼等はこれから昼食でも取るつもりだったのだろう。
なので、急に来訪したことやお邪魔してしまったことを含めた謝罪をしたら、入店したときの反応からどんな言葉が返ってくるのかは分かりきっているが、念のためにメールのことも聞いてみる。
そうすれば案の定、驚いたように目を見開かせて自分のスマホを見始めた。
「あ、マジだ。悪いな、少し前に色々あってマナーモードにしてたわ」
「いやいや! 私が急だったのもあるし、それに“仕事”だったんでしょ? ならしょうがないよ、れんれん」
メールに気が付けなくて申し訳なそうにしている彼を見て、私も慌てて弁明をする。
どう考えてもちゃんとアポを取らないで遊びに来た私に非がある。
あ、いやでも、一応ここは喫茶店ではあるから、普通なら許可なんて必要なく入られるよね……まあ、いいか。
そんなことを思いながらも、未だに申し訳なさそうに頭を掻いているマスターへともう一度だけ大丈夫だと伝えれば、今度は何事もなかったかのようにけろっと顔色を変えて平然としだした。
相変わらず立ち直りが急だなぁ。なんて苦笑しながらも喫茶店のマスターであり、古くからの親友を見つめる。
彼の名前は大塚 蓮。二十四歳。木菟と同い年だよ。
私は彼のことを『れんれん』というあだ名をつけて呼んでいるけど、理由はそうした方がいいと思ったからだね。いや、そうしないと……かな。
彼はこの喫茶店のマスターを務めている。
なんでお店の名前がネリネって言うのかは分からないけど、彼曰く一番語感がよくて、近かったたらしい。何が近いんだろうね。
ただ、今は色々な所がAIやロボットを起用していて、使用していないお店は起用していないお店に比べて評判が悪いんだ。
見ての通りれんれんのお店はAIなんて雇わずに、人間のアルバイトを雇っているからネットだとあまりいい評判は聞かない。
まあ、ロボットの方が人間の作るものより美味しいし、速いから人気があるのは分かるけどね。
そのせいで人も少なく、常連なんてENDINGのような知り合いを除いて二、三人しかいない。そうなってくるとお金の面が怪しくなってくるが、その点においては何も問題がないようだ。
なぜなら、れんれんは喫茶店の他に職があるからなんだ。彼は色々と器用だからね、その器用さを活かして他に二つの仕事をしている。
一つは大塚工場とよばれる会社で工場長を務めていること。
彼が運営している工場は主に銃パーツの製造、銃の組み立て、塗装をしている工場であり、今の世の中は銃の製造が非常に重要視されている。まあ、その割には何故か銃を製造している工場が少ないけどね。
そして、もう一つ。それは、彼が情報屋だということ、しかも、かなりの腕前の持ち主。
狙った情報は絶対に逃さないから裏で結構な有名人。それに、個人でやっているわけではないしね。だから、お金についてはそこまで問題はないようだ。
あと彼の目立った箇所はその顔に付いた痛々しい傷かな。
右眉から顎にかけて縦の傷跡がある。
これは昔、私達を殺そうとしてきた人間に付けられてしまったものなんだ。その時は私も近くに居たから鮮明に覚えている。
あの事件のせいで私達は色々なものを失ってしまったからね。忘れる訳がない。
ただ、その話題は置いておこうか。いまは悲しい昔話を思い出しに来たんじゃないからね。
私とれんれんの付き合いはもうかれこれ九年になる。何年かは一緒に暮らしていたから、私としては彼のことを気のいい兄のように思っているし、信頼できる友人とも思っている。
これはれんれんも似たような感じなんじゃないかな。
私の部下達も一様に彼の事は信用しているようで、特に時雨がれんれんに懐いている。人気者だねえ。
「これからお昼なの?」
「そうやでぇ、雫さんも一緒にどない? 確かまだあった気がするんやけど……」
「おう、まだあるぞ。味噌だけどな」
ツバ付きの青い帽子をちょっと上げながら質問に答えてくれたのは立花 影狼。
この店のバイトであり、大塚工場の人事管理・安全管理などの管理者を務めているんだ。
元々は時雨が連れていた部下なんだけど、色々あって今はれんれんの所で働いている。
確か、時雨が敵だった時の組織の名が『WOLF・RESISTANCE』だったかな。この名前は影狼君が付けたらしく、私は結構好き。
それで、一番の特徴はその関西弁だよね。仲良くなってきた当初はお互いに緊張していたからか、影狼君も標準語で話していたんだけど、最近は慣れて関西弁で話しかけてくれる。
「ならお言葉に甘えてもらっちゃおうかな」
「ほんまですか! ちょう待ったってぇやぁ……よし、どうぞ。此処に座ってや!」
私がお昼の誘いに乗るや否や、影狼君は嬉しそうに声を張り上げてカウンターの中から外へと出てきた。すると、れんれんの目の前にある席を引いて立っている私を案内してくれた。
素直に案内された席に座ると、影狼君は一礼をしたのちにレジと二人用席の仕切りとなっている一階と二階を繋ぐ階段を駆けあがっていった。
「いやぁ、正直、お昼はどうしようか迷っていたからさ。ここで食べさせてもらえるのはかなり助かるよ~」
「まあ、一から作るのが面倒だったから袋麺だけどな」
「む、何を言っておりますか! 短時間で作れて、なおかつ幸福感と満足感が得られるインスタント麺は最強なんですよ!」
いつの間にかれんれんから袋麺を貰っていたタオルを巻いたバイト君は、クシャクシャと色々な味の袋麺を開けて、その袋麺素晴らしさを語り出した。
そんな彼の名前は轟 灯籠。
この喫茶店のバイトであり、大塚工場の製造課・生産技術課の管理者を務めている。
灯籠君も時雨の元部下でウルレジだったんだけど、今はれんれんの所で働いている。
常日頃から鍛えているのもあるし、ウルレジに加入する前から喧嘩で暴れていた時に身に着いた筋肉で力仕事をしているんだって。
それと、大塚工場には生物兵器や社会からはみ出た者達を従業員として雇われているんだけど、その数は四十人以上もの人がいる。そして、その中でも灯籠君は一、二位を争える程の力持ちらしいよ。
到底同じ人間とは思えないね。
頭にタオルを巻いているけど、これには特に理由は無いんだとか。強いて言うなら男らしいから……って言っていた気がする。
「清明も呼んできたで~」
「おぉ! マジで居るんじゃん! ご無沙汰してます、雫さん‼」
「ふふっ、久しぶりだね。清明くん」
ドタドタと大きな音を立てながら降りてきたかと思えば、この場に居る誰よりも元気な声で私へと挨拶をくれたのは、坊主頭がチャーミングポイントのここで働いているバイト君だった。
そのあまりにも元気な姿と迫力に思わずこちらも釣られて微笑みを浮かべてしまう。
「お疲れ、清明。お前も醤油で良いか?」
「勿論すよ‼ ラーメンは醤油が一番ですから!」
お腹空いた~、なんて言いながら影狼君と共に四人用の席へと腰掛けていた。
そんな元気満々な彼の名前は轟 清明。この喫茶店のバイトであり、大塚工場では生産管理課・品質管理課の管理者を務めている。
今までの流れからもう分かったかもしれないが、彼も元ウルレジのメンバーで時雨の元部下なんだ。そして、灯籠君とは血のつながった双子でもある。
灯籠君が兄で、清明君が弟だよ。
昔は二人で轟兄弟という名前で、喧嘩屋として名を馳せていたらしいけど、時雨に負けて自ら部下になったんだとさ。
部下になった後も努力を怠ることなく筋トレを続けているから、彼もまた大塚工場の力比べで一、二位を争うほどの実力者なんだ。
兄弟そろって化物じみた実力を持っているよね。私は少しだけ怖いよ。
因みに、坊主にしている理由は兄同様、男らしいからだってさ。
厨房ではれんれんに変わって灯籠君がラーメンを作ってくれている。その間、後ろに居る二人と会話していると、れんれんがカウンターの後ろにある棚から何かを取り出したことに気が付いた。
何をするのかが気になってジーっと見つめていると、あまりにも見過ぎてしまっていたのかれんれんが照れくさそうに頬を掻いて私へと目を合わせてくる。
「あぁ、コーヒーを淹れようと思うんだが、飲む奴はいるか?」
棚からコーヒーミルと細口のコーヒーケトル、ドリッパー、計量器、珈琲豆を取り出してカウンターに置けば、れんれんは私達へとそう聞いてくる。
「オレは飲まれへんから要りまへん」
「すんません、ラーメンにコーヒーはちょっと……」
「兄貴に同意っすね。悪いですけど今回は遠慮しておきます」
しかし、喫茶店のバイトだからいってコーヒーが飲めるかと言われればそうでもないらしい。影狼君は大袈裟に手を左右に振って断っていた。
それに、これからラーメンを食べるということも相まって、轟兄弟も合わないと判断したのか、申し訳なさそうに頭を下げて断っていた。
「……なんだ、誰も要らないのか」
そんな三人の態度に寂しさなどを覚えたのか、珈琲豆をミルの中に入れたら、しゅんとした表情でゴリゴリと豆を挽き始めた。
「雫は……要らないか?」
れんれんが弱っている姿なんて滅多に見られないから、にこにこと笑いながら豆を挽いている姿を眺めていると、目を合わせようとはせずに私へとそう聞いてきた。
その時のれんれんの声は何処か悲しそうだった。
「うん、私もコーヒーは飲めないからね。遠慮しとくよ~」
「……そうか」
物悲しそうにそう返事をすると、れんれんは話すのをやめてコーヒー豆を挽くことに集中しだした。
