4話 吐瀉物と鼻水と涙に塗れて
「こっちこーい……」
「こっちこーい……」
霧がかった河川敷。
お香だろうか、妙な香りが辺りに漂っている。
ここは何処だろう……?
「こっちこーい…こっちこーい……」
川の向こうで誰かが俺を呼んでいる……?
全然聞いた事のないはずなのに懐かしい気がする声。
霧のせいでよく見えないが確かに誰か……。
『起きろ! 先輩!』
◇
「起き……! せんぱ……!」
「ハッ!!!」
「おぉ!? 先輩! やっと起きたか!」
心底安心した様子のララノアを尻目に俺は周りを見回す。
霧も無ければ妙な香りもしない、なんならここは河川敷などではなく森の中だ。
さっきまで見えていた景色は一体……夢、だったのか?
うーむ、それにしてはあまりにもリアルだったような……。
「先輩? 大丈夫か?」
「なぁ、ララノア。俺はどれくらい寝てた?」
「うむ、1時間と少しくらいだな」
クソっ、失態だ。
新人二人を置いて眠りこけるなんて全滅待ったナシもいいところだろう。
あークッソ!!!
幸いにしてこの辺りは先程討伐したフォレストベアーの縄張り、奴の匂いを警戒して他のモンスターは近くにいなかったようだが……それでも失態は失態。
あー憂鬱だ。不甲斐なさで胸が重いわちくしょう。
「あーそのなんだ……もう少し眠っていてもらおうかと思っていたのだが、酷くうなされていたのでな……起こさしてもらった、すまない」
ウンウンと唸る俺を見て、ララノアが申し訳なさそうに言った。
「あ、いや違う! 違うぞ!? 新人二人を置いて気絶した自分に腹が立っていただけ! むしろ感謝してる!」
「そ、そうなのか? なら良かった、アタシはてっきりまた先輩に嫌われたのかと思ってしまったよ……」
「嫌うどころか好感度爆上がりのうなぎ登りよ……っと、そういえばアイリスは?」
「うん? アイリスならそこにいるじゃないか」
キョトンした表情でララノアが俺の胸元を指差す。
同時にツンとした酸っぱい臭いとぐちょりとした不快感がが俺を襲う。
まさか。
「んふふふ……もう食べられませんよ〜……」
恐る恐る視線を落とすと、そこには吐瀉物と鼻水と涙に塗れながら人に抱き着いて眠るアイリスが居た。
「おいおいマジかよ……まじかよぉ」
あぁ、胸が重いって物理的に重かったんだ。
◇
「申し訳ありません!」
クエストからの帰り道。
ざわめきの森を抜け、街の外壁が見えてきた辺りでアイリスが目を覚ましたので適当に道から外れ、俺たちは軽く休息を取っていた。
のだが。
「本当に申し訳ありません!! そしてありがとうございました!!」
「いやもういいよ、大丈夫だから。初クエストで失敗なんて誰にだってあることだって」
「いいえ、ダメです。命を助けて貰った大恩に対してわたくしは謝罪しか出来ないこの不甲斐なさ!!! そして溢れ出る感謝!!! とめどなく溢れるこれら故に感謝と謝罪を申し上げるしかありません……!」
目覚めてからというものアイリスがずっとこの調子なのだ。
ゲロと鼻水と涙をエンチャントされた身としては簡単に許すとは言いたくないが、こうも謝り倒されると気まずいものがある。
まぁ気まずい理由はそれだけでは無いのだが……。
『見ろよアレ、謝罪と感謝を交互にやらしてるぜ……なんの意味があるんだろうな?』
『あれだろ、最近問題になってるブラックギルドってやつ。ギルド社訓を大声で読ませたり、失敗したらとことん追い詰められるらしいぜ……それにしてもあの子美人だな……』
『私ちょっと注意しうわっ。あのエルフが居る…見なかったことにしとこ……』
『きっしょ…ああいうギルドとは組みたくないわ〜』
そう、周りの目線が辛い。すごく辛い。
ここは街に近く比較的安全な道であることから駆け出し平野と呼ばれ、新人冒険者達の良い狩場になっている。
故にこの状況だ。
───はぁ、帰りたい。
こんなことになるなら二人とも担いでさっさと街に帰るべきだった。
なんで誰とも知らない奴らにこんなに色々言われなきゃならんの。
つーか何も知らない奴らから見たら俺がブチ切れてように見えるのだろうか。
「あのな? 新人を助けるのは当たり前なの。だから謝罪も御礼も要らないしこの話は終わりにしような? ララノアもそう思うだろ? な!?」
「ふっ、流石はアルバス先輩だ。助けるのは当たり前、アタシが死にかけた時も同じことを言ってくれたな……!」
