10話 昼下がりのコーヒーブレイクでもキメてるみてぇな呑気な声で彼女は笑った
メアリーが一歩進むだけで、空気の密度が変わった。
さっきまで気だるげに笑っていた女とは、まるで別人だ。
風が止まり、世界が息を呑むような静寂。
オーク・エイプが咆哮する。
その声でさえ、メアリーにとってはなんでもないらしい。
「おーおー、元気いっぱいだねぇ」
いつもの声。
だが空気は鋭い刃のように張り詰めている。
まるで昼下がりのコーヒーブレイクでもキメてるみてぇな呑気な声で彼女は笑っている。
それなのに、魔力の圧が森を震わせていた。
「全界強化」
地面がひび割れ、メアリーの足元から砂塵が舞い上がる。
ただの肉体強化とは次元が違う。
身体能力を上げる補助魔法の域を超え、魔力の暴力そのもの。
俺がこれを再現しようとしたら一体どれ程の重ね掛けをすれば、いやそもそも身体が耐えられるのか……?
「じゃ、行ってみよ〜」
メアリーの姿が消える。
次の瞬間。
――ズドンッ!!
オーク・エイプの巨体が後ろに吹き飛んだ。
何が起きたかわからない。
ただ巨大な体が木々をへし折りながら、十数メートル先に叩きつけられていた。
「ほれぱっぱっ」
メアリーが軽く袖を払う。
殴ったのか蹴ったのかすら見えない。
オーク・エイプはすぐに立ち上がり、怒り狂ったように地面を叩いた。
地震のような衝撃波が走る。
身構えた俺に対し。
メアリーは微動だにしない。
「大きいだけで威圧してくるタイプ、嫌いじゃないよん。
じゃ、次はこれ」
「風刃」
彼女が指先を軽く払うだけで、
風が十数本、無音で飛び出した。
空間が裂ける。
オーク・エイプは腕で防御したが。
分厚い毛皮も皮膚も、まるでバターのように切り裂かれる。
両腕の毛並みがまとめてそぎ落とされ、血が吹き出した。
風刃。
それは駆け出しから上級までのありとあらゆる魔術師が使う基本の風攻撃魔法。
それはこの女も例外では無い、ただ。
ただの基本魔法がこの威力!
上級指定モンスターの肉体がただの指一本の動きで傷だらけにされる姿に戦慄が走る。
オーク・エイプが怒り狂い、突撃する。
巨体が地響きを立てて迫る、が。
メアリーは動かない。
その拳が、メアリーの頭上に振り下ろされる。
瞬間。
「雷障壁」
メアリーの周囲に雷の壁が発生し、触れた拳を焼き裂いた。
皮膚が弾け、焦げた肉の臭いが鼻を突く。
そして巨体が後方へのけぞる。
「おさわり厳禁だよ〜」
そんな軽口とは裏腹に、メアリーの瞳には一切の熱を感じない。
「地重圧」
メアリーが地面に触れると、大地がうねった。
オーク・エイプの足元だけが沈み、荷重が一点に集中したように身体が押し潰される。
流石の奴でも動けず、悶えながら苦悶の声を上げている。
すっげ、圧力操作とか生で初めて見たかもしれん。
「まだまだ楽しんでいこ〜、よっ」
メアリーが指を鳴らすと、重力は解除された。
解放された瞬間、オーク・エイプは本能で逃げようと後退する。
背を向け、あの突進で逃走しようとしたのだろう。
その刹那。
「水牢」
球体状の水の塊が渦を巻きながら、その背を逃走を空間を水没させた。
「逃がさないよぅ。凍結」
凍結という言葉通り、水に支配された空間が完全に凍結する。
しかし、未だオーク・エイプの瞳は生きていた。
今にも氷を割って逃げ出さんと言わんばかりに身を捩っている。
「火穿光・極点」
一閃。
メアリーの人差し指から放たれた細い火柱が、オーク・エイプの背へ。
音はなく、ただ一筋の光が走り、次には腹側へ抜けていた。
巨体が力なく項垂れ、呼吸により胸周りだけが上下に動くばかり。
もはやあの力強さはない。
「聖槍・散」
空中に光の槍が十以上、ふわりと展開する。
どれも魔力が濃厚すぎて、光と言うにはあまりにも暴力的。
あまりにも殺意が高すぎるその光に全身に鳥肌が立ってしまう。
「まぁ、終わりにしよっか」
メアリーが手を軽く振る。
光の槍が一斉に降り注いだ。
身体を拘束する氷ごとオーク・エイプを貫通し、肉を焼き、地面に突き刺さった光が霧散する。
巨体が、ゆっくりと前のめりに倒れる。
大地が揺れた。
もう、動かない。
沈黙。
俺はそんな光景を前にし、呼吸を忘れていた。
こんなもの戦闘と呼べるものではない。
ただの処理だ。
あまりにもバカげている。
「いや────」
メアリーは何事もなかったかのように振り返り、一言。
「────強かったねぇ」
そんなわけが無い。
いや、たしかにオーク・エイプは強かった。
強かったのだ。
だが、それは俺にとっての話だ。
『星級冒険者はバケモノだが、その中でも国家指定冒険者はバケモノを超えたバケモノだ』
まさかここまでは思わなんだ。
想像すらしていなかった。
「どうだいどうだい私の戦いは〜? スマートだったろう?」
「あ、あぁ」
「んふふ、だろだろ〜」
メアリーはクルクルとその場で回りながら笑う。
「それにしてもさぁ。前のアルバスならコイツに勝てたよねぇ?」
「いや無理ですけど?」
「いやいや、行けたでしょ〜。あの日の君はもっと強かったよぅ」
「……何の話かサッパリですな。国家指定冒険者殿はお疲れのようだ」
「ふーん、はぐらかすんだぁ? ま、いいけどねぇ」
メアリーの紅い瞳がジトッと見つめてくるが目線を逸らして無理を決め込む。
カノジョの言うあの日とは多分去年の大規模討伐クエストのことだろう。
あの時は無我夢中でどうやってあのモンスターを倒したのかほとんど覚えていない。
同じ街の冒険者仲間を逃がすためにしんがりを務めたのは覚えている、が。
次に気が付いたら何故か俺がモンスターを倒したことになっていたのだ。
戦闘中の記憶は無いし、ギルド側はその功績を欲しがってたから高値で売り払ってしまって、もうそのことを知るのは当時の冒険者仲間とギルドのお偉いさんだけだろう。
なので無視というより守秘義務である。
つかなんでコイツはその事を知っているんだ……?
前に組んだあれはあの日じゃなかったはず、だよな。
「じゃ、あとは片付けしよっかぁ。
戦闘は私がやったし後片付けよろしくねぇ〜」
「いやいや、こっちボロボロなんすけど」
「だって私、お疲れ? なんでしょ〜?」
「うぐっ」
「んふふ、じゃあお疲れ気味な私に代わってよろしくぅ!」
疲れなんて知らなそうな圧倒的強者は、涼しい顔で笑った。