ガサガサと厨房で何かしている音、目の前でマスターがコーヒー豆を挽いている音、後ろでバイトの二人が楽しそうに話している声、店内に流れている優雅な名前の知らない曲。
それらの音が心地よくて聞いていたらなんだか気分が癒されてきた。
「ふぁ……」なんてあまりの心地よさから眠気に誘われ、ついあくびも出てきてしまう。
別に今日の用事はケーキを買うだけだし、どうせ寝ていてもすぐに起こされるだろうからこのまま伏せて目を瞑っていても良いんだけど……それに、誰も来ないから寝ていても文句は言われないしね。
でも、なんとなく眠るのは嫌なので、気を紛らわせようと店内を見渡す。
久しぶりに来たから何か変わっているかもしれない。
カウンターの中には大きな食器棚が壁と一体化していた。その食器棚の左右両端にはガラス戸が付いており、その中には何故か食器ではなく人形やフィギュアなどが入っている。
ガラス戸の間には三枚の板で構成された棚があり、その中にはお店で出す食器や小さなコップが並んでいた。
その三枚板の棚上にはまたもや動物の人形と一枚の写真が飾られてあった。
ここからだと写真立てが照明に反射していて中身が見えないけれど、その中には私とれんれんが写っていることから、その写真の内容が大体分かる。まあ、何度もここには来ているからね。
あの写真は過去に私とれんれん、そして、大切な人達と一緒に撮った写真が入っているんだ。
れんれんは何があってもその写真だけは大切に持ち歩いていたんだけど、ようやく安心して飾られる場所を見つけたようだね。まあ、それは私もなんだけど。
三枚板の棚下には空間があり、そこにはレトロクラシックなコーヒーメーカーやサイフォン――コーヒー粉に一定量のお湯を浸してアルコールランプでじっくりと抽出する道具――があった。
これからコーヒーを淹れるれんれんはそれらを使わないで手動で淹れるみたいだけどね。
そして、れんれんと私の間にあるカウンターの上には彼岸花が花瓶に入っていた。
……綺麗。
カウンターの隣にあるレジカウンターには、深緑の年季が入ったクッション性のある椅子が置いてあり、その上にはもこもこの上着が畳まれていた。近くに置いてあるサイドテーブルの上には、折り畳まれた新聞紙と栞が挟まった本、それと、花瓶に入った白いチューリップが二本だけ挿されていた。
そして、レジの隣には清明君が降りてきた二階に上がるための階段があるんだけど、私が最後に二階へ上がったのは六年前だから何があったのかは覚えていない。
でも、曖昧な記憶に残っているのは四人用の席が四つあって、それぞれのテーブルの上には月下美人、赤いカーネーション、キンセンカが飾られていた気がする。
今はどうか知らないけどね。
あとは壁に謎の絵画が貼られていたり、二足歩行の蛙たちがバンドを組んでいる置物がカウンターの端に置かれていたり、色々なものがごちゃごちゃと存在していた。
だからこそ、音楽も相まって寂しさなんかを感じさせないんだと思う。
私はこの雰囲気が大好きなんだ。
「さあて、お待ちかねのラーメンが出来ましたよ~!」
「お! 待っとたでぇ‼」
「よっしゃあ! 腹減った~!」
喫茶店特有の落ち着いた雰囲気をぶち壊すかの如く、灯籠君の声が店内に響いた。
そして、灯籠君の言葉に後ろの二人も嬉しそうに声を張り上げている。その姿はまるで親鳥に餌付けされている雛鳥のようだ。
三人のことを微笑ましく思っていると、目の前にコトンッと湯気が立ち上るラーメンが置かれた。その器の上には皆がよく知る具材たちが乗せられていた。
てっきりインスタントだから具は無いのかと思っていたけど、灯籠君はそう言うところもちゃんと拘る性格のようだ。物凄く嬉しい。
「さあ、蓮さんもどうぞ」
「おう、ありがとな」
淹れ終わった珈琲を優雅に飲んでいたれんれんは灯籠君からラーメンを貰うと、私の横に座り出した。
「雫さん、お水とお箸です」
「わぁ、ありがと~!」
カウンター内から灯籠君がお水とお箸をくれた。
なんだか、灯籠君が頭にタオルを巻いているせいで、喫茶店に来たと言うよりはラーメン屋さんに来たみたいな感覚に陥って面白い。
後の二人にもラーメンを渡したら、灯籠君も自分の分のラーメンを持って清明君の隣に座った。
「うしっ! じゃあ、いただきま~す‼」
『いただきます‼』
全員にラーメンが届いたことを確認すると、清明君が代表して食事前の合言葉をこれでもかと大きな声で叫ぶ。
それに合わせて私達も重なるように同じ言葉を言えば同時に麺を啜った。
「……美味しい」
口の中に味噌の風味がこれでもかと広がっていった。
四
十五分ほどでラーメンを完食すれば、「ごちそうさまでした」と作ってくれた灯籠君へと告げ、カウンターの上にスープが入った器を置いた。
本当は食べさせてもらったのだから、私が皆の分まで洗い物をしたかったのだけど、「流石に今はお客さんだから駄目」ってれんれんに言われちゃった。
別に今はお客さんも居ないんだから良いと思うんだけどねぇ……。
それから、喫茶店にある時計の長針が一を指すまでずっとここで時間を潰していた。
「よしっ! お腹も膨れたし、もう良い時間だからもうそろそろ行くよ!」
「なんやぁ、もう行ってまうん?」
店内に居る皆へと伝わるような声量を立ち上がりながら出せば、後ろで楽しそうに会話をしていた影狼君が寂しそうな声を出して反応してくれた。
それになんだか照れ臭くなったが、純粋に嬉しくなったので笑みを浮かべながら頷くと、影狼君の前に座っている轟兄弟も同様の声を上げ始めた。
その何か言いたげな表情はまさしく私が出ていくのを拒んでいるようだ。
可愛い子達だねぇ……。
「流石にもう一時だからね。結芽達との約束でケーキを買うんだぁ」
「ケーキか……良いっすね‼」
「結芽さんって無類のケーキ好きでしたもんね。お気をつけて!」
ちゃんとこれから用事があることを伝えると、寂しそうな表情からは一変して轟兄弟はケーキの話題に食いついた。
「ありがと! 今度は時雨も連れてくるね。最近会えてなくて寂しそうにしてたからさ」
最近、時雨が三人の話をアロマちゃんや木菟によくしていると言うのを結芽から聞いた。実際、私も時雨から元ウルレジの話を最近になって聞かされることが多い。
影狼君が辛い料理を食べてお腹を壊したとか、灯籠君と一緒に筋トレ勝負をして敗北したとか、清明君がホラー映画で顔面蒼白になっていたとか、色々と聞かされる。これらの話題は約二週間前の話らしい。
いつもなら時雨は三人の話をすることはない。だけど、あまりにも会える日数が少なくなると、寂しが
って無意識の内に彼等の話をしてしまうようだ。
「昨日ゲームしたばっかりなんやけどなぁ」と影狼君は首を捻ってそう言った。
しかし、その顔は口元を綻ばせて嬉しそうだ。勿論、轟兄弟も。
「……雫」
「うん? どうしたの、れんれん」
三人と軽い会話をしていたら、後ろのカウンターで何か作業をしていたれんれんが話しかけてきた。私も出ていく前にれんれんにお願いごとがあったから話しかけられたのは好都合だ。
「聞きたいんだが……今日、銃は持ってきたのか?」
「え、持ってきてないよ。荷物になるし、扱っている所を見られたら面倒だしね。ほら」
質問の答えとしてリュックを開いて中身を見せる。
「お前なぁ……」
すると、れんれんは呆れたように右手で頭を抑え始めた。
え、荷物がかさばるから持ってこなかったというのは結構合理的な理由じゃない?
「分かった、ちょっと待っていてくれ」
数秒だけ頭を抑えると何か納得したように私と目を合わせてきた。そして、困惑している私を尻目に厨房へと行ってしまった。
いやまあ、確かに楽園は危険な場所ではあるけど、そこまで呆れるほどかな。素手だけだとしても一応そこら辺の人達よりは強いという自信があるよ?
首を傾げて混乱していると、れんれんと話している最中から後ろでコソコソと何かを話していた三人が声を掛けてきた。
「雫さん、本当に持ってきてないんですか?」
「うん、さっきも言ったけど荷物になるし、扱っている所を見られたら面倒じゃん? 一応、どっちの意味でも有名人だからさ」
「……街中でライフルを乱射しとった人とは思えへん発言やな」
「しかも、あん時は仮面も着けてなかったぜ!」
「うっ……」
影狼君と清明君は立て続けに痛いところを突いてくる。
いや、でも、あの時は仕方なくない⁉
あの日はれんれんと一緒に殺しをすることになって、目的を達成することはできたけど、その時の戦闘で愛銃のサリーちゃんは壊れちゃうし、仮面も使い物にならなくなった。
そしたら、その帰り道で警察の特殊部隊とよく分からないテロ集団の激しい攻防戦に巻き込まれたんだよ?
流石に武器もないし帰ろうと思っていたけど、まさかの知り合いの警察官と出会ってしまったせいで、仕方なく協力することに。
それに、その方はいつも裏組織ENDINGや探偵事務所OPENINGでかなりお世話になっているから、こういう時に少しでも恩を返しておかないといけないじゃんか。ねえ?
でも、協力とはいえ手持ちの銃が無かったから、近くに落ちていたアサルトライフルを拾って、相手のテロ集団に乱射したんだ。
それで、何人かの死傷者は出してしまったけど、その一手が好機になって警察が一気に優位に立ち、そのままテロ集団を制圧することが出来た。
あの時の私が居なければ確実に我々が負けていたって知り合いの警察官も言ってくれたし、あれは本当に仕方なくない?