おい待て。
「ええっ!? 詳しくお聞かせください!!」
ララノアの言葉にわぁ!と声を上げると、宝石のような紅い瞳を爛々と輝かせたアイリスが食らいついてしまう。
そんなアイリスを見て、ララノアは得意げに言った。
「あぁ、アタシがキングスライムに殺されかけた時にも同じ事を言いながら身を呈して守ってくれたんだ。大概の冒険者は見捨てるのが当たり前なのに、だ」
「なんと、それはそれは……」
いや確かにまぁ、新人に対して助けを差しのべる冒険者は少ない、らしい。
俺は新人の時から1人だったから実際のところはわからんが。
基本的にこの仕事は命懸けだ、パーティでもなければぽっと出の新人なんて助けるほどの余裕は本来無いのだ。
「そしてアルバス先輩はアタシにこう言ったんだ『お前を絶対に見捨てたりしない!』とな!」
「あらまぁ! 流石はアルバス様ですね!」
言ってないが。
「アルバス様…いえ、アルバス先輩」
「な、なにかな?」
ゆるふわウェーブの銀髪を整え、こちらに向き直ったアイリスが熱の篭った瞳でコチラを力強く見つめてくるが、あえてキョトンとした目で見つめ返してみる。
俺なんて適当に先輩風吹かしてるそこらの冒険者と同じなんだよ、頼むから変に期待しないでくれ!
「改めて先程はありがとうございました、貴方は本当に命の恩人です」
「し、新人を助けるのは当たり前だからね。気にしないで! あ、そろそろ休憩も終わりにして街に「たとえ当たり前だとしても、わたくしは貴方のその志にとても感銘を受けました」
こいつ!
俺の言葉に被せて!
「いやいいんだよ!そんな大したことじゃないからさ! 当たり前なだけ! 俺なんてそこら辺のちょっと先輩風吹かしてるだけの奴だから! ほら休憩終わ」
「なので、わたくしを貴方のパーティに加えて頂けませんか?」
「はっ……………?」
「ですから、わたくしを貴方とララノア様のパーティに加えて欲しいと、そう言ったのです」
今の話のどこにパーティーに加入したくなるような要素があった!?
「ダメ、でしょうか……?」
力強くこちらを見つめる紅眼が揺れ、またこちらを見据える。
「力不足なのはわかっています、ですが! わたくしは貴方の元で研鑽を!」
「いやあのだな、俺とララノアはそもそもパーティーを組んでないんだよ」
「えっ」
「えっ。いや、組んでるぞ」
俺の否定にすかさずララノアの否定が入る。
「だからそれはララノアが口だけで言ってるだけで」
「いや、登録したぞ」
「…………え?」
これが証拠だ、と言ってララノアがギルドカードを渡してくるので覗き込むと。
それは確かに刻まれていた。
パーティの欄に、確かに俺の名前が、刻まれていたのだ。
「おまっ、これ……はぁ!?」
「くっくっくっ。先輩が寝ている間に先輩のカードとアタシのカードを使ってちょちょいと、な」
「ち、ちょちょいとなってお前なぁ……いや待て待て。ララノア、パーティ登録には契約魔法、もしくは魔法器が必要なはずだぞ」
そう、正式なパーティ登録をするには契約魔法と呼ばれる聖職者のみが扱うことを許される特殊な魔法が必要なのだ。
契約魔法『コントラート』
それは契約魔法とは神の元の契りであり、絶対の契約履行を強制させる中位神聖魔法。
基本的には絶対に不倫されたくない貴族の奥方や、王国兵が王族への忠誠を誓う際に使われる魔法なだけにペナルティが重く、契約の不履行は基本的に死を与えられる。
一応だがメリットもある。あまりに重いデメリットに対し、それに見合わないメリットが。
具体的には神の祝福と呼ばれる永続バフだ。
これは一部のステータスーー力・敏捷・耐久・魔力ーーを上昇するというものなのだが。
ステータス上昇は微々たるもので、しかも登録のために教会へ馬鹿みたいな額の献金が必要、さらにパーティを解散するとその祝福は消失してしまうという通称残念バフ。
故に、金の無い冒険者連中はそんな契約せず口約束でパーティを組んでいるのだ。
そんな俺の疑惑の視線を受け、ララノアは心底楽しそうな表情で勿体ぶって、演技ぶって言った。
「くっくっく。スクロールというやつだよ、先輩!」
「んな馬鹿な!? 中位とはいえ神聖魔法だぞ!? そんな高級スクロールをどうやって新人のお前が」
「ギルドの受付さんが出世払いでくれたのだ」
あの野郎!!!
