足で探そう
沈みかけの夕日の中、六花の告白に呆然としたまま帰りの電車に揺られていた。
なんだか妙に頭がふわふわとしている。夢見心地とはきっとこういうことを言うのだろう。
すると、ポケットのスマホが振動した。
見ると、何やら朝倉からメッセージが届いていた。
〈今日の劇、中々良かったんじゃないか? 風賀美はもちろんだが、あの鈴木もハマり役でかなりよかった〉
……批評家か貴様は。
普段滅多に演劇部の公演には顔を出さない朝倉だが、舞台に立つ六花を見てみたかったらしく、こいつもちゃっかり客席に座っていたのだ。
〈そいつはどうも〉とメッセージを送ると、返事はすぐに帰ってきた。
〈そういやこの前、記憶を思い出すパターンを延々挙げさせられたけどよ、そんな内容、劇に一ミリも出てこなかったんだが?〉
覚えてやがったか……。
朝倉の言うことはもっともだ。
というのも、六花の記憶喪失が発覚した際、俺は朝倉に記憶を取り戻すケースの例を挙げてもらったが、その際俺は、六花の名前は一切出さず、あくまで「演劇脚本のアイデアのため」という体で協力を要請したのだ。
朝倉は劇を見に来ないので特に問題はないだろうと思っていたが、まさかの想定外の事態だった。
どう言い訳しようかと考えているうちに、追加でメッセージが送られてくる。
〈さては、本当に記憶喪失なのは、風賀美だな?〉
あまりの勘の良さに、背筋がゾクリとした。
――ふと、鈴木との「名探偵がいれば」なんて会話を思い出す。
ひょっとして、こいつならば……。
無駄に物語の考察ばかりしているこいつならば、俺たちが見落としている何かに気づけるんじゃないのか?
――俺たちを取り巻いているこの状況を、打開できるんじゃないのか?
久城駅で電車を降りると、俺はすぐに朝倉に電話を掛けた。すると、奴はこの行動すら予想していたのか、通話は一瞬で繋がった。
「おい、どうして分かった。ここのところお前には大して風賀美の話をしてなかったはずだ」
開口一番、俺は朝倉に問い詰めた。
『掛けてくるのが遅かったな。……だが反応を見るに、読みは当たってたらしいな……いや、マジで何モンなんだあの女は』
朝倉は、呆れと愉快さの混じった無駄口を叩くと、本題を話始めた。
『……寧ろ、話が聞こえてこないからこそ、「何か裏でコソコソやってるんだろう」って考えに行き着いたんだよ。それに、あの時のお前の声色は、たかが台本のアイデアを求めてるにしちゃ、切羽詰まりすぎてた』
話さなかった事が仇になったか……。いや、この状況では寧ろ好都合なのだが。
「……他に気づいた理由はなんだ? 他にもあるはずだろう?」
『あとはそうだな……。例えば、風賀美とクラス連中との会話だな。風賀美の奴、転校以前のことは一向にはぐらかし続けるし、カラオケだのファストフードだのは「知識としては知ってるが行ったことはない」の一点張りだ。周りはお嬢様だのミステリアスだの持て囃してたが、冷静に考えれば異質だ。それに、勉強といい運動といい、自分の出した規格外の結果に自分自身が驚いてたみたいだったしな」
……よくもまあ、そこまで把握しているものだ。
クラス中が見渡せる最後列の席は、間違いなく朝倉にとっての特等席なのだろう。
『――で、違和感を持ってたところでお前から記憶喪失の話を出されたわけだ。劇を見終わる頃には半ばもう確信してたぜ」
そうして朝倉は一通り語ると、見透かしたように言った。
『――結局のところ風賀美は今どういう状態なんだ? どうせその辺りも聞いているんだろう、なあ王子サマ?』
「お前、性格悪いってよく言われないか?」
『ああ、俺にとっちゃ挨拶みたいなもんだ』
朝倉はニヒルに笑った。こいつも大概捻くれている。
「……分かった、話す。つーか、もとよりそのつもりだ」
そこから朝倉に六花の状況や、俺たちが記憶を取り戻すためにとった行動をひとしきり話すにはかなりの時間を要した。
というのも、エピソードを一つ話しては、朝倉が「そうはならんだろ」といちいち口を挟んでくるからだ。
……まあ、見えない力が働いているだのと言われれば、そうなるのも無理はないだろう。
話終える頃には、当初の飄々とした声色はどこへやら、朝倉はすっかり疲れ切った様子だった。
『……わけわかんねぇ』
「だろうな。……だが、一応理解はしたってことでいいんだよな?」