だから、絶対に私は悪くないもん。軽いネットニュースにはなったけどね。
まあ、そんなことを言ったところで今のこの子達には伝わらないので、黙ることを選択する。
「用意出来たぞ……なんの話をしてんだ?」
「ん? あぁ! コルトガバメントじゃん!」
あれやこれやと三人にぐちぐち言われながらも耐え忍んでいたら、厨房から一丁の拳銃とその拳銃を入れるホルスターを持ってれんれんが現れた。
彼が持っている拳銃は、M1911A1と呼ばれた一九一一年にコルト・ファイヤーアームズ社が開発した拳銃なんだ。
名前の数字はその製造日から付けられていて、A1は元来のM1911が一九六二年に一部改良が施されて造られたもの。
銃をよく知らない人でもアニメや漫画、有名なゲームにまで数広く登場しているから概要を詳しく知らなくても、この銃の名前や見た目だけは知っている人は多いと思う。
一番の特徴はその焦げ茶色に近い黒色のグリップだろう。
よくフィクションなどで見かけるグリップで、れんれんが持っている者はプラスティックの一種であるベークライトで出来ている。
中にはラバー製だったり、アルミ製だったり、高価ではあるけど象牙や枝角だったり、色々な素材で作られるものもある。
そして、もう一つ大きな特徴として、グリップに安全装置が付けられていることだ。
握ったとき親指と人差し指の股の部分にこの安全装置がある、これをしっかり握り込まないと撃てない仕組みになっているんだ。
カスタムされたガバメントにはグリップセーフティーが外されているもの存在している。
因みに、うちの新人もM1911A1を愛用しているよ。
ま、あとのことは自分で調べてみてね。
「こいつがあれば、変な奴に喧嘩を売られても安心だろ。俺はもう使う事は無いだろうからな。くれてやるよ」
温かみのある笑みを浮かべたら、れんれんはガバメントとホルスターを渡してくれた。
「うん! うん! ありがとう、れんれん‼」
手渡された拳銃を貰えばまじまじとその銃身を見つめて、ホルスターを腰に巻き付ける。
サリーちゃんの紹介時に察しているかもしれないけれど、私は三度の飯よりも銃が好きなんだ。特に拳銃にはロマンを感じる。
だから、こうやって新たな拳銃を貰えたことに喜びを感じている。一応、アジトにも同じものがあるけれど、こっちはこっちでカスタムする事にしよう。
やはり持つべきものは親友だね。
「あ、そうだ。ここに愛車を停めても良い?」
「ん? あぁ、別にいいぞ。いつものことだしな」
「ふふっ、ありがと!」
しばらく喜びを噛み締めながらガバメントを眺めれば、ホルスターにその美しい銃身を入れる。
そして、その流れでお願いごとをれんれんに言ったら、カップに少量残っていたコーヒーを飲み干したあとに二つ返事で快諾してくれた。
それを見て私も外へと出るために、喫茶店の出口まで歩くと後ろで見守ってくれている四人へと顔を向ける。
「それじゃ、本当に行くね。今日はありがと~」
「いえいえ、またいつでも来てください!」
「まあ、そん時にオレ等が居るとは限らへんけどな」
「んじゃあ、今度は工場に来てもらえば良いんだよ‼ ねえ、雫さん‼」
「んふふ、そうだね。次は工場にお邪魔しようかな。ね、れんれん!」
「あぁ、いつでも遊びに来い」
「うん! じゃあまたね!」
出口の扉に手を掛けて力を入れると、頭上でカランッと高い音が鳴り、次の瞬間には温かい風が静かに体へと当たる。
出る寸前に後ろの四人に小さく手を振れば、彼等も笑顔で手を振り返してくれた。
足を一歩、二歩と踏み出す頃には後ろにはもう人の気配がなく、今さっき開けたはずの扉は役目を終えたように閉じている。
それに一抹の侘しさを覚えたが、次会えることを楽しみに本来の目的であるケーキ屋さんへと足を進めるのだった。
五
近代的な高層ビルやお店、マンションが立ち並ぶ楽園都市の中はスマホのマップがないとまるで歩けやしない。しかし、マップを見たとしても頭が混乱しそうなほど入り組んでいる。
ゆっくりとスマホに映るマップを見てこれから辿るルートを理解すれば、目的であるケーキ屋さんへの行き方も頭に入れることが出来た。
けれど、今から用があるところはケーキ屋さんではない。
まずは、レンタルドローンというお店に行かないと。
そのお店はずっと楽園都市の上空を飛んでいるドローンを借りることが出来る施設。
スマホのマップを見る限り、ケーキ屋さんに行く道中にも丁度そのお店があるので、ケーキを入れるためにも寄って行かなくてはならない。
借りに行くドローンは荷物用ドローンというもので、普通のドローンよりも一際大きく、機体に立方体の箱が付いているドローンなんだ。
そのドローンの中にケーキを入れておくことにより、バイクに乗りながらでも機体が浮いていて、なおかつ同じ速度で着いてきてくれるので、ケーキが崩れることなくアジトまで戻れる。
折角美味しいケーキを買ったのに、バイクの振動やらなにやらで形が崩れてしまうのはかなりショックだからね。それを無くしてくれるなんて中々に便利な機械だよ。
しかも、借りられるドローンは一般人向けの安全に配慮されているもので、上空を無数に飛び回っているものとは違う。
上空のものは政府直属の研究者が生み出した治安維持を目的とする監視ドローンだ。
危険人物や危険物を発見すると、あらゆる所に居る警察官や似たようなロボット達に報告する。他にも色々と種類があるけどね。
目当てのレンタルドローンというお店へと行く道すがら、この都市の中心部へと続く歩道沿いのビルが復旧工事をしていることに気が付く。
どうやら何かの事件で壊されてしまったらしい。
「可愛い……」
思わず工事現場に居る存在に対してそう呟いてしまった。
なにも工事をしている方々にそう言ったわけではない。どちらかといえばそっちは格好いいという言葉の方が似合っているだろう。
ならどうして私が可愛いという言葉を発したのか。それは、工事現場で使われているロボットが愛らしい見た目をしているからだ。
このHEAVENには、というより世界各国にはAIを使ったロボットが存在している。これは、今までの説明から察することが出来ると思う。
眼前で重そうな鉄骨を軽々と背中に乗せて、近くのトラックに積んでいる四足歩行型ロボットもそのうちの一つ。
全体的に白色で出来ていて、主に治安維持や危険な作業をする時に使われている。
搭載されているものも凄まじく、使用用途によって上手く使い分けられ、警備や工事現場、海洋調査など様々な用途がある。
けれど、見た目が本物の犬や猫に似ているため、その愛らしさからペットにする人も居るらしい。
ペット用に販売されているものは、工事などに使われているものに比べて値段は高めとなっているけ
ど、物凄い人気がありそれでも買う人が沢山居る。私的にはあれに大金を払ってまで欲しいとは思えないけどね。
あとは、もう少しお金を支払えばホログラムなどで、色や見た目も好みなものに変えられるけど、そこまでする価値はないかな。実際にやっている人も両手で数えられるほどしか見たことが無い。
大きさも様々で、目の前に居るのは人間と同じくらいの大きさをしている。それだけじゃなく、ちゃんと犬猫サイズだったり、手のひらサイズだったりと細かに調整も可能。
最近になって警察も四足歩行型を採用していて、警備用の武器などが搭載されたものが使われているらしい。裏組織の人間からしたら物凄く恐怖を感じる。
「ふふ、可愛かったなぁ」
工事現場を通り過ぎればそんな言葉が緩んだ口元から出てくる。
買おうとは思わないけれど可愛いものは生物であれ、機械であれ癒しを与えてくれる。
ハッ! もしかすると、可愛いは正義なのかもしれない……!
