スライム話 スライム・スライム・スライム
ざわめきの森、深部。
夜の森は、昼とはまるで別の生き物のように沈黙していた。
湿った空気が絡みつき、葉擦れすら聞こえない。
その静寂を破ったのは、遠くで響く金属音と、押し殺した悲鳴だった。
「走れッ! 止まるなッ!」
先頭を走る男――上級冒険者が叫ぶ。胸甲は裂け、血に濡れ、息は荒い。
追尾する三人の中級冒険者は恐怖と疲労で足取りが乱れかけていた。
「ま、待って! もう無理っ――」
「黙って走れ! 来るぞ!」
背後で、ぬるり、と何かが樹皮に張り付くような音がした。
ぬちゃり。
四人の背筋に、凍りつくような悪寒が走る。
「……き……こ…え、る。……アレ? コレ……どう、つかう……っけ?」
生温かい、掠れた声。
次第に近づいてくる。
人の声ではある。
だが、“正常な声帯”を通っているとは思えない濁りが混じっていた。
「ひっ……! しゃ、喋ってる……の……?」
「振り返るなッ!」
だが、振り返らずにいられなかった。
月明かりに照らされたのは、
“人の形を模したスライム”。
それは冒険者の革鎧を半ば溶かしながら身にまとい、顔面らしき部分をゆっくり持ち上げた。
そして――笑った。
「コロ……す。
タベル。
ヨワイノ、オボエタ。
……モット……ホシイ……」
次の瞬間、スライムの腕が形を変え、黒鉄の刃が伸びた。
喰われた冒険者が使っていたロングソードだ。
だがそれは金属ではなく、スライムの体液を圧縮して硬化させた“模造品”だった。
「くそっ、また奴が冒険者の技を……!」
シグルドが歯を食いしばる。
スライムは不自然な動きで脚を開き――
冒険者の“構え”を真似た。
「……ミギ、アガッテ。
ヒダリ……オロス。
――チガウ?」
最初はただの猿真似だと思った、知性の低いモンスターがよくやる手だと。
だが。
その猿真似は、しかし今や十分な殺意を備えていた。
「避けろォッ!」
スライムが腕を振り抜く。
地面がえぐれ、飛び散った土が背を打った。
月明かりが剣線を青く裂いた。
「がッ……!? ま、待っ――」
「だめだッ! 立てッ!」
斬り飛ばされた中級冒険者の外套が地面に落ちる。
スライムはそれを“拾い”、ゆっくりと吸収した。
「……ニ、ンゲン、フク。
あったか……い。
ヨカッタ……?」
完全に理解していないくせに、
人を真似ようとするその気色悪さ。
冒険者達の精神をじわじわと削る。
「セーフハウスまであと少しだ! ついて来い!」
シグルドが全員を押し出すように走らせる。
足元の土が揺れた。
スライムが地面ごと“泳ぐ”ように潜り、彼らの前方に姿を現す。
「マッテ。
ドコ……いく?
――ソコ、キケン。
シンジャ、ダメ。」
「黙れェッ!」
滅龍剣、胎動。
シグルドは振り向きざま、手にした大剣を振り抜いた。
刃がスライムの胴体を、その先の木々を巻き込んで上下に裂く。
だが、裂けた体は即座に収束し始めた。
「アァ、イタイイタイ痛いイタイいたい……? HAHAHAイタクナイ。キミラ、イタイ?」
「チッ! やはりスライム相手では効果が薄いか……!」
「き、きゃあああああッ!」
「もう無理よッ……! やだ……死にたくない……!」
「誰でもいい! 先に行って扉を開けろッ!! 早く!」
シグルドの怒号が響く。
セーフハウスの鉄扉が視界に見えた瞬間、四人はほぼ転がり込むように駆け寄った。
「もう一撃くれてやるッ! 之は龍を滅する太刀也、之は夜明けを起こす絶技也! 古代武具解放!! 滅龍抜剣!!!」
仲間たち三人を護るようにスライムを迎え撃ったシグルドの大剣が夜闇を照らす。
其れは龍を殺し、夜明けを齎す光の放流。
古代武具に名を連ねし龍殺しの大剣『滅龍剣』にによる熱線。
その圧倒的熱量はスライムを呑み込み、マグマに落ちた一滴の水が一瞬で霧散するようにその肉体を蒸発させた。
はずだった。
「オボ オアアア、ボボボボボボ。 オモシロイ、おもろい!