『一応はな。……言っていることは理解できたが、どれもこれも眉唾物で、とても信じる気にはなれねぇな。……「風賀美六花はなぜ記憶を失っているのか」「なぜ大阪から千葉に転校してききたのか」「頭痛はどうして、何のために、どうやって引き起こされているのか」。この辺りの関係性も含めて、現状ほとんど何も分かってないわけだ』
「……ああ」
返事をするが、それに対する反応は、しばらく返ってこなかった。
俺はまさかと思い尋ねる。
「既に、何か仮説を思いついたのか……?」
『……いや、ダメだな。色々と考えてみたがどれもしっくりこない。どうにも情報が断片的すぎて、現状じゃあ考察にすら至らない妄言しか浮かばん』
「妄言?」
『ああ、謎の頭痛は神様からの天啓だ――だとか、宇宙からの通信だ――とかな』
「……お前がそんな誰でも思いつきそうな事を言い出す辺り、どうやら本当に検討がついてないらしいな」
『アホ、たかがオタクに期待しすぎだ』
「……それもそうだ」
――俺はそう言いつつ、朝倉の言葉がやけに気になっていた。
『宇宙からの通信』。そう聞いた時、俺は何かを忘れているような、そんな違和感を覚えたのだ。……何かが繋がりそうな、そんな予感が。
「なあ……」
「ちょっと待て」
朝倉の話を遮った。
――今度は俺が頭を回す番だ。
俺は、一つ一つ確実に、今までの記憶を辿っていく。
交流会、ドリミー、勉強会、スポーツテスト、転校初日……。
そして俺はようやく、その引っ掛かりの元へと辿り着いた。
「――隕石だ」
思い至ると同時に、その言葉は口をついて出た。
『――は? 隕石ぃ?』
そうだ。新歓公演の日の昼飯中、鈴木がいきなり言い出した「久城山に隕石が落ちた」という噂。
俺はその真偽を調べている中で見ていたのだ。『“大阪に”謎の落下物があった』というニュースを。
俺は、朝倉の呼びかけにも耳を貸さずその記事を探した。
『おい! 聞いてるのか』
「…………あった‼︎」
幸いにも、その記事はすぐに見つかった。そして、改めてその内容を読み返す。
〈三月十四日 大阪府中槻市中槻山にて謎の落下物。正体は隕石か?〉
大阪府中槻市。それはごく最近、聞いたばかりの地名だった。
智子と真央。かつて六花と友人だったかもしれない二人の通う高校のある場所だ。
「――――繋がった」
直感的にそう思った俺は、すぐさまニュース記事を朝倉に送った。
『……こればかりは偶然じゃないかもしれないな。おい、久城山に隕石が落ちたのはいつだ?』
あの日の、鈴木との会話を思い出す。
「さなみーの話を信じるなら、三月十四日。――中槻山に隕石が落ちたのと同じ日だ」
『つまり、三月十四日に隕石――或いは“別の何か”が千葉と大阪の二箇所に落ちてきた』
「ああ、どうもそういうことらしい」
『……ったく、いよいよもって現実離れした話になってきやがったな……。まさかとは思うが、UFOでも落ちてきたんじゃないだろうな』
「今度は、六花が宇宙人とでも言い出すつもりか?」
『逆に聞くが、お前は風賀美が宇宙人じゃないと百パーセント言い切れるか?』
「……」
『案外、記憶喪失の原因は、地球に不時着した時のショックだったりするかもしれないぜ? 奴が宇宙人だとすれば、日本人離れした白髪碧眼も、身体能力と知能の高さにも納得がいく』
六花なら、その可能性はゼロではないかもしれない……。
俺は少し考えてようやく、朝倉の言っていることがジョークだと気づいた。
「だとしたら家やら制服やらが準備されてたアレは何だったんだよ。なにより、宇宙人が大阪の高校生二人組と知り合いなはず無いだろ」
『ま、ようするに事はそう単純じゃないって話だろうな』
ところで、先ほどから通話越しに、バタバタゴソゴソと何やら移動したり、衣擦れのような音が聞こえてくるのが気になるのだが――。
「……おい、さっきから慌ただしくないか?」
『そりゃ、家を出る準備をしてるわけだからな。……言っておくが、ここまで話を進めておいて、一人で見届ける、なんてのは無しだぜ?』
「見届ける……?」
『――ああ、どうせこのあと行くんだろう? “久城山に”』
◇
久城駅で朝倉と合流する頃には夕日も既に沈み切り、辺りは暗闇に包まれていた。
俺と朝倉は駅から住宅街を抜け、高速道路の高架下を抜けた先にある久城山を目指していた。