神聖魔法の刻まれたスクロールとか一体何ゴルするんだよ……。
もしかしてギルドに横流しとかされてたりするのか?
それか超割引でもあるのか……いや今はそんなことどうでもいい。
「あ、あの……お話は終わりましたか?」
いい頃合と思ったのか、アイリスがおずおずと手を上げて言った。
さて、どうしたものか。
不安げな彼女の瞳を見て、俺は思考に耽る。
俺の心境としてはさっさと街に帰ってギルドに殴り込みたい。それはもう二人を担いで帰ってもいいかなと思うくらいには殴り込みたい。
いやしませんけどね、ちょっと今回の件を使って超高難易度のクエストを強請って解約分の金を稼ぎたいだけだからね。
一発、いや二発くらいは殴ってもバチは当たらないだろうけどそんなことしたら問題になっちゃう。
いやいや、そんなことよりもだ、この状況をどうにかしなくては。
「なぁ、先輩……?」
あーでもないこーでもないと俺が悩んでいるとララノアが少し悲しげな表情を向けていることに気がついた。
「先輩はなんでそんなにソロに拘るんだ? 冒険者は基本的に誰かと組むものだと聞いた、人数が入ればそれだけ死の危険性は減るし安定感も増すというものだろう? なんでなんだ?」
最後にポツリと、そんなにアタシが嫌なのか……? なんて今にも泣きそうな顔でララノアが言った。
「わ、わたくしも気になります! アルバス先輩は何故一人なのですか? パーティーとはバランス力が大事だとギルドで教わりましたよ?」
続け様にアイリスも問うてくる。
えぇ、そんなこと分からないの? 本当に?
はぁ、しょうがない。ここはビシッと決めてやるかね。
「そりゃお前ら、パーティーの人数が多ければ多いほど報酬が減るだろ」
「「は?」」
何故かポカンとする二人を尻目に俺は続ける。
「クエストひとつ対して四人で挑むとするだろ? そしたら報酬は四等分なんだよ、四等分。 仮に報酬が十万ゴルなら一人当たり二万五千ゴルなわけだ、割に合わねぇわけよ。だからって報酬の美味い高難度クエストを受けるにも、安全策をしたい仲間がいたら反対されて終いだ。そんなん有り得ないだろ? 仲間に合わせて低難易度にして稼ぎを減らすとかなんのために冒険者になったのか思い出せよ! それと、俺の戦闘スタ」
「わかった、わかったから! 落ち着いてくれ先輩!」
「まだ言いたいことはあったのだが」
「い、いえ大丈夫です! よーく分かりましたから!」
そう? 分かってくれたならそれでいいか。
言えなかった部分に、俺の戦闘スタイルが基本的に一対多を前提にしたものだから今更パーティーを組むのもめんどくさいってのもあったんだけど、分かってくれたならまぁいいよね。
「どうしましょう、ララノア様。わたくし、ここで捨てられたら本格的にソロになってしまうんですけど……」
「ふははは、アタシもだ……あの感じだと街に帰ったら契約魔法を解除されてしまいそうで……本当にどうしよう」
二人は何やら深刻な表情で俺を見ながら話し合っているが、何を話しているんだろうか。
っと、話してたら日がだいぶ傾いてるな。
そろそろ街に戻らないとモンスター共に襲われかねない、適当に話を切り上げて帰らなくては。
「まぁ、そういう訳だ。だからアイリスさん、パーティーの話は他の新人とか中堅パーティーにしときな? 俺みたいな守銭奴と組んでも良いことないって」
「ま、待ってください! 作戦タイム! 作戦タイムを要求します!」
えぇ。面倒くさ。
「街に帰ったらでいい? もうそろ夜にな「アタシからも頼む、もうあと少しでいいんだ! 少しアイリスと話合わせてくれ!」
「いやだから夜に……あっ」
「「あっ?」」
二人の背後に立つソレを見て、思わず間抜けな声を出してしまった。
ソレは夜の草原にて人もモンスターも等しく斬り伏せるという怪物。
古の時代に首を落とした騎士が悠久の時を経て蘇ってしまったもの。
落ちたはずの首を携え、片手にバスタードソード構えた騎士型アンデッド。
ソレの名は。
デュラハン。