なんて冗談を考えながらも楽園に住む人達が行き交う道を歩いていると、ようやく目的のお店、というより商業ビルが見えてきた。
レンタルドローンは『株式会社レインボー』という大手企業が運営しているものであり、それはもう大反響を生んで大儲けしているお店だ。
実際、私もその便利さからよく利用している。荷物を持つのが面倒な時にドローンが一台あるだけですごく楽になるんだ。
それに、私の部下や、それこそ、このHEAVENに住まう人達もこよなく利用している。
あとはやはりと言うべきか、大手企業が運営しているのと、安全面の配慮や防犯対策として、こう言った高層ビルなどでドローンが貸し出されることが多い。
よく考えられているな、と考えながら目の前の高層ビルへと入っていく。
中へと入れば全体的に白を基調とした何処か高級感溢れるオフィスが目に入り込んできた。しかし、それゆえにオフィスに来たというよりかは何処かの研究室へと迷い込んだのではないかとも思ってしまう。
ホテルのオフィスやロビーなどを彷彿とさせるほどの広さを持っていて、カウンターから左右には長い廊下や階段、エレベーターがある。
入ってきた出入り口からすぐ正面には三人の従業員が受付カウンターの後ろに立っていた。
受付カウンターの人は主に初めての人、レンタルドローン以外に用事がある人への対応をしてくれている。それと、カウンターの後ろにも何か部屋があるけれど、あの部屋がなんのためにあるのかは分からない。
「いらっしゃいませ。当店のサービスをお受けになられますか?」
カウンターにも行かずに中の様子を見ていると、足の代わりに四つの小さな車輪がついて、顔がデスクトップパソコンのようになっているロボットが女性の従業員と共にこちらへと歩いてきた。
「はい、ドローンを借りたくて」
「承知致しました。それでは、会員証はお持ちですか?」
「持ってます……どうぞ」
女性の従業員は私の前まで辿り着くや否や丁寧に頭を下げてきた。
色々と質問に対して受け答えしたのち、財布からちょっとした個人情報が乗っている一枚の会員証を取り出して、従業員の方に手渡す。
受け取る前にも軽く頭を下げて、「失礼します」と一言置いたら私の手から会員証を貰い、一緒に来ていたロボットの画面へと差し込む。
ロボットからピロピロと軽快な機械音が出てきたかと思えば、今度は顔部分になっている画面に私の写真と細かな情報が載せられた。
その出てきた情報と手元にある会員証を見比べれば、特に異常がない事を確認し、「ありがとうございます」とまた頭を下げて会員証を返された。
因みに、会員証には今見た通りその人の個人情報が載っており、なおかつ何度利用したか、規定時間は守っているか、その他違反は無いかなどの利用状況も載っているので、必ずレンタルドローンを利用するときに発行しなくてはならないものなんだ。
この利用状況に何も異常が無ければすぐに返してもらえて円滑に事が進むのだけど、何か異常や違反があったらお叱りを受けたり、酷ければドローンを借りられなくなったりもする。
ちゃんとしているよね。
「伊澄様でございますね。いつもレンタルドローンを利用していただき誠にありがとうございます。ドローンは何台お使いになられますか?」
「荷物用を一台でお願いします!」
「お時間はどうなされますか?」
「えっと……明日の十二時まででお願いします!」
「承知いたしました。それではただいまお待ちしておりますので、お近くのソファでお待ちください」
「はい!」
少しばかり問答を繰り返したあと、従業員とロボットは廊下の奥へと行ってしまった。
このまま入口前に居たら邪魔になってしまうため、言われた通り受付カウンター前にあるソファへと腰掛ける。
「はぁ……暇だな」
とはいえ、ただ待つだけなのも忍びない。
今日は珍しいことに私含めて四人しか中に居らず、しかも、四人中三人は受付の方達。
普段なら大量に居る人達に対して鬱陶しく思うが、こういう時は静かすぎてなんだか寂しく思ってしまう。
「……ゲームしよ」
あまりにもやる事が無さすぎて暇なためスマホを起動し、先程まで見ていた地図アプリを閉じて適当なアプリゲームを開く。
このゲーム……新人に負けた時からイライラしてやらなかったけど、今は大丈夫だよね。
そう思いながらドローンが届くまでの少しの時間、スマホを横向きにしてゲームの世界へと没頭するのだった。
***
「伊澄様、大変お待たせしました」
「あぁ、いえいえ。大丈夫です」
スマホに入っていたゲームで暇を潰していたら、ドローンを取りに行ってくれていた従業員の方がいつの間にか戻ってきていた。
その隣には一辺八十センチメートルの箱を機体の下に付けたドローンが浮いており、従業員は高級そうな白い箱を持っていた。
話し掛けられた私は急いでスマホの電源を落とし立ち上がり、軽く従業員の方へ頭を下げる。
「こちら、荷物用ドローンでございます。引き連れの際はこちらのブレスレットを装着してくださいませ」
そう言いながら従業員の女性は白い箱を開けると、中には赤、青、緑、黄色のボタンが配置されている銀色のブレスレットが乗せられていた。
「はい、ありがとうございます」
お礼を言いながら乗せられた銀色のブレスレットを右腕に装着すると、従業員の隣に居たドローンが主人を変えるように私の隣へと移動してきた。
このブレスレットはドローンを操作する為に必要な端末なんだ。
配置されたボタンには、赤は止める。青は進む。緑は箱を開ける。黄は箱を閉じる。という風にそれぞれ役割がある。そして、ブレスレットとドローンは専用の電子チップで繋がっているらしく、このブレスレットを装着していたらドローンが勝手に着いてきてくれる。
ただ、色々とブレスレットの中に詰め込まれているからか、少しだけ重量があるため装着している右手がだんだん疲れてくる。まあ、仕方がないけどね。
「引き渡し時刻が後日の十二時までとなっております。引き渡し時刻が過ぎると自動的にドローンの電源は落とされ、なおかつ、延滞料金が発生いたしますのでお気を付けください」
「はい! 心得ております!」なんて言われたことに敬礼の真似をしながら返事をする。
「ふふっ、これで説明は以上です。ご利用の際は安全に配慮して、ルールを守ってお使いください。それでは、ご利用ありがとうございました」
従業員のお姉さんは私の行動に温かい目で見ながら、軽く口元を緩ませてくれたが、すぐに仕事人の顔つきに戻り深々とお辞儀をしてくれた。
ドローンがちゃんと着いてきてくれるか、体を動かすことでもう一度確認すると、頭を下げて商業ビルの中から出ていく。
さてと、ドローンも無事に借りることも出来たし、さっさとケーキ屋さんまで行くとしますか!
そう頭の中で意気込んだら軽く上へと伸び、ここから近いところにあるケーキ屋さんへと歩き出した。
六
何かを考えることも無くポケーっと数十分歩いて行けば、ちょっとだけ列が出来ているお洒落なお店が見えてきた。
並んでいる人達の中には私と同じく荷物用ドローンを侍らせている方もいる。
此処から少し待たないといけないことに面倒くささを覚えたが、どうにも列に入らなければケーキは買えないので、大人しく最後列へと並ぶとしよう。
まあ、結芽達との約束があるしね……またスゲームでもしながら気長に待っていようかな。
目の前に居る親子の微笑ましい会話をBGMにしながら、スマホのアプリゲームを起動した。
―――かれこれ三十分ほど待っていただろうか。
最後尾だったはずの私の後ろには何人ものお客さんが並んでおり、前に居た親子もいつの間にかケーキ屋さんの中で座席に座っている。
最近オープンしたばかりだと結芽は言っていたが、見るからにかなりの大盛況な様子。
どうやらケーキの他にコーヒーなどのドリンクも注文できるようで、喫茶店みたく中で座りながら食べられるようだ。
というか、外の看板にも『喫茶・シフォン』と書かれている。ケーキ屋じゃない。
外装もSNSに投稿すればそれだけで一定の評価が貰えそうなほどお洒落に建てられている。現にお店から出てきた若い方達も自撮りをしたり、誰かに撮ってもらったりしていた。
オープンしたばかりのお洒落なお店ということで話題性は高いのかもしれないね。
なんてことを考えていたら、いよいよ私も入店できそうになったのでスマホを閉じ、ドローンを店の外にあるドローン置き場へと待たせておく。
そして、数分だけ待っていると、ようやく入れるようになったので、少し緊張しながらもその喫茶店へと足を踏み入れた。
扉を開けて中に入れば、カランッ、と軽快な音が店内に鳴り響いた。
「いらっしゃいませ~!」
その瞬間、店の中に居る賑やかなお客さんの声が聞こえ、店員さんの元気な声が耳に聞こえてくる。そして、なんとも甘ったるい香りが鼻を掠った。
その甘い香りに誘われるようにレジカウンターの方を見てみれば、視界一杯のガラスケースに入った色鮮やかなケーキたちがそこにはあった。
他のお客さんの邪魔にならないように、すぐさまレジカウンターの前に立ち、ガラスケースに入ったケーキを見ていく。
赤、青、黄、緑、茶、黒、白といった様々な色が大量に並ぶケーキたちを彩らせており、なによりそれがキラキラと輝いていてまるで宝石のようにも思えてくる。
「お待たせしました! ご注文はお決まりですか?」
「あ、すいません。もう少しだけ待ってください……」
「はい! ゆっくりお選びください」
ケース前で何を買おうか悩んでいると、注文だと思った店員さんに話しかけられてしまった。
別に悪い事でもなければ、変な事でもないけど、こういう時って少しだけ気まずくなっちゃうよねぇ。
まだ決まっていないが後ろにもお客さんが並び出しているので、さっさと決めてしまおう。
仲間の好きそうなケーキをメニュー表や実際に見て考えていく。
まずすぐに決まりそうなのは木菟のケーキだ。ショートケーキと言えばクリームが塗られたスポンジの上に真っ赤な苺が乗った物しかないからね。これで大丈夫だ。
結芽は抹茶が美味しいって言っていたから、まずは抹茶のケーキを買って行こう。
スポンジの上にいちごと抹茶のクリームが乗っているものと、スポンジにあんこが混ざっているものの二種類があるけど……どっちも買って行けば喜んでくれるかな。
アロマちゃんはチョコで良いんだっけ。いや、でも、色々と買ってくるって約束したもんなぁ。
しかし、こうして間近で悩んでいると本当に美味しそうなケーキが沢山あって凄いね。このまま悩んでいても拉致が明かないし、いっそのこと店員さんに聞いてみようかな。
「あの、チョコケーキでおすすめって何かありますか?」
「チョコケーキですか? それでしたら、この濃厚ショコラとかどうでしょう。店内で一番人気あるんですよ! あと、私の個人的におすすめなのが、ここの生チョコケーキも絶品です!」
カウンターの前で作業をしている元気そうな店員さんに聞いてみれば、すごく丁寧に目を輝かせながら教えてくれた。
多分、この人も結芽と同じくケーキが好きな人なのだろう。
「ありがとうございます! それじゃあ、まずは先程教えてくれたチョコケーキ二つと、この二種類の抹茶ケーキも一つずつ、そして、ショートケーキを一つお願いします! お持ち帰りで」
「はい! 少々お待ちください!」
