第五幕:井戸
「どこ行っちまったんだよ、ニャッポ……」
殿下の部屋から出たジェームズが、溜め息を漏らしながら頭を掻く。
「たまにひょっこり部屋を抜け出して散歩してることもあったから、今回もそれなのかもしれないわね」
とはいえ、タイミングがタイミングなので、偶然ではない可能性もあるけれど……。
……あ。
「そうだわ。私にいい考えがあるわ。ちょっと二人ともついて来て」
「え? お、おい、エリシア!?」
「待ってよ、エリシアァ!」
二人を置き去りにして、私はとある場所へと駆けた。
「ほーれほれほれ、煮干しよー」
男子寮の裏手に来た私は、そこで懐から煮干しを取り出し、ブンブン振った。
「ハァ、ハァ、ハァ。エリシア、相変わらずお前は足が速いな」
「ゼェ……、ゼェ……、ゼェ……、し、死ぬかと思った……」
もう、二人ともだらしないわね。
ニーナなんてゾンビみたいな顔になってるじゃない。
貴族たるもの、最低限の体力は必要よ?
「で? なんで煮干しなんかを振り回してるんだ、お前は? それでニャッポを釣ろうってのか?」
「いえ、ニャッポは煮干しはアウトオブ眼中だから。私が釣ろうとしてるのは――別の猫よ」
「別の?」
「にゃあ」
「「――!」」
その時だった。
一匹の黒猫が、煮干しに文字通り喰いついてきた。
ふふふ、早速釣れたわ。
「そ、その猫は?」
「この子は最近この辺に住み着いてる野良猫なの。たまたま見掛けた時は、こうして餌をあげてるのよ」
黒猫は無我夢中で煮干しをムシャムシャ食べている。
「たまにニャッポが部屋を抜け出して散歩してるってさっき言ったでしょ? この黒猫ちゃんとニャッポが二人で歩いてるところを、見掛けたことがあるのよ」
「マジかよ!?」
「じゃ、じゃあ」
「ええ、この黒猫ちゃんの鼻なら、ニャッポの足跡を辿れるはずよ」
嗅覚が鋭い動物というと犬が有名だけれど、猫だって人間の数万倍は嗅覚が優れている。
まして嗅ぎ慣れたニャッポの匂いなら、嗅ぎつけられる可能性は十分あるわ。
「ジェームズ、お願い」
「わ、わかった。おい、お前、ニャッポっていうメスの白猫の居場所、わかるか?」
「にゃおん」
「おお、探してみるってよ!」
ふふふ、狙い通りね。
スンスン鼻を鳴らした黒猫ちゃんは、すぐにカッと目を見開き、夜の闇の中に駆け出した。
よし、ヒットしたみたいね。
「追うわよ、二人とも!」
「あ、ああ」
「またぁ~!?」
文句言わず、いいからついて来なさい、ニーナ!
「みぃ~、みぃ~、みぃ~」
「「「――!!」」」
黒猫ちゃんの後を追って、校庭の隅にある古井戸の近くまで来たところ、井戸の中からニャッポの鳴き声が聞こえてきた。
これは――!
「ニャッポ!? そこにいるの、ニャッポ!?」
「みぃ~、みぃ~、みぃ~」
月明かりすら届かない井戸の底は、真っ暗な闇に覆われていて何も見えなかったが、確かにニャッポの鳴き声がする。
「ジェームズ、釣瓶を下ろすから、それに乗るように、ニャッポに言って!」
またしても「ゼェ……、ゼェ……」とゾンビフェイスになっているニーナを無視して、私はジェームズに指示する。
「わ、わかった! おーいニャッポ、今から釣瓶を下ろすから、それに乗るんだ!」
「みぃ~」
「わかったってよ!」
「ありがとう」
私は急いで釣瓶を下ろし、ジェームズにニャッポが乗ったか確認してもらってから、ゆっくりとそれを引き上げたのだった。
「みぃ~」
「ニャッポ!」
無事救出されたニャッポを、私はギュッと抱きしめた。
ああ、本当によかった。
「にゃおん」
「みぃ~」
ニャッポをそっと地面に下ろすと、黒猫ちゃんとニャッポが無事再会できたことを鼻キスで祝福する。
てぇてぇ。
実にてぇてぇ光景だわ。
おっと、こうしちゃいられない。
「ジェームズ、早速だけど、ニャッポに犯人に心当たりがないか訊いてもらえる?」
「了解。……なあニャッポ、実はお前のご主人様のナイトハルト殿下が、誰かに毒殺されちまったんだよ。犯人に心当たりはないか?」
「みぃ~、みぃ~」
「…………えっ」
「?」
途端、ジェームズが絶句し、目を大きく見開いた。
ジェームズ?
「ニャッポは何と言っているの、ジェームズ?」
「あ……、うん。……やっぱり犯人は、マーガレットだと思うってさ」
「マーガレットが!? どういうことなの?」
「……何でも、マーガレットには殿下の他にも、本命の男がいたらしい。だから本当はマーガレットは殿下じゃなく、その本命の男と結婚したがっていたそうだ」
「そ、そんな……!」
「それで殿下の部屋でたびたび口論していたんだと。それならニーナが一年生の女の子から訊いた目撃情報とも一致する。そうだよな、ニーナ?」
「う、うん、そうだね」
つまりマーガレットにとって、殿下は邪魔な存在だった。
だから殿下を殺した……?
――いや、やっぱり何かおかしい。
だったらあんな公衆の面前で殿下を殺す必要はないはず。
でも、ジェームズが噓をついているとも思えないし……。
――よし、こうなったら。
「とう!」
「エリシア!?」
「エ、エリシアァ!?」
私はその場で逆立ちした。
「オイ!? お前、スカートが!?」
「エリシアァ!!」
逆立ちして捲れそうになったドレスのスカートを、咄嗟にニーナが押さえてくれた。
ふふ、ありがとう、ニーナ。
「……お前はこういう時は、いつもそれやるよな」
そう、私は考え事をする時は、逆立ちして敢えて頭に血を上らせることによって、集中力を上げることにしているのだ。
さて、最初から状況を整理しよう。
殿下が毒殺されてから、ここに至るまでの一連の出来事を頭の中でなぞる。
実はずっと、違和感があったのだ。
何かがおかしい。
その違和感の正体こそが、この事件の真相を解き明かす鍵に違いない。
よく思い出せ。
私はどこで、違和感を抱いた?
確かあれは、そう――。
「――あ」
とある閃きがよぎった私は、逆立ちから元の姿勢に戻った。
ま、まさか……。
いや、でも、確かにそれなら、全てが一つに繋がる――。
「……エリシア?」
「――全部わかったわ」
「「――!!」」
……そういうことだったのね。
「この事件の犯人。殿下の殺害方法。――そして殿下を殺害した、動機もね」
「マ、マジかよ……」
「ほ、本当に……?」
「ええ」
私はグッと、奥歯を噛みしめる。
「にゃおん」
「みぃ~」
そんな私を、黒猫ちゃんとニャッポが、心配そうに見つめていた。