9話 助けてメアリー!
「巨大生物、ねぇ」
まぁ確かに巨大生物ではあるが、こういう系とはちょっと聞いてねぇ。
道理で森が静かなわけだ、コイツを恐れて他のモンスターは逃げたってところか。
「はぁ……最悪だわ」
オーク・エイプは俺の声に反応したのか、ゆっくりと首を上げた。
黄色い目が、ぎろりと俺を捉える。
殺意というより、狩人のソレが俺を映す。
その瞬間、背筋に氷柱をねじ込まれたみたいな寒気が走る。
やべ。
考えるより先に、俺は魔力を巡らせていた。
「筋力向上、敏捷向上、耐久……全部まとめてフルだ」
身体の芯に熱が通る。
筋肉が微かに震えるほどの力が滲み、視界の輪郭が研ぎ澄まされていく。
リピートは無し、あれは負担が重すぎるし勝手知らないこの森じゃ切れた後が怖すぎる。
オーク・エイプの肩が僅かに沈む。
来る……!
次の瞬間、地面を砕く音とともに奴の巨体が弾丸みたいに飛んできた。
「っ! マジかよっ!?」
とっさに横へ跳んだ。
強化した脚が悲鳴を上げるほどの衝撃だったが、紙一重でかわす。
通り過ぎざまに生まれた風圧だけで、隣の木が幹ごと揺れた。
「……なんであれが突進の速度なんだよバカかよ」
息が漏れる。
身体が強張ってるのが自分でもわかる。
真正面からやり合ったら潰される。
距離だ、まず距離を取れ。
奴は俺が避けたことに気づき、地面を叩いて怒号を上げた。
その場の苔が跳ね、木々が震える。
「うるせぇっての……!」
弓を構え、魔力を矢に流し込む。
矢先から淡い光が滲む。
武装強化×魔力矢。セット。
引き絞った弓弦が鳴り、光を帯びた矢が一直線に飛ぶ。
だがオーク・エイプは腕をかざし、まるで叩き落とすようにして受けた。
光が弾け、煙が散る。
「まーじか」
棘みたいな毛が焦げてる程度。
ダメージとしては微妙すぎる。
奴は一歩、また一歩とこちらへ迫る。
踏みしめるたび大地が沈む。
クソ、なら近接でちょっとでも削るしか……!
弓を背に回し、腰のダガーに手を当てる。
「武装強化! リピート!」
魔力を刃に流すと、刀身が薄く光を帯びた。
武器消耗の激しいリピートまで掛けたんだ、これで少しは斬れる……はず。
あーあ、これ買ったばっかなのになぁ!
オーク・エイプが腕を振り上げた。
大岩が落ちてくるような影が俺を覆う。
「はあああああっ!!」
地面を蹴って滑り込みながら回避。
すぐさま懐へ潜り込み、強化したダガーで脇腹を切り裂く。
硬い。
皮膚が石みたいに固くて、刃が滑った。
それでも、かすかに赤い線が走る。
「……お? ちょっとは通るじゃねぇか!」
だが喜ぶ暇など一秒もない。
オーク・エイプの反撃は、こちらの攻撃よりはるかに早かった。
巨腕が薙ぎ払われ、空気が唸る。
「あっぶねぇええええ!!?」
強化してなきゃ一撃で胴体が吹き飛んでるやつだ。
ギリギリで飛び退くと、さっきまでいた場所の地面が抉れていた。
これ勝てるか?
まともに殴られたら即アウトだ。
が、逃げる隙もねぇ。
息が荒くなる。心臓が痛いほど打ってる。
だが、足はまだ動く。
動かすしかない。
「……いいさ。試すだけ試してやる」
大牙猿の腕が振り上がる。
重い。速い。
だが。
その腕は“大きい”。
つまり、軌道を読める。
ここだ……!