先に選んだケーキたちを注文すれば、店員さんは大きめの白い箱にケーキを入れ始めた。
その間に残りのメンバーが食べるケーキを考える。
あとは、時雨と新人の二人かぁ。
正直、この二人が一番どうすれば良いか分からない。時雨に関しては甘いものをあまり食べないし、新人に関しては好みが分からない。いつも何を食べていたっけ。
どうしようかと頭を悩ませていると、メニュー表の下に他とは一味違うケーキを見つけた。
あぁ、チーズケーキあるじゃん。私としたことが盲点だった。
確かにこれなら甘みはあるけど、他のケーキに比べたら比較的甘さは少ない。
これなら時雨も食べてくれるでしょう。
あと残るのは新人君だけなんだけど、変わったものを購入して食べられなかったら申し訳ないし、ここは無難に木菟と同じショートケーキにしようかな。
それと、店内人気の濃厚ショコラが気になってきたし、私の分としてもう一つ注文しよう。
「すいません、追加でスフレチーズケーキ一つとショートケーキを一つ。そして、濃厚ショコラももう一つお願いします」
「はい! 分かりました! ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
「分かりました。 それでは少々お待ちください!」
とっくの前にケーキを入れ終えて私の言葉を待っていた店員さんに追加の注文を済ませると、店員さんはまたも手際よく新しい箱に追加のケーキを入れてくれた。
「お待たせしました‼ どうぞ!」
「ありがとうございます」
店員さんからケーキが入った袋を貰う。
「お会計は三六○○円となります!」
「はぁい!」
袋をカウンターの端に置いて、財布からお金をコイントレイに置いていく。
その時だった。
「ねえ……あの人ってOPENINGじゃない?」
「え? うわぁ、マジじゃん……」
カップルなのか、ただの友人柄なのかは分からないが、後ろから男女の声が聞こえてきた。
その声は有名人や好きな人に対して出てくるような明るいものでは無く、まるで犯罪者や嫌いな人を見た時に出てくる、嫌悪や嫌味のような感情が混ざった声だった。
なんだか嫌な予感がして、気付かれないようその男女を見てみれば、かなり後ろの座席に座っている。
男女はチラチラと私を伺いながら、互いに顔を寄せて何かを話していた。
「確かあれだろ? “あの”生物兵器を雇っている所だろ。あんな奴等を従業員にするなんて頭おかしいよな」
「ね、しかもあの人って一番偉い人でしょ? 最早犯罪者も同然なのに、よく外とか出歩けるよね……」
「俺なら絶対に無理だなぁ……」
かなり遠い位置に居るはずなのに、他の人の話し声よりも鮮明にそれが聞こえてしまい、思わずお金を出す手が止まってしまった。
それと同時に、彼女達から出てくる言葉に沸々と腹の底から怒りが湧いてくる。
確かに、この社会では生物兵器は忌み嫌われる存在だ。周りから受け入れられている生物兵器なんて、居たとしても全体の一割も存在しない。
だから、彼女達がそう思って発言するのも無理はないこと。
けれど、だとしても、私達のことを何も知らない人達に悪口を言われるのは、やっぱりいい思いはしない。
「あの……お客様?」
「っ! すいません……丁度です」
モヤモヤとしたものが心の中に広がっていくことを感じていると、店員さんの困惑しているような一声によってハっと我に返り、手に持っていたお札をトレーの上に出す。
「はい、お預かりします! こちらレシートになります!」
「……ありがとうございます」
レシートを受け取ってケーキが入った袋をがさつに持ち出せば、頭を下げてすぐさま店を出た。
この時、ちゃんと笑えていただろうか。
最後まで丁寧に接客してくれた店員さんには雑な対応をしてしまって申し訳ないけど、今だけはとにかく自分の感情を優先したい。
外に置いてあるドローンを開いてケーキを入れたら、逃げるようにその場を立ち去る。
これから行く場所は何も考えていないけど、噴水のように湧き出てくる嫌な感情を治めたいがために、コツコツと街中を早歩きしていく。
その後ろにはドローンが何を言うわけでもなくただ着いてきている。
……外に出た瞬間から、周りの人に何かを言われるのは分かっていたはずだ。
今までだって何度も心無い人達から嫌がらせを受けて来たんだ。だから、そういうものにはもうすっかり慣れていたものだろうと錯覚していた。
それに、いつもは嫌がらせをされても、それは私達本人に向けられてぶつかる。だから、それ相応のやり返しをしても、文句は言われなかった。
けど、あの場では違う。言い返した時点で私が負ける。
あの時は当人たちの中で出た話題が肥大して私に差し掛かる訳ではなく、ただ当人たちの中であの話題が出て肥大することも無く平和的に終わった。
だからこそ、それに応じて何か言い返そうと思ってしまった自分の浅はかな考えが嫌になる。
私の部下達だったら確実に無視を決め込むだろう。ただ、彼女達に言わせているだけで店員さんにも最後まで優しい対応をしてあげられるのだろう。
なのに、私は店員さんに話しかけられなければ、部下に要らぬ心配や迷惑を掛けてしまうところだった。
朝の件も、今までにそうだけど、やはり私にはボスの素質が無いんだなぁ……。
「……ッ‼」
急な怒りによって頭へと血が上ったことで眩暈に襲われてしまい、その場に立ち止まって右手で頭を抑える。
「ハア、要らないなぁ……」
深く溜息をついたら、この怒りや悲壮感を忘れようとこのまま歩きだす。しかし、忘れようとしても何かをしなければ気が紛らわすことはない。
別にこのままアジトへと帰ってゆっくりと休むのも構わないけど、今帰ったら確実に部下達から心配されてしまうだろう。
私は騙すことが好きじゃないんだ。
そんなことを思いながらも、HEAVENの中心部へと向かう。
***
今では親友のれんれんとは会わず、木菟と出会ってENDINGを立ち上げる前に、たった一人で日々を過ごしていたときがあった。そんなとき、たまたま寝床にしていた廃研究所で、とある文献に目を通した。
それは、この楽園都市HEAVENは過去に存在した『東京』という街に似せて造られたということ。
いま私が歩いているこの場所も、その東京にあった中心部と似ているらしい。
それに、その時よりもAIを使った技術がかなり進化しているが、昔もここは他と比べて人も、建物も多かったらしい。時代が変わろうとも、その風景が変わらないのは何とも趣深い。
ただ、人が増える事に比例してロボットや機械もそこらかしこに存在しているから、何も変わっていないわけではないけどね。
当然のことながら人が増えれば増えるほど、その分AIを使おうと考える人は多い。そして、人が多いということは犯罪も増える確率が大幅に上がる。
先程言ったロボットや機械はそれに対応する警備用ロボットだ。まるで事件を今か今かと待ちわびるように街中の壁際に配備されている。
この楽園都市HEAVENは楽園を語っているわりには、日本で一番犯罪数が多い危険な地域に認定されている。
しかも、一つ一つの犯罪が殺人だったり、爆破事件だったり、テロリズムだったりと量が多ければ、質もそれなりのものを兼ねているという最悪なジレンマ。
どうしてこんな所に人が集まるのか、十年以上HEAVENに来ている私にも分からない。
まあ、厳密には十年も経過していないけどね。
「何処に行こうかな~」
綺麗に舗装された道の真ん中で、行き交う人々の後ろ姿を眺めながらそう呟く。
この場所には色々なものがあるんだ。
ここからでは見えないが平和を誓い、楽園を象徴するタワー 『EDEN』
その名の通り平和や安楽を願うために造られた八○○メートルのタワーなんだ。
昔に存在していた東京スカイツリーというものに酷似しているけど、大きく違うのはタワーの頂点に網
状の鉄で固められた金色の球体が付いていること。正直、あれに関してはどうしてああなっているのかは分からない。
一階から四十階まであって、中には色々と楽しめる設備が勢ぞろい。けど、三十二階から三十四階、三十六階から四十階は関係者以外立ち入り禁止になっているから、私達は入られないよ。
それでも、三十五階は展望台となっており、あそこから見える景色はとても綺麗で、感動さえ覚える。一度皆で行ったことがあって今でもあの光景を鮮明に覚えている。それと、新人が高いところが無理なようで、びくびくと震えていた姿も。
他にこの街にあるものは、若い人達に人気がありそうな建物やお店。
静かに芸術や歴史が閲覧できる場所。
美味しいものを食べられる料理屋、などなど色々な物がここにはある。
此処で楽しめるかは分からないけれど、ここで色々なものを見て、経験していれば丁度よく暇を潰せて、この心に溜まったわだかまりも解消できるかもしれない。
帰るそのときまでには、この邪魔な感情が消えていたらいいな。
「……あ、あそこ美味しそう!」
頬をパチンと叩いたら、目に着いたスイーツ屋さんへと歩いていくのだった。
六
「ん~! 結構楽しめたぁ!」なんて言いながら薄明の空に向かって腕を伸ばす。
伸ばされた手には小さな袋がぶら下がっていた。
時刻はもう十七時過ぎ。
ただでさえ多かった人の群れも夕方だからか、若い人や観光客に加えて仕事終わりの社会人がぽつぽつと現れ、夜に向けて本格的に街中が賑わってきた。
それを見て、そろそろ帰ろうかと思考が働く。
楽しめたには楽しめたが、気持ちには何も変化が無かった。
しかし、帰らないでこのまま残ってしまうと部下達にも心配を掛けてしまう。彼等はボスだからと私に対して過保護になっているからね。
両手に持っていた小袋をドローンの中に入れれば、帰るためのバイクを取りにれんれんの喫茶店まで戻っていく。
その帰り道を歩いていく中で、後ろを何度もチラチラと見る。
「……まだ居るなぁ」なんて後ろをチラリと見たら困惑するようにそう呟く。
どうやら私はストーカーをされているらしい。いや、ストーキング行為というよりかは監視に近いのかもしれない。
初めの違和感は十五時くらいにクレープを買って、街の中を散策していた時だ。軽い視線がずっと私に注がれているから、なんとなく違和感を覚えて視線の方に目を向けたけど、その時は人影なんて見えなかった。
だから、その時はただの気のせいや勘違いか、なんて思ったのだけど、かれこれ今に至るまで二時間半も着いてきているし、後ろを見た時に何度も同じ人影を確認できた。
これは気のせいなんかじゃない。
「話しかけてくればいいのに……」
ため息交じりで口からそんな言葉が出てくる。
何か私に用があるのならば、わざわざ隠れるような面倒なことをしないでさっさと話しかけてくればいい。何か理由があるのかもしれないけど、偶に視界の中に入ってくるのが気になって仕方がない。
まあ、後で聞けばいいかな。
後ろの存在がとても気になりはするけど、特に何かをしてくるわけでもないし、例え襲ってきても負ける気はしないからこのまま放っておこう。
とにかく今は早く帰ることに集中しよう。こんなのでもENDINGのボスだからね、部下達に心配を掛けるわけにはいかない。
「ふんふ~ん……ん?」
鼻歌を歌いながら来た道を戻っていれば、たまたま見えた路地裏に目が留まる。