近づくにつれ街頭は数を減らしていき、段々と闇が濃くなっていくのが少し不気味だ。
駅から久城山までは徒歩で一時間程度掛かる。
俺と朝倉はその間少しでも情報を得るために、SNSで例の中槻山の落下物について触れている投稿は無いか調べていた。
「……大阪の方は何件か、クレーターを見かけたって投稿があるな」
そんな朝倉の報告にさして驚かなかったのは、既に俺も同じような投稿を見つけていたからだ。
そして、その理由はもう一つ。
「……だが、結局のところ、何が落ちてきたんだ?」
そう。肝心の落下物について触れている投稿が見当たらないのだ。
それが分からなければ、特に驚きようもない。
「……既に誰かが持ち去った後だったりしてな」
「だったら流石にお手上げだぜ? 久城山については中槻山以上に何にも出てこないしよ」
人口の差なのか県民性なのか、久城山の落下物の情報については、ニュースになるどころか、投稿すら一つも見当たらない状況だった。
「ん? なんだこりゃ」
そんな中、朝倉が訝しげな声を上げる。
「どうした?」
「いや……ちょっと変な投稿があってな」
「手掛かりか……⁉︎」
「そうせっつくな……。期待してるとこ悪いが、寧ろその真逆、無関係にもほどがある内容だ」
そう言って朝倉はスマホを差し出してきた。
それは〈なんか下手くそな絵が落ちてた〉というコメントと、一枚の写真が添付された投稿だった。よく見れば、撮影場所の欄には『中槻山』と記載されている。
なるほど、だから検索に引っかかったわけか。
写っているのは一枚のルーズリーフ……いや、端に切り離されたような跡があることから察するに、切り離されたノートのページだろう。
そのページは、上半分ほどが千切れたように失われていて、まさに紙切れだった。
ちなみに、「なぜ失われているのが上半分だと判別できたのか」については単純で、その紙切れには、鉛筆で描かれたであろうイラストが描かれていたからだった。
おそらく、何かのアニメキャラの下半身だろう。ひょっとするとオリジナルのキャラクターかもしれないが、何にせよお世辞にも上手いとは言えない絵だ。
辛うじて判別できるのは、キャラクターがスカートと、それからハイソックスとローファーを身につけていることくらいだ。
おそらく、学生のキャラクターなのだろう。
……それにしてもなんというか、中学生特有の痛々しさのようなものを感じる絵だな……。
線は無駄に濃いし、何度も書き直したような消し痕も残っていて、不慣れなのが丸わかりだ。
その上、スカートもローファーも構造を理解せずに描いているのか、笑えるくらいに立体感がない。
経験上、美少女もののアニメやマンガにどハマりし始めた中高生の男子が描いたものの可能性が高いだろう。
――でも、何だか嫌いになれない絵だ。
「おい、早くスマホ返せ」
「あ、ああ悪い」
スマホを渡すと朝倉は肩を竦めた。
「な、関係ないだろう? なんでこんなもんが山ん中に落ちてやがったんだか……」
「さあな……ただなんつーか……こう言う絵を見てると黒歴史を抉られるような感覚があるな」
「お前さては、似たような絵を書いてたな?」
……図星だった。
「中学の頃な。つっても、自分でキャラの見た目とか設定とか考えるのが死ぬほど苦手だったから、オリジナルのキャラは一切描かずにマンガとかラノベの挿絵の模写ばっかりしてたけどな」
「それでも元美術部かよ……。つーかキャラ考えるの苦手な癖して、よく演劇脚本なんか書けたもんだ」
「それは……なんでだろうな、俺にもわからん」
実際、初めて台本を書いた時は、「案外書けるもんなのか」と自分でも驚いた記憶がある。
「そうだ、その絵、あからさまに初心者がやりがちなポーズで描かれてるの気づいたか?」
「そうなのか?」
絵を全く描かない朝倉にはピンときていないらしかった。
「ノートがちぎれてるから分かりづらいが、よく見ると手を後ろで組んだポーズになってるだろ?」
「……確かに、よく見るとちらっと手首っぽいのが描かれてるな」
「ああ、人間の手の平って複雑で描くのが難しい形してるから、描き慣れないうちはなるべく隠したくなるんだよ」
「なるほどな……。ところでその話、経験談だな?」
「悪いか? ……こんな話より、もっとアテになりそうな話をしようぜ」
「……ならお前も手を動かして自分で調べろ」