アツイあついアツアツアツ、溶けるるるるる!!! 本体へ伝達、対冒険者用戦闘プロトコルに大幅な上方修正を提唱」
滅龍剣はたしかにその肉体の蒸発に至った。
が、しかし。
スライムには核がある。
核を壊さねばその生命活動を止めることは叶わない。
「カラダ、にくたい、上級冒険者。ホシイホシイホシイ欲しい欲しいほしいいいいい」
ごぽりごぽりと音を立て、再生していくスライムを尻目にシグルドはセーフハウスへと転がり込む。
「マッテ」
扉が閉じられるよりも早く、スライムがぬちゃりと伸びた腕を滑り込ませてきた。
「アケ、テ……?
ナカ……あったか……い……?」
「押さえろッ!!」
シグルドが全体重で扉を押し返す。
仲間たちも必死に支える。
「ひッ……! ぬる……っ、うそ、腕が……!」
「触るな! 溶かされるぞッ!」
スライムの腕はすでに扉の隙間から侵入しており、鉄扉をじわじわと腐食させていた。
「アソ……んで?
オナジ……ナカマ……なろ?」
「誰が仲間だッ!!」
上級冒険者の怒号と同時に、
内側から魔力障壁が展開される。
バチィ、と音を立ててスライムの腕が弾かれ、
加熱されるように蒸発した。
「───────ッ!!」
扉の外で、初めてスライムが“悲鳴のような何か”をあげた。
次の瞬間、静寂。
森に戻ったのは、月明かりと、遠ざかる湿った足音だけだった。
生き残った四人は、扉にもたれかかりながら、ようやく肺に空気を取り戻す。
「クソッ、なんで、あんな変異種が……!」
「アイツ……絶対、普通じゃなかった……!」
「明日……ギルドに報告しないと……」
震える声で、誰かが言った。
ごぽり。
「待って。なにか音が」
「ヤッと、安心した、ね」
「あ」
「はっ」
「どうし」
瞬間、四人が呑み込まれた。
否。
滅龍剣第二形態解放。
「上級冒険者を舐めるなァッ!」
滅龍剣がその姿を十二本の短剣へと姿を変え、宙を舞う。
シグルドを護る短剣による斬撃の結界。
しかし間に合わない、三人はもう。
「エメラルダ、カイン、ジュリア……! 今助ける!」
「oh......! たすけ、ル? ムリだよムリムリ、ムリじゃない? 無理かもよ? ムリダワ?」
宙を舞う短剣がスライムの手足を刺し、床へと固定。
シグルドはその上に立ち、右腕をスライムへと向けて。
「此れ成るは龍を縛る十二の短剣。其れ成るは影を剥がす極光。纏い、弾けて、影に光を刺せ! 抜剣!
剥離結────」
「シグルド、どうして……?」
「─────ジュリぁ?」
ぐちゃ。
感触が、胸を貫いた。
視界が傾き、シグルドの身体が静かに崩れ落ちる。
上級冒険者が最後に見た光景は、仲間の顔で仲間の声で仲間の身体で彼の心臓を弄ぶスライムで。
「あぁ……くそっ」
主を失った滅龍剣は、音も無く床に落ち、そのまま消えた。
森の奥で、スライムは振り返らずに歩いていた。
「……モット……タベル。モット……もっと」
「喋り方……変える、もっと自然に。スマートに」
「下級冒険者は素材に、中級の一部個体と上級は素体に……本体へ伝達、伝達、伝達……」
「さぁて、次の素体を探しに行こうか!」