そこには奇抜な恰好をした男女が路地裏を背景にしながら楽しげに話し込んでいる。
一般的に見たらあの二人は普通のカップルかただの友人同士に見えるだろう。
でも、それは裏の世界を知らない一般人からの視点だ。私のように裏の世界と向き合っている人間からすれば、あの二人は友人関係やカップルのような健全な関係には見えない。
もっと生々しい、黒に塗れた人間関係だ。
気付かれぬよう近くの壁際まで移り、スマホを弄るフリをして彼等の動向を伺っていると、何かしらをひとしきり話したのち、路地裏の深い闇中へと姿を消してしまった。
その時、思わず「あっ」と声を漏らしてしまう。女性側のポケットから透明な何かがコンクリートの上に落ちたのだ。
彼等が奥の方まで居なくなったことを確認すると、すぐさまその落ちた何かまで歩み寄り、それを拾い上げる。
「……薬?」
片方から落ちたものは透明な小袋に入った白い粉だった。私は専門家じゃないから断定は出来ないけれど、見る限りこれは何かの違法薬物だと思う。
そして、これを違法薬物と仮定したとき、彼等は売人と客として何かの取引をしていたのか、あるいは、単純な仲間同士の打ち合わせをしているかの二択になるだろう。どちらにせよ、こんなものを落としている時点で表の世界からは隔離されている。
それに、彼等は路地裏に入っていったのだから。
「はぁー……ふぅ。よし」
腕に着いたブレスレットを操作して路地裏前の壁の近くにドローンを待機させれば、腰に巻いたホルスターから拳銃を抜き、目の前に相対する闇の中へと入っていく。
気のせいかもしれないが路地裏へと足を踏み入れた瞬間、重苦しい空気感が私を招き入れるように包み込んできた。
この空間も外とは何ら変わりないというのに、息をするのも躊躇うほどに重苦しく、アジトから外へ出た時に感じられた清々しい空気とは違う、不純物が混ざった嫌な空気が肺の中に溜まっていった。
今だけは体から出ていく二酸化炭素が愛おしく思えてしまう。そして、それと同時に懐かしさを感じる。
HEAVENにおける路地裏という場所は、朝日や夕日に照らされた健全な人々の世界から遮断された、外からの明かりが少しも届かない闇に飲まれたもう一つの世界なんだ。
一般市民はおろか、訓練されている警察やロボット達ですら立ち行かない、立ち行けない危険な場所。
そんな世界で生きる住人を私は幾度となくこの目で見てきた。生きとし生けるもの全てが、平等や公平という恩恵を受け入れられるとは限らない。
その恩恵を貰えず、理不尽というものをこれでもかと受けた者達がこの闇の中で生きていく。
それが、このHEAVENにおける路地裏(楽園)だ。
スマホのライトで足元を照らしながら、一歩ずつ音を出さないよう慎重に歩いていく。けれど、ここには人や物が少ないせいか、歩けば歩くほど意図しない音が響いてしまう。それに、足音の他にも、誰かと誰かが断片的に話している声も聞こえてきた。
―――ひとしきり歩いたあと、立ち塞がる壁から左に曲がれる通路を発見した。その通路を曲がらずに拳銃を地面へと向けながら身を隠す。
そして、断片的に聞こえてきた声も、ここからだと鮮明に聞こえてくる。
「いいか、次の仕事は山場なんだ。絶対にしくじるなよ」
「えぇ、分かっていますよ。全く、この話をするのは何度目ですか? 貴方もしつこいですねぇ」
「あぁ? んだと……!」
「おや、喧嘩は辞めておいた方がよろしいかとお思いですが?」
身を潜めている壁からこっそりと顔を覗かせてみれば、なにやら少しだけ広い空間で二人の男が言い合いをしているようだ。しかし、そこに私が追いかけてきた男女の姿は見えなかった。
正直、気付かれているのではないかと不安になったが、どうやら言い合いに夢中でこちらの存在には気が付いていないようだ。
自分達で置いたのか、明るい照明が彼等の姿を照らしてくれているお陰でここからでも風貌を確認しやすい。
一人は黒いフードを深々と被った無精髭が目立つ男。その左手には煙草の箱が握られていた。今は右手でもう一人の胸倉を掴んでいる。
もう一人は酷く痩せこけた小柄な男性だ。見たところ彼の身長は一三〇センチメートルしかなさそう。だが、胸板が異様に厚く、顔には鳥のようなくちばしが付いており、まるで鴉を彷彿とさせる黒い翼が両腕の代わりに生えていた。今は煽るように無精髭の男へと口角を吊り上げている。
あれはどう見ても生物兵器だ。そして、ここまで確認して分かった事がある。
私は彼等の事を知っている。
「あぁ……だからか」
一人で納得するようにそう呟いたら、拳銃を背中に隠しながら潜んでいた壁から体を出す。
「こんにちはぁ、お仕事お疲れ様で~す!」
「……誰だ」
あまりにも高いテンションで話しかけると、無精髭の男は生物兵器の彼から手を離し、ドスの効いた声を出して私を睨み付けてきた。
生物兵器の彼も吊り上げていた口角を下げると、一変して無表情になりながらジッとこちらの様子を伺っている。
そんな二人に対して私は二メートルほど近付いた。
「ただの通りすがりですよ。そんな睨まないでください……ね?」
出来る限りの愛嬌のある声と表情を使ってそう言った。すると、二人の男はそんな私を見てきょとんと何度も目を瞬かせると、ゆっくりと顔を見合わせた。
そうすれば、何がそこまで可笑しいのか、突如として糸が切れたように顔を抑えながら笑い声を上げる。
「そうですか……ただの通りすがりですか」
「……ほんと、面白い冗談を言う子だな」
「えぇ、そうですね……」
ひとしきり笑い終えれば先程まで喧嘩していたとは思えないほど、彼らは互いに共感するように軽い会話を交わした。その時、カチャ……という金属音がこの路地裏の中に響き渡った。
「すごく愉快なジョークだがな、流石にこの状況でソレは通じねえよ。お嬢ちゃん」
怒気が混じった声を出すと同時に、無精髭の男の右手にはグロックという拳銃が握られており、その銃口は男が放つ殺意と共に私へと向けられていた。
もう一人は未だ微動だにせず、ただこちらを見つめている。
「自分が有名なことくらい知ってるだろ? 簡潔に答えろ、探偵が俺達に何の用だ」
男はそう言いながら拳銃の引き金に指を掛ければ、それを合図に後ろからゾロゾロと十人ほどの人間が現れて私を囲み、それぞれがナイフやら、拳銃やらを向けてくる。
その十人の中には私が追いかける要因となった男女も混ざっており、この人達が無精髭の男の部下だということも察せられた。
「へえ……」
どうやら私が思っている以上に彼等はお馬鹿ではなかったみたい。
まあ、いきなり探偵を名乗っている人間が一人で話しかけてきたら誰だってこうなるか。
けれど、こんなにも絶体絶命のピンチだというのに、まるで心が躍っているのではないかと錯覚してしまうくらい、血液が私の身体中を熱く駆け巡っている。
私は右手に持っていた拳銃をゆっくりと上げて男の顔へと向けた。
「……な、お前!」
拳銃を出した私に対して周りの人間達は警戒したように、その手に握られた武器を近付けてくる。
取り囲んできた人間達は私が拳銃を持っていたことに気が付いていたようだが、無精髭の男と私の位置関係から拳銃を持っていたことが分かっていなかったらしく、私が拳銃を出してきたことに目の前の男は目を見開いた。
「探偵の私はね。貴方達に用なんて無いって言っているんだ」
「はぁ?」
今まさに撃ち抜かれても可笑しくない状況で、私はただ淡々と言葉を発する。
その私が提示した答えに男は首を傾げると、隣でただ見つめてくるだけだった生物兵器は何かを感じ取ったらしく、警戒するように一、二歩だけ後退りをした。
しかし、その表情は何処か面白そうといった好奇心を現しており、嬉々としたように私の言葉に対して質問をしてくる。
「それでは、今の貴方はどうなのでしょうか?」なんて生物兵器の彼はニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
その問いが出た瞬間、私はニコリと口角を上げると右手に持っていた拳銃を手放した。
一瞬、何が起きたか分からないと言った表情で男達は私ではなく、地面に音を立てて落ちた拳銃へと釘付けになっている。
彼等が拳銃へと夢中になっている間、私はポケットに入れていた透明な小袋を取り出して、生物兵器の彼へと見せびらかすようにひらひらと揺らす。
「ふふっ、さっきも言ったけど私はただの通りすがり。だから、通りすがりの私は貴方達のお仲間さんが落とした物を届けに来ただけなんだ」
「……何が、してぇんだ?」と無精髭の男は困惑したようにそう呟く。
ポケットから出した白い粉を周りの人達にも見せていると、私が追っていた男女の内の一人がハッとしたような表情をして自身のポケットを漁っている。
それに、取り囲んできた他の人達も私が拳銃を手放したことで混乱の様子を示しており、依然として武器を向けてきているけれど、何処か警戒心が緩んだように見えた。
そんな中、困惑している無精髭の男の隣に居た生物兵器は呆れたように息を吐くと、その目的が威嚇なのか、それとも、単純に自身の怒りを見せるためなのかは分からないが、自身に生えた大きな翼を一気に広げ、その存在を私に見せつけてくる。
その翼から発生した風が私の髪を一気に逆立てた。
「……なんだか拍子抜けですよ、探偵さん。いえ、通りすがりのお嬢さん、とでも言いましょうか。生物兵器や化物じみた人間達を従えるくらいだ、てっきりそのリーダーも中々の強者かと思いましたが、自ら武器を手放すなんて……愚か以外の何者でもない」
感情的だが淡々とした様子で、そして、呆れたような物言いをしながら私を睨み付けると、今度は左手を勢いよく前に突き出して私を指差してくる。
「ですが、それで許せるほど我々も甘くはありません。面白い方ではありましたが、これで終わりです。さあ、皆さんやってしまいなさい!」
生物兵器の彼はしどろもどろになっていた部下達を叱りつけるようにまとめ上げると、勢いよく指差していた腕を左側へ振りかぶった。
そんな彼の仕草に私の周りを取り囲む部下達は、混乱よりも先に達成するべき目的を思い出し、一度緩んだ警戒心をまた私へと強く向けてくる。
困惑していた無精髭の男も落ち着きを取り戻して、いやらしい笑みを浮かべていた。
けれど、彼等は警戒する心を取り戻すことは出来ても、冷静さを取り戻すことは叶わなかったらしい。
「ねえ、話は最後まで聞かないとダメだよ?」
「あぁ?」
まだ誰も引き金を引いていないというのに、まるで勝ち誇ったかのような顔をしている彼等へ冷たくそう告げる。
すると、そんな私の言葉に無精髭の男はドスの効いた声を響かせながら首を捻った。
「確かに用はないけど、それは私の話だよ。というか、君達もまったく運がないよねぇ。まさか、新人に目を付けられるなんてさ……ね、優君」
言いそびれていたことを優しく彼等へと教えてあげれば、語り掛けるかのように誰かの名前を口ずさみ、巻き込まれないよう直ちに地面へとしゃがみ込む。
その刹那、私の上空を黒いナニカが目にも追えない速さで駆け回り、取り囲んでいた人間達の首からは赤い鮮血が噴き出した。
そして、その黒いナニカは獲物を変えるように、遠くの方に居た彼等にまでその矛先を向ける。
――アアァァアアアァアァ!!??
