其の二 北条早雲
その頃の京の都は、応仁の乱の戦禍で、焼け野原になっていた。
だが、そこに起つ、一人の武士がいた。伊勢新九郎。後の北条早雲である。
女性忍者となった私は、果心居士の指示で、この新九郎の密偵を務めていた。
「そのたは美人じゃのう。夜の面倒もみてくれるのか?」
「いえ、私は、そういう事は無し!」
「でも、その美貌。我慢できないな」
なおも新九郎が、いやらしい目で私を見るので、懐から刃物を出して、
「切り落としますよ」
「まっ、待ってくれ。俺は、まだまだ、これから立身出世しなくてはならない身だ」
「今でも結構、良い身分でしょう」
新九郎は、名門・伊勢氏の出身である。今は、室町幕府将軍・足利義尚の直属で、奉公衆という役職に任命されていた。
「いやあ、まだまだ。俺は城の主になり、国盗りをしたい」
「あまり強欲だと身を滅ぼしますよ」
「滅ぶも本望。ただ一度の人生なり」
と、快活に笑う新九郎は、姉の嫁ぎ先の今川氏の家督争いに介入するために、駿河に下る。
実は、この家督相続問題は複雑で、姉の子の龍王丸と小鹿範満の争いには、以前にも一度、新九郎は介入していた。
その時、龍王丸は六歳で、龍王丸が成人するまで、範満が家督を代行するという事で決着していたのだが、
しかし小鹿範満は、龍王丸が十五歳を過ぎて成人しても、家督を戻そうとはしなかったのだ。
1487年。新九郎は、再び姉の要請を受けて、駿河に下った。
女性忍者の私は、それより先行して駿河で密偵活動を行い、そして、
「小鹿範満には、すでに支持する勢力はありません」
と、駿河に到着した新九郎に報告する。
その後、新九郎は龍王丸を補佐すると共に石脇城に入って同志を集めた。
機を見て軍を挙げた新九郎は、小鹿範満と、その弟を討って、龍王丸の家督を取り戻す事に成功する。
この功績で、主君筋の今川氏親より、新九郎は駿河国の興国寺城を拝領する事となった。
それ以後の伊勢新九郎は、戦国の梟雄として鬼神の如き活躍を見せる。
1493年、伊豆討ち入り。
1495年、小田原城奪取。
1498年、伊豆平定。
1504年、立河原の戦い勝利。
1516年、相模全域を平定。
因みに、伊勢新九郎が生きている間には、北条早雲とは名乗っていない。北条姓を名乗ったのは嫡男の氏綱からで、新九郎も後世に、北条早雲と呼ばれるようになったのだ。
1519年。前年に家督を嫡男・氏綱に譲った新九郎は、臨終の床につきながら、
「なぜ、そなたは歳をとらぬ?」
「私は呪術を受けた、魔物です」
「そうか。魔物とは、こんなにも美しいものなのか」
「また、ご冗談を」
「私が身を滅ぼす事もなく、この乱世を駆け抜けて来れたのも、そなたの活躍があったからこそだ。今日まで、ありがとう」
最後に、そう言って、北条早雲は静かに息を引き取った。