腕の下へ滑り込み、地面を蹴って跳び、巨体の胸元へダガーを突き立てた。
しかしダガーは半分も入らないうちに止まる。
「ちぃ! さすがに硬ぇよな!」
オーク・エイプが胸元へ向けて巨腕を振り下ろすのを見て、俺は即座にダガーを手放して後方へ跳ね退く。
結果、振り下ろされた腕によって奴は奴自身にダガーを深く刺し込むことに。
オーク・エイプの野太い呻き声を聞き流しながら、俺は二本目のダガーを腰から抜き取り距離を取る。
「ハッ、とりあえずダメージらしいダメージってところか?」
オーク・エイプが胸を掻きむしるように怒号を上げ、巨体を揺らしながらこちらへ向き直る。
うーむ、あの巨躯相手にダガーでの差し合いを続けるのは分が悪い、か。
このままだといずれ正面から潰されるのがオチだ。
つかダガーの予備があと三本しかないからジリ貧もいいところだろう。
「近距離は一旦ここまでだな」
俺はわずかに息を吐き、背へ回した弓へ手を伸ばす。
木を飛び回るタイプのモンスターと違って、オーク・エイプの動きは読みやすい。
あの突進さえ警戒すれば、遠距離のほうがまだ確実に削れる。
弓を引き抜きながら数歩後退し、矢筒から一本つまみ上げる。
オーク・エイプはまだ胸に刺さったダガーの痛みに気を取られ、こちらへ遅れた動きで詰めようとしている最中だ。
「あー、折角なら闇魔法で毒でも付与しておけばよかったな」
弦を引き絞ると、視界がすっと澄む。
巨体の呼吸、筋肉の収縮、踏み込みの予兆。
全部が手に取るように見える。
毒属性付与×魔法矢。セット。
狙いを定め、魔力を矢に込める。
同時にオーク・エイプが再び突進の構えを見せる。
睨み合う。
次の瞬間、再び巨体が弾けたように迫り、俺は矢を放った。
眉間を狙い放った魔力矢は、突進してきたオーク・エイプの勢いに押され、頭部に僅かな傷を付けて逸れてしまう。
ほんの一瞬だけ奴の動きが止まったが、止まっただけだ。
「っ……マジで硬すぎだろ……!」
次の瞬間、巨腕が俺の視界いっぱいに広がった。
反射で転がり込み、ギリギリのところで回避する。
だが、転がった先で木の根に足を取られ、ほんの一瞬バランスを崩した。
んなっ!?
体勢が整うより早く、二撃目が振り下ろされる。
咄嗟にダガーで受けるが、強化してるのに腕ごと吹き飛ばされそうな衝撃。
「うおおおお!!!」
続く三撃目、横薙ぎの一撃に吹っ飛びながら何とか耐える。
痺れる。
手から力が抜ける。
視界が揺れる。
オーク・エイプの咆哮が腹の底に響く。
自分の最期を想像し、背筋が凍りついた。
ビビってんじゃねぇよ、ソロなんてこんなもんだろうが。
逃げ場がない。
距離も取れない。
次の一撃を避けられる保証なんて、どこにもない。
胸の奥に、嫌な覚悟が芽生えた。
……仕方ねぇ。あれ、使うか。
本当は使いたくない切り札。
死ぬほど痛いし代償がでかすぎて、できればもう死ぬまで使いたくなかったやつ。
それでも、死ぬよりマシだ。
「来いよ、化け物。ぶっ壊れてでも生き残る泥沼勝負と行こうじゃねぇか」
沼人間。セット。
魔力を無理やり練り上げようとした、その瞬間だった。
――音が、消えた。
風の流れがねじ曲がるような、肌が総立ちになる気配が背後から迫る。
次いで、光。
七色の光がふわりと視界の端に差し込んだ。
七つの色が空気の中で乱反射し、俺の前にゆらりと滲んだ。
続いて、気だるげなあの声。
「はぁい、アルバス。どうしてこんな相手に死にかけてるんだーい?」
間延びした、のんびりした声。
何故か背筋に薄い寒気が走る声。
「遅せーよ……」
「助けてメアリー! って言ってくれないからさぁ、一人で頑張るのかと思って観戦してただけだよぅ」
言って、虹が俺の横を通り抜けた。
独特な魔力の匂いが、鼻を刺激する。
次の瞬間、オーク・エイプの巨体が木々ごとぶっ飛んだ。
何が起きたのか理解が追いつかない。
ただ、七色の残光が視界に焼きついていた。
そこに立つは銀髪を揺らす女。
月光みたいな銀髪。
深紅の瞳。
虹色の膜を纏うように揺らめく魔力。
国家指定冒険者。
星級冒険者。
虹の魔女メアリー・アンダー。
「んふふ、久しぶりの戦闘だぁ……アルバスはそこに座ってて? ここからは私の戦いだから、ね?」
あいかわらずの気の抜けた声。
あいかわらずの不気味なマイペース。
そして。
その全てが、逆に絶対的な強者の空気を放っていた。