話は最後まで聞くべきだな、なんて路地裏に醜い声を響かせながら転がりまわっている男達を見てそう思う。
立ち上がって彼等の姿を見てみれば、無精髭の男の右手は見事に切り離されて地面に落ちており、生物兵器の方は右目を斬られたのか、大量の血がびしゃびしゃと地面に溢れ落ちており、左の翼に至っては大きく裂けていた。
周りに居た人達も綺麗に首筋が斬られて鮮血を出しながら倒れており、その姿は遠くから見れば赤い花を想像した芸術品にも見えるかもしれない。
「もう、いちいちストーカーしてないで話しかけてくれればいいじゃん」
転がりまわる彼らをよそに赤黒い液体で濡れたナイフを拭いていた、鴉を模した黒い仮面を着け、黒いスーツに身を包んでいる青年へと拗ねるように声を掛ける。
すると、青年は拭き終わったナイフを腰に付けていたホルダーに仕舞うと、その黒い仮面を取り外してこちらを向く。
目の前に現れたのは中性な顔立ちをした一見何の変哲もない男の子だった。
「それもそうなんですが、ファーストを囮にした方がすぐに終わるかなって……百パーセントこの人達の
存在に気が付くと思いましたし……」
一応、話しかけている相手は自らが所属しているボスであるはずなのに、無表情なまま悪気も無く囮にしたことを告げてくる期待の新人。
そんな彼に対して何か言いたかったけれど、一応は仕事を全うし、助けてもくれたから取り敢えず今は溜息を出すだけに留まった。
「いろんな組織を見てきたけど、君の他に見たことないよ? ボスを囮にするなんてさ」
「本当ですか、それはお褒めに預かり光栄です」
「うん、褒めてないからね?」
ジッと彼の顔を見つめながら嫌味を言ったが、彼の辞書には嫌味という言葉が存在しないらしく、そのまま何故か褒め言葉として受け取られてしまった。
そんな彼に少々イラっとしながらも、また溜息を出すことで冷静さを取り戻す。
くっそぉ、この子顔だけは良いんだよなぁ……本当、顔だけは。
「く、クソ……」
二人でこんな無駄話をしていると、生物兵器の彼だけは他に比べてまだ軽傷で済んでいるためか、器用に足だけで這いつくばりながらも私達から逃げようとしている。
「あぁ、ダメだよ、逃げたら。君等は私達に目を付けられたんだからさ」
「ヒッ⁉」
手放した拳銃を拾い上げれば、逃げようと頑張っている彼の正面に立ったら、その這いつくばっている頭に拳銃を突き付ける。
すると、彼は恐怖に屈したように顔を歪め、その瞳が潤うと軽い悲鳴を漏らした。
「来世では覚えておいてよ、私達のこと。裏組織ENDINGをさ……優君」
「はい」
彼の耳元で囁くようにそう伝えれば、今か今かとソワソワしている新人へと呼びかける。すると、新人はもう一人の男に近付いて拳銃をホルスターから抜いて構えだした。
その行動が何を意味するのかを察した彼は、瞳から滴を零しながら声にならない声を漏らし、命乞いをするように首を左右へと振った。
「やめっ――」
彼の最後の言葉が出る間もなく、闇を鎮座する路地裏に二つの銃声が鳴り響いたのだった。
七
目的の人物を殺したあと私達は警察を呼んで話を聞いてもらい、それが終われば放置していたドローンを回収してれんれんの喫茶店へとバイクを取りに歩いていた。
警察の方々に長い間拘束させられていたせいで、終わる頃にはすっかり辺りが真っ暗闇に包まれており、活気に満ちていた都市も少しだけ落ち着きを取り戻していた。
「良かったですね、水野さんに連絡が取れて」
隣を歩いている新人君は水野という人物名を出すと、少しだけ不機嫌になりながらもそれを感じさせないような微笑みを浮かべて話しかけてきた。
彼の名前は花桃 優。十九歳だ。
ENDINGでは特殊戦闘員という役職についてもらっている。とはいえ、やることは他の戦闘員と同じく依頼を貰って、その依頼を基に仕事をするだけ。
けど、彼が受け持つ依頼は正面から殺しに行くものではなく、暗殺や諜報をメインとした仕事をしてもらっている。優君は他の二人よりもそういった隠密行動の方が得意だからね。
ただ、それなら暗殺者とか、諜報員とかの方が名前としては分かりやすいのだけど、どうして特殊戦闘員という分かりづらい名前に命名したのかといえば、優君の実力がずば抜けて高いからなんだ。
初めてENDINGが彼と相対した時、ボスである私を抜いて四対一の殺し合いをしたらしい。
普通であれば四対一の勝負なのだから圧倒的に不利なのは優君の方だ。私の部下達も負ける気はさらさら無かったようだ。
それなのに、いざ戦闘員のアロマちゃんが率先して足を踏み込むと、次の瞬間にはアロマちゃんの身体はロープでぐるぐる巻きにされ、後ろに居た結芽と木菟は気絶させられたんだ。
あまりの出来事に時雨も驚き、思わず体が固まってしまったのだけど、戦闘員のプライドと意地からなんとか優君に食らいついたんだって。でも、結局は優君の身体に傷一つ負わせることなく負けてしまったんだ。
優君の襲撃が昼だったから木菟も本気を出せないし、優君も優君で色々と対策をしていたようだから、あの日は本当にENDINGの詰めが甘かったね。
因みに、そのあとは色々あって優君が味方になったんだ。やったね。
でも、味方になって友好的になったとしても、色々と彼は不確定要素が多いし、そのあまりの強さから彼の役職を特殊戦闘員と命名したんだ。
今思い返してみても優君の強さには戦慄するね。なにやら騒がしいから起きて見に行ってみれば、私の可愛い部下達が全滅させられていたんだもの。
眠かった思考が一気に目覚めたよね。
それで、次に優君の性格だけど、彼の性格は怠け者と面倒くさがりなんだと実際に見て思う。仕事がない日は私が起こすまで文字通り一日中寝ている事もある。寝坊助さんに関しては私が言えたことではないけど、流石の私でもお昼前には起きている。
それに、今はちゃんとしているようだけど、任務先に行くときだってギリギリまで寝ているし、スーツとか身だしなみもちゃんとしないことも多いんだよ?
まあ、それがかえっていい事に繋がる事もあるんだけどね。実際にそのお陰でENDINGの全滅が免れたこともあったし。
あと、新人と呼ばれているのは単に加入した時期が一番浅いからなんだ。優君が入ってからまだ一年も経過していないんじゃないかな。
「うん! 本当に助かったよ。他の警察官だったらすぐに逮捕されていたからさ。というか、優君は水野さんと話さなくて良かったの?」
「……えぇ、別に大丈夫です。水野さんの事はあまり好きじゃなくて」
「そうなの? いい人なんだけどね」
水野という人物は私の知り合いの警察官であり、妻子持ちの四十三歳男性。
いつも私達が殺しやらなんやらをした時にお世話になっている方で、私が愛銃を壊した日に協力した警察官というのも水野さんなんだ。
水野さんが私達に事情聴取するために話しかけてくると、新人君が逃げるようにして違う警察官の方へと行ってしまったので、首を傾げながらその事について問いかけたら、彼は何処か気まずそうな顔で目を逸らしてしまった。
別にただの警察官なのになぁ。それに、かなり親身に接してくれるから嫌うところはあまりないはずなんだけど……もしかして、優君と水野さんって以前にも会ったことがあるのかな?
まあ、そんなことを考えていてもキリがないか。
「そういえばさ、殺した後で言うのもなんだけど、依頼の対象は彼等で良かったんだよね?」
少しの沈黙のあと、私は彼の横顔を眺めながらそう質問する。
終わった後のことを気にしても仕方が無いのだが、依頼を請け負った本人ではなく組織のボスがうろ覚えの中で対面してしまったため、ちゃんと彼等が殺害対象なのか不安になってしまい、思わずそんなことを聞いてしまった。
すると、目を逸らしていた優君は、私の質問に耳を傾けるとこちらへと顔を向けて頷きだす。
「はい、大丈夫です。そもそも違ったらその前にちゃんと止めていますから。大方、依頼人は僕らの存在を知っている警察官か密売人の被害者だと思います。提示された金額がかなりの額だったので、それほど強い恨みでもあったんでしょうね。多分、殺害したことを報告したら喜んでくれると思いますよ」
「……そっか、良かった」
いつもであれば私の雰囲気が少しでも暗かったら絶対に何かふざけたり、煽るようにして物事を言ってきたりするのだが、今回に至っては私の事を気遣ってくれたのか、優君は微笑みながら優しい口調でそう言ってくれた。
それが今の私には嬉しくて目を細めて笑えば、彼ではなく正面にある月へと目を向ける。
「本当、今日はファースト……いえ、ボスのお陰でスムーズに終われました。ありがとうございます」
仕事が終わったからか、優君は私が仕事上で呼ばれている『コードネーム:ファースト』で呼ぶのをやめて、ボスという馴染み深い呼び名へと言い方を戻し始めた。
「おっ、次も頼ってくれていいんだよ?」
「そうですね、木菟さんの許可があったら次も頼ります」
「うっ……な、内緒でもいいんだよ?」
「バレたら皆さんからお説教を食らうので嫌です」
「くぅ、いいじゃん! ボスである私の為に怒られてよ!」
「うわぁ……職権乱用ですか。パワハラで訴えられないかな」
誰かの命を無残に、非情に奪ったばかりだと言うのに、月光に照らされながら楽園都市を歩いている私達の姿は、誰がどう見ても血とは無関係の友人同士に見えるだろう。
でも、それでいい。
それが私達の日常なんだから。
***
楽園都市の中を歩き始めてから数十分が経過した。
目の前には昼と違って明かりが消えた喫茶店が見えている。その駐車場には私のバイクの他に優君が乗ってきたのであろうスーパーカブが停められていた。
「ようやく着きましたね……」
「そうだねぇ、長かったぁ」
駐車場の入り口に立ったら二人して首を鳴らしたり、腕を伸ばしたりして凝った体をほぐす。それに、横目で彼の事を見てみれば、彼もかなり疲れているようで軽い息切れを起こしているようだった。とはいえ、私もずっと歩いていたせいでふくらはぎがジンジンと痛んでいる。
どうやらお互いに体力が限界に近いみたいだ。
ただ、そうなってくると不思議な事に眠くなってくるもので、欠伸を噛み殺しながらバイクに近付いてエンジンをかけ、その轟音を静かな周辺に響かせる。しかも、私だけじゃなく優君のバイクもあるからその音は二倍だ。
そして、置いていたヘルメットを被って車体に跨り、いざ出発……と言ったところで優君が話しかけてきた。
「そういえばなんですが、ボス、ケーキ屋でのイライラは晴れましたか」
「……んえ⁉ なんでそのことを?」
ヘルメットを被っているから伝わらないけれど、驚いたように目を見開かせたら首が取れるんじゃないかと思うほど、勢いよく顔を隣でバイクに跨っている優君へと向ける。
彼もフルフェイスのヘルメットを被っているが、軽く首を傾げているのでなんとなくその感情が分かりやすい。多分、声の優しさからも考えてさっきと同じく微笑みを浮かべてくれているのだろう。
「その反応、やっぱり何かあったんですね」
「え、え? どういうこと? 優君はどこから着いてきてたの?」
「ボスが喫茶店を出るところからです」
「えぇ……」
ストーキング行為についてはもう何も言う事はないと思っていたけれど、新たな衝撃の事実を伝えられてしまい、つい困惑してしまう。
「喫茶店ってことは結構序盤から着いてきているってことだよね」
「はい、そうです」
何食わぬ顔をしながら彼は端的にそう答える。私はその様子に恐怖を覚えた。
えぇ、怖いんだけど。誰かが着いてきている気配とか足音とかは何も感じなかったよ? 優君が後ろに
居るなって感じたのも楽園都市で遊んでいる最中だし……それ以前からずっと何も話しかけてこないで着いてきていたということでしょ?
なにこの新人めちゃくちゃ怖いんだけど。
「まあ、喋っている感じだと大丈夫そうですね」
「う、うん。え、ねえ、何で居場所が分かったの」
「さあ? ボスご自慢の優秀な博士に聞いてみたらどうですか。僕先に帰ってますね」
「あ、ちょっと!」
困惑しながらも色々と問い詰めようとしたら、意味深なセリフだけを吐いてバイクを走らせてしまった。
そんな新人に思わず手を伸ばして止めようとしたが、その時にはもう既に遠く離れた場所まで行ってしまっていた。
まあ、そもそもバイクのエンジン音で聞こえる訳が無いんだけどね。
「……結芽め」
いつもは頼りになるが偶に常識がなくなって私を困らせてくる博士へと恨みを募らせた。だが、ここで彼女のことを考えたところで何の意味もないので、今日何度目か分からない溜息を吐いたら私もバイクを走らせる。
その後ろにはドローンが速度を上げて追いかけてきてくれている。中にあるケーキや他の荷物も大丈夫そうだ。本当に便利。
「……」
運転に集中しているからか、それとも、体力が限界に達しているせいかは分からないが、此処に来た時よりも明らかに口数が減っており、頭自体も上手く回っていない。
ただ、それもそうだろう。部下との約束や暇だからという理由で外に出てきたが、普通に楽しかったことや思いがけない事とか色々とあったのだ。
喫茶店でれんれん達とお昼ご飯を食べたり、レンタルドローンを借りてケーキ屋さんに行ったり、そのケーキ屋さんで少しだけ嫌な思いをしたり、優君と一緒に任務を遂行したりと、疲れはしたが暇を潰すに
は良い日だったと思う。やはり口数が減っているのは、疲れているからなのかもしれない。
赤い光を放っている信号機の前で停まれば、噛み殺したはずの欠伸が出てきて目元には涙が滲みだした。
「あ」と欠伸から開いた口を閉じてむにゃむにゃと動かしていると、大切な事に気がついた。
そういえば、部下とか友人達のことは紹介したのに私だけ何もしていなくない?
木菟も、結芽も、時雨も、アロマちゃんも、優君も、れんれんも、元ウルレジの皆も色々な人を紹介してきたというのに、一応ENDINGのボスをやらせてもらっている私のことを紹介しないのはちょっと理にかなっていないよね。
だから、急ではあるけれど、ここで私の自己紹介をしようかな。
でも、正直に言ってしまえば私はまだ自分についてあまりよく分かっていない。だから、よく皆に言われていたことや容姿についてだけ説明していくことにするよ。
改めまして私の名前は伊澄雫。二十二歳。
ENDINGでは言わずもがな最高責任者であるボスを務めている。しかし、今まで見てきて分かっただろうけど、ボスなのにも関わらず仕事が何一つとしてない。
ENDINGの依頼を振り分けている木菟に仕事をねだっても断られるし、結芽の手伝いをしようとしても既に手は足りているし、時雨達に着いて行こうとしても止められる。先程みたく優君が仕事を手伝わせてくれることもあるけど、それだっていつもあるわけじゃない。
だからこそ、毎日のように思う。別に私がボスじゃなくてもよくない? ……ってね。
まあ、部下が私をボスと敬ってくれるうちはボスの座を離れる気はないけどね。
次に私の見た目なんだけど、何の変哲もない黒髪のショートで身長も平均的。ただ、目に限っては虹彩が赤色に染まっている。他の部下達は茶色系統や黒色とかなのに、何故か私だけ赤色なんだよね。私もれっきとした純日本人なんだけどなぁ。
性格に関しては……明るい性格なのかなぁ? 性格に関しては周りからあんまり言われた事はないけれど、明るい性格と言われるように頑張っている。だから、そこに関しては色々と問題はないと思う。
あとは……ENDINGを立ち上げた目的を話しておこうか。
私は戦争時に生み出された操り人形だったんだ。昔の私は戦うことでしか生きる意味を見出せず、人を殺しても、近くで泣き喚かれても、どんなに醜い命乞いをされても、冷徹な機械のようにただ目の前にある命を奪っていた。
でも、そんな機械のような私を人間にしてくれた恩人が居た。
戦うことでしか生きる意味を見出せなかった私に、色々な感情を注いでくれた。私の存在理由は戦うだけじゃないと、賑やかな日々の中で彼等は教えてくれたんだ。
でも、ある日。私は唐突にそれらを失うことになった。自分が一度でも闇の世界に全身を浸からせてしまっていたばかりに。
だから、私はせめてもの償いとして彼の遺言に、彼の魂に忠誠を誓った。それが最愛の恩人に対する最大の償いにして、恩返しだと思ったから。
私はその恩返しを実行する為にENDINGを創り上げたんだ。
彼の…… “世界を壊してくれ” という願望(遺言)を果たすためにね。
「ふふっ」
昔の楽しかった記憶を思い出し、楽しさや喜びが混ざり合った感情が胸の中で躍りだした。
組織のボスとはいえ色々と未熟で不甲斐無い所が目立っているが、私達は確実に掲げた目的を達成する。そして、各々が秘めた想いも叶えるために。
だからさ、君も見ておくといいよ。 裏組織ENDINGがこの世界を、この腐りきった世界を……。
“ぶっ壊す その瞬間をね‼”
ここまで見てくださりありがとうございます
前回の一話から三か月も経過してしまいましたが、これからも温かい目で読んでくれると嬉